第4話

 身体が無機物であっても心があれば人間である、などという言葉が単なるお為ごかしに過ぎないという事に、どれだけの人間が気付いているのだろう。法で定めた付け焼刃な関係性は、人間とロボットをさらに引き離す。ロボット達は、増々人間ではないことを強く意識する。

 そこまで思考し、DC‐1は頭を振ってそれ以上の追及を止めた。こんな考えは哲学者にでも任せればいい。自分は刑事として、もっと考えねばならないことがある。


 この防犯カメラは、やはり厨房を意識している。理由は解らないが、少なくとも自分にはそう見える。人間ではないからこそ分かる、それこそロボットのだ。

 ふと、電子手帳に受信を知らせるライトが点滅していることに気付いた。手帳に伸ばしかけたDC‐1の手が止まる。

 自分は今、証拠品保管室の中にいる。先程、警備会社の情報バンクにアクセスする為にここから出なければならなかったのは、防犯上、保管室内は外部とのデータのやり取りから完全に独立しているからだ。

 ならば、今、手帳が受信しているのは一体何だ?

 受信ライトは、まだ点滅している。DC‐1は意を決し、手帳の通話マイクをオンにした。


「……誰だ?」


 DC‐1の低い声に、合成されたような、やや不自然な女の細い声が返る。


「あの、あたし、防犯カメラです……」

「何?」


 女の小さな声がもう一度名乗った。


「刑事さんが手帳と繋いでる、防犯カメラです」


 DC‐1の思考回路は、相手の言葉を上手く理解出来なかった。防犯カメラが喋る? 只の機械が? 馬鹿馬鹿しい。


「ふざけるな。どんな手段か知らんが、警察のシステムに忍び込むとは、良い度胸だな。何が目的だ」

「ふざけてなんていません。本当に防犯カメラなんです、信じて下さい。確かに手帳の機能を借りてますけど、それは自力じゃ喋れないから……ハッキングとか、そんなつもりじゃないんです。たまたま刑事さんがあたしと手帳を繋いでくれて、今しかチャンスがないって思って。それに、警察のシステムや刑事さんの手帳って、簡単に忍び込めるものなんですか?」


 言葉に詰まる刑事に、女の声が続ける。


「お願いがあるだけなんです。捜査が終わったらで構いません。あたしのこと、壊してくれませんか。もう、直しようのないくらいに」


 DC‐1は、声の主が防犯カメラであることを受け入れ始めていた。


「折角直ったっていうのにか?」

「直して欲しくなかった。自分から壊れたのに」

「自分で壊れた? 何故だ? 事件の直前、あんたは何を見た? 何を知ってるんだ?」

「事件のことは、何も見てません。でも、あの男の人を雇ってから、親父さんの様子は段々おかしくなってしまった。あの日は悪い予感がしてました」


 ありえない。〝悪い予感〟ときた。機械が予感を抱く?


「親父さんは努力家でした。味が分からないなら、味覚以外の感覚で美味しさを追求するんだって、食材の鮮度や焼き加減、味付け、お客さんの反応、凄く研究してました。段々お客さんも増えてきて、ロボットだってやりゃあ出来るんだって、毎日楽しそうでした」


 カメラの告白は続く。


「最近じゃ凄く忙しくなってきたから、従業員を雇うことにしたんです。自分ロボットでは行き届かない所もあるだろうからって、人間を雇いました。とってもいい人で、最初は親父さんも喜んでました」

「…………」

「でも、あたし知ってました。親父さんは本当はずっと人間が……羨ましかったんです」


 あの日は朝から嫌な感じがした、と彼女は続けた。

 従業員が串打ちをする姿を後ろから見詰める店主。肉切り包丁を握った腕をだらりと下げて……。従業員が、大きい肉の塊を鉄串で刺している。何かに気付いた様に顔を上げる従業員。店主に向けて浮かべた笑顔が僅かに戸惑い……。


「これ以上見ちゃいけないって分かりました」


 彼女は自ら壊れることにした。店主のこれから起こすであろう行動を記録しない為にも。

 だが、その後の事はDC‐1にも想像がついた。

 従業員に近付く店主。異様な気配に従業員がたじろぎ、店主の手の包丁を見つめる。店主は包丁を振り上げ、咄嗟に鉄串を振り回す従業員――。


 従業員は人柄も良く、心から店主を尊敬していたし、店主が考えていたよりも優秀だった。店主の料理を一口食べればどこがポイントかを的確に見抜き、店主の技術もあっという間に吸収した。彼が店主を尊敬し、仕事熱心で謙虚であり続ける程、店主はいたたまれなくなった。

 従業員を憎んでいたのではない。

 ただ羨ましくて、どうしようもなくなってしまった。


 カメラがすすり泣く。


「あたし、親父さんが好きだったんです。親父さんの心が壊れてしまうのを、見たくなかった。なんであたしのこと、壊れたままにしてくれなかったの……」




 何時もと違う帰り道を選んだのは、ほんの気紛れからだった。

 商店街を通り、まだ立ち入り禁止のテープが張り巡らされた小さな居酒屋の前でDC‐1が立ち止まる。

 或る程度の目星がついた事件現場に、見張りの警察官の姿は見当たらない。ロボットの刑事は周囲を確認し、そっと店内に忍び込んだ。

 まだ、こもった臭いのする店内の天井付近の壁を眺めると、一か所がくりぬかれたように、元の白い壁色を晒している。あの防犯カメラが備え付けられていた処だと、すぐにわかった。


「あたし、親父さんが好きだったんです。親父さんの心が壊れるの、見たくなかった。だから、咄嗟に壊れました。なんで、壊れたままにして貰えなかったの……」


 哀しそうな声が脳裏に甦る。ロボットは人間への妬みという感情から罪を犯した。何十年もかけ、機械は心を持った。もしも人間を雇わなければ、店主かカメラが壊れる日まで、彼等の心は誰にも気付かれることも無く、店主は毎日焼き鳥を焼き続け、カメラは店主を見守り続けただろう。それが幸せか不幸かは分からない。


 だが、DC‐1にも分かることもある。ロボットは人間を羨んでいる。恐らく、自分も含めて。そして、防犯カメラ――彼女に心が芽生えたというのなら、他の機械がそうなる可能性だって十分に考えられる。

 いや、既に身近でひっそりと、芽生えているかもしれないのだ。

 ロボット刑事は身震いし、足早に事件現場を後にした。


 玄関を開けたDC‐1の足元に、銀色のボディの犬が駆け寄った。頭を撫でてやると、センサーになっている瞳を光らせ、嬉しそうにじゃれつく。犬型ペットのマターは、洗面所に向かう飼い主の後を、ちょこちょことついて廻る。

 DC‐1は棚から取り出したタオルで埃っぽい全身を念入りに拭い、もう一枚取り出したタオルでマターのことも拭ってやった。汚れたタオルを洗濯機に放り込み、少し考え、足拭き用マットやキッチンに掛けてあるタオル、シーツ等をかき集め、纏めて洗濯機に放り込み運転ボタンを押す。朝までには洗濯、乾燥から折りたたみ、除菌まで終えている筈だ。


 その間も後をついて廻るマターをひょいと抱き上げ、居間のソファに腰を落ち着けた。


 居間では、部屋の床を掃除機が這っている。自動で家の中をマッピングし、掃除に最適なルートを辿る、最低限の機能しかないタイプだ。家族暮らし用の多機能な掃除機も買えないことは無いが、狭い一間暮らしの独身男用には、この程度の機能で充分だ。

 洗面所では洗濯機が、夜間モードの微かなモーター音を立てている。

 膝の上では、マターが機能レベルを少しづつ落とし、スリープモードに移行しようとしている。

 キッチンでは、ロボット用燃料とオイルの鮮度を保つ為、保管ケースが常に温度をチェックしている。人間もロボットも、生活の多くを機械に依存している。まるで奴隷か、無償の愛を注ぐ母の様に甲斐甲斐しい機械を、意識することなど無い。


 ――だが、自分は今日知ってしまった。ロボットが人間と同等であるなら、機械もまた人間と同等となり得る。もしそれを機械が、ロボットが、人間が知ってしまったら、我々の、いや、俺の生活は、一体どうなってしまうのだろう。

 堅牢だと思っていた足元が揺らぐ。

 DC‐1は頭を振り、その考えを断ち切った。一介のロボットの自分に何が出来る訳でもない。考えても仕方のないことだ。そもそも、まだ何も問題は起きてはいない。そう、自分はまだ書き終えてすらいないのだ。自分だけが聞いた彼女の証言……書いても書かなくても後悔するだろう報告書を。


 仕事を終えた掃除機がゆっくりと床を這い、充電器に向かう。


「……いつも悪いな。有難う、助かってる」


 掃除機に話し掛けると、


『どういたしまして』


 喋る筈の無い機械の声が聞こえた気がした。

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書きあがらない報告書 遠部右喬 @SnowChildA

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