【短編小説】永遠の蝶と機械仕掛けの死(約7,700字)
藍埜佑(あいのたすく)
【短編小説】永遠の蝶と機械仕掛けの死(約7,700字)
第1章:蝶の標本師
明治から大正へと移りゆく時代の狭間で、時計職人の娘として生を受けた綾月時子は、幼い頃から不思議な才能を持っていた。どんな壊れた時計でも、その内部の歯車を見つめているだけで修理の方法が分かってしまうのだ。
「時子や、お前さんの指は神様から授かった贈り物じゃ」
父の綾月時計堂の主人はいつもそう言って娘を可愛がった。
時子が十八の春を迎えた大正十二年、その穏やかな日々は突如として終わりを告げる。
父が何者かに殺されたのだ。
遺体の傍らには、一匹の蝶の標本が残されていた。透き通るような青い翅を持つモルフォチョウ。ガラスケースの中で永遠の眠りについたその姿は、あまりにも美しく、そしてあまりにも不吉だった。
「お嬢さん、これは連続殺人事件の一つかもしれません」
捜査を担当する若き刑事・鳴海啓介はそう告げた。過去三か月の間に、市内で三件の不可解な殺人事件が発生している。被害者は皆、職人や技術者。そして必ず現場には美しい蝶の標本が残されていた。
「お父上は……何か心当たりを話していませんでしたか?」
時子は首を横に振った。父は温厚な時計職人に過ぎない。殺される理由など、どこにもないはずだった。
しかし――。
父の遺品を整理していた時、時子は一つの懐中時計を見つける。見たこともない複雑な機構を持つその時計は、しかし時子の目には見覚えがあった。幼い頃、確かに夢に出てきた時計。そう、あの夢の中で……。
その懐中時計には、通常の時計には見られない奇妙な仕掛けが施されていた。文字盤の裏側には複数の歯車が幾重にも重なり、まるで迷宮のような複雑な機構を形作っている。中心には蝶の紋章が刻まれ、その翅は時を刻む度にわずかに震えるようだった。
「これは……」
時子が時計を手に取ると、不思議なことが起きた。時計の内部から微かな音楽が流れ始めたのだ。それは子守唄のような、どこか懐かしい旋律。しかし、その音色には何か警告めいたものが含まれているようにも感じられた。
翌日、時子は父の古い友人という男を訪ねた。蝶の標本で知られる収集家、月島蝶三郎である。
月島邸は、まるで博物館のような趣だった。廊下の両側には無数の蝶の標本が飾られ、それぞれのガラスケースには丁寧な解説が付されている。
「やあ、時子君。お父上のことは本当に残念だった」
蝶三郎は六十がらみの痩せた老人で、金縁の眼鏡をかけていた。その手には虫ピンが握られている。
「月島様、この時計のことを御存知ではありませんか?」
時子が懐中時計を差し出すと、蝶三郎の表情が一瞬こわばった。
「これは……まさか、お前さんにそれを?」
老人は急に取り乱したような様子を見せる。しかし、その言葉の続きを聞く前に、邸内に悲鳴が響き渡った。
二人が声のした方向に駆けつけると、書斎で従者が倒れているのを発見する。その傍らには──やはり一匹の蝶の標本が置かれていた。
「これは……アゲハチョウの一種です」
駆けつけた刑事の鳴海が言う。
「しかし、普通のアゲハとは少し違う。この翅の模様……人工的に改変されているように見えます」
時子は標本をじっと見つめた。確かに、その蝶の翅の模様は、どこか機械的な正確さで描かれている。まるで、時計の歯車を模したかのような幾何学模様。
その時、時子の懐中時計が再び音を奏で始めた。しかし今度は、以前とは違う旋律。より切迫した、警告めいた音色。そして文字盤の蝶の紋章が、かすかに輝きを放った。
「時子さん!」
鳴海の声が響く。しかし時子の意識は、すでに時計の奏でる音楽に吸い込まれていくように遠のいていた。
目が覚めたとき、時子は見知らぬ場所にいた。古びた時計工房のような空間。無数の歯車が壁一面を覆い、その中心には巨大な振り子が静かに揺れている。
生暖かい空気が、微かに埃の匂いを含んで漂っていた。天井は見えないほど高く、その闇の中で幾つもの歯車が幽かな光を放ちながら回転している。銅や真鍮でできた大小様々な歯車は、まるで星座のように規則正しく配置され、それぞれが異なる速度でゆっくりと動いていた。
「ここは……」
時子の声が、不思議な残響を伴って空間に溶けていく。
壁に立て掛けられた等身大の柱時計が、カチリ、カチリと秒を刻む。しかしその音は通常の時計よりも低く、まるで巨人の心臓の鼓動のようだった。
中心で揺れる巨大な振り子は、黒檀のような漆黒の輝きを放っている。その先端には水晶のような透明な球体が取り付けられ、その中で何かが蠢いているように見えた。よく見ると、それは機械仕掛けの蝶。球体の中で、無音の舞を続けている。
床には幾何学的な模様が刻まれ、その線は螺旋を描きながら部屋の中心へと続いている。時子が一歩踏み出すと、足元の真鍮の象嵌細工が微かに明滅した。
作業台の上には、完成途中の時計が幾つも並んでいる。それらは皆、蝶の紋章が刻まれた文字盤を持っていた。傍らには精密な工具が整然と並び、その一つ一つが、まるで儀式の道具のような厳かさを帯びている。
部屋の隅には古びた肘掛け椅子があり、その背もたれには職人のローブが掛けられていた。深い藍色の生地には、金糸で蝶の刺繍が施されている。それは時子の父が普段着ていたものと、どこか似ているようで、しかし違っていた。
振り子の揺れる音が、ゆっくりと部屋全体に満ちていく。カッチ、コッチ、カッチ、コッチ。その音は次第に、人の囁きのように意味を持ち始めるように感じられた。
そして時子は気づく。この空間で刻まれる時は、現実の時間とは異なる流れを持っているということに。振り子が前に揺れるたびに未来が、後ろに揺れるたびに過去が、わずかに覗くかのように。
部屋の片隅に置かれた古い鏡には、時子の姿が映っている。しかしその背後には、もう一人の人影が。父の面影のような、しかし確かめる間もなく、歯車の軋む音と共にその影は消えていった。
この場所は、時を刻む者たちの聖域なのかもしれない。あるいは、時そのものの記憶を映す鏡のような空間なのか。時子の心の中で、そんな思いが波紋のように広がっていった。
時子は、父の最期の言葉を思い出した。
「時を刻む者たちの秘密を、守らねばならない……」
第2章:歯車の旋律
時子の意識が完全に戻ったとき、月島邸の書斎には警察の捜査員が集まっていた。
「気がつきましたか?」
鳴海の声に、時子はゆっくりと頷く。
「あの音楽の後、約十分間意識を失っていたそうです」
しかし時子にとって、その十分は別の時間として流れていた。古びた工房で見た光景。無数の歯車。そして……。
「月島様は?」
「姿を消しました。捜査員が館内を探していますが、まだ見つかっていません」
時子は懐中時計を確認する。針は通常通り時を刻んでいるように見えた。しかし、蝶の紋章は僅かに色を変えていた。かつての金色から、深い紺碧へ。まるでモルフォチョウの翅のように。
その夜、時子は父の日記を読み返していた。最期の数日間の記述に、気になる言葉を見つける。
『時計職人ギルドの古い言い伝え――時を刻む者は、時として時に刻まれる』
『蝶は魂の象徴。しかし、機械の時代の蝶は……』
最後の一文は途中で途切れていた。
翌朝、時子は街の古物商・轟屋を訪れた。父の付き合いがあった店だ。
「へえ、それは珍しい懐中時計ですねえ」
轟屋の主人は時計を覗き込む。その目は探るような輝きを帯びていた。
「この紋章は知っています。大正の初め頃、『機械蝶の結社』という組織が使っていた印です」
「機械蝶の結社?」
「ええ。時計職人や機械技師たちの秘密結社でした。彼らは人間の魂を機械に宿す研究をしていたとか……。もっとも、それは噂に過ぎませんがね」
その時、店の奥から物音が聞こえた。
「おや?」
主人が振り返った瞬間、黒い影が店内を駆け抜ける。時子は反射的にその後を追った。
路地を抜け、人気のない工場跡地に追い込んだとき、影は立ち止まった。
「待ちなさい!」
時子の声に、影はゆっくりと振り返る。
そこには――機械の部品で作られた翅を持つ人影があった。
「時を刻む者の娘よ。お前にはまだ早い」
機械的な声。しかしどこか聞き覚えのある響き。
その時、懐中時計が高い音を奏で始めた。あまりの轟音に、時子は耳を押さえる。視界が歪み始める。
気がつくと、また例の工房。しかし今度は、巨大な振り子が激しく揺れていた。そして壁一面の歯車が、少しずつ動き出す。
歯車の間から、蝶が舞い降りてくる。しかしそれは生きた蝶ではない。精巧な機械で作られた蝶。その翅には見覚えのある幾何学模様が刻まれている。
「父上の時計には、いったい何が?」
問いかけに答えるように、機械仕掛けの蝶は時子の前で舞い始めた。その動きが描く軌跡は、まるで何かのメッセージのよう。
そして時子は気づく。それは父が遺した最後の言葉の続き――。
第3章:時を刻む指先
機械仕掛けの蝶が描いた軌跡は、ある場所を指し示していた。大正初期に建てられた、廃棄された時計塔。父はかつて、その塔の時計の修理を任されていたという。
「やはり、ここですか……」
鳴海刑事と共に時計塔を訪れた時子の耳に、歯車がかみ合う音が聞こえた。塔は廃墟となっているはずなのに。
「音がします。中で何か動いているようです」
扉を開けると、埃に覆われた螺旋階段が現れる。二人が階段を上るにつれ、機械音は徐々に大きくなっていった。
最上階に着くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
直径二メートルを優に超える巨大な歯車が、まるで天体のように規則正しく配置されている。真鍮でできた歯車、銅製の歯車、鉄の歯車??様々な金属が織りなす機械の銀河が、ゆっくりと、しかし確かな力強さで回転していた。
その一枚一枚の歯車の中心には、ガラスのドームが埋め込まれている。中には色とりどりの蝶の標本。深い青のモルフォチョウ、燃えるような赤のベニモンアゲハ、神秘的な紫のムラサキツバメ。まるで博物館の標本室を歯車の上に再現したかのようだ。
カチン、カチン、と歯車がかみ合う音が、古い教会の鐘のように荘厳に響く。その度に、蝶の標本が不思議な輝きを放つ。それは蛍が瞬くような、しかし機械的な正確さを持った明滅だった。青く光り、赤く輝き、紫に煌めく光の点が、歯車の回転に合わせてゆっくりと円を描いていく。
天井近くの歯車は直径が小さく、高速で回転している。その動きに合わせ、埋め込まれた小さな蝶たち??シジミチョウやツバメシジミの標本が、まるで星屑のように光の軌跡を描く。一方、床近くの巨大な歯車は、威厳を持って悠然と回り、オオムラサキやアゲハの大きな翅が、宝石のような深い輝きを放っている。
歯車と歯車の間には、細い真鍮の連結棒が張り巡らされ、それらは蜘蛛の巣のような複雑な幾何学模様を形作っている。その一本一本が、光を運ぶ導管のように仄かに光っていた。
部屋の中心に据えられた最大の歯車には、特別な蝶が納められていた。かつて見たことのない種。その翅は半透明で、歯車の歯一枚一枚に合わせて模様が刻まれている。まるで機械と蝶が、完全に一体化したかのような存在。それは歯車の回転と共に、虹色の光を放ちながら、ゆっくりと回り続けていた。
時子は息を呑んだ。父の時計工房で見慣れた機械の無機質な美しさと、蝶の持つ有機的な優美さが、この空間の中で完璧な調和を見せている。しかしその調和の中には、どこか人知を超えた不穏な力が潜んでいるようにも感じられた。
「これは……」
鳴海が絶句する中、時子は部屋の中心に目を留めた。そこには見覚えのある人物が立っていた。
「月島様!」
蝶の標本師・月島蝶三郎。しかし、その姿は時子の知る老人とは違っていた。彼の背後には、金属で作られた巨大な蝶の翅が広がっていたのだ。
「よく来たな、時子君。そして鳴海君も」
その声には、もはや人間らしい温かみは感じられない。
「なぜ、父を……?」
「時を刻む者たちの掟を破った報いさ。人の魂を機械に宿すという、私たちの研究を放棄した報いだ」
月島は右手を上げる。すると、周囲の歯車がより激しく回転を始めた。
「人は必ず死ぬ。しかし、機械の中なら永遠に生き続けることができる。お前の父は、それを否定した」
時子の懐中時計が、突如として強い光を放つ。同時に、見覚えのある旋律が響き渡る。
「その時計は!」
月島の表情が歪む。
「父上の時計には、あなたとは違う意志が込められている」
時子はそう言って、時計を掲げた。すると不思議なことが起こる。部屋中の蝶の標本が、まるで命を得たかのように光り始めたのだ。
「やめろ!」
月島が叫ぶ。しかし、もう遅かった。
標本の中の蝶たちが、次々とガラスを破って飛び立つ。機械の部品でできた体に、本物の蝶の魂が宿ったかのように。
「これが父の本当の研究……。魂を閉じ込めるのではなく、解放する技術だったのです」
光の渦の中で、時子は確かに見た。蝶たちの中に、父の姿を。そして、他の犠牲者たちの姿も。
「時を止めることより大切なのは、時を生きることだと――父はそう信じていた」
第4章:機械仕掛けの追憶
「馬鹿な!」
月島の叫びが塔内に響き渡る。解き放たれた蝶たちは、まるで意思を持つかのように彼の周りを旋回し始めた。
その時、時子の記憶の中に、幼い頃の光景が蘇る。
「時子や、時計は時を閉じ込めるものではない」
父の言葉。工房で幼い時子に語りかける温かな声。
「時を計ることと、時を生きることは違うのじゃ。私たちが作る時計は、人々の生きる時を豊かにする道具なのじゃよ」
懐中時計の旋律が、その記憶に共鳴するように高まる。
「逃がすものか!」
月島が機械の翅を大きく羽ばたかせる。強い風が吹き荒れ、時子と鳴海は壁に押しつけられそうになる。
「時子さん!」
鳴海が時子を庇う。その瞬間、月島の背後の大きな歯車が、異様な音を立てて回転を始めた。
「私の研究は、間違っていない。人は必ず死ぬ。だからこそ、永遠の命を……!」
しかし彼の声は、深い悲しみを帯びているように聞こえた。
時子は気づく。月島の目に、涙が光っているのを。
「月島様、あなたは誰を失ったのですか?」
その問いに、月島の動きが一瞬止まる。
「妻を……。あの疫病の流行で」
彼の声が震える。
「妻の魂を、この機械の中に留めておきたかった。永遠に、この手の中に……」
その告白と共に、塔の歯車機構に異変が起きる。歯車と歯車の間から、一筋の光が漏れ始めた。
「これは!」
鳴海が叫ぶ。光は次第に強まり、やがて人の形を取り始める。
一人の女性の姿。月島の妻――。しかしそれは実体を持たない、光で描かれた幻。
「蝶三郎様」
懐かしい声が響く。月島の表情が、静かな驚きに満ちていく。
「私の時は、確かに終わりました。でも、あなたの時は、まだ流れているはず」
機械の翅を持つ月島の姿が、少しずつ元の老人の姿に戻っていく。
「私たちの時間は、確かに在りました。それは誰にも奪えない宝物。だから、もう十分です」
光は静かに消えていく。その場に残されたのは、一匹の蝶。純白の翅を持つモンシロチョウ。
月島は膝をつく。その頬を、大粒の涙が伝う。
第5章:永遠という名の刻
夜明けが近づいていた。時計塔の窓から、東の空がわずかに明るみを帯び始めるのが見える。
月島は静かに立ち上がり、時子の方を向いた。その表情には、もはや狂気の色は見られない。
「時子君、すまなかった」
老人の声は、深い懺悔の色を帯びていた。
「お前の父上は、私の幼なじみでもあった。彼は私の研究の行き過ぎを危惧し、止めようとしてくれたのだ」
月島は歩み寄り、ポケットから一つの紙片を取り出す。
「これは……」
それは古い設計図。時子の持つ懐中時計と、この塔の機構を繋ぐための図面だった。
「最期まで、私を正そうとしてくれていた。この時計に、魂を解放する機能を組み込もうと」
時子は父の最期の言葉を思い出す。
「時を刻む者たちの秘密を、守らねばならない……」
「そうだ。しかしその秘密とは、永遠を求めることではない。刻まれゆく時の尊さを知ること。それこそが、私たち時を刻む者の真の使命だったのだ」
その時、懐中時計が最後の音色を奏でる。優しい旋律。まるで子守唄のよう。
巨大な歯車群が、まるで深い溜め息をつくように、ゆっくりとその動きを緩めていく。金属が擦れ合う音が、次第に穏やかな子守唄のような響きへと変わっていった。
一つ、また一つと、歯車が停止する度に、淡く光を放つ蝶が舞い立つ。それは魂そのものが形を得たかのようだった。
「これは……まるで……」
鳴海の声が、畏敬の念を込めて囁くように響く。
機械仕掛けの蝶たちは、まるで風に導かれるように螺旋を描き始めた。その翅は、停止していく歯車から零れ落ちる最後の光を受けて、幾度も色を変える。深い紺碧から純白へ、そして か細い金色へ。それは人の一生を映すような、儚くも美しい光の変容だった。
時子は息を呑む。蝶の群れが描く螺旋の中心に、一瞬、父の面影を見た気がした。微笑みを浮かべ、かつての工房でそうしていたように、優しく手を振っている。
時計塔の古い窓ガラスが、夜明けの最初の光を通し始める。淡い紫色の光が、次第に薔薇色へと変わっていく。その光の帯の中を、蝶たちは舞い上がっていく。
最後の歯車が止まる。その時、不思議な静寂が訪れた。それは時が止まったのではなく、むしろ本来の流れを取り戻したかのような安らぎに満ちた静けさ。
蝶の群れは、もはや個々の蝶として見分けることが難しいほどの光の帯となり、夜明けの空へと溶けていくように消えていった。その光は東の空に昇る朝日と重なり、やがて新しい一日の光の中へと溶け込んでいく。
最後の一匹が、時子の頬をかすめるように通り過ぎた。その仄かな振動が、まるで「ありがとう」という言葉のように感じられた。
塔の中に残されたのは、止まった歯車と、朝の光に照らされたほこりの漂い。そして、確かにそこにあった物語の余韻。時を刻む音は消えても、時そのものは確かに流れ続けている。
時子は懐中時計を静かにポケットへとしまう。金属の感触が、温かく伝わってきた。
「月島様」
時子が声をかける。
「刑事として、あなたを逮捕しなければなりません」
鳴海が一歩前に出る。月島は静かに頷いた。
「当然だ。私の罪は、償わねばならない」
老人は観念したように両手を前に差し出す。
数日後、綾月時計堂は再び店を開けた。
時子は父の遺した懐中時計を、店の奥の祭壇に飾った。その文字盤に刻まれた蝶の紋章は、かすかな光を放っている。
「父上」
時子は静かに語りかける。
「私も、時を刻む者としての使命を果たしていきます」
時計の秒針が、確かな音を立てて時を刻む。その音は、生きることの証のように響いていた。
窓の外では、一匹の蝶が舞っていた。その翅は朝日に輝き、やがて青空の中へと消えていった。
時は永遠に流れゆく。そして人は、その流れの中で確かに生きている。
それは悲しいことではなく、むしろ祝福すべきことなのかもしれない。
時子はそう思いながら、新しい一日の時を刻み始めた。
(了)
【短編小説】永遠の蝶と機械仕掛けの死(約7,700字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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