3月3日 13:42 日記
夢を見た。
夢の中の私は暴れてた。
がしゃーんって大きな音を立てながら必死にテレビとか物を壊してひたすら叫んでいた。
破壊しながら私はこう思っていた。
「これを小説にしよう」
気が付いたら私は毛布に包まれていて、気分は少しすっきりしていた。
夢から覚めた今、思う。
「これを小説にしよう」なんて考えは浅はかだ。
破壊から創造してはいけない。
終わりから始めていいもの、何かを始めていい終わり、反対にそうではないもの、さっきの夢は後者だと思う。
こうやって今、書いている文章も破壊からの創造になってしまう。
けして美談にしてはいけない、美化してはいけない。
しかし、創作を続ける限り、それは避けられないものなのかもしれない。
創作は、創作者は、そういうものなのかもしれない。
けれども私は良い人間でいることを諦められない。
創作をやめようと思った。
だけどやめないでと言ってくれた。
私の小説によって誰にも傷ついて欲しくない。
「私はダメな人間だ」と繰り返す私に母は言った。
「言い続けていると本当にダメな人間になるよ」
わたしはかわいい、わたしはかわいい。
鏡に映る私の目は腫れていて、目の周りに赤いアザのようなものができていて、顔が浮腫んでて、今までにないくらい不細工だった。
私の可愛さは消えたんだ、と思った。
この文章を世に出すことは、罪を犯すことになりますか?
甘い記憶だけ美化されて
離さないと糸で縛ってくる
気泡を潰すほど
すりガラスのように先が見えなくなる
美化されるのは甘い記憶だけがいい。
これを書いた頃は、甘い記憶が美化されることが辛かった。
だけど今は思う。
甘い記憶が美化されてもっと甘くなるなんて、素敵すぎることだ。
私は甘さだけを感じていたい。
世界の甘さだけを感じていたい。
悪とか、要らない。
私は夢の中で大量に物を壊して何を得たかったのか。
破壊から何を創造したかったのか。
私は比喩を褒められることが多い。
だけど今は比喩が怖い。
意図していない解釈をされるのが怖い。
創作が怖い。
寝る前に中学生の頃に書いたプロットを見た。
その頃の私はまだカクヨムなんて知らなかったし、スマホも持っていなかったから、ひとりで創作していた。
承認欲求なんてものとは疎遠だった。
誰にも見てもらえなくても小説を書いていた。書こうとしていた。
私はノートを見て思い出してしまった。
私はひとりでも創作をするような人間だったって。
だからきっと、私はこれからも創作から離れられない。
寝ていたから、汗を書いていた。
私は夏を漢字一言で表すなら「汗」と表現する。
夏は汗の雫さえも輝いて見えるくらい、全てがきらきらしていて儚くて、だけど辛くて苦しくて、そういう季節だと思う。
夏の終わりを世界の終わりと例えるくらい、夏は一瞬で私の中で大切で。
3月になった。
今を春とするならば、夏はすぐそこにある。
さてそろそろ終わりにしようか。
自暴自棄になるのはもうやめよう。
甘え方を間違えて学んでしまったまま大人になった私は、今日はどこへ行こうか。
今はまだ外が明るいからどこへだって行ける。
自分を大切にする旅に出たい。
自分を傷つける旅はもうしない。
人に構ってもらう方法は、危険なことをしてSOSを出すだけじゃない。
美味しいものを食べておいしいねって共有したい。
あたたかい温泉に入って同じ温度になりたい。
同じ景色を眺めたい。
私はずっと間違えて生きてきた。
ずっと誰かに助けてもらいたかった。
何もない私は心配されるようなことをしないとSOSを出してはいけないと思っていた。
甘れられなかった。
ずっと寂しかった。
寂しくて寂しくて仕方がない人生を送ってきた。
今からでも、その人生をやり直せるだろうか。
第1弾として、今から親を誘ってお出かけしようかなと思っています。
友達とも、遊ぶ予定を立てます。
大切な人たちを、大切にします。
大丈夫って信じたい。
だって、春はまだ始まったばかりだから。
雨虹みかん