第十一集:覚悟

素采スーツァイ閣主かくしゅ! 輝露フゥイロウ様!」

 禪寓閣ぜんぐうかくの診療室へ、文字通り窓から飛び込んだ二人は、意識の無い煙紅イェンホンを診療台へ寝かせた。

 からすから布へ戻った玄絹シュェンジュェン煙紅イェンホンの身体を包む。

「全く騒がしい……、おい、これはどういうことだ」

 診療室へ入ってきた素采スーツァイ睿靖ルイジンの目に映ったのは、赤い氷煙ひょうえんを吐き続ける煙紅イェンホンの姿だった。

夏籥シァイャォ、話しなさい」

 睿靖ルイジンが見つめる。

煙紅イェンホンが二つ目の黄泉戸喫よもつへぐいを自身の身体に封じたのです」

「そんな!」

 睿靖ルイジン煙紅イェンホンの身体に触れ、青ざめた。

素采スーツァイ

 親友のすがるような目に、素采スーツァイはすぐに診療台の側に立った。

夏籥シァイャォ、寝られないぞ」

「わかっています」

 夏籥シァイャォは手早く準備を始めた。

 身体を動かさなければ、不安で押しつぶされそうだからだ。

 睿琰ルイイェンに向かって焦燥が浮かぶような顔は出来ない。

 例え、治療の成功確率が低くても。

「私と夏籥シァイャォ以外、外に出てくれ。少しでも気が散れば、煙紅イェンホンを助けられなくなる」

 睿靖ルイジンは「睿琰ルイイェン」と声をかけ、その肩を抱くように部屋を後にした。

 近くにある素采スーツァイの書斎に入り、二人は腰を下ろす。

「叔父上、煙紅イェンホンは……」

 悲痛な顔をした甥に、睿靖ルイジンは優しく答える。

「私はこの天下で素采スーツァイよりも優れた医術師を見たことがありません。信じましょう」

 ただ願うことしかできない自分を恨むように、睿琰ルイイェンは拳を握りしめた。

 睿靖ルイジンはひどく落ち込む睿琰ルイイェンを見つめ、茶を淹れる。

煙紅イェンホンは幼いころから心優しい子でした」

 過去に思いを馳せるように話し始めた睿靖ルイジンを、睿琰ルイイェンが顔を上げて見つめる。

「特に、あの封印の力に目覚めてからは、それを良いことに使おうと、夏籥シァイャォと競うように案を出し合っていました」

 小さな煙紅イェンホンが笑う可愛い姿が頭に浮かび、睿琰ルイイェンは小さく微笑んだ。

 睿靖ルイジン睿琰ルイイェンの表情を見て、甥達が望むそれぞれの未来に互いの姿があることを感じ取った。

 それならば、睿琰ルイイェンは真実と向き合った方が良い。

 万が一煙紅イェンホンが助からないまま他人から事実を聞かされれば、睿琰ルイイェンはきっと心が壊れてしまう。

 これが残酷な優しさなのかと自嘲しつつ、睿靖ルイジンは話し始める。

煙紅イェンホンが何故あんなにも強力な封印の力を持っているか、考えたことはありますか」

 睿琰ルイイェンは質問の意図がわからず、「いいえ」と答えた。

「きっと煙紅イェンホンは私が秘密を教えたと知ればいい顔をしないでしょうが、睿琰ルイイェンは知っておくべきです。彼が誰の息子なのか」

 睿琰ルイイェンは、煙紅イェンホンの父親が武神紅霧ホンウーで祖父が災異宿曜神さいいすくようしんだということは聞いたことがあったが、今考えてみれば母親のことは知らないと気付いた。

 何かが自分の中で繋がりたがっていることを感じ、鼓動が激しくなる。

煙紅イェンホンの封印の力は、彼の母親から受け継いだもの。私の大切な、妹から」

 睿琰ルイイェンは目眩がした。

 自身の腕を見て、血管に流れている血を感じる。

 いっそう速くなった鼓動は、心を苦しめていく。

 言葉が出ない。

 その時、診療室から強い光が漏れ出した。

 立ち上がろうとする睿琰ルイイェンを制止し、睿靖ルイジンは「大丈夫。二人に任せましょう」と微笑んだ。

 睿琰ルイイェンは呼吸を整え、胸に手を当てながら、叔父に問うた。

「本当なのですか、叔父上。煙紅イェンホンは……、煙紅イェンホンは、煌珠ファンジュ叔母上の息子なのですか!」

 睿琰ルイイェンの目から涙が流れた。

「そうです。十七年前、私が禮犀廟れいさいびょうから連れ帰りました」

 睿靖ルイジンの哀しい笑みは、過去に取り残された思いを映しているようだった。

「『私に万が一のことが起こった時は、子供を連れて逃げてほしい』と、煌珠ファンジュから託されていたのです。そんなことにはならないようにと願っていたのに」

 睿琰ルイイェンは涙を拭い、睿靖ルイジンを見つめる。

煙紅イェンホンは知っているのですか」

「すべて知っています。自身の母親のことも、睿琰ルイイェンのことも」

「だからあの時、煙紅イェンホンは私を救ってくれたのですか。家族だから……」

「それは関係ありません。でも、今は違うでしょうね」

 睿靖ルイジンは優しく微笑むと、窓から見える空を見上げた。

「家族でなくとも、大切な友のために同じ決断をしたはずです」

 睿琰ルイイェンは頷き、流れそうになる涙を抑えた。

 それから数時間。

 夏籥シァイャォ素采スーツァイの治療が続いている。

 そこへ、慌てた様子で書生が速足で歩いてきた。

輝露フゥイロウ様」

 睿靖ルイジンは書簡を受け取ると、押されている印を見て一瞬顔を顰めた。

「叔父上、どうなさったのですか」

「これは兄上からの文。緊急事態以外では送ってこないものです」

 睿靖ルイジンの元へ届いたのは、睿瓏ルイロンからの密書だった。

 印を割り、紐を解いて中の文に目を通す。

 睿靖ルイジンの顔色が変わった。

睿蘭ルイランが……、誘拐された……?」

 睿琰ルイイェンが急いで覗き込む。

 中にはこう続いていた。

――誘拐犯が悠王府に残していた脅迫文にはこう書かれていた。『皇太子が持っている三つの宝玉と共に、四つ目の宝玉を探し出して持ってこい。さもなければ、皇長子こうちょうしは死ぬことになる』

 睿琰ルイイェンの手が震える。

――『最後の一つは鬼魄きはく界の王のもとにある。時間はないぞ』と。睿靖ルイジン、力を貸してくれ。

「兄上を取り返さなければ」

 立ち上がり部屋を出て行こうとする睿琰ルイイェンを止めようと、睿靖ルイジンが立ちはだかった。

「そんな危ないところへ行かせるわけにはいきません」

 珍しく声を荒立てている睿靖ルイジンの元へ、治療を終えた素采スーツァイ夏籥シァイャォがやってきた。

 睿琰ルイイェンはすぐさま夏籥シァイャォの肩を掴む。

煙紅イェンホンは⁉」

 泣きたくなるほどの不安を押し込めながら、夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンを安心させるべく、声色を作った。

 動揺を悟られないように。

「一命はとりとめたってところ。目覚めるかは、煙紅イェンホンに残された霊力次第」

 夏籥シァイャォは気丈にふるまった。

 嘘は言っていない。

 でも、煙紅イェンホンに残っている霊力は、僅か。

「そうか……」

 安堵していいのかわからないほど混乱している睿琰ルイイェンは、三人に「私は兄上を助けに行ってまいります」と言って立ち去ろうとした。

「待ちなさい、睿琰ルイイェン

 睿靖ルイジンの切羽詰まった声に、今度は夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンの肩を掴んだ。

寧燕ニンイェン、どうしたの? 話して」

 睿靖ルイジン素采スーツァイ夏籥シァイャォ睿瓏ルイロンから届いた密書を見せた。

「行かなければ、兄上が……」

 睿琰ルイイェンの言葉を聞くまでもなく止めようとする睿靖ルイジンを、素采スーツァイが遮った。

「言葉で止めたって無駄だ。わかるだろ、輝露フゥイロウ

 それでも引き下がらない睿靖ルイジンに、夏籥シァイャォが向き合った。

輝露フゥイロウ様、ご安心ください。私が寧燕ニンイェンを守りますから」

 夏籥シァイャォのとんでもない発言に、睿靖ルイジンは言葉に詰まりながらも懸命に説得しようと試みた。

鬼魄きはく界の王がどれほどの力を持っているのか、少し考えればわかるでしょう。たった二人でどう立ち回るというのです。そんな危険な場所へ行くなんて、許可できません」

 叔父の真剣な眼差しをまっすぐ見つめ返しながら、睿琰ルイイェンは覚悟を決めた声で言う。

「許可は求めていません。叔父上、素采スーツァイ閣主かくしゅ煙紅イェンホンを頼みます」

 睿琰ルイイェン夏籥シァイャォに「行こう」と声をかけ、二人は窓から飛び出していった。

 その背を見つめる睿靖ルイジンの肩に、素采スーツァイが触れる。

寧燕ニンイェンはお前の幼いころにそっくりだな。頑固で、でもまっすぐで、家族思いで、愛情深い」

 素采スーツァイに言われ、睿靖ルイジンは溜息をついた。

「だから心配なのですよ」

 空が橙に染まり始めた。

「ほら、若者に任されたんだから、二人で仲良く煙紅イェンホンの看病をしよう」

 睿靖ルイジンは誰にも届かない溜息をつき、素采スーツァイと共に診療室へ向かった。

 一方その頃、睿琰ルイイェン夏籥シァイャォはいつものように空を飛びながら鬼魄きはく界へ通じる扉を探していた。

「ねぇ、寧燕ニンイェン

「なんだ」

煙紅イェンホンのこと、一目見て行かなくてよかったの?」

 夏籥シァイャォの問いに、睿琰ルイイェンは言葉に詰まった。

「見ていればわかるよ。だって、私は二人の親友だもの」

 緊急事態にはそぐわないほどの穏やかな風が、二人を包む。

「もし……」

 睿琰ルイイェンは少し俯きながら答える。

「もし、一目見てしまったら、その場から動けなくなってしまうと思ったのだ」

 夏籥シァイャォは親友の言葉にうなずき、優しく微笑んだ。

煙紅イェンホンなら大丈夫だよ。だって武神の子で、護国巫姫ごこくふきの子だもの。それに、私達っていう帰ってくる理由があるでしょう?」

 睿琰ルイイェンまぶたに、煙紅イェンホンの笑顔が浮かぶ。

「ああ……、その通りだな」

 世話の焼ける親友だなぁ、と、夏籥シァイャォは笑ってみせた。

「そういえば、あの密書だけど……。最後の禍珠かじゅ鬼魄きはく界の王のもとにあるって書いてあったよね。王って言っても、誰のことなんだろう」

「あいつに聞けたら……」

「あいつって?」

春陽チュンヤン伯だ」

「ああ、そうか。鬼魄きはく界の王から爵位をもらったって言っていたものね。見つけたら話すついでに再起不能になるまで殴ってやりたいな」

 その時だった。

 眼下から声が聞こえた。

「こっちですよー。私をお呼びですかぁ?」

 睿琰ルイイェンを背負った夏籥シァイャォは急降下し、春陽チュンヤンの頭部を蹴り飛ばしてから着地した。

 睿琰ルイイェン夏籥シァイャォから降り、転がる春陽チュンヤンを見下ろすように立った。

「お二人とも高貴な割には野蛮ですね。ふう、間一髪でした。不老不死と言えど、それは寿命では死なないだけで、怪我ややまいに罹れば普通に死んじゃうんですよ。まったく」

 ああ、左腕が骨折してしまいました、と、春陽チュンヤンは大袈裟に嘆いて見せた。

 ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がった春陽チュンヤンに、夏籥シァイャォは拳を振り上げる。

 それを睿琰ルイイェンが手で制止し、「どうしてここに」と言った。

「商売ですよ」

「相手は」

「あなた方です。……おや? あの病弱な青年はどうしたのです? 死んだのですか」

 睿琰ルイイェン春陽チュンヤンの襟をつかみ、強く木に押し付けた。

「黙れ。聞かれたことだけに答えろ」

 睿琰ルイイェンの激しい剣幕に、春陽チュンヤンは嬉しそうに微笑んだ。

「わかりました。皇太子殿下」

 気持ちの悪い笑みを浮かべる春陽チュンヤンに、夏籥シァイャォが聞く。

「なんで私達と商売が出来ると思ったの?」

「だって三つ禍珠かじゅを手に入れたでしょう? そうすると、きっと四つ目が欲しくなるのではないかと思いまして」

 睿琰ルイイェン夏籥シァイャォは顔を見合わせると、二人で春陽チュンヤンを睨んだ。

「なぜ三つ集まったと知っている」

「私の依頼主が教えてくれたのです」

「依頼主は誰だ」

「守秘義務で言えませんし、殺されても言いません」

 聞くだけ時間の無駄だと悟った睿琰ルイイェンは、本題に入った。

「四つ目の禍珠かじゅはどの王のもとにある」

 春陽チュンヤンは木に押し付けられたままふところから算盤そろばんを出すと、指で弾いた。

「お代はこちらです」

 睿琰ルイイェンは髪に刺しているかんざしを引き抜くと、それを春陽チュンヤンに渡した。

「おお、皇太子殿下は太っ腹ですね」

 春陽チュンヤンは簪を袖にしまうと、懐から地図を出して言う。

「最後の禍珠かじゅを持っているのは、鬼魄きはく界の溶岩窟を統べる王、炭華タンファ様です」

「どんな王だ」

「人間にはとても好意的ですよ」

 春陽チュンヤンは笑みを浮かべて言った。

「食料として、ね」

 睿琰ルイイェン春陽チュンヤンから手を離すと、「失せろ」と言い、睨みつける。

「良いお取引でしたね。ではまた」

 春陽チュンヤンは黒い布を広げると、それに巻かれるようにして姿を消した。

寧燕ニンイェン、覚悟は良い?」

 王の人間に対する態度を春陽チュンヤンから聞き、夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンをまっすぐ見つめた。

「当然だ。向こうが敵意むき出しで来るのならありがたい。気兼ねなく首を斬り落とせるからな」

 二人は再び空へと飛び立つと、地図に示された場所へ向かって飛行を始めた。

 目指す場所は西にある廃鉱山。

 三百年ほど前に大きな事故があり、その後は誰も寄り付かなくなった山。

 鉱山夫は常に死と隣り合わせの環境で働いている。

 雇い主が趕屍匠かんししょうを雇ってくれれば、死後僵尸きょうしとして操られ、地元まで送り届けてもらえるが、全員がそうしてもらえるわけではない。

 事故で両足を失ったり、見分けがつかないほど破損してしまったりした遺体は自走が出来ないため、僵尸きょうしとして操ることは出来ないのだ。

 それに、鉱山で働いていたのは何も地元民だけではない。

 そこはかつて罪人の流刑地でもあった。

 救われなかった命はやがて土地や人々の怨念を吸い上げ、悪霊や悪鬼、鬼霊獣きれいじゅうとなる。

 鬼魄きはく界との扉が開いていてもおかしくはない。

 ほとんど休むことなく丸一日飛び続け、やっと廃鉱山へたどり着いた二人。

夏籥シァイャォ、大丈夫か」

「うん。私体力には自信あるからね」

 夏籥シァイャォはおもむろにくうから何かを取り出した。

寧燕ニンイェンはこれをつけて」

 夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンに渡したのは、一枚のめんだった。

「これは……、変面へんめんで使う面か」

「そう。劇では喜怒哀楽を面の違いで表現するでしょう? でもこれは違う。面で種族を誤魔化せる呪具なの。呪具って言っても、別に心身に害はないから安心してね」

「わかった。ちなみにこれは何の種族なんだ? 鱗のような模様が入っているが」

「龍神族だよ。彼らは……、まあ、色々伝統があって、よく面を使う種族なの。だから鬼魄きはく界に入っても人間だと露見しにくいと思う」

 睿琰ルイイェンが受け取った面を身に着けると、それは肌に吸い込まれるように消え、顔と一体化した。

 準備を終えた二人は瘴気の濃い方へと歩いていく。

 眼前が歪んで見えるような、不快な感覚。

 少しずつ周囲の温度が上がっているようだ。

 背に汗が伝う。

「……あった。扉を隠すつもりがないみたいだね」

「威嚇か蛮勇か。何者にも負けない自信があるのだろう」

 夏籥シァイャォが先に入り、睿琰ルイイェンが後に続く。

「……うわあ」

 黒い岩肌に煌々と照り付ける溶岩の滝。

 空という概念がないのか、上空と呼べる場所にもはるか遠く岩肌が見える。

 流れ続ける溶岩の灯りと石造りの灯篭のおかげで周囲の光量に問題はなさそうだ。

「……金陽きんように似ている」

「本当?」

「ああ。規模は小さいようだが、目の前の道も、その奥に見える城の一角も、既視感がある」

 睿琰ルイイェンは初めて来た鬼魄きはく界の街を迷うことなく進んで行く。

 一番大きな通りに並ぶ家屋や大店おおだなのほとんどが鋼鉄で組まれており、軽やかさとは縁がない見た目をしている。

 活気は十分にあるようだが、闊歩するのは魑魅魍魎ちみもうりょう悪鬼羅刹あっきらせつたぐい

 よく目を凝らして見てみると、屋台で売られている料理には人体の一部が。

 春陽チュンヤンの言っていた通り、ここではよく人間を食べているようだ。

「彼らはあえて生活様式を似せているのか」

「どうだろう。鬼魄きはく界に来るのは初めてだからわからないけれど、聞いていた話によれば、王が人間に近い存在だったりすると、こういうこともあるみたい。ただ……、ここは少し特殊な気がする」

「あまりに金陽きんように似すぎている。皇宮、というか、城までの道のりもほとんど同じだ」

 不穏な空気を感じ取りながら街中を歩いていると、水音のようなものが聞こえてきた。

「こんなところに水が?」

 鉄製の桶を運んでいる鬼が三人、液体が揺れる音を立てながら通り過ぎていった。

「……いや、あれは違う。寧燕ニンイェンは知らない方が良いかも」

「教えてくれ。あいつらが運んでいるのは何なんだ」

 夏籥シァイャォは今にも鬼に詰め寄りそうな睿琰ルイイェンを抑えながら言う。

「においからして、血液とか体液のたぐいだと思う。人間の」

「奴らは水の代わりにそれを飲んでいるというのか」

 睿琰ルイイェンは拳を握りしめながら声を怒りに震わせた。

「違うと思う。水はあるんじゃないかな。冷たいかはわからないけれど。あの血液は……、たぶん、お酒として飲むんだと思うよ。かすかに酒精しゅせいの香りもしたから」

「血が酒に……?」

「本で読んだことがあるんだけど、人間に大量にお酒を飲ませて血中の酒精濃度を上げ、その血をお酒として飲む鬼がいるんだって」

「そんな……。では、あの血液は……」

「生き血じゃないかな。血液を採られた人は生きながらにお酒の材料にされているんだと思う」

 睿琰ルイイェンは拳を解き、口元を覆った。

「言っておくけれど、助けには行けないよ」

「何故だ」

 夏籥シァイャォの切り捨てるような言い方に、睿琰ルイイェンは瞬間的な怒りと共に困惑した。

「私、覚悟はあるかって聞いたよね。それは寧燕ニンイェンが襲われる可能性とは別に、人間がどう扱われているか知っても無暗に行動を起こさずにいられるか、っていう意味でもあるんだよ」

「だが、見過ごすわけにはいかない」

 夏籥シァイャォは正義感と焦燥、憤怒に燃える親友に対し、あえて諭すように言う。

「私だって彼らのしていることは許せない。でも、ここは鬼魄きはく界なんだよ? 金霞きんか国じゃない。それに、人間界でもない。私達の法律や倫理観は通用しない場所なの」

 精神的な打撃が大きかったのだろう。

 睿琰ルイイェンは再び拳を握りしめている。

 指の間から血がしたたるほど。

「行こう、寧燕ニンイェン颯嵐サーラン兄さんのために」

「……そうだな。すまない、夏籥シァイャォ

 夏籥シァイャォは苦悩する睿琰ルイイェンの姿に、胸が痛んだ。

 普通に生きていれば気付かずにいられたものを、彼は知ってしまったのだ。

 二人は再び睿琰ルイイェンを先頭に、王がいるであろう城までの道を進んで行く。

 その足取りは重い。

 二人が通り過ぎた後、有翼種ゆうよくしゅの小鬼が道に現れ、かぐわしいにおいを嗅ぎつけた。

 地面に落ちている数滴の赤い液体。

 興味本位で舐めた小鬼は、その持ち主の種族に気付いてすぐに城へと飛び立った。

 自らの王に知らせるために。

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