トライアングル・ヴァニラを添えて
「あの日の告白をどうして咲が知っているのか疑問に思わなかったか?」
私は何も返事が出来なかった。呆然としている私の目の前で健人はすらすらと話し始めた。
「放送室は密室だから、僕たちの告白現場は誰にも見られていないはずだ。僕は告白されたことを誰にも話していない。つまり、キミが僕に告白したことを知っているのは僕だけだ」
健人は話し続ける。
「数か月前、キミは放送部のアカウントで間違えてある投稿をしていたよ。『うちのクラスのナマケモノは今日も昼過ぎから登校した。開園時間は午後二時』ってね」
私は一度だけ間違えて放送部のアカウントで咲の悪口を投稿してしまったことを思い出した。すぐに投稿を削除し、アカウントを切り替えて同じ内容を投稿し直したため油断していた。
「同じ文章を検索欄に打ち込んだら、あのアカウントが出てきた。SNSをなめてはいけないよ」
健人がにやりと気味悪く笑う。私はその表情にぞっとする。
「あの手紙は僕が書いた。咲の筆跡を研究して、咲の書く文字そっくりに書いたんだ。あの日僕は真子よりも早く登校して真子の机に手紙を入れた。手紙を机の中に入れた後、一度教室から出て真子が登校してくるのを待ったんだ。どうだい? 全ての辻褄が合うだろう?」
「じゃあ、あのスクショが私から送られてきたっていうのは……?」
「そんなの嘘に決まってる。もう一人の自分がいるとでも?」
健人が嘲るように私を見た。もう、私の好きな健人はどこにもいなかった。私は全てを理解した。インスタでのやり取りは、健人になりすました私と咲になりすました健人との間で行われていたのだ。ジグソーパズルがだんだんと出来上がっていくような不気味な感覚を覚える。
「投稿にいいねしてきたのは何だったの?」
「何のこと? そんなことするわけない」
健人は右手を制服のポケットに入れ、とぼけるように笑った。
「このゲーム、全てはこのためだった」
健人は立ち上がるとだんだんと私に近付いてくる。
「ゲームは過程が大切だ。最初からゴールじゃつまらないからね」
私の好きだった健人の瞳は今は闇のように見える。
「咲を傷つけるキミがいなくなればいい」
血走った目で私を凝視する健人の右手には小さなナイフが握られていた。
私は恐怖で震え上がりながら後ずさる。足元がよろめいて、咄嗟に窓際の壁にもたれかかる。健人が私にナイフを向けてどんどん近付いてくる。私は悲鳴を上げることもできなかった。
健人が私の身体に覆い被さる。私の腕を強く押さえつける。
いつも健人に近付きたいと思っていた。放課後に健人と手を繋いでデートをしたかった。健人に身体を触れられる日を待ち望んでいた。しかしこんな形で健人に触れられるのは想像もつかなければ望んでもいない。
「これで放課後の校内放送を終わります」
好きだった人の声が聞こえる。クラシック音楽が途切れると、教室の中は無音になった。
ナイフの先端にピントが合う。その先端がだんだんと私に向かうのが分かる。健人がナイフを振り上げると、私は咄嗟に目を閉じた。
「何してるの!」
その声を聞いた直後に甲高い悲鳴が教室に響いた。
目を開けると目の前に右手から血を流している咲がいた。健人の握る鋭利なナイフには血が付着している。
「俺は、俺は咲のことが好きだったんだ!」
教室の前を通りかかった先生が、健人の握るナイフに気付いて慌ててナイフを取り上げた。そして健人を取り押さえる。
「咲を守るためにお前を殺そうと思った!」
先生に取り押さえられながら健人が叫んだ。騒ぎに気付いた教師たちが次々と教室に入ってくる。
咲は止血してもらいながら泣いていた。教師たちが来てから私は何故か冷静だった。今目の前で起こっている出来事がフィクションのように思えた。
「どうして私を助けてくれたの?」
私は咲にそう尋ねると、咲は私をとろんとした目で見つめて小さく呟いた。
「私、真子ちゃんに救われたから。あのとき真子ちゃんの言葉に救われた」
咲は悪くないよ。自分がかけた偽りの励ましの言葉を思い出す。
「私、健人君にストーカーされているの」
私は言葉を失った。
「バッグの中を漁られて、授業のノートやいつも服用している薬を盗まれたこともあった」
咲の筆跡を研究して、咲の書く文字そっくりに書いたんだ。
健人の言葉が頭の中でこだまする。
好きな子がいるんだ。好きな子がいるんだ。好きな子がいるんだ──。
──俺は咲のことが好きだったんだ。
過去というのは、べとついた溶けかけのキャラメルのようだ。私にしつこく絡まって離れてくれない。あの言葉が頭の中にへばりつく。思い返すほど言葉が脳に蓄積され、粘り気が増していく。
「何かポケットに入っているぞ!」
先生が健人のポケットから取り出したのは手のひらサイズの香水瓶だった。先生が香水瓶を近くの机の上に置くと健人が暴れた。健人の脚を押さえつけていた先生たちの手がほどけていく。健人が机の脚を蹴る度に机が揺れる。机が大きく傾き、倒れると同時に香水瓶が小さく宙を舞った。
それは一瞬だった。ガラスの割れる音が響き渡るのと同時に、バニラの強い香りが教室に広がった。
咲が血の気をなくした顔でぽつりと呟いた。
「あれ、私が暫く前に盗まれた香水……」
叫びながら暴れる健人。
泣き続ける咲。
目の前で繰り広げられる光景を冷静に眺める私。
歪なトライアングルは今、甘いバニラの香水のトップノートに包まれている。
窓の外から救急車とパトカーのサイレンが聞こえてくる。
様々な音が交差する中、私はただ立ち尽くしてバニラの甘さだけを感じた。
◇
どうしても朝起きられなかった。
身体が動かなくて、お昼頃になるとやっと身体を起こせるようになるのが毎日のことだった。
今日も私はぼんやりとした意識でツイッターを開く。たまたまおすすめに流れてきた投稿に目を丸くする。
「あいつにぴったりの動物はナマケモノ」
まるで社会が私に向けている視線のようだと思った。私は思わずその投稿にいいねをした。趣味の情報収集に使うための非公開アカウントだからそのアカウントに通知はいかない。
私にぴったりの動物はナマケモノ。
ほんと、私ってダメだなあ。
でも、きっと私は悪くない。悪いのはこの病気だ。真子ちゃんの言葉は様々な場面で私を支えてくれる。
私は再び眠気に襲われてツイッターを閉じた。
咲は悪くないよ。
今日も真子ちゃんの言葉を心の中で呟くと、私は眠りに落ちた。
トライアングル・ヴァニラ 雨虹みかん @iris_orange
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