第十二集:鬼魄《きはく》の王

「おい、そこで止まれ」

 城門まで来た二人は、二体の鬼にさえぎられ、足を止める。

「お前達、見ない顔だな。城に何の用だ」

 二人は顔を見合わせると、夏籥シァイャォが口を開いた。

「私達は炭華タンファ様に用があって参りました」

「軽々しく名前を呼ぶな、小娘。陛下に何の用だ」

 門番にまで「陛下」と呼ばせているあたり、帝位に相当な憧れや執着があるのかもしれない、と、睿琰ルイイェンは考えた。

「おい、こいつは男だ。お前の目は節穴か」

「なんだと、こいつ」

 鬼同士が言い争いを始めてしまい、話が進まなくなった時、金属が擦れるような不快な音を立てながら門が開かれた。

「門番、何をしている」

 黒い深衣しんいに身を包んだ血色の悪い鬼が現れ、門番の喧嘩を諫める。

「さ、宰相殿……」

「すみませんでした」

 門番達が頭を下げている間、黒衣の鬼の視線は睿琰ルイイェン夏籥シァイャォに注がれた。

「お前達、彼らを見てなぜわからないのだ。龍神族と神仙の者だぞ。丁重に出迎えるべき身分の客人だ」

 門番達はさらに頭を下げ、二人が通れるよう左右に下がった。

「ご迷惑をおかけしました。あなた方のような種族がいらっしゃることはそうそうないもので。門番への教育が足りず申し訳ありません」

 美しい所作で作揖さくゆうする姿は、金霞きんか国の高官と大差ないほど。

 睿琰ルイイェンには、それがとても不気味に思えた。

「気にしておりません」

 夏籥シァイャォが微笑みながら言うと、黒衣の鬼は朗らかな笑みを浮かべた。

「おそれいります。自己紹介がまだでしたね。私は宰相のチェンと申します。お二人の名をうかがっても?」

 二人は警戒したが、ここで嘘をついても仕方がないので、答えることにした。

「私は医仙いせん夏籥シァイャォと申します」

「私は龍神族の寧燕ニンイェンと申す者」

 素性に関して余計な質問をされないよう、夏籥シァイャォは一歩前へ出て話し始める。

「本日は春陽チュンヤン伯の勧めで、炭華タンファ陛下と商談したく参りました」

 横で睿琰ルイイェンが少し驚いた顔をしている。

 夏籥シァイャォは親友の背に触れ、「説明は私がしますね」と言った。

「ほう、春陽チュンヤン伯とお知り合いとは。お二人ともさぞ商売上手なのでしょうね。お品物は……、見当たらないようですが」

 一瞬だったが、チェンの目が鋭く光った。

「我らが所有しておりますのは、人間の村でございます」

「地主か荘主そうしゅということでしょうか」

「いいえ。祟り神の伝承を利用し、定期的に生贄を得ることが出来る村を二十ほど確保してあるのです」

 チェンはいやらしく口元を歪め、歓喜の表情を抑えるように微笑んだ。

「それは素晴らしい。炭華タンファ陛下もお喜びになるでしょう。さぁ、こちらへ。ご案内いたします」

 二人はチェンの後ろを歩き、いくつかの細い通路を通った先に現れた長く広い階段を上っていく。

 チェンは殿門の前に立っている衛兵に声をかけ、炭華タンファに来客を知らせるよう告げた。

 衛兵と共に戻ってきたのは、おそらく太監たいかんのような存在だと思われる鬼。

 チェンを先頭に、二人は中へと入っていく。

 下品なまでの豪華絢爛な大広間。

 玉座の前まで来ると、チェンが跪いたので、二人もそれに倣う。

炭華タンファ陛下に拝謁はいえついたします」

 睿琰ルイイェン夏籥シァイャォも同じように平伏した。

「立ち上がり楽にせよ」

 想像していたよりもずっと軽やかな声。

 チェンに続いて立ち上がった二人は、まっすぐと玉座に座る者を見た。

 眩しいほどに赤い深衣しんい

 宵闇を流れる川のような黒髪は凄艶で、形のいい唇は深紅に塗られている。

「陛下の麗しさに眩暈が致します」

チェンは相変わらず言葉が上手いな」

 笑った顔は戦慄するほど綺麗で、美の理想を集めた人形のよう。

 薄気味悪い、と二人は思った。

チェンの報告によれば、可愛らしい青年が夏籥シァイャォで、端正な顔立ちの青年は寧燕ニンイェンだったかな?」

 二人は作揖さくゆうし、顔を上げた。

 代表して夏籥シァイャォが口を開く。

「左様でございます」

「何でも、自由に収穫可能な人間の村を持っているとか」

「はい。管理が行き届いているおかげで皆健康そのもの。質のいい人間だけをお届けできる準備がございます」

「それはいい。もしちんがそれらを欲した場合、そなたらは対価に何を望む」

 夏籥シァイャォはゆっくりと呼吸をすると、笑顔で言う。

「噂を耳にしたのですが、陛下は珍しい宝玉をお持ちとか……。村二十をその宝玉と交換ではいかがでしょうか」

「それは、この禍珠かじゅのことか」

 炭華タンファは玉座の上部にはめ込まれている宝玉を指さした。

「はい。かつて春陽チュンヤン伯は鬼魄きはく界の王との賭けで勝ち取ったと聞いております。今回は互いに十分な利益があると思われますが、いかがですか?」

 炭華タンファ夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンを見つめ、頷いた。

「いいだろう。では、禍珠かじゅと交換だ。村二十と……、その人間もな」

 大広間に百を超える鬼の兵が現れた。

「ああ、面白い。俺がそう簡単に騙されるとでも思ったのか、小僧共」

 兵達は武器を持ち、その刃は睿琰ルイイェン夏籥シァイャォに向けられている。

「その完璧に近い変装は神仙の力だな。仮面を取れ、寧燕ニンイェン

 夏籥シァイャォが首を振る。

 睿琰ルイイェンは小声で「私が気をひく。隙を見て禍珠かじゅを奪い、逃げよう」と言い、顔から仮面を剥がした。

「これで満足か、王を名乗る下劣な鬼よ」

「食料にするにはもったいない美貌だな。そうだ、俺の愛玩人形として傍においてやろう」

 二人は炭華タンファを睨みつけ、構えた。

「何故お前は皇帝の真似事をしている」

「真似事だと……?」

 睿琰ルイイェンの言葉が怒りの琴線に触れたのか、炭華タンファは身を乗り出した。

「俺はかつて、金霞きんか国の正統な後継者だったんだぞ!」

 広間に静電気が通ったように声が響いた。

「お前は人間だったのか。ならば、何故人間を……」

 炭華タンファは立ち上がり、二人に向かってゆっくりと歩き出す。

「俺は遥か昔、金霞きんか国の皇帝と皇后の間に唯一生まれた嫡子だった。当然のごとく他の皇子達きょうだいを押しのけ、早い段階で皇太子に冊封された。全てが順調に進んでいたのに……」

 玉座の近くに飾ってある宝剣を手に取ると、鞘から引き抜いた炭華タンファは、その刃を見つめ、話し続ける。

「いずれ金霞きんか国の全てが俺の物になるとはわかっていたが、一人、目障りな奴がいてな。奴は軍功を挙げること数知れず、皇帝からも一目置かれており、封地での評判はまるで神のよう。もし俺が帝位についても、そいつが治める地の者が従うのは奴だけ。それに、その土地は貿易の要所でもあった。俺は後顧の憂いをなくすために、奴の封地と、その命を奪うことにした」

 灯篭の灯りが刃の中で揺れ、炭華タンファの顔を照らす。

「俺は偽の密書を作り、奴が謀反を試みていると奏上した。そして指揮権を得るとすぐに奴の封地へ攻め込んだ。戦況は上々。三日も経たずに勝てる算段だった。それなのに、それなのに!」

 炭華タンファは刃を床に叩きつけ、顔を歪めた。

「奴は俺に気付かれることなく近隣の城へ救援を求める書状を送り、それを受け取った城主達が皇宮へ押し寄せたのだ。『謀反は誤報の可能性が高く、即刻討伐軍を後退させ、調査を行うべし』と」

 ゆらりと宝剣を床から引き抜き肩に担いだ炭華タンファは、再びゆっくりと歩き出した。

「すぐに行われた調査で密書が偽物だと露見し、主犯は俺だと特定された。そこからはまさに電光石火の転落劇。禁軍大統領が三万の兵を率いて俺を捕えに来た。圧巻だったよ。純粋な武人に敵うはずもなく捕まった俺は、皇帝の前へと引きずり出された」

 炭華タンファの目が、二人を捉える。

「例え俺が皇太子であっても、王爵を持つ者を陥れたのだ。廃嫡され、死罪にはならなくとも、重い罪が科せられることになった。流刑だよ、流刑。それが鬼魄界ここへの入口がある炭鉱だった」

 手延ばせば届く距離まで近づいた。

「かつて皇太子だった俺が一夜にして転落し、囚人となった。どうやって死んだと思う?」

 炭華タンファが左手を挙げた。

「俺は苦役中に死んだんだ。可燃性の煤気ガスが充満する炭坑の中に取り残され、そこに静電気が引火して大爆発。……見てみるか? この容姿の下に隠した火傷の痕を」

 炭華タンファは高笑いし、睿琰ルイイェンを指さした。

「だから人間は大嫌いだ。特に、皇族の連中はな」

 睿琰ルイイェン夏籥シァイャォの背に汗が伝う。

「血のにおいですぐにわかったさ。お前が俺と同じシァォ一族の者だとな!」

 炭華タンファが左手を勢いよく下ろし「ここで死ね」と言い放つと、周囲で待機していた鬼の兵が睿琰ルイイェン夏籥シァイャォに襲い掛かった。

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凍霧含紅《とうむがんこう》 智郷めぐる @yoakenobannin

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