夜間決行

真花

夜間決行

 君がついに決行すると言うので、僕は晩御飯に君の好物の麻婆豆腐を作った。今日はチートデイではないことは分かっていたが、祝意の方が勝ると判断した。実際、君は嫌がらない。

「出来たよ」

 君はジャージ姿で、だがキビキビと食卓に就く。

「ありがとう。嬉しいよ」

「君の苦労を知っているからね。お祝いだ」

 君は首を振る。

「苦労なんてしていない。ただ、準備に時間を要しただけだ」

 僕は麻婆豆腐を取り分ける。部屋中が麻婆の匂いに染まっている。窓の外はもう暗くて、だが寒くはないだろう。最後の蝉が終わってからそんなに日にちは経っていない。いや、君こそが最後の蝉なのかも知れない。

「そっか」

「五年前、俺は今夜のことをしたい自分を自覚した。金を貯めながら体を鍛え始めた。週三回、休まずに筋肉をいじめて、この体になった」

 君は二の腕を強調する。

「変わったよね、本当。僕は貧弱なままだ」

「三年前、包茎の手術をした。肝心な場所だから、恥ずかしくない形にしたかった」

「そこは見たことはないけど」

 君は、ははっ、とマッチョに笑う。

「そりゃそうだ。そして、着て行くものを買い揃えた。アルマーニだ。コート、靴下、靴、全部アルマーニだ」

 そう、着るものはそれで全部だ。僕が頷く、君が続ける。

「同時に入念な下見を繰り返した。夜でも明るく、人が程よく来る道を幾つも見つけた」

「今日どれにするかは?」

「もちろん決めている。散々悩んだんだ。でも、一番はひとつしかない」

 君は人差し指を立てる。天まで届きそうだった。

「応援してるよ」

「ありがとう、さあ、食べよう」

 僕達は麻婆豆腐とごはんを空にする。君が皿を手早く洗い、換気をする。僕にはそれが、出陣の出で立ちに匂いが移らないためだと分かっている。僕は何も言わずにソファに座って君を眺める。もしかしたらしばらく、下手をすればずっと、君とは会えなくなるかも知れない。それが君の五年間の出口に伴うものなら、受け入れよう。入って来た風が、僕の胸を通過して僕の中を揺らす、何かが鳴りそうで鳴らない。

 部屋の中が清浄になった。

「これより、用意を始める」

 君は洗面所に行き、髭を剃り直し、髪型をセットする。

 ジャージを脱ぎ、パンツを脱ぎ、裸で正座をして脱いだものをきれいに、まるで売り場に陳列されているもののように畳む。

 服に一礼してから君はクローゼットに向かい、おろしたての靴を出す。玄関にピシッと置く。

 次にクローゼットから靴下を出し、穿く。

 ロングコートを出し、素肌の上に羽織り、姿見の前に立つ。

「よし」

 君はコートの前を閉めて再び自分を見て、よし、と繰り返す。

 クローゼットに戻り、サングラスを出し、装着して鏡の前に行き、三度みたび、よし、と発声する。

 靴を履き、僕に振り返る。

「それじゃ、行ってくる」

「ああ」

 君はドアを開ける。

 夜に溶けようとする君の背中が、広い背中が急に誇らしくなって、僕はソファから立ち上がり玄関に駆け寄る。

「きっと……、成功させろよ」

「もちろんだ」

 君は今一度振り返り、頬に自信の滲む笑みを携えて、親指を立てる。そして、外への一歩を踏み出した。僕はその場に立ち竦んでただ君が居なくなるのを見ていた。ドアがガチャリと閉まった。まるで、二人を永遠に隔てるみたいだった。


(了)

 

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