綾乃と亮介 3  熟れていく妻

宿羽屋 仁 (すくわや じん)

第一章

第1話 混浴露天というハードル

 新幹線は広島出張以来だ。


 曇天と枯れ薄色の田畑が延々と続く景色。到着したら車に乗り換えるまでのリラックスしたひととき。寝落ちしそうかといったらそうでもない。

 

 

 綾乃からの事後報告は数週間経った今でも亮介を駆り立てている。自分が窺い知れないところで、妻が女として愉しんでいた。しかも、誘われたのではなく誘ったのだという――。

 嫉妬の火は一瞬で柱となり、周囲を焼き尽くさんばかりだった。亮介は綾乃を責めに攻め、鳴きに啼かせ、己の思いを叫び、愛にむせんだ。


 それからというもの、すっかり綾乃はとして扱われ、いる。今日は中に仕込まれて、なんとか小股で歩いている。ほっと一息つけるエスカレーターは綾乃にとってのオアシスだ。


「歩き方、ヘンだよ。周りからはどう思われているんだろうね」


「も〜。本人は大変なんだからね」


 困り顔だが口元を見れば何を感じているのかはわかる。うっすら赤い頬。Mっ気の強い綾乃にとっては亮介の無茶振りが増えたことだけでもT君との再会には意味があったと言える。


 最愛の夫が激しく自分を求めてくれる。


 出会ったばかりの頃でもありえないような猛々たけだけしさで貫いてくれる。


 愛という芯を覆う、怒りにも似た感情は綾乃の肌を、そして耳を通して魂を震わせてくれる。




 (これがあるから止められない)


 亮介とは違う事情で、綾乃もこの趣味の虜となっていたのだった。




 ◆



 高速道路を下りて山間部を走る。都市部に行くことが多い亮介の出張旅行とは違い、空が広く人気ひとけの少ない道を行く。その心細さと旅情。


「今回はどんなお泊りになるんだろね」


「T君の時は出来過ぎなぐらいラッキーだったもんね。あんなこと滅多に無いと思うよ」


「そうだね。何もなかったとしても、温泉宿に泊まれるだけでも楽しみだもん」


 亮介も綾乃と同じ気持ちだ。まだ新婚旅行にも行っていないこともあり、純粋にこの旅を二人で楽しめればいいと思っている。




 部屋は12畳の和室。窓からは冬支度中の森、眼下には清流。くつろぎたいところだが、まずは昼の混浴を体験することになっている。荷ほどきもそこそこに、一式を揃えて廊下へと出る。


「まず、手早く男女別のお風呂。10分ぐらいでいいよね。そこからこの廊下の一番端の露天風呂に行こう」


「うん。ちゃちゃっと入ってくるね」


 この宿には5箇所の風呂があり、そのうちの一つが露天風呂――混浴だ。川沿いのため対岸から見えなくもないためやや勇気が必要という評判。初心者の二人にとっては少し無謀なのかもしれない。そう亮介は思いながらも期待に胸を膨らませていた。



「ごめーん、待った? なんかすごく気持ち良すぎちゃって出られなくなっちゃいそうだったの」


「わかる。正直言って混浴のこと忘れそうになっ……、いや、なってはないな。行こうか」


 すっかり上機嫌の綾乃と亮介。この長い廊下の先は露天風呂しかない。すなわち、ここを歩いているということは混浴に行くことを意味する。事実、すれ違った男性は皆綾乃を見ている。Uターンして来る人もいそうな気配だ。綾乃が獲物になっているようでニヤける亮介。そもそも女性が通らない。ハードルの高さは知っているが、これは予想以上かもしれない。


 

 引き戸を開ける。既に男性2名が先客として浸かっている。綾乃が驚きの声を上げる。


「えぇ!? あたしこれ無理かも……」



 無理もない。簡素な屋根に覆われたひょうたん型の湯船以外にあるのは、川のせせらぎを臨む崖、その反対は小学校の教室の後ろにあるロッカーのような棚が並んでいるだけだからだ。つまり、脱衣所なんてものはない。


「確かにこれは厳しいかもね……。お湯の中はタオル禁止だし……」


 綾乃にとっては大自然の中でストリップショーをするようなものだ。対岸に人がいるかどうかは知らないが、少なくとも亮介以外には二人の男性がいる。バーとは違い、他の客はあくまで一般客である。綾乃も当然今は一般客モードだ。

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