第32話「愛と信頼の狭間で」

 俺を見つけるなり、春花は瞳に涙を浮かべて駆け寄ってくる。


「春花。心配かけた――うぐっ」


 勢いよく抱き着いてきやがった。タックルじゃねぇんだからやめてくれよ。こっちはケガ人なんだぞ。


「うぅ……真輝ぃ……」

「……ったく」


 薄汚れた俺のTシャツに春花は顔をうずめた。シャツ越しに、涙が滲んで伝わってくる。


「なお坊」


 俺の耳元でそれだけ言った直美は、優しい瞳で俺と春花を見てから、去っていった。

 ……心配かけたんだ。ちゃんと寄り添ってやれと、そういう意味だろう。


 けど……俺もなぜか、涙が込み上げて来ていた。

 言葉が声にならない。空を見上げ、喉を詰まらせる。ゆっくりと深呼吸して、気持ちを落ち着かせてからじゃなきゃ、何も言えなかった。


「……春花」


 死ぬかもしれないと思った。もう二度と、春花の温もりを感じられないと思った。

 強く抱きしめる。俺など比にならないほどの力を持つ細い肩を抱きながら、全身で春花を感じたいと思った。


「真輝」


 春花が俺を見上げてくる。その瞳に意識が吸い込まれ、もう我慢できなかった。

 俺は春花と唇を重ねる。その体温と春花の匂いと舌先に触れる甘さと、そこに確かにいることを必死に感じようとむさぼった。


「んっ……うぅっ……はむぅ……」


 唇を離すと春花は安心したように頬をほころばせていた。


「もう。こんな場所じゃ、さすがにエッチできないのに。ムラムラしちゃったじゃん」

「……俺もだ」


 再び抱きしめて、春花の腰から臀部までの柔らかさを確かめるように掌で感じつつ、もう一度、軽く口づけをした。

 春花は、にこりと笑ってから離れると、俺の隣に並んでから、肩に寄り添うように体重を預けてくる。二の腕あたりに春花の頭がこてんと触れ、頬の柔らかさが伝わってきた。

 それだけで、ただ安心することができる。


「私ね、後悔したんだ。真輝を送り出せる提案をしたこと」

「……ああ」

「ごめんね。真輝のこと、信じられなかった。いつも、真輝は強いって周りに言ってるのに、誰よりも信じてるって顔してるのに、なのに、信じられなかったんだ」

「……そうか」


 春花は悪くなんてない。本物の戦場で戦ったことがあるのだから……その時点で俺よりも現実を知っていたはずだ。それに俺は、実際死にかけたんだ。

 ……もちろん、それを口にすることはできない。

 これ以上、心配させるわけにはいかないから。


「春花は、別に最初から俺だけを送るつもりじゃなかっただろ?」

「……うん」


 春花の提案は非常にシンプルなものだった。

 投擲必中の春花の槍につかまり、現地まで飛ぶというもの。

 シンプルゆえに、十分成立すると春花は踏んだのだろう。


 だが、直美と山下がすぐに首を横に振った。音速を超える速度に使い手は耐えられないからだ。春花はそれを理解していなかったわけじゃない。

 だからこそ、所要時間は十分ほどと言ったのだ。


 安全マージンを確保して時速百五十キロ相当での飛行なら耐えられるだろうと春花はふみ、直美も山下もそれならと返しそうになっていたところで、俺がそれを止めたんだ。


「真輝に言われなければ、私も誰も、気づかなかったよ」

「いざとなれば、誰かが気づいてただろ」


 春花の話を聞いた時、俺の脳裏にはリスクが二つ思い浮かんだ。

 一つは加速時の荷重だ。春花の投擲はどんなに速度を落としたとしても、百五十キロまで約三秒で到達する。瞬間的な加速度の変化率を考慮していないアバウトな計算ではあるが、加速時の体へかかるGは平均値で一・四。

 これは、航空母艦のカタパルト発艦に比べればだいぶましというレベルの数値だ。槍に骨盤と胸郭あたりを固定しなければ、最悪内臓が下に引きずられて意識が飛ぶ可能性があった。


 もう一つは血流だ。仮に荷重をクリアするために、体を槍に頑丈な何かで括り付けたとしても、胸部の抑えが心臓を圧迫し、腰を支えるため固定すれば下肢を締める。そうして、最後には脳への血流を低減させるだろう。


 ゆえにこれが可能なのは俺だけだった。スネークソードを刃をつぶした状態で顕現し、体と槍を巻き付ける。俺の意思でコントロールが効くからこそ、体の負荷のコントロールも可能だという判断だ。


 もちろん、体に負荷がまるでかからないわけじゃない。医師に診断された体の負傷のほとんどは、この無理な移動によりできたものだったからだ。

 だが、俺以外であれば現場にたどり着くことすらおぼつかなかっただろうし、戦闘可能な負傷の範囲内で抑えられたのだから、この移動自体は成功したと言えるだろう。


「私ね……すごく怖かった。私の提案で、真輝が二度と帰ってこなかったらって思ったら……怖くて、すごくつらかったよ」

「……ああ」


 直美の端末により軍用回線での通信を可能にしていた無線イヤホンも、気づけば壊れてしまっていた。

 特務科用の補助回線や一般回線がパンクしていた以上、連絡をとる手段が絶たれていたのだから、相当に心配しただろう。


「真輝は、いつもこんなに苦しい想いをしてるんだね」

「え?」

「私が任務で戦場に何度か行ったとき、ずっと心配だったんじゃない?」

「春花は強いからな。心配はしているが、その強さも信じてる」

「えへへ……ありがと」

「ああ」


 嘘だ。食事も喉を通らない程、心配で仕方がなかった。

 戦闘終了後の連絡を待って、何時間も生徒手帳を握りしめ祈っていたさ。

 けど、そんなことを口にしてしまえば、春花は今後、俺のことを気遣いすぎて、戦闘時に雑念が入るかもしれない。

 それだけは避けなければならないと思った。

 春花はさんざん考えて悩んだ末に、准尉になると決意したのだから。


「春花」

「なに?」

「自分を責めるなよ。お前が提案してくれたから、川崎を助けられたんだ。今、全員が生きてんだ。それがすべてだろ」

「……うん。真輝はほんと、優しいね」

「別に。事実を言ったまでだ」

「にゅふふ……」


 俺と話していて少し落ち着いたのだろう。春花の顔色もよくなってきたし、自然な笑顔が見られた。

 ……俺もだな。張り詰めた緊張の糸が、ようやく緩んだような気がする。


「そういえば、川崎はどうしてる」

「さっきは、お兄さんの診察中で待ってたみたいだけど……」


 あっちもあっちで心配だからな。


「戻るか」

「うん」

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低能力者の俺がエッチな幼馴染彼女と同棲しながら世界を救うため最強を目指す。 𠮷田 樹 @fateibuki

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