2人だけの夏祭り

音愛トオル

2人だけの夏祭り

 小学校にいる間は、6年生との距離は地球と火星くらいあった。

 中学生に入ると、3年生は隣の駅くらいの感覚になって、高校生が火星になった。そして今や、火星からさらに、隣の恒星系くらいの距離に感じる場所があって。

 入学した時には考えもしなかった「受験」が始まる年。山瀬朝陽やませあさひにとって最もつらかったのは、友人と放課後遊ぶ時間が減ること――ではなかった。


「……高校が別だからって、関係が終わるわけじゃ」


 ないっ、とお腹に力を入れて言い放ち、引き金を引く。入れた気合のたぶん、10分の1くらいが弾道にこもって、見事狙った景品からは明後日の方向に飛んでいく。

 射的の屋台で当てられたためしがないな、とこの場にいない親友の幡灯名はたひなを想う。灯名ならばきっとあっさり1回で当ててみせるのだろう。


「大丈夫かな、灯名」


 屋台の店主からを渡された朝陽は、夏祭りの喧騒に背を向けて、スマートフォンに目を落とす。灯名とのやり取りを眺めては、「ごめん遅れる!」の後に続かない言葉に不安が募る。

 来る途中で何かあったのだろうか。


「……会場の外で待ってようかな」


 朝陽は袖を払って、祭り会場の入り口へ向かった。中学生最後の夏祭り。同時にそれは、小学校からずっと一緒だった朝陽と灯名が、異なる進路を選んだた今、同じ学校に通う最後の年の夏祭りでもある。

 朝陽が本当につらいのは、もう来年の春には一緒の学校ではないということ。

 だからいつもの夏祭りでは着ない浴衣で、最後の特別な思い出にしようと、約束していたのだ。

 襟足の部分で2房の三つ編みのおさげを作って、左右の肩から垂らす髪型。いつもよりも少しだけ準備に気合を入れたその髪に手で触れながら、朝陽は人の流れに逆らって進んだ。


「はぁっ、はぁっ、ご、ごめん……っ!」

「――ひな!」


 数分ほどで、灯名は祭り会場にやって来た。しかし、そこに居たのは想像していた姿とはまるで異なる灯名だった。

 灯名は上は朝陽も何度も見たことがあるラフな部屋着、下は体操着に運動靴という恰好で、汗だくになって走っている。そのただならぬ様子に、無事だった喜びはすぐに不安に戻った。

 走るには不向きな下駄をかっこかっこと鳴らしながら出来る限り急いで、灯名に駆け寄った。


「大丈夫、ひな。どうしたの?何かあった……?」

「うっ……あーちゃん、うち……っ」


 灯名のいつものポニーテールの毛先から1本、頬に汗で張り付いた毛が見える。余程急いで来たんだろう。

 朝陽は灯名の為に買っておいたミネラルウォーターを渡して、背中をさすってやりながら、灯名が話してくれるのを待った。息を落ち着かせた後、さらにひとくち水をあおってから、灯名は朝陽を見やった。


 目じりはリンゴ飴みたいな色をしていた。


「……うち、今日夜両親居なくて。用意してた浴衣、一応教わってはいたんだけど、うまく着れなくて。連絡した時、何度かやり直してたんだ」

「うん」

「気づいたらあと30分で花火、始まっちゃうし。約束は守れないけど、花火は――最後だから、うち、あーちゃんと見たくて。でも、浴衣じゃ、間に合わないから……」


 朝陽は今にも雫を零してしまいそうな灯名の頬を優しく片手で包んで、夏とはいえ暗い夕方の闇の中でも顔がよく見えるように一歩、近寄って微笑んだ。かろん、と音を立てた下駄と、コンクリートを擦る運動靴。

 そのつま先どうしが、接点を作った。


「ひな、怪我はなかった?」

「……怒ってない?」

「怒ったりなんてしないよ。私はひなと一緒に居られて嬉しい。走って来てくれてありがとう」

「――あーちゃん」


 灯名は自らの頬に添えられた朝陽の手に指を重ね、目を細めた。夏の暑い夕方、走って来て余計にじっとりと汗ばんでいるのに、朝陽は触れてくれる。

 この距離が、灯名は好きだった。


「ねえ、ひな。私に提案があるんだけど」

「どうしたの?」

「ひなは、浴衣着たい?」

「それは……うちから言い出したことでもあるし」

「そっか。じゃあさ、2人だけの夏祭り、しようよ」

「えっ」


 朝陽は灯名の手を握り返し、夏祭り会場に背を向けて、からからと笑った。



※※※



 朝陽は教室で窓外を眺める灯名が、他の子が言うようにかっこつけているんじゃなくて、寂しそうに見えた。だから、話しかけた。

 その時の輝くような表情を、朝陽は忘れられなかったのだ。



※※※



 2人は一度灯名の家に帰り、朝陽は灯名の着付けを手伝った。無事に浴衣に着替えた灯名と共に、朝陽は近所の公園へと足を運んだ。

 遠くでは家に戻る途中から、どん、どん、と花火の音が聞こえている。灯名が何度か名残惜しそうに振り返っていたことに、朝陽は気がついていた。


「花火、気になる?」

「……うん。浴衣は着れたし、玄関で一緒に写真も撮ったけど。ねえあーちゃん、2人だけの夏祭りって、どういうことかそろそろ教えて」

「ふふん。ちょっと待っててね」


 朝陽は得意げに鼻を鳴らし、慣れない浴衣にそわそわと袖を引っ張っている灯名にある物を見せた。それは射的のとしてもらった線香花火と、祭り会場でばったり会った姉に借りて来たライター。

 どん、どどん、と既に終わってしまっている花火の音が木霊した。


「これ、一緒にやらない?浴衣着て、夜の誰もいない公園で2人で花火って、なんか特別な感じしない?」

「えっ、でも、線香花火だし……打ち上げ花火じゃなくていいの?」

「さっきも言ったけど、私はひなと居られればどこでだって楽しいんだよ」

「うっ……じ、じゃあ、うん。やる。や、やろ!線香花火!」


 2人は歯を見せて笑いあい、人の気配のない公園で線香花火を手にした。どちらからともなくしゃがみ、おっかなびっくりライターで点火し、ぱちぱちと弾ける火花にしばし無言で見入った。

 ちら、と灯名の表情を盗み見ると、線香花火の小さな灯りで照らされた顔には穏やかな色が浮かんで見えた。


「――確かに。線香花火、なんかいいね。皆打ち上げ花火を見てる時に、うちらだけ。特別って感じで」

「でしょ。あ……もうすぐ終わっちゃう」

「って、ほんとだ。早いね」

「うん。射的屋の人、2つしかくれなかったからこれで最後なんだよね」

「ええ!?ちょっと、そういう大事なことはもっと早く言ってよっ」


 ぼーっと眺めていただけの灯名は今更ながら慌てて、火花を長持ちさせようとしゃがんだまま右往左往する。その振動で落ちそうだな、と思った朝陽は、


「ちょっと待ってひな。こうしたら――ほら、どう?」

「あ……」


 2人の線香花火をくっつけてみた。

 くっついて合わさって、時間が伸びるかな、と思ってのことだったが、2つの火花はぶつかった衝撃でぽつん、と同時に落ちてしまった。だが、ほんの一瞬だけ、花火は重なっていたようだ。


「初めて見る……線香花火、くっついてる」

「ね、うちも。なんか――うぅ」


 寄れあって、混ざって、重なって。

 2本の線香花火は朝陽の思いつきによって、先端が絡まって1本になってしまった。それを見た灯名は浴衣の袖で表情を隠し、膝がくっつくほどの距離にいた朝陽からも、ちょん、ちょん、としゃがみながら移動して距離を取った。

 朝陽は線香花火の見せたその姿に趣を感じてじっと見ていたから、突然2本に戻ってしまったように見えた。実際には灯名が線香花火を持ったまま距離を取ったからだが、


「……なんで離れたの?」

「だって、なんか――きっ、キスみたいじゃん、これ」

「き――あっ」


 朝陽は絡まった花火を見て、袖で口元を押さえている灯名が想像したことが分かった。、灯名が顔を真っ赤にしているのを見て、胸が痛くなる。

 痛いほどに、灯名に鼓動が乱れる。


「――する?キス」

「えっ、ええ!?」

「私たちの、最後の思い出」

「さ、最後って……来年だって、ずっと一緒だよ。高校は違うけど、きっと」

「うん。でも、私、もっと特別が欲しくなっちゃった、のかも」


 あの頃の私は考えもしなかっただろうな、と朝陽は内心で頬を掻いた。

 家に親がいないことが多い灯名は学校でも1人で過ごしていて、それを変に大人ぶっていると思われて。だから、朝陽が話しかけてくれて本当に嬉しかった、と中学生になってから聞いた。

 まだ小学校中学年だった2人は、きっかけこそ朝陽からだったが、みるみるうちに活発的になっていった灯名が次第にリードするようになっていた。朝陽は、灯名に手を引いてもらうのが大好きだった。


――その後ろから見える、楽しそうに揺れるポニーテール。


「……ひなは、嫌?」

「う、うちは……あーちゃんとなら、嫌じゃない、かも」


 しゃがんだまま俯いた顔から、上目遣いに朝陽を見る灯名。そのちょん、とすぼめられた唇に朝陽は意識を奪われる。

 夏の夜に、近くにいるから分かる吐息と、はっきりと見えるその震えが。

 の色を、示していると分かって、朝陽は下駄をからん、と鳴らした。


 しゃがんだまま膝を突き合わせ、お互いの肩に手を置いた2人は、しばし見つめ合った後、息を零した。


「ふふっ」

「あはっ」


 なぜか妙に楽しくて、2人は高揚のままにそっと目をつむる。熱を帯びた2つの顔は、やがて1つになって火花を散らす。

 されど決して、落ちることはない。

 永遠にも感じられる柔らかい熱が、2人の心に刻まれる。


「……あーちゃん」

「ひな?」

「来年も、再来年も一緒に居よう。そして、次はもっと遠くに行こうよ。うちらでさ」

「うん、うん……!そうだね、2人なら、どこだって楽しいよきっと」


 肩を抱いていた手はいつしか繋がれ、交差した全ての指にお互いを離すまいときゅ、と力が籠められる。


――約束が、ひとつ増えた。


「――あーちゃん」

「たぶん私も同じこと言おうとしてる」


 2人は微笑みを交わし、せーので言った。



 もう一回しよう、と。

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2人だけの夏祭り 音愛トオル @ayf0114

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