神無月にて

入江 涼子

第1話

 今は十月の中旬に差し掛かった頃だ。


 まだ、残暑が厳しくはあったが。夕方近くになるとなかなかに涼やかな風が吹き、爽やかな気候と言えるようになってきた。前野栞奈まえのかんなは今年で三十八歳になった。気ままに、愛猫との暮らしを続けている。愛猫は名前をペッパーと言い、八歳になる雄猫だ。

 ちなみに、ペッパーは去勢を済ませている。おかげで凄く穏やかで温和な性格だ。

 栞奈はペッパーを猫用のトートバッグに入らせて、近くの公園まで散策に行く事にした。時刻は午後三時半を過ぎている。


「ペッパー、今日も良い天気ね」


「みゃあ」


 栞奈が声を掛けると答えるようにペッパーは鳴いた。テクテクと歩くのはやめない。一人と一匹で紅葉し掛けた街路樹や周りの景色を楽しんだのだった。


 公園に辿り着くと、栞奈は近くにあったベンチに腰掛けた。猫用のトートバッグを傍らに置き、中からペッパーを出してやる。膝にのせ、頭や背中を撫でた。


「……あ、楓が色付きつつあるわ。もう、秋が近づいてきたのね」


 呟くとペッパーはゴロゴロと喉を鳴らす。しばらく、撫でてやる。うっとりとしたペッパーは眠ってしまっていた。


「……あ、可愛い猫ちゃんだ」


「え?」


 ふと、小さな女の子らしき声がした。栞奈が顔を上げるとそこには淡いレモン色の長袖のワンピースに、後ろに髪を一纏めにした女の子が立っている。年齢は小学一年か二年くらいか。背丈は座っている栞奈より、やや高いくらいだ。顔立ちも目が二重でぱっちりとした綺麗な女の子である。にっこりとこちらに笑いかけていた。


「お姉さん、この猫ちゃんは飼ってるの?」


「そうよ、男の子だけど。今、眠ってるから触る事はできないわ」


「そうなんだ、今は涼しいからね」

  

 女の子はそれでも、膝の上のペッパーに興味津々だ。栞奈はそっと、トートバッグを向かって左側にどけた。右手で隣をさした。


「どうぞ、座って」


「いいの?」


「うん、触るのはできないけど。見るのはOKよ」


「……分かった、失礼します」


 女の子は真面目な表情で頷く。ゆっくりと栞奈の隣に、五十センチくらい離れた場所に座る。じっとペッパーを見つめた。


「あの、猫ちゃんは名前を何ていうの?」


「ペッパーと言うの」


「へえ、ペッパー君かあ。真っ黒だからかな?」


「そうねえ、ブラックペッパーみたいな毛色だからかな」


「ぶらっくぺっぱー?」


「黒いコショウの事よ」


 簡単に教えると女の子はクリクリとした目でこちらを見た。


「ふうん、お姉さんって難しい事もよく知ってるね」


「ありがとう、あなたは近所の子なの?」


「うん、お家が近いの。さっきまでお祖母ちゃんと一緒にいたんだけど」


 そう言うと、女の子はしょんぼりとする。栞奈は迷子になったのかと気づいた。


「……ねえ、お祖母様は近くにいるの?」


「わからない、気がついたら。あたし一人だったの」


「そっか、私で良かったら。一緒にお祖母様を探すわ」


「え、良いの?」


「うん、ペッパーには悪いけど。あ、自己紹介をしないとね。私は前野栞奈と言うの。あなたは?」


「かえで、伊津野楓いつのかえで


「分かった、楓ちゃんね。今は人が少ないからさ、早めにお祖母様を探した方がいいわ」


 そう言うと、栞奈は楓と一緒に公園の中を歩き回った。楓のお祖母ちゃん捜索が始まったのだった。


 しばらく、公園で思いつく場所を探したが。なかなか、お祖母ちゃんは見つからない。もう、時刻も五時を過ぎようとしていた。辺りは夕暮れ時特有のオレンジ色に染まっている。栞奈は猫用のトートバッグを肩に掛けたまま、楓とテクテクと歩いていた。


「見つからないね、栞奈さん」


「うん、役に立てなくてごめんね」


「……あれ、向こうから声が聞こえるよ」


 楓が言うと前方から、初老とおぼしき女性が速歩きでこちらにやって来た。すぐ近くまで来ると、女性は慌てて楓に声を掛ける。


「……楓、探したのよ!こんな所にいたのね!」


「ごめんなさい、お祖母ちゃん」


「あ、こちらのお姉さんは?」


 女性もとい、お祖母ちゃんは栞奈に気づいて視線をこちらに向けた。


「あの、このお姉さんが一緒にお祖母ちゃんを探してくれたの。猫のペッパー君を観察もさせてもらったよ」


「そう、楓が無事で良かったわ。お姉さん、孫を連れて来てくださってありがとうございます。名前を教えて頂けますか?」


「……前野栞奈と申します」


「前野さんね、本当にありがとう。さ、帰るわよ。楓」


「はーい、じゃあね。栞奈さん!」


 お祖母ちゃんと楓は二人で帰って行く。それを見送りながら、栞奈はしばらくその場に佇んでいた。


 数日後、例の公園に栞奈がペッパーと立ち寄ると。まだ、若い女性と楓らしき女の子が前方から歩いて来た。


「あ、栞奈さん!こんにちは!」


「こんにちは」


「……楓、この人が前野さん?」


「うん、前にお祖母ちゃんを一緒に探してくれたの!」


 無邪気に楓は女性に言った。女性は驚いた表情をしている。まあ、普通に考えたら。栞奈が不審者と思われても仕方なかった。お祖母ちゃんや楓が栞奈を疑わなかったから、事なきを得たが。


「そう、あの。娘がお世話になりました、私は母で名前を伊津野章葉いつのあきはと申します」


「あ、私は前野栞奈です。楓ちゃんのお母さんでしたか」


「はい、そうです。今日は母の代わりに楓と散歩に来ました」


 楓の母もとい、章葉は穏やかに笑う。目元が楓と似ていて、なかなかに美人さんだ。


「ふふっ、楓ちゃん。お母さんと二人で散歩しに来たの、良かったわね」


「うん、またね。栞奈さん!」


「またね、楓ちゃん!」


 楓と章葉はにこやかに笑いながら、手を振る。ペッパーを抱えながら、二人に栞奈は手を小さく振った。

 栞奈は踵を返すと自宅に戻った。


 ――終わり――

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