聖女と花火と、ゲドロビアン

 去年までは術対象を選べたのに!


 時を知らせる鐘の音の余韻の中、シェリはあまりに動揺した。半鐘経っても微動だにしない彼女に、試験官たちは怪訝な顔を向けた。

「どうしたオルランくん、なにか問題でも」

「いえその……なんでもありません」

 シェリは落ち着かなければと、深呼吸をする。とはいえ完璧に『自分自身』という課題を失念していた自分を穴に埋めたくて仕方ない。

 わたしの大バカ者! どうすればいいの、どうしよう! そうだあのとき……!


 ――彼女は一度だけ、ミオがミオ自身に術をかけたところを見せてもらったことがある。

「人間を変幻するときの注意点は?」

「えぇと、倫理的にまずい局部とかを露出しないようにします!」

「ま、まぁ初心者の心得としてはそうだ。『自分自身』に服は含まれない、まずは自分の表層魔粒子を意識するところからになる。君がどうなっても解術に努めるが……そうだなシーツでも準備しておこう」

 そう言ってミオは真顔で彼の仮眠室からシーツを、そして念には念を入れて衝立を間に置いたのだ。

「これでいいだろう。さぁ、どうとでもなりなさい」「うぅ、や、やりますよ!」

 そしてシェリはあまりの緊張で、案の定加減を間違えてしまい自分の服をスライムに変え、うろたえたミオからシーツをかぶせられた。


 うん、あのときのミオ師赤かったなぁ。

 焦って思い出した場面はどうというヒントもなく、急に可笑しさが込みあげた。「ふはっ」吹きだした。

 そのあと彼女はスライムに体を溶かされると大騒ぎしシーツにくるまれたまま解術されたのだ。

 ひどい有様だったことが懐かしく、彼女はつい緊張感を忘れた。

 でも同じことになったらどうしよう。男の人もいるし。

「オルランくん、なにか?」

 初老の試験官が声をかけた。二鐘目の知らせが鳴った。一向に術を発動させない彼女に、ほかのふたりはコソコソと話し合っている。


 シェリは慌てて顔を引きしめた。さすがに眉を下げる、素直に言うしかなかった。

「いえ、その……わたし、自分に術をかけたことがないんです」

 「それは」と試験官たちが顔を見合わせ、それぞれに眉根を寄せた。

「ですから、ちょっと予想がつかないので……なにかおかしなものになったら、どうか解術をお願いします」

 服どころか千々に爆散する可能性も否めない。シェリは深く頭を下げた。

 試験官たちは一斉に不安な表情に変わった。手元には前年度までの資料があり、まさにおかしなものになる可能性に気づいたからだ。「一応聖女宮に知らせを」と、ひとりが立ち上がったときだった。


「その必要はないわ、ピン師」

「グラーダさま? な、なぜこちらに」

「ちょっと気まぐれで視察に来てみたんだけど……まーでも期待はできなさそうねぇ。……あなた、もう二鐘で失格じゃない。少しくらい頑張ったら?」

 突然現れたグラーダは、ピン師と呼んだ初老の試験官をいなしシェリに厳しい視線を向けた。少し遅れて三鐘の音。

「グラーダ師……どうして……」

「尊敬する聖女の登場にぼんやりするのは勝手だけど、早くなさい。あぁそうだ、恥ずかしいでしょうから失敗しても誰かさんには黙っててあげるわよ」

 グラーダは尊大に顎を上げ、彼女を見下した。


 ……やってやろうじゃないの。

 ショックと驚きで凝固し、思い出で溶けだした気持ちがいま、燃えた。もちろん怒りでだ。

 いくらミオ師の恋人だって、そこまで言われちゃアッタマ来た!

 シェリは努めてもう一度深呼吸した。ついに四鐘の音。

 吸う息、吐く息――そして全身をめぐる魔力に腹の底にたまる魔力に「変えろ!」と命じた。ぶわっと体内で音を立てて勢いよく血がめぐる、命じた通りに全細胞へと浸透する。怒りは魔力を急速に動かし、彼女の魔粒子を一瞬で分解させた。橙色の粒子が見る間に形を成していく。


 あぁ、こんな感じなんだ……!

 ほんの一瞬、粒子になったシェリの意識は、まるで時を永遠に引きのばされたように存在していた。目も耳もない、知覚組織がすべてバラバラになっているのにも関わらず、世界中に目や耳があるような気分。

 生きとし生けるものの大小さまざまな魔力や、そのすべてが還るであろう循環をごく間近に感じ、シェリは刹那、その流れに引きこまれそうになる。すべてが粒子で形づくられ、美しく輝く光の次元に飲みこまれそうに。

 実体があれば彼女は歯を食いしばって抵抗しただろう、それほど強い奔流。

 ダメなの、いまは! わたし、絶対に成功させるんだから! それで、それで――――!

 強く、あの女性に負けないような強さがほしいと願いが掠めた。


 五つ目の鐘が鳴ったと同時、試験官たちは「おぉ」「なんと」「こんな変幻は……」と声をもらした。

 低い振動の響きには目を細めた。艶やかな金髪を揺らし悩まし気にふうとため息をついた。

「なん、とか間に合った? あれ?…………って、えぇー! わたし、グラーダ師になっちゃってるー!」

 しかしその中身はしっかりシェリである。

「ちょっと、その格好でそのテンションだけは勘弁して頂戴」

 本物のグラーダが天を仰いだ。口元が愉快そうに歪んでしまうのを手で隠しながら。


 シェリはひとりで回転して姿を確認したり、肌を撫でたりと忙しい。

「グラーダさま! これは一体」

「あの子、ミオの弟子なの。きっといま彼が研究してる『変異術』をやっちゃったのねぇ。まぁ解術はできそうだから、時間まで眺めてましょう」

 声を抑えたグラーダの嘘に、ピン師は「はぁ」と脱力したように返事をした。十も老けたような眼差しはもうひとりの聖女を見つめる。


 なるほど、ミオ師が言ってたことがなんとなくわかった。確かに『わたし』が内側にある。体の一番奥に。

 そこにちょっと別の意識が分厚く体を覆って、なんとなくコントロールがあやふやになってる。そっか、シュバちゃんもこんな風に生きてたのかな。

 身じろぎする所作さえ別人になった感覚に、彼女は「おもしろ過ぎる」と呟いた。

 離れた場所から視線を寄越す本物のグラーダを見つめ返す。

 わたしのイメージが具現化してるだけで、本当にグラーダさんなわけじゃない。魔力量はわたしのままだけど、でもすごく強くなった気分!

「うへ、うへへへ……よぉし。いっちょ、やったろうじゃないのぉ!」

 ローブの中を探ると、ポケットの中には元の通りの道具が揃っていた。シェリは「へへへぇ、わたしって天才かも」と、手に火薬を握りこんだ。


 シェリはバッと両手を掲げた。

 手に隠した特製火薬を発熱作用のある薬剤と反応させ、間髪入れず風魔術で空へ放った。空中で着火した火薬は――どデカい花火となった。七色の派手な大輪の花が訓練場を覆うごとくに花弁を垂らし、訓練場中からどよめきが上がった。

「やったぁ、配合完璧!」


 「なにをしてるんだ、あの子は!」「火薬の使用は禁止では」「いえ試験規則には載っては」試験官たちの戸惑いは、しかし遅れて届いた爆音にかき消された。

「次はぁ、これだぁ!」

 去年は大穴を開けた石畳をいくつか剥ぎとりシュバラウスに変えた。もうやけくそだった、どうせすでに変幻術の範疇からは外れてるのだから、やりたいようにやることにしたのだ。


 そうだよ、チャムも得意なことで勝負って言ってた気がする!

 突然石畳から出現し続ける伝書獣の群れに、ピン以外の試験官たちは慌ててグラーダの後ろに身を隠した。そのグラーダは口元を隠したままシェリの様子を観察し続ける。

「さぁシュバちゃんたち、踊って!」

 見た目だけは当代一聖女の号令に、シュバラウスたちは地面や空を自由に駆けまわり始める。と思うと、今度は白い猛禽が何頭も大きな翼を羽ばたかせ、獣の合間を飛びまわった。小花火が上がる、まるでお祭り騒ぎだ。

 黒と白の動物たちの乱舞にピン師の意識はもう限界だ、腰は抜けた。しかし彼の悲劇などシェリの眼中にない。


「まっだまだぁ!」

 しなやかな白い腕が八の字を描くようにゆったり魔力を放出させると、シュバラウスと猛禽たちは手の動きに合わせ一斉に粒子に戻り、一か所に集まる。

 えぇい、さすがに多すぎたかな!

 額から汗が垂れた。ごっそり魔力が持っていかれる感覚に震えが走る。

 だがいまシェリは、変異術の原理がなんとなくわかり始めていた。

「完全に力業だよこれ……!」

 量と勢いで染め上げているのだ。内側にそのものを残したまま、遠慮なんてなく。

「ごめんね、ちゃんと戻すから。いまだけ許して」

 彼女はすべての魔粒子たちに心から謝罪し、ぐうとさらに力をこめた。「スライムちゃん、デェッカくなぁれ!」

 ずももももも――!

 てっぺんに髪の生えたピンクの巨大スライムが彼らをたぷんと見下ろした。ちょろんと生えた巻き毛が跳ねた。


 「キャアァァ!」「げ、ゲドロビアンだぁっ!」ついに試験官たちが逃げた。ピンはすでに気を失っている。

「え、ゲドロビアン?」

 ピンクのドロドロがひだひだと手を伸ばすごとく、薄く大きくなっていく。まるで津波のように彼女たちに押し寄せようとしたそのとき、十の鐘が鳴った。


「やめ!」

 ひとり残ったグラーダが発した声で、スライムは単なる魔粒子となって霧散した。筆頭聖女の得意とする無詠唱解術にすべてが幻のように元通りにしたのだ。

「あ? れれ……足が、」

「バカねぇ。あれだけ派手にやったら魔力が足りなくなるに決まってるわよ」

「ぁ、」

 グラーダが手をかざした途端、シェリは魔粒子に還り再び形を戻した。どさりと地面に体を投げ出した。

「あらぁ? ちょぉっとだけ残っちゃったわね。ミオのときもそうだったし……。はー、あたしも腕が落ちたのかしら」

 明るい茶髪のひと束が、白に近い金髪に染まったままになっていた。

「グラ、……ダ師……試け、は」

 シェリは浅くなった呼吸で合否を尋ねた。

「黙ってなさい。いま回復してあげるから。本当は許可がいるんだけど、まぁバレなきゃいいでしょ」

 ってか、これだけやらかして合格なわけないじゃない。まったく師が師なら弟子も弟子ね。

 ぶつぶつ言うグラーダの声を聞きながらシェリは目を閉じた。

 気を失った。

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2024年12月26日 19:00
2024年12月27日 19:00

師《オジ》をモフにしてしまいました。 micco @micco-s

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