第九集:過去

「まずはどこへ調査に向かいましょうか」

 東宮へ着いた三人は、さっそく円になるよう腰かけた。

 睿琰ルイイェンが人払いをし、手始めにどこへ向かうか、誰を調べるかを話し合い始める。

睿松ルイソンを調べようにも、かん王府へ乗り込んだところで入れてもらえるかわからないからな」

「何らかの事件が起こればそこへ向かえばいいだけだけれど、次の犠牲者が出るのを待つのは不本意だもんね」

鬼魄きはく界と繋がってしまっている不要な扉も閉じたいですし……」

 ううん、と唸る三人。

 その時、「ちょっと関係ないことなんだけれど」と夏籥シァイャォが話し始めた。

「私、実はずっと思っていたんだけれど、睿犀ルイシーが出現する前から護国巫姫ごこくふきっていう役職? 存在? みたいな人は居たの?」

 友人の言葉に、睿琰ルイイェンは「たしかに」と頷いた。

 夏籥シァイャォの疑問は続く。

「居たとすれば睿犀ルイシーより前に存在していたかもしれない怨霊を鎮めたってことになるし、居ないのなら睿犀ルイシーを鎮めるために何らかの大いなる力によって創り出されたってことにならない?」

 親友の鋭い指摘に、煙紅イェンホンは感心して頷く。

夏籥シァイャォ頭いいね」

「知ってるぅ」

 笑顔の夏籥シァイャォを見つめながら、睿琰ルイイェンは思案した。

「もし、護国巫姫ごこくふきを創り出した大いなる何かが存在するのなら、睿犀ルイシーを滅する手段を何か知っているかもしれないな……」

睿犀ルイシーを消し去り、鬼魄きはく界と繋がる余計な扉を全部閉めることが出来れば、睿松ルイソン殿下の企みも睿蘭ルイラン殿下達が簡単に潰せる程度のものになるでしょう」

「あの春陽チュンヤンって伯爵も好き勝手出来なくなるかもしれないね」

 三人は解決の兆しが見えてきたことを喜んだ。

「では、まず皇宮の書庫へ行って睿犀ルイシーのことや護国巫姫ごこくふきの出現時期について調べたいのだが……、その前に、煙紅イェンホンの言葉で少し気になることがある」

「なんでしょう」

鬼魄きはく界への扉は全部閉じるわけにはいかないのか? 先ほどから、不要な分、とか、余計な、とか、まるで必要な扉があるような言い方をしているから」

 睿琰ルイイェンの問いに、煙紅イェンホンはゆっくりと話し出した。

「時に毒草が薬になるように、鬼魄きはく界も場所によっては必要悪となっているのです」

「必要悪?」

「悪霊や悪鬼、妖魔、鬼霊獣きれいじゅうなどは、どう頑張っても人間界に出没します。それは人間が素材だったり、以前遭遇した樹火鬼じゅかきのように動物が素材だったりするからです。戦って倒してしまうのもいいですが、出来るならば戦闘による人間の被害を抑えたい。そう考えた場合、人間界とは別の場所で生活してもらう必要がありますよね。それが鬼魄きはく界なのです」

 睿琰ルイイェンは目を丸くして頷いた。

「なるほど」

鬼魄きはく界には何人かの王がおり、それぞれが縄張りを持って統治しています。その中のいくつかには『人間とのかかわりを禁ずる』だったり、『人間を食料とすることを禁ずる』『人間と争うことを禁ずる』という決まりを設けている王もいるのです」

「その決まりを悪鬼たちは守っているのか」

「はい。王の命令は絶対ですから。そういった人間への干渉を禁ずる決まりを立てているのは、大体がかつて人間だった鬼神や、堕ちた天つ神、人間に育てられ好意的な感情を持っている羅刹らせつなどですね」

「かつて人間だった鬼はわかるが、人間に育てられた鬼もいるのか……」

 考えたことも無かった事柄に、睿琰ルイイェンは静かに驚愕した。

「珍しいですが、存在します。人間に害をなさない王が統治する鬼魄きはく界に通じる扉だけを開けておけば、悪霊も悪鬼も自然とそこへ集まっていきます。そうすれば、戦う必要も減り、人間界と鬼魄きはく界は均衡を保ったままでいられるというわけです」

鬼魄きはく界の扉をすべて閉じない理由は理解した。ただ、今の話を聞いて余計に気になっていることがある」

 睿琰ルイイェンの真剣な表情に、煙紅イェンホン夏籥シァイャォも頷いた。

星幽シンヨウが言っていた甘露子かんろしのことだよね」

「そうだ。甘露子かんろしは人間でありながら人間の時代とやらを終わらせることが出来るという。もし、その甘露子かんろしが何らかの手段を用いて王たちを懐柔した場合、鬼魄きはく界のすべてが人間の敵になると考えるのは、大袈裟だろうか」

「わかりません。ですが、警戒するに越したことはありません」

甘露子かんろしについても詳細が分かり次第睿蘭ルイラン兄上達に知らせた方が良さそうだな。ひとまず、書庫へ行こう」

 三人は東宮を出発し、皇宮内にある大きな書庫へと向かった。

「……視線を感じる。それも、いっぱい。私が可愛いから?」

 三人は視線に気付かないふりをしながら歩き続けた。

「ふふ。それもあるだろうが、官僚共が盗み見ているのだ。金霞きんか国の後継者がどのような者達と交流しているのか、とな。幸い、二人は朝廷とは距離を置く銀耀ぎんよう江湖の名高き禪寓閣ぜんぐうかくで修業する青年。もしこれが、高位の爵位を持つ名家の世子せしを連れていたならば、彼らは血相を変えて挨拶に来るだろう。自分達の家がこれからも繁栄できるかどうか知るために」

「私達が銀耀ぎんよう江湖の者だと、もう知れ渡っているのですか」

 睿琰ルイイェンは官僚達の態度を嘲笑するように声を漏らす。

「奴らの耳目となる者はどこにでも潜んでいる。この皇宮で安全なのは東宮だけだ。兄上が選んでくださった太監たいかん達と、亡き貴妃義母上が鍛え上げた雛菊隊に属する侍女しかいないからな」

 煙紅イェンホン夏籥シァイャォは、何かが頭の中で弾けるのを感じた。

「もしかして、睿蘭ルイラン殿下が睿琰ルイイェン殿下のためにこんなにも周囲を警戒して守るのは……」

 睿琰ルイイェンは頷いた。

「そうだ。奴らは抜け目ない。睿蘭ルイラン兄上がここまで過保護なのは、おそらく、故貴妃殺害について情報を得ていたにもかかわらずそれを傍観した者が大勢いるということを知っているからだ。それに、誰かが煌珠ファンジュ叔母上を傷つけようとしていたという噂を聞いていた者もいるだろう。皆、知っていて口をつぐむことを選んだのだ。己の保身のために」

 煙紅イェンホンは、心に赤く冷たい氷柱つららが突き刺さるのを感じた。

「正一品の貴妃の死も、護国巫姫ごこくふきの死も大事おおごとだ。しかし、見て見ぬふりをしていた官僚たちを証拠もなく粛清することなど到底できない。それを父上も母上もわかっていらっしゃる。だから事を荒立てなかったのだ。私と睿蘭ルイラン兄上の将来を守るために」

 睿琰ルイイェンの悔しさと悲しさが入り交じった目が揺れる。

 その時、煙紅イェンホンが大きく咳き込んだ。

 氷煙ひょうえんが霧のように溢れ出ている。

煙紅イェンホン!」

 夏籥シァイャォがすぐに身体を支える。

「ご、ごめん。ちょっと、むせた、だけ、だから」

 煙紅イェンホンの目に涙が浮かぶ。

 氷河を削る凍てついた突風のように肺を痛めつける寒凍魄かんとうはくがつらいのか、それとも、母親の死が見過ごされていたことへの絶望のせいなのか。

「は、早く、書庫へ、行きましょう」

 煙紅イェンホンは胸を押さえ、弱々しく微笑んだ。

「だが……」

「大丈夫だよ、殿下。煙紅イェンホンの身体のことは私に任せて。さ、行きましょ」

 夏籥シァイャォはいつも通り、「まったく。咽るなら直前に言ってよね」と冗談めかしている。

 睿琰ルイイェンはおもむろに煙紅イェンホンの前に立つと、その腕を取り、背を向ける動作で流れるように煙紅イェンホンを背負った。

「こ、皇太子殿下!」

 これには煙紅イェンホン同様、夏籥シァイャォも慌てた。

「ちょ、殿下、さすがにこれは駄目だと思うの」

 動揺する夏籥シァイャォの言葉に、睿琰ルイイェンは優しく微笑んだ。

「誰に何と思われようと、私は構わない。皇太子と言えど、私はまだ皇子なのだ。やまいを患っている友人を背負うのは当然のことだろう」

 睿琰ルイイェンは正義感が強く、優しく、正直で、そして、頑固だ。

 書庫に着くまで煙紅イェンホンを降ろしはしないだろう。

「さぁ、行くぞ」

 困った表情の夏籥シァイャォに快活な笑顔を向け、睿琰ルイイェンは歩き出した。

「う、うん」

 夏籥シァイャォは先ほどよりももっと強い視線と、風に交じって聞こえてくる官僚たちの囁き声に溜息をついた。

 幸いだったのは、書庫までの道のりが短かったこと。

 ただ、衛兵も宦官かんがんも言葉を失くしてたじろいでいたので、このことはすぐに噂となるだろう。

 それも、市井にまで届くほどの。

「こ、皇太子殿下……」

 この国で最も高貴な皇子が見知らぬ青年を背負っている事実に、司書は目を丸くした。

「数時間、場を空けて欲しい。誰も中へ入れないでくれ」

「か、か、かしこまりました」

 太監たいかんが書生達に書庫から出るように告げ、全ての者が退出を済ませたあと、衛兵に扉を閉じさせた。

 そしてようやく、煙紅イェンホンは床に足をつけることが出来た。

「もう咳は大丈夫か」

「は、はい。あの、ありがとうございました」

 睿琰ルイイェンの背の熱で煙紅イェンホンの肺は温まり、咳は出なくなっていた。

煙紅イェンホンが無事ならそれでいい」

 睿琰ルイイェンは微笑むと、「私はシァォ一族について書かれた歴史書から調べ始める」と言い、奥へと歩いて行ってしまった。

「私達が言うと怒るだろうけど、寧燕ニンイェンはもう少し自分の立場をわかった方が良いと思う」

夏籥シァイャォが言うと説得力ないね」

「まあ、失礼しちゃう」

 二人は金霞きんか国の後継者の背を見つめながらため息をついた。

「私達も手掛かりを探しに行こう」

「うん。じゃぁ、私は……」

 夏籥シァイャォ煙紅イェンホンを見る。

「私が歴代護国巫姫ごこくふきの手記を探すね」

 煙紅イェンホンは眉尻を下げ、申し訳なさそうに頷いた

「気を遣わせちゃってごめん」

「いいのいいの。煙紅イェンホンはどこから調べるの?」

「えっと……、大いなる力の呼び出し方とか? 金霞きんか国に伝わる儀式やその辺を調べてみようかな」

 二人は「何か見つけたら集合ね」と、それぞれ書架に向かった。

 煙紅イェンホンは目に留まった書籍や竹簡を次々と開き、記されている内容を目で追った。

 書かれていることの多くは金霞きんか国が行ってきた祭事について。

 それらを読んでわかるのは、護国巫姫ごこくふき睿犀ルイシーを鎮めてきた禮犀廟れいさいびょうは、国の吉事やそれを祝う祭りから常に外されていたという事実。

 これではまるで、護国巫姫ごこくふきは生贄のようだ。

「生贄か……」

 煙紅イェンホンはいくつもの書架を通り過ぎ、ある一角にやってきた。

「思ったよりも多い」

 そこは邪術や呪術に関する書物や竹簡が集められている書架。

「生贄を必要とするような術……」

 いくつもの資料を手に取り、目を通していく。

「これも違う」

 残る棚は僅か。

「閃いたと思ったんだけどなぁ……」

 紙をめくる音。

 煙紅イェンホンの手が止まった。

 綺麗に整列する文字を凝視する。

 呼吸が荒くなる。

「そんな……」

 文字の中に、見知った者の名を見つけてしまった。

 それも、身近な者の名を。

「……やお、夏籥シァイャォ!」

 煙紅イェンホンの大きな声に驚いた夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンが駆け寄ってきた。

「どうしたの? 大声出すなんて珍しい……」

 煙紅イェンホンが本を開き、そこに書かれている名を指さすと、夏籥シァイャォの顔色が変わった。

「二人とも、固まってどうしたというのだ」

 煙紅イェンホンはゆっくりと口を開く。

「ここに書かれているのは、生贄を捧げることで願いを叶えてくれる神の名です。誰が書き込んだのかはわかりませんが、神の名の横に注釈が書いてあります」

 睿琰ルイイェンは書物を覗き込み、それを読む。

「『睿犀ルイシーを鎮める唯一の手段かもしれない』、か。愚かにも当時の者達はこの邪術を試し、災いとも知らずに願いを叶えたのだな。神の名は……、僥倖ぎょうこうと災厄を司る天星神あまつほしがみ災異宿曜神さいいすくようしん

 睿琰ルイイェンも気付いたようだ。

 友人二人を見て、驚愕した。

「以前、私に話してくれた……、二人の祖父の……」

 三人は言葉を失くした。

 煙紅イェンホンの中で凍りついていた疑問に亀裂が入っていく。

 父、紅霧ホンウーが不興を買って軟禁されているのは、災異宿曜神さいいすくようしんである祖父が創り出した護国巫姫ごこくふきを愛してしまったからなのかもしれない、と。

 黙り込む煙紅イェンホン夏籥シァイャォを見つめ、睿琰ルイイェンは口を開く。

「たしか、交流は希薄だと言っていたな」

 放心したように顔色を失くした夏籥シァイャォが、小さな声で呟く。

「うん……。私達孫は会ってすらもらえない。父上に何度も頼んだことはあるけれど、無理だったから……」

 睿琰ルイイェン寒気かんきを放っている煙紅イェンホンからそっと書籍を受け取ると、続きを読み始めた。

災異宿曜神さいいすくようしんを呼び出した緋天廟ひてんびょう緋灯ひとう山にあるらしい。私の記憶が確かならば、随分昔に山は開拓され、今は農村になっているはずだ」

 睿琰ルイイェンの言葉に、煙紅イェンホンが顔を上げた。

「行ってみましょう。その、緋灯ひとう村へ」

 夏籥シァイャォも顔を上げ、煙紅イェンホン睿琰ルイイェンを見る。

「お祖父じい様が人間に与えた僥倖と災厄を調べなくちゃ」

 三人は頷き合うと、何を調べていたか誰にも知られないよう書架を綺麗に元通りにし、扉を開けた。

 何時間いたのだろうか。

 すでに陽は落ちかけ、空は橙と紫が交じり合っている。

 睿琰ルイイェンは少し離れた場所に立っていた衛兵を呼び戻し、告げる。

「もう書庫を解放していい。書生達を呼び戻し、仕事をさせてやってくれ」

「かしこまりました」

 睿琰ルイイェンを先頭に、煙紅イェンホン夏籥シァイャォはその場を後にした。

 そして、皇宮を出ると、その足で金陽きんようの城門へと向かい、外へ出ていった。

 人気ひとけのない山中まで歩き、周囲を確認すると、いつものように玄絹シュェンジュェンを被って空へと飛び立った。

 上空の風は冷たく、身も心も引き裂かれそうなほど。

 それでも、行って確かめなくてはならない。

 自分たちの過去と向き合うために。

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