終話 明け暮れの源。
年があけ、
四月。
───わああ……。
───めでたや、めでたや……。
───なんと立派な遣唐使たちよ。
たくさんの見送り、見物客が朱雀大路にあふれている。
「必ず、帰ってきてください、見狩さま!
見狩さまをお守りして。必ず、必ず……!」
「大丈夫だ、我が妻よ。必ず帰る。」
「
彼らは、難波津から、
「必ず。いつまでもお帰りを待ちます。いつまでも……!!」
───めでたや、めでたや……。
───なんと立派な遣唐使たちよ。
* * *
鳴きて
夜明け前の
※
※
万葉集 作者不詳
* * *
───それから、一年と二ヶ月後───
六月。
源たちの乗った遣唐使船は、まだ、博多港にあった。
朝まだき、源は遣唐使船の部屋を抜けだし、
「んん……。」
白い朝霧のたちこめるなか、背伸びをし、少しだけ明るくなった東の空を眺め、
(恋うてるよ、
と魂の一端を飛ばす。
この遣唐使船は、波乱続きだった。
いったんは渡海を試みるも、風に恵まれず、四つ船は博多港に帰還した。
その後、さっぱり風は吹かず。
八月。
遣唐大使、
遣唐使は、いつ行っても良いものではない。
渡航延期は許可され、
副使、
もちろん、大川さまも、見狩さまも、源も、他の判官、録事たちも残っている。
遣唐使船には、唐の皇帝へ献上する品がごっそり積んである。それを守り、来年には必ず唐に渡るぞ、という
十二月。
突然、副使、
かわりに、
いったい朝廷では何が起こっているのか? 博多港にいる源には窺い知ることもできない。
大使、
そこから、ちっとも動かない。
おそらくは仮病であろう。
恐れ多くも
平城京に戻れば、恐れ多くも
しかし遣唐使船にも乗りたくない。
だから難波津に留まり続ける……。
そのような思惑が透けて見える。
遣唐使船に残った人々は、これには怒りと不満を抑えられなかった。
口の悪い者などは、(
「あんの
と
そして、水夫や、名も無き遣唐使たちが、夜や早朝、こっそりといなくなる事が増えた。
今も。
朝霧にまぎれた一人の男が、こそこそまわりを窺いながら、遣唐使船から逃げ出そうとしていた。
源は冷たい目で、その小さな人影を見下ろした。
「………水夫はともかく、遣唐使にとっては、やっとつかんだ栄光への道だろうに。」
「そう言ってやるな。」
源の隣に立ったのは、大川さまの従者、三虎だ。
「アレがこたえたんだろ。」
三虎が口に出さないアレとは、
百八十七人で、遠く
生き残った
そして、遣唐使船から脱走者が絶えないのも、この船に残るというのは、生きて帰る保証はないのだと、よくよく身にしみたからであろう。
「ほら、見ろ。」
無表情な三虎が顎をしゃくる。
その先では、逃げ出した
博多の
そのまま二人は、明るくなりきらぬ朝の暗い道の向こうに、消えた。
「もう一年以上、博多港に留まったままだ。情の通った
「そういう三虎はどうなの?
三虎は、
遠く東を見て、一人ぼんやりし、ため息をついている姿が、時々見受けられるようになった。
多分これは、恋に悩む
「ばっ……!」
三虎は目を見開き、バカ、と言おうとして、顔を右手で覆った。
「………そういう事を言わないでくれ。頼む。たまらなくなる。」
三虎は、ふい、といなくなった。
「にゃはは〜。青いの〜。」
背後から声がして、源は振り向く。
にこにこ顔の
「三虎は、見狩さまより年上ですよ。」
「にゃはは〜。青いものは青いのだ。源、我が義弟よ、おまえはどうなのかい?」
「言ったでしょ? 婚姻の約束を交わした
源は、
───夢をつかむ為に、オレは頑張ってると、恋いしい
そして、必ず、生きて帰り、迎えに行く、と、あらためて伝えて欲しい。
お願いだ、渡兄ぃ。
薬売りで、各国を渡り歩くのが得意な、渡兄ぃにしか頼めない。
渡兄ぃは、困ったように笑って、頭の後ろをかいた。
───源〜、
でも、わかったよ。本当に恋うてるんだな? そんな相手に巡り会えたんだな、源。
───そうだ。心から恋うている。
そして、オレが……。
オレがもし、旅の空で死んだ、とわかったら、
でも、離れて暮らす
───源……。わかったよ。それ以上言わないでくれ。わかった。この兄が必ず、知らせよう。
───ありがとう……。
そのような会話を兄としてきたのだ。
源は、ちゃぷ、ちゃぷ、と波音に揺れる遣唐使船の上で、義理の兄となった見狩さまを、燃えるような目で見た。
「オレは必ず、オレの
見狩さまは黙って、ふっ、と笑った。朝霧のなか、ぱち、ぱち、しばらく
「
「一年以上待ったこの
いよいよ、遥かなる旅路にでるのだ。生きて帰れるかは……。」
「出港、望むところです。
オレの人生は
「おまえは恐れるところがないな、我が義弟よ。そなたの強さが好きだ。」
「ありがとうございます。」
こう、こう。
朝霧のむこう、空の高いところで、雁が鳴きかわし、飛んでゆく。
ぱん、檜扇を開き、見狩さまは朗々と響く良い声で歌いだした。
「
源は、東に向かい飛んでゆく雁を見た。
(
オレは、遣唐使船を降り、夢の全てを捨てて、
きっと、寂しい思いをさせているだろう。
すまない。
それでも、恋うている。
空を飛ぶ雁よ。
風が吹く。
霧が晴れる。
六月二十四日。遣唐使船は、博多港を出港した。
───完───
↓挿絵、其の一。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093089210765529
↓挿絵、其の二。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093089210980728
明闇の雁 〜夢を追う源〜 加須 千花 @moonpost18
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