第八話  久自良と源。

 十月。

 陸奥国みちのくのくに桃生柵もむのふのきで起こった蝦夷えみしとの戰は、大和朝廷がわの勝利で終結した。


 十一月。

 勝利を飾った兵士たち、陸奥国みちのくのくに鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん大伴おおともの宿禰すくね駿河麻呂するがまろ以下、千七百九十人余が、奈良、朱雀大路すざくおおじ凱旋がいせんした。

 実際に戰った兵士はもっと多いが、この千七百九十人余りは、そのなかでも、とくに活躍の目立った者である。



 ───わあああ……。

 ───いさおを褒め称えよう。

 ───勇壮な益荒男ますらおたちよ。



 見物人たちは、手をふったり、拍手喝采でそれを迎えた。


「あれっ、真比登まひとがいない。」


 みなもとは見物人たちにまぎれ、ぎゅうぎゅう押されながら、気がついた。

 見知った鎮兵たちが目の前を歩く。


久自良くじら! 久自良ぁ───!」


 源は声をはりあげる。

 久自良くじらが気がついた。源に向かって手をふる。


嶋成しまなり、いないな……。まさか……。

 いや、列の向こうにいて、見逃しただけかも。それか、平城京に呼ばれなかっただけか。きっとそうだ……。)


 源は不安にかられつつ、過ぎ去ってゆく兵士たちを見つめた。

 源は招かれていないので、大極殿だいごくでん(政治の場。天皇が謁見する。)に入れない。


(大川さま、伝言頼みました。よろしくお願いします……!)




   *   *   *




 大伴おおともの宿禰すくね駿河麻呂するがまろは、勝利の功績により、しょう四位しいのじょうじょせられ、あしぎぬ三十疋と布百端が贈与された。

 他の兵士たちも活躍に応じて、選叙せんじょ(昇進)したり、財貨が贈与された。

 

 夕刻は盛大な宴が、大極殿だいごくでん前の庭園で開かれた。

 前副将軍として、上毛野君かみつけののきみ大川おおかわも宴の席についた。

 とくに叙勲されたわけではなく、無事、勝利をおさめた将軍たちをねぎらい、慰撫いぶする側である。


 宴もたけなわ。

 充分ご馳走を飲み食いし、兵士たちが満足そうにゲップをする頃。


 高官の席から、大川がつと立ち上がり、さりげなく、久自良くじらのそばまで来た。


荒海あるみの久自良くじら。」

「……ヒェッ! 大川さま。」


 浄酒きよさけに酔いながらも、久自良くじらは礼の姿勢をとろうと、立ち上がりかけた。


「良い、そのままで。」


 玲瓏れいろうたる美貌で、大川は微笑む。


みなもとより伝言だ。

 明日、さるはじめの刻(午後3時)。左京三条六坊の酒肆しゅしにて朋友ほうゆうを待つ。」

みなもとが……! あいつ、元気ですか?」

「ふふ。元気だとも。では、伝えたぞ。」


 大川は伽羅きゃら宇万良うまら(野イバラ)の残り香を残し、去った。


(源、大川さまを伝言に使いやがった! まったくアイツは……。

 きっと、源は、くりくりした目でまっすぐ、大川さまにお願いします、と頼んだのだろうな。)


 福耳の源は、人にお願いをするのがうまい。

 愛嬌たっぷりにニコニコ笑いながら、素直にお願いするからだ。

 お願いされた人は不思議と、お願いを聞いてしまう。しかも、悪い気がしない。


(源、たいしたヤツだぜ。変わらないな。いや、桃生柵もむのふのきを離れて、ますます大物になってそうだな。なにせ、アイツは遣唐使船に乗るのが夢だって豪語してたからな。

 しかし、乗りたいと言って、すぐに乗れるものでもあるまい。

 うーん、どうしてるかな。会うのが楽しみだ!)




    *   *   *




 翌日。

 さるはじめの刻(午後3時)。

 源と久自良くじらは、酒肆しゅしの前で落ち合った。


「源ぉ!」

「久自良! よくぞ生き残ってくれた!」


 命を預けあった親友たちは、がっちりと抱き合い、背中をたたき、再会を祝した。

 浄酒きよさけを呑む。


「終わったんだな、桃生柵もむのふのきの戰は。」

「ああ、終わった。」

久自良くじら真比登まひとは、建怒たけび朱雀すざくは、まさか、黄泉よみに……。」

「ないない。死なないよ、真比登は。

 真比登は鎮兵を辞めた。長尾ながおのむらじ佐久良売さくらめさまのそばで、これからは、長尾連の衛士として生きていくんだとさ。」

「そうなのか……。」


 真比登は、佐久良売さくらめさまにメロメロだった。


「もったいない話だが、真比登はそれで幸せなんだろうな……。できれば、顔が見たかったな。

 嶋成は?」

「生きてるよ。五体満足。嶋成も鎮兵を辞めて、牡鹿おしかの自分の屋敷に帰った。大椿売おおつばきめと一緒にな。

 嶋成のヤツ、桃生柵もむのふのきで最後のお別れする時、最後まで、ここにみなもとがいればな、って寂しそうに言ってたぞ。」

「………。」


 源は不覚にも、目頭が熱くなった。


(嶋成。オレもできる事なら、その場にいたかったよ。身体が二つあれば……。)


「わかった、それで、若大根売わかおおねめめは……。オレのいもは……?」


 源は、一番きたかったことを訊く。


「無事さ。、元気だ。桃生柵もむのふのきは燃え落ちた。今は佐久良売さまのもと、桃生柵もむのふのきの再建作業を手伝ってるだろう。」


若大根売わかおおねめ、無事で……!)


 源は、長く息を吐いた。身体から力が抜ける。


「良かった……!

 久自良くじら若大根売わかおおねめふみを頼めるか?」


 久自良くじらは目をふせた。


「オレはもう、十月に多賀たがへひきあげた。今後、桃生郡もむのふのこほりに行くことはないんだ。すまない……。」


 久自良くじらはもともと、多賀たがじょうで勤務する鎮兵ちんぺいで、桃生柵もむのふのきの戰の応援にかり出されていただけだった。

 考えればわかることだった。

 源は苦笑する。


「それもそうだよな……。忘れてくれ。」

「源は、自分で若大根売わかおおねめに会いに行かないんだな?」

「ああ。今はその時じゃない。

 オレが若大根売わかおおねめを迎えに行く時は、唐に渡り、大和やまとに帰ってきた時だ。」

「そう、言いきるという事は……。」

「オレ、遣唐けんとう録事ろくじになった! 高官として、ふね(遣唐使船)に乗る!」


 源は胸を張る。

 久自良は小さい目を見開いて、驚きのあまりのけぞった。


「おお……、すげぇ。おまえ、本当にすげぇよ。夢、叶えちまったんだな。」

「まださ。まだ、唐にたどり着いたわけじゃないからな。」

「うべなうべな(そうだな)! でっけぇおのこだぜ!」

「ぷっ。」


 源は懐かしさで、ふきだした。


 うべなうべな、とは、奈良では使わない。東国とうごくで使われる、あづま言葉(田舎言葉)だ。

 桃生柵もむのふのき鎮兵ちんぺいの間で、なぜかこの言葉が大流行で、皆、お決まりのように口にした。

 源も当然、口にした。

 でも、奈良に戻ってきてからは、誰も口にしないから、源も口にしないよう、封印していた。


「うべなうべな……。」


 久しぶりの言葉を口にし、源は目元に涙をにじませ、くしゃりと笑った。


「仲間って良いもんだな……。

 なんだろ、すごく、桃生柵もむのふのきが懐かしいよ……。」

「うべなうべな(そうだろそうだろ)!」

 

 久自良が手をだしてきた。おのこ二人は握手を交わす。






 積もる話は夕暮れまで続き、


「源。嶋成が、牡鹿おしかに顔を見せに来いって言ってたぞ。唐に渡っても、無事に帰ってこい。いつか、再会しよう。オレは多賀の鎮兵の兵舎にいる。」

「わかった! 必ず!」


 かたい抱擁ほうようを交わし、二人は別れた。



  


     *   *   *





 実際は、桃生柵もむのふのきは再建される事はなく。

 その後、源は、長尾ながおのむらじの家が、陸奥国の桃生もむのふのこほりから、小田おだのこほり任地にんちえになった事を知る。

  

若大根売わかおおねめは、生きてる。

 小田おだのこほりで、佐久良売さまに仕え、元気でいるはずだ。

 それさえわかっていれば、充分だ。)




 源が若大根売わかおおねめについて知れたことは、それだけだった。





   





↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093089034217916

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