第2話 キッチンでの出会い

 幸いにして男性客たちはあえて気づかないふりをして綾乃の反対側を向いてくれている。対岸にも人はいなさそうだ。とはいえ、温泉とはいえ白昼堂々と全裸を晒すのはは非常に難度が高い。諦めようとしていたその時だった。


「せっかく来たから、頑張ってみる。その代わり亮介ちゃん、バスタオル持ってそこに立っててくれないかしら」


 この度胸。お嬢育ちで線の細いイメージの綾乃だったが、決断を迫られる時の腹の据わりようは見事というほかない。元夫の一樹が企てたあの寝取られから始まったいくつものプレイ。振り返れば、綾乃が各々の局面で勇気を見せてくれる度に、亮介は惚れ直してきたのだった。



 タオルを巧みに駆使しながら無事に綾乃を入湯させたのはよかったが、なにしろ湯が熱すぎた。数秒後には岩に腰掛ける綾乃にタオルを取ってきてあげることになるのだった。


「気持ちいいんだけどね。ちょっと長くは浸かれ無いかも……」


「いいんだよ、無理しなくて。それより、よく頑張ったね。ほんと偉いよ」


 視線の隅の方で新たに男性二人が入ってくるのが見える。さっきすれ違っただろうか。綾乃の白い肌が赤らんでいる。ここにいるのは亮介を含めて5人の男。何するでもなく、だが、亮介はこの構図と比率、シチュエーションについつい興奮してしまうのだった。


 

「夜になってもう少し冷えてくるとちょうどいいのかもね。……またあとで来てみる?」


 亮介は、あえて大きめの声で言った。


「うん、そうする」


 露天風呂滞在は全部でおよそ15分。短くはあったが来た甲斐は有った。獲物を狙いに群がって欲しい亮介としては、オーディエンスは限界まで大きくあってもらいたいのだった。


 そそくさと浴衣を着け出口に向かうと若い男性グループとすれ違う。大学生ぐらいか。凝視している者もいる。


 (あぁ、外涼しい)と言いながら微笑む綾乃。汗ばんだ首筋のおくれ毛が色っぽい。




 ◆



 今回の旅の最大の特徴、それは自炊宿だ。


 このエリアでは珍しくないようだが、長期滞在で湯治をしたい人用の、言わば更にシンプルな素泊まり宿というものだ。そして、食事は文字通り自炊。つまり、自炊できるキッチンが使えるため宿代も安く済ませられるし、好きな時間に食事も摂れるというわけだ。

 

 亮介の狙いはこのキッチンだった。


 共同の台所のため、料理をしている他の客との交流が図れる。会話の糸口も見つけやすければその後の展開も期待しやすい。当然、風呂もあれば部屋もある。既に台所には数人の若い男女のグループが居て、カレーと思しき食材を並べている。


「わぁ〜、ほんとにキッチンだね。見てあのコンロ、大きくてお店のみたい」


 そもそも綾乃にはキッチンでの出会いについては特に触れていない。混浴中はいざ知らず、ここでのコミュニケーションは自然な流れを作りたいからだ。それに、二人とも下心丸出しで怪しまれることも避けたかった。

 今日は簡単に鍋料理を作るつもりだ。調理も楽だし、温泉旅館の風情にも合う。


 

 

「じゃ、20分ぐらいしたら戻ってくるからよろしくね」

 

「大丈夫ですよ。俺らで全部やっときますから」


 女性は出ていき、別グループは男性二人だけになった。そのうちの一人は、混浴の出口で綾乃を凝視していた大学生だったということが今のやり取りを見てわかった。

 亮介がひらめく。





「綾乃ごめん、ちょっと部屋に忘れものしたから取ってきてくれない?」


「うん、いいよ」


 こんなこともあろうかと、部屋には食材の一部をあえて置いてきたのだ。綾乃が退出して引き戸をぴしゃりと閉めた瞬間、亮介は別グループに声をかけた。



「すみません、この包丁ってどれを使ってもいいんですかね?」


「あ、はい、たぶん問題ないと思います」


「そうですか、ありがとうございます。あれ? さっき露天風呂ですれ違いませんでした?」


「はい! あの綺麗な奥さんと出ていくところでしたよね。しっかり覚えています」


 もう一人の学生はキョトンとしているが気にせず亮介は続ける。


「わけはあとで話すので、とりあえずごめん、メアド教えてもらえますか?」


「え? メアド……いいですよ?」


「ありがとう〜。変なことにはならないから安心してね。すぐメールします!」




 ほどなくして綾乃が帰ってくる。


「あら、なんかもうお友達ができてるの?」


「うん。キッチンについて教えてもらってた」


「はじめまして、Dです」


「綾乃ごめん、ちょっとトイレ行ってくるから、ネギと水菜切っといてもらえる?」


 亮介は綾乃の背後からDに目配せして退室した。亮介は自分の運の良さに感謝した。



 ◆


(さっきはありがとうございました。私は亮介で、妻は綾乃と言います。

 単刀直入に言います。

 綾乃にもし興味を持ってくださっているのならちょっとした遊びを

 提案させてください。

 

 夕食後あとでまた二人で混浴に行くつもりです。

 今度こそお風呂の綾乃を見て欲しいし、

 もちろん話しかけてもらっても大丈夫です。


 その後、綾乃と一緒に遊びたいと思ったら連絡ください)


 

 亮介はこんなメールを送信すると、早速返事があった。


 

(マジですか!? 実はさっきすれ違う時にすごくがっかりしていたんです。

 僕たちは大学のサークルの合宿で来ているんですが、3日目で退屈してたんです。

 奥さんと一緒に遊ぶってどんなですか? 楽しそうなのでぜひお願いします!

 さっきのやつも含めて仲間も行っていいですか?) 


 

 亮介の読み通りだった。しかし、多人数は想定外。D君はおそらく綾乃好みで間違いない。問題は他の男性だ。もちろん好みならいいが……。

 

(もちろんです。ただ、綾乃の好みもあるので

 もし他のお友達もご希望ということなら、

 お風呂の後に写真を送ってもらえますか? 

 その中から綾乃に選ばせてもらえるなら助かります。

 不躾なお願いで申し訳ないです)


 (はい、了解です!)


 そんなこんなで交渉成立。亮介は意気揚々と台所に戻り、何もなかったかのように綾乃の横で白菜をカットし、出汁の加減をチェックする。あとは部屋のカセットコンロ任せというところで後片付けを始める。


 

「なんかカレーの誘惑に負けそうなあたしがいる……」


 ちょうどDたちの料理も仕上げ段階のようだ。


「僕らの部屋で一緒に食べますか?」


「いいわね、行こうかしら」


「あはは、ちょっと待ってよ。俺一人で鍋食べきれないよ」


 綾乃が舌を出しておどける。亮介は鍋を抱えながらD君たちに会釈して部屋に向かう。

 次会うのは露天風呂。さぁどんな展開が待っているだろうか。

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