友人チャムの憂鬱
欠伸を噛み殺しながら登宮したチャムを待っていたのは、青い瞳の黒い猛禽だった。
彼が、不自然に静まり返った結界課で「これ、いつから?」と誰にともなく問いかけると、「二日前」「さっさとそれ飛ばせよ」「殺気でおかしくなる」とみなは口々にわめいた。
「えーもう用は済んだはずなんですけど」
と言っても、課内に納得する者はおらず。
猛禽に遣いをさせると激高したミオが来るかもそれないと、チャムは半ば強制的に半休を取るとこになり、数鐘あとにはミオの家に到着した。
「おはようございまーす……」
猛禽を連れたチャムは玄関ドアを開け、控えめに挨拶をした。しかし家の中は静まり返っている。
「ミオ師いらっしゃいますかー」
チャムは入ったが最後、切り刻まれるのではとよく目を凝らして警戒した。しかしすぐ「あれ……スカスカになってる」と面食らった。ついこの前までは、高度で強固かつ故意に隠蔽された結界術が玄関どころか地下にまで張りめぐらされていたのに、と。
――シェリがいたころ、いつ来ても鍵が開きっぱなしだったこの家はえげつない質と量の結界によって防犯が保たれていた。
チャムがそれに気づいたのは、彼女が初めてこの家で実験爆発を起こしたあとだ。
彼は元あった術に物理攻撃用の効果を追加したからと考えているが、彼女の実験室に入った瞬間、魔力のかすかな波状を感じた。若手とはいえ彼は結界の専門職。一度違和感を持てばその全貌を把握することは容易かった。
思わず「過保護だよなぁ」とこぼしてしまうほどの念の入れよう。当時「ミオ師が無口すぎてやりづらい」と愚痴る友人のことはテキトーにあしらうようになったのは当然だろう。全力で守られているのだ、それ以上の優しさはないとチャムは思っていた。
「う、わぁ……なんか、むしろヤバいのでは」
相手は権威も実力もある王宮魔術師。チャムは話せば誤解なら解けるだろうと淡く期待していたが――。状況からはシェリはもう戻ってこない、もしくは受け入れないという頑なな意思が感じられ、いますぐに帰ることにした。
だが三歩だけ入りこんだ体をくるりと外へ向けたとき、チャムの思惑は打ち砕かれた。
ミオが出口を塞ぐように立っていた。
咄嗟チャムは舌打ちしかけた。新しい認知結界がどこかに仕込まれていたのだろうと油断した自分を悔やむ。
一方ミオは感情の読めない瞳で彼に視線をそそいだ。手入れのされていない顎に、絡まって重そうな髪が彼からの圧を増長させている。
「なんの用だ、サージャ」
わぁこわい。
地獄の底から出したような声に、チャムは頬が引きつりかけた。ことさら丁寧に礼をとる。頭を下げたまま言った。
「行き違いがあったようなので伝書獣をお届けにうかがいました」
「なら用は済んだだろう」
ミオは雑に手を振り、外を迂回して飛んでいた猛禽を消し去った。
「帰りなさい」
言われなくとも!
道を譲ったミオの横を通り抜けようとし――――やはり、あと一歩のところでそこに踏みとどまった。
「ミオ師。僕の友人が、あなたになにか誤解されたのではないかと嘆いていました」
「……そうか」
「お忙しいならタヘルで構いませんから、一度遣いをだしてあげてください」
タヘルとは存在する伝書獣で最も遅い種類。シェリの実家までなら五日はかかる。不在とわかっている場合のほかは決して遣わない伝書獣だ。
あからさまな悪い冗談にミオの眉根は深く寄った。
「君は俺をおちょくっているのか」
「そんなつもりは毛頭。でも僕って友だち少ないので、シェリのことは大事にしたいんですよ。ミオ師がすでに彼女を手放すおつもりなのはわかってますけど、泣かせたくはないので。もう一度だけ彼女にチャンスをあげてくれないかなーって」
にっこりと首を傾げた彼の金髪がきらりと光った。完全におちょくっていた。
苛立ちが沸いたのだ。あの能天気なシェリが流した涙の理由を、この男がまったくわかっていないことに。
僕って意外と友だち想いだったんだな。まぁこれで破局は間違いないかもだけど。
チャムは無垢にみえる笑みを深めた。
一方、ミオは不快な感情を隠しもせず目をすがめた。
「残念だが俺はもう彼女とはなんの関係もない。……だが随分と仲がいいようだ。代わりに君が遣いになってくれたまえ」
ミオは「少し待ってなさい」と言うと、リビングを横切り仮眠室へと向かった。そして用意していた封書を手に戻ってきた。封書は分厚く大きかった。
「彼女の今月の依頼代だ、少し色をつけてある。貯めこんだ素材の預け場所も書いてある」
「えー? ご自分でなさってください。人様のお金なんて触りたくもないです」
「親しい友人と言ったのは君だろう」
根負けしたのはチャムだった。魔術師の世界では兄師が優先と、暗黙の了解がある。王宮勤め同士ならばなおさらだ。
「ハァわかりました、請け負います」
だがチャムは、封書を受け取った瞬間にタヘルを呼んだ。「おいサージャ」ミオの制止は間に合わなかった。
彼の瞳がぎらと輝く――恐るべき速さで彼は、専門職として考えられ得るすべての結界術を封書に、タヘルごとかけた。本気だった。
そうして最後、受取人の魔力署名を重ねがけし「ふう」と伝書獣を空へと放った。緑の魔力残滓がサッと風に散った。
「君は」
かすかな不安を帯びた視線が揺れる。
「ね、僕すごく意地悪なんですよ」
「なにを」
「でもシェリは全然気にしないんですよ、いい子なんです」
相手の口が引き結ばれたのを見、チャムは深く礼をとった。
「だから彼女を泣かせる人はいくら師でも許せないんです。失礼します」
くさくさして王宮に戻ったチャムを待っていたのは、白い猛禽だった。
混乱に陥っていた基幹結界課の騒ぎによって、そっと届いたチャム宛ての私信の緊急伝書はあとまわしにされた。
王宮魔術師就職試験まで、あとふた刻の時分である。
*
青の三十番と呼ばれ、チャリは慌てて立ち上がった。前の二十九番は棄権のようで番号が飛ばされたのだ。
王宮敷地内の訓練地で試験は行われる。
実家から馬車で都に向かった彼女は無事に刻限のふた刻前に到着、一応チャムに『この前はごめんね。やっぱり試験受けにきたよ』と伝書を送った。結局あの日、見送りに出られなかったことを申し訳なく思っていたのだ。
受付が完了するとまずは筆記試験。
魔術発動を感知する結界の張られた大会場へと向かう。どんな小さな魔術も許されず見つかれば即失格になる。当然、いかなる伝書も会場には入れない。
――あんまり復習できてなかったけど、たぶん解けた。
シェリは安堵の息をついた。終了したら手を挙げて試験管に合図をする。するとまず解答用紙が回収され、退室できることになっていた。
教室端に席のあったシェリは、しずしずと大会場から出た。まだ半数以上が残っていたので、会場の外は静かで人もまばらだ。
得意の薬学試験は一番始めに終わっていた。彼女は、認可された薬の名前もレポートの下に付け加えておいたので、加点されることは間違いなかった。
「えぇと次は変幻術。いよいよかぁ」
しかし自信はあった。馬車の中でも拾った小石を石像に変え、目隠しのカーテンを同じ柄のハンカチに変えては戻した。
去年は地面の石を変幻しようとして奈落まで続くような大穴をつくってしまい、聖女が解術のために召喚されたことを考えれば大進歩のはずだった。
うっかり変異になっても、変幻の範囲内に収まるようにしなきゃ。
素材が異なるものに変えてしまうのは失敗になるはずと、彼女は実施要項を何度も見返した。
勢いだけの魔術は、たとえ成功でも誰かを傷つけるかもしれない。
ミオをシュバラウスにしてしまったことで、シェリは心底学んだのだ。迂闊さが、大事な師を失う結果を引き起こした、もう決して間違えたくない。
「絶対合格するんだから……!」
変幻術の試験は例年は三人グループで行われていた。
しかし配置場所に行くと、受験者はシェリしかいない。どうして二十八番の人もないのかと妙に心細く思った彼女を待たず、試験は定刻に始められた。
「制限時間は十
去年もおととしも聞いた、確認の会話にシェリは「ありません!」と元気に応えた。
石でも木でもスライムでも、なんでも来い!
「それでは三十番のシェリ=オルラン。あなたの変幻課題は『自分自身』です」
「え?」
「始め」
開始を知らせる低い鐘が鳴った。
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