幕間:喫茶店 〇(ホール)

 


 気が付いた時、俺はカウンターの上で突っ伏していた。自分の腕を交差した上に頭を乗っけて眠っていた。文字通り腕枕だ。

 辺りを見回すと、馴染みの喫茶店だとすぐに判った。


 『ホール』。

 その店は一つ所に留まらない。あらゆる場所に存在し間口を構えるという奇異な特徴を持っている。


 「当店はお客様の必要に応じて最適なサービスを提供致します」。とは、店主の雲ノ射くものいさんの決まり文句だ。

 雲ノ射さんは物腰や声音に奥ゆかしさを感じる美人で、髪色と同じ黒のエプロンドレスを着用している。傷心な俺にとっては、正に心のオアシスここにあり、なのだ。


 クラスメイトとの肝試しは散々だった。その後「お漏らし」だと馬鹿にされ、俺の大学での心象は一気に最下位に転落。

 オマケに撮られた動画は田口らに握られている。


「おかえりなさいませ、一二三ひふみ様」


 コトリと珈琲を手元に置かれ、俺は慌てて姿勢を正した。

 眉間に寄った皺を指で伸ばし、ニコヤカに応対する。


「すみません。なんか俺、また寝こけてたみたいで」

「ええ。お仕事、お疲れ様です」

「えっ、仕事? 何の話っすか?」


「まだ正気に戻っていないとは呆れかえる」


 見ると可愛らしい女児が仁王立ちで俺を睨みつけていた。ツインテールとどんぐりみたいなクリクリの瞳。紺色のワンピースは一見地味だが、一目で異国を感じさせる風貌と妙にマッチしていた。

 中でも特徴的なのは、滑らかな銀髪と隻眼をしている事だろう。


――こんな小さな子でもカラコンする時代か。世も末だな……いや、まてよ?

 何か覚えがある様な……そうだ。こいつは、まさか!


「ぅわあああああぁぁっ!」


 俺は座っていた椅子から思いっきりスっ転んだ。


バッシャアア


「ぅあっちぃーーー!」

「これはすぐに冷やさないといけません」


 淹れ立ての珈琲がおもくそ股間に掛かったわクソが!

 

 すると雲ノ射さんが布巾でフキフキ。そのまま俺のジーパンを下ろそうとボタンを外してチャックに手を掛ける。


「えっ! いや! そのっ、ここここでそんな心の準備がっ」

「慌てふためき騒々しい男だ」


 かがんだ女児も参戦してくる。勘弁してくれ。


はじめ。お前、女を知らんだろう」


…………。


「おおお大きなお世話なんですけど!?」

「なに、恥じる事ではない。イイ匂いがするぞ、まっさらな身体はな。だからお前は適任なのだ。そして一二三ひふみ はじめという名が逢魔が時を行き来するのに役立つというのは話したな」


 そうだ。思い出した。

 俺はあのトンネルでこいつと、銀髪隻眼の怪異、ナルと出会ったんだ。


「ああ。……ぅきゃーーー! つめった! つめったいです雲ノ射さんっ」

「よけいに濡れてしまいました。これは一刻も早く脱がなければいけません」


 お冷ぶっかけたの貴方ですよね!?


「気にする輩もおるまいて」


 いや、いるだろ他に客。

 店内は俺が座っていたカウンターと、背後には二人席のテーブルが三つ並んでいる。広くはなく、狭くもない。それがホールの空間だ。

 そこには今、女性客が一人いるだけだった。

 しかしナルの言う通り、これだけ騒いでいるにも関わらずこちらに視線すら向けてこない。

 

「よく視ろ」

「ふぁっ?」

「まだ我の与えた『猫の眼』は馴染んでいないか? ふっ、アレも怪異よ。ホールは我の取引場所であるからな」


 太ももの火傷の痛みが何故か薄らいでいく。しかし傷が治ったわけじゃない。それ以上の熱さが次第に俺の顔面、右側部分に疼きを生み始めたからだ。

 いつの間にか、赤く視界が滲んでいる。

 

「俺の右眼、一体どうしちまったんだよ……」


 女性客が、やっとこちらを向いた。

 血が落ちた眼に映る女の姿は、太陽が雲に隠れるように塗り替えられる。


 頭がカラスの、胴体が人間のモノが、俺を見つめている。


「ぅわあっ! なんっ、なんなんだよあれ!」

八咫やたからすよ。我の上客でホールの常連だ」


 全部思い出した。


 俺は肝試しの恥ずかしい記憶と記録の消去を餌に、ナルに取引を持ち掛けられたんだ。

 童貞で、つ特異な『名持ち』の俺は、次元の隙間に自由に入り込むことが出来るらしい。

 そこに存在する数多の思念。中でも人間の発する恐怖をナルは蒐集しゅうしゅうし、怪異相手の商売をしている。その手伝いをしろと、さっきまで半ば強引に現場に連れて行かれていたんだ。


「逢魔が時に迷い込む人間相手だけでは足りぬのよ。より広く、簡単に恐怖を生み出させ、得られる方法を我は探していた。そこへお前がのこのこ現れた」

「うぐっ」

はじめがちびった所を『すまーとほん』なるもので記録している所に着想を得た。そして我はついに答えに辿り着いたのだ」


 なんだかすんごく嫌な予感がプンプンするぜ。てか、ちびったとか口に出すなよ!


「さっき経験した通りだ。逢魔が時に遭う人間の元に行き、お前はその現象を視る。はじめの猫の眼が映した光景は我の手で『おんらいんほうそう』でシェアされるというわけだ」


 「上手くいった!」とナルは胸を張り嬉しそうだ。

 俺としては聞き捨てならない事てんこ盛りで、さっきから何度も耳を疑い中なんだが? 

 てか、それってつまり、ネット上をナルは怪異チートでハックしやがったって事なのか。さっきの傘の怪異の現象がオンライン上で流されていたって事だ。


「それを見たのは人間だけではなく、我の客もだぞ」

「へっ?」


 「どういう原理かは、鳥頭のお前には到底理解出来んだろうな」。ナルは笑っている。

 これだけ不思議続きなのもあって、今の時代、怪異だってSNS界隈にハマってしまう事があるかもしれん。と、俺は妙に納得してしまう。

 

「今回の試みによる人間の恐怖の膨大さには驚かされた。その様子は我ら死聴者にも好評を博したのだ。ふっ、これで我の商品への購買力も高まるというもの」

「?」


 するとナルは平たい銀のケースを開けた。


「我らにとって恐怖は、人間に認識されるということは存在の維持に繋がる。震え上がり恐れ戦く人間の様子を感じるだけでもキモチイイものなのだよ。そしてより効果的に欲を満たせる物、それが我が『恐怖』から精製するサプリ!」

「なんだ只のカプセルじゃん」


 今のナルの姿はあっちで出会った女王様みたいじゃないし、小さな女の子が言っても説得力も何もあったもんじゃない。

 俺は悪戯心でポイっとそれを口に放り込んだ。


 途端、全身が粟立つ。頭の天辺からつま先まで、肉の内側を無数の虫が這いずっている様な感覚が俺を襲った。


「……ぅウゥオオエエエエエエエエエッッ!」

「それはお前達人間にはキツかろうなぁ。オイ! 吐き出した分の対価は払ってもらうぞ。その一粒は人間界価格で十万だ」

「ふぁっ! 払えるかぁっ!」

「なら働くんだな。プラスでお前の恥ずかしい動画分も含めてな」

「くっそおおお!……うう、助けて、雲ノ射さん、ん? んんんんんん-ーー!?」


 半脱ぎにされていた下半身。せっせと手当てをしていたのは雲ノ射さんだ。

 でも、なん、だ? ……コレは?


 雲ノ射さんの顔には小さな眼が幾つもあった。続いて俺は、口元辺りで蠢いていた肢がちょこちょこと上下するのを目の当たりにする。


「雲ノ射は土蜘蛛だぞ。ホールはこやつの巣だ」


 ナルの一言がトドメだ。飛び上がった俺は、そのままカウンターの板裏に脳天をぶつけて卒倒した。




 意識を失うのが怖い。

 また逢魔が時に遭うのかもしれない。

 その俺の『恐怖』さえも、きっとナルは喜んで奪取するんだろう。


 でもなんか、幾ら俺でもやられっぱなしは癪に障るんだよ。

 これが運命って言うんなら、俺なりにさ、目一杯足掻あがいてやるって思うんだ。


 こ、怖くなんか……あるけどなっ!




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その蒐集家は怪異サプリの錬金術師~あなたの『恐怖』頂きます。 まきむら 唯人 @From_Horowza

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