第十集:わずらう心
飛行すること一時間と少し。
三人は木立に隠れて
村は段々畑が示すように高低差があり、陽の光が照らす中で目にすることが出来たならとても美しいだろう造型をしている。
しかし、三人には景色などどうでもよかった。
上空から見て把握した通り、まっすぐと
誰にも見られないよう、細心の注意をはらいながら。
「夜だから、さすがに門は閉じてあるね」
囁きよりも小さな声で
三人は
「他に出入口はなさそうだ。壁を乗り越えよう」
「私達いつもそうじゃない?」
先に
順番に壁を越え、地面に降り立つ。
本堂の前まで来ると、扉の隙間から中を覗く。
「……誰もいないみたい」
「手際が良いね」
「褒められている気がしないんだけど」
音を立てないよう、慎重に扉を開く。
「わ……。ここも観音様だ」
「ここの御利益は病気
よく手入れが行き届いた堂内は塵一つなく、清廉な
音が広がり良く響く空間を可能な限り静かに歩いていると、
「まさか……」
「
光が強くなる。
目を凝らし、観音像の瞳をよく見ると、左眼にはめ込まれているのは水晶ではなく
「あったぞ」
「
その時、誰かが門の鍵を壊し、参道へと駆けこんでくる音がした。
三人はひとまず観音像の後ろに隠れる。
やってきたのは幼い女児を抱きしめた身なりの良いふくよかな男性。
女児はひどく
「観音堂の扉が開いている! ああ、助かった……」
男性は女児を抱えて観音像の前まで来ると、勢いよく膝をついた。
「お願いします、
男性が観音像に向かって祈ると、すぐに女児の息が整い、健やかな寝息に変わった。
「間に合った……。よかった、本当に良かった」
男性は目に涙を浮かべながら、眠る娘を連れて廟を後にした。
その様子を観音像の後ろから見ていた三人には、何が起こったのかわからなかった。
「どういうことだ」
「わからない。でも、あの
「なぜあの女の子の症状が回復したのかを調べるまでは、
「二人の言う通りだ。明日、事情を探ろう」
三人は廟から出ると、近くの林へ入り、そこで野宿をすることに。
三人で順番を決め、交代で見張りにつき身体を休める。
数時間経つと、空が白み始めた。
見張りについていた
「まだ寝ていて大丈夫ですよ」
「……体調はどうだ」
「とても元気です」
「そうか」
静寂の中に、風で揺れる葉の音や、鳥の鳴き声が流れる。
「
「なんでしょう」
続きを促す優しい
「
問いに込めた気持ちを隠しながら、
「そうですね。
風が二人の間を通り抜ける。
「修業しながら気ままにあちこち出掛けると思います」
「
「私は皇宮へ戻り、皇太子として民に尽くす。
もう会えないかもしれない、と、出かかった言葉を飲み込む。
「立派だと思います。地方へ視察に行く際は、友人兼護衛として誘ってください。
「私も
柔らかな桃のように甘く爽やかな
声にならない想いが、言葉に出来ない気持ちが、涙に変わりそうになる。
「友として、傍にいてくれるのか」
「もちろんです」
胸に閉じ込めておくにはあまりにも大きな感情が嵐のように巡り、
目を逸らせば、この幸せがすべて夢の中の出来事になってしまいそうで。
「
甘く清らかな香りが鼻をくすぐる。
花が太陽の光を求めて花弁を開き始めたのだろう。
太陽の光が、空を橙に染め始めた。
「そろそろ
「あ、ああ。そうだな」
自分が何を言おうとしたのか、
名前をつけられない想いを
「
顔にかかっていた髪がさらさらと流れるその横顔は、寝起きでもとても可憐な様子。
「んん……、おはよう。……二人とも元気?」
「元気だよ」
「ああ。私も元気だ」
「よろしい」
寝惚けながらも、友人達の顔色や声の調子を確かめる
今立ち向かおうとしている事案は、控えめに言っても過酷だ。
大切な友人を失わないよう、医術師として、
「身支度をしましょう」
「やはり、こっちの服の方が落ち着く。煌びやかな刺繍は苦手だ」
「私達もこっちの
動きやすい
「あの
「どうやって探しましょうか。
湯気につられるように屋台へ近付いていく。
「こういうときは噂話を聞くのが一番じゃない?」
「もう開いていますか?」
「お! 旅のお方かい? もしかして、
さっそく店主が笑顔で近付いてきた。
「さあさあ、こちらの席へどうぞ。何にします?」
「そうですねぇ、やっぱり
「わあ、素敵ですね。どんな御利益があるんですか?」
「病気平癒なんですけどね、これがまたすごいんですよ。なんせ、風邪をひいたその日のうちにお参りに行けば、次の瞬間にはけろっと治ってしまうんですから」
三人は顔を見合わせた。
「お医者さん要らずですね」
「でもまあ、病気によっちゃぁそうもいかない場合もありますよ」
「例えばどんな病気です?」
店主は複雑な表情で話し始める。
「村の三段目あたりに住んでいる
店主は大きくため息をつくと、「暗い話ですみません。でも、
「ここは
「そうだな。食事を済ませたらすぐに向かおう」
三人は運ばれてきた艶々と輝く柔らかな粥を食べ、少し多めに
店主は村の三段目にある家だと言っていた。
よく整備された坂を上り、歩いていると、視線の先にそれらしい家屋が見えてきた。
「他の家より大きい。裕福なのかな」
「行商人が売る薬は安くない。昨夜見た時も身なりがよかったからな。そういうことなのだろう」
三人は『
扉を叩き、中から人が出てくるのを待つ。
重そうな扉が内側へ開き、侍従と思われる男性が出てきた。
「はい、どちらさまですか」
「突然すみません。こちらの
「私は
男性は「ちょ、ちょっとお待ちください」と言うと、速足で戻って行った。
興奮気味に話しているのだろう。
中の声が少し漏れて聞こえる。
「……偽物なら追い出せばいいからとりあえず連れて来いって聞こえる」
「
「失礼しちゃう」
先ほどの男性が駆け足で戻って来た。
「中へご案内いたします」
三人は
朝露が煌めく季節の花々が咲き誇る庭。
置かれている調度品は少し派手ではあるが、嫌味な感じはしない。
「こちらです」
廊下を進み、家主が待つ部屋へと通された。
「よくお越しくださいました」
身なりの良いふくよかな男性が神妙な面持ちで
一目見て昨夜の男性だとわかった。
「本当ならばおもてなししたいところなのですが、その前に娘を診てはいただけませんでしょうか」
「もちろんです」
三人は案内されるがまま
「ここが娘の部屋です」
中へ入る。
寝台に横たわるのは、規則正しい寝息を立てる十歳くらいの女の子。
何を言われずとも、
娘はただの
「
「すぐに持ってまいります」
「この薬は……、
「どういう症状に使うのだ」
「頭痛とか発熱。それと、軟膏にすれば火傷にも効果があるよ」
でも、と、
「調べる必要がありそう。……すみませんが、薬について我らで検証したいことがありますので、どこか部屋をお貸し願えますか」
三人の表情から不安を募らせた
「結果が出次第すぐにお伝えしにまいりますので、みなさんは下がってください」
戸惑いながらも頷いた
周囲に誰の気配もないことを確認し、
「
「この薬には
「
「うん……。黄泉の炎で作られた薬だよ、これ」
「だから娘さんが重い
「そのせいで失いかけている命を、
三人はここにきて初めての絶望的な状況に、時が止まったように動かなくなった。
「一応聞いてみよう。どの行商人から買ったのか。それがわかれば、その人を捕まえてこれ以上被害が出ないように出来るかも」
「そうだな」
三人は部屋を出ると、
「おお、みなさん。どんな具合でしょうか」
「この薬はどこで手に入れたのですか?」
「旅の商人からです」
三人はある人物が頭に浮かんだ。
「もしや、その者は恰幅が良く、黒い
「そうです。御存知なのですか?」
「
三人の表情の変化に、
「あの、それで娘は治るのでしょうか」
「大丈夫ですよ。私達なら救えます」
その言葉に、
「ちょっとすみません」
部屋へ入ると、
「どういうつもりなの、
詰め寄る
「私なら彼女を救える。そうすれば、
「何を言っているの⁉
「私達の気持ちも考えてくれ、頼む」
それでも、
「悲しませてごめんなさい。でも、こうするしかないって二人にはわかるでしょう?」
希望を得るには、絶望を選択しなければならない。
それも、大切な人の命を賭けて。
「親友が苦しむのを、ただ見ていろって言うの……?」
わからないわけではない。二人がどう感じるのかを。
もし逆の立場だったなら、二人のように
優しい友人達を苦しめたいわけではない。
ただ、これが最善だと思うから、
「お願い、
例え
それを確認し、適切な薬を出せるのは
そして、
「
突如、破裂音のような音がした。
「私の許可なく死んだら、殺してやるから」
「わかった。抵抗しないよ」
涙が肺に溜まり、まるで溺れているような感覚。
音が遠くなり、世界が滲む。
「……いぇん、
「なんだ」
言葉に棘を含んでしまうと同時に、後悔と罪悪感で押しつぶされそうになる。
「
「霊力を……? かまわないが」
「よかった。これで、怖くなくなります。正面から
気付いたら腕を伸ばしていた。
「友として傍にいる。それは私も同じだ」
「わかっています、
それを見た
互いにゆっくりと身体を離し、少し照れ臭そうに微笑む。
「さあ、行きましょう。娘さんと、天下を救うのです」
濃い
左手に痛みが奔る。
それは腕へと広がり、肺を侵して全身を巡る。
息をするたびに苦しく、砕けた硝子を飲み込んだよう。
頭は中から破裂しそうなほどの強い痛みに
口から
それはかつてないほど白く、周囲の人の睫毛が凍るほど冷たい。
息に赤が混じり始めた。
顔中で血のにおいがする。
耳鳴りが、早鐘のように脈打つ鼓動の音を消し去り、世界を覆う。
胸が内側から凍傷したように酷く激しく痛む。
途切れそうになる意識を何とか保ちながら、
左手から順に痛みが引き、すべてを身体に封じ終えた瞬間、
「
そこへ、ちょうど戻ってきた
「これを三日間朝昼晩の食事前後に飲ませてください」
「ああ、なんとお礼を申し上げれば……」
「礼には及びません。すみませんが、これで失礼いたします。今度は仲間の治療をしなければならないので」
「
「行こう、
赤い
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