献血へいこう

入間しゅか

献血へいこう


 そうだ献血へいこう。ニードルはあるのに、駆血帯を失くした。かすみの顔が頭に浮かんだ。あいつわざわざうちに来てやるだけやって帰りやがったな。


 いつからか血を見ることが日常になった。生きている実感なんて言ったら大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、私にとっては切実だった。

 リスカよりもいいものだと言ってかすみに瀉血の仕方を教わったのはかれこれ二ヶ月前のことだった。なぜ、リスカより瀉血の方がいいのか評価基準はよくわからなかった。ただなんとなくわかる気がする。なんとなく。

 かすみはその日、目の前で瀉血を実演した後プルプルと手足が痙攣しだしてぶっ倒れた。私の万年床に寝かされながら、小さい声で「明日、死ぬかも」と言った。そして、本当に死んだ。特急電車に飛び込んで死んだ。フラフラしながら「帰る、またね」と言って出ていったのがかすみの最後の言葉だった。

 それからというもの私はかすみに教えらた通りに瀉血をして、抜いた血が入った計量カップをしげしげと眺める習慣ができた。ピアスニードルで刺しまくった腕の血管は潰れていて、採血の際に看護師さんに怒られることがあった。こんなこと辞めなきゃいけない。頭ではわかっていたが、血を見ないと落ち着かなかった。いつか血を抜きすぎて死ぬかも。震えながらぶっ倒れたかすみの青白い顔がたまに夢に出るのだ。

「なっちゃんは死なないで」夢の中のかすみが言う。ごめん、死ぬかもと言っていつも目を覚ます。そんな日は大抵寝坊だ。寝坊した所で通所しているA型作業所をクビになることはなかった。三十分でも通所すれば許された。しかし、最近はその三十分も行けなくなっている。人間やめてるなぁとぼんやり思う。万年床から見上げる天井はいつも無表情。寝転んでいても体が斜めに傾いたり、上へ下へ床が動いている感覚がある。

 かすみは私の唯一の友達だった。だから、死んだことを許せなかった。Xの病み垢を通して知り合った。一年前に親の反対を押し切って同棲した彼氏には捨てられ、そのクソ野郎が残していった私物が未だにある家に私一人で住んでいる。両親のLINEはブロ削し、連絡手段がなかった。実家に帰れば良いだけなのに、どんな顔して戻ればいいのかわからなかった。

 作業所をサボってしまうと、無性にかすみに会いたくなる。死のうかなと考える。寝ようとして目を閉じてもクルクル体が回るし、体のあちこちが痛くて眠れない。行く宛てもなく外に出た。十月にしては気温が高かったが、秋の風が吹いていた。まだ作業所に間に合う時間だったが、逆方向の電車に乗った。なんであいつは死んだんだろう。電車に揺られながら思った。このまま乗れば実家の最寄り駅だった。でも、それも通り過ぎて知らない駅で降りた。知らない町の賑わう商店街を歩き、何も買わずに帰った。行き交う人の顔を私は遠慮ない視線で眺めながら死にたいと呟いていた。血を見よう。帰ったらすぐ瀉血しよう。


 しかし、駆血帯がなかった。ゴミだらけの六畳間をいくら探しても駆血帯が見つからなかった。すぐにでも血が見たかった。リスカしようか。いや、瀉血がいい。どうしても瀉血がしたい。私は焦った。部屋中をひっくり返して探した。探してないのに、元彼がくれたネックレスが出てきた。捨てればいいのに、それも出来ずに寝間着のポケットに押し込んだ。かすみからもらった手紙が出てきた。知り合った頃は文通していた。何通も送りあった。内容は他愛ないものだった。かすみの手紙の最後はいつも『死ぬ前に必ず会おうね。だから死ぬなよ』で締められていた。いつしか駆血帯のことを忘れて読み返していた。彼氏の愚痴や、行ったロックフェスのこと、親との不和、生きていることへの不安、本当にくだらないやり取りをしていた。いつの間にか私は泣いていた。もう涙なんて流れないと思っていた目から涙が止まらなかった。死ぬなよと呟いていた。死ぬなよバカ。かすみ、会いたいよ。


 翌朝、私は寝間着のまま実家に向かっていた。朝は肌寒くて、夏はいつ終わったのだろうかと思った。なんで帰ろうと思ったのかよくわからなかった。まだ死ねないと思ったら、自然と帰る決意をしていた。実家のある最寄り駅に降り立つと、通勤の人達が行き交う中、献血のプラカードを掲げた男性が寒そうに肩を縮めて立っていた。プラカードにはAB型ピンチと書かれていた。そうだ献血へいこう。薬を飲んでいるし、血管はボロボロだけど何とか誤魔化して献血できないだろうか。死ねないと思っていても、血を見たい気持ちは消えなかった。しかし、生きるためだった。私はこれから生きるために、献血へいこう。寝間着のポケットに入っていた元彼のネックレスをゴミ箱へすてた。かすみ、私は生きるよ。だから、献血へいく。

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