後肢(あるいは解説のためのエピローグ)


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「…………はい。きっちり原稿のほう、拝領いたしました。四十八ページ分の『猫』短篇小説。いやあ先生は相変わらず、締め切り日ちょうどに出してくださってありがたい」

「きみねえ……嫌味っぽいってよく言われないか?」

 二週間後。

 私と内枝くんは、市内の喫茶店で打ち合わせをしていた。家にわざわざやってくる編集者も珍しいが、今時紙で原稿を手渡すというのもなかなか稀な光景だろう。

「いやあしかし、楽しませてもらいましたよ、新作短篇『死せる猫についての巡回』! まさかあんな血なまぐさい事件を、少年漫画風のバトルアクションに仕立てあげるだなんて……特に終盤の、暗闇から大勢の猫の幽霊が飛び出してくる瞬間なんて、まさか猫の幽霊が一匹だけじゃなかったって意外性とその恐怖! 感服いたしやしたよ。なんというか、デビュー初期のことを思い出す良い作品でしたね」

「……内枝くんさ」

「はい?」

「その、『さっさとこの話は終わらせて別の話がしたいです』って気分が見え見えな話し方、言っておくけれどバレバレだからね」

 内枝くんは少しだけ目を開いて。

「なら話は早いですねェ」

 と、コココと笑った。最初からそれが狙いか、と私は心のなかで小さく舌打ちをする。ウエイトレスがコーヒーとパンケーキを運び、去っていったそのタイミングで、内枝くんは私のほうにぐいと顔を寄せると――

「で、あの件はいったいどうなったんです?」

 と、その髭を震わせた。

 私は精一杯の『その話はしたくないんですけど』といった顔をして、それから諦めの表明として溜息をつくと、「私の部屋でふたりの警官が死にかけた話だろ」と小声で言った。

 内枝くんはにっこりと微笑む。お気に入りのジャズを偶然バーテンダーがかけた、みたいな表情だった。どうやらそれで合っているという意思表示らしい。

 私は背もたれに体重を預けて、ふうと青空に息を吐く。

「私の部屋にいた、あの幽霊の存在。あれは猫ではなく――殺された剛克組の一員、栄善仁志その人だった。霊の分類で言えば〈地縛霊〉ってことになるのかな。あの家に住み着いていた幽霊――あの部屋は畢竟、事故物件だったわけだ。

 あれが猫の幽霊なんじゃないかって話、いつから出たのか覚えてるか?」

「ええと……」

「きみが言い出したんだよ。冗談でね。けれど私にしてみれば、その部屋は事故物件ではないくせに、妙に物音のする奇妙な部屋だったんだ。それに、キャットフードを与えてみたりして、色々と実験を繰り返したから、その結果として、あの部屋にいるのは猫らしい、という仮説に確からしさを見出したというわけだ」

「それがどうかなさるんですか?」

「考えてもみなよ。きみが私に、。そして私はその通りにキャットフードを買ってきた。仮にその場に、幽霊の栄善がいたのであれば、は可能だろう?」

「しかし、なぜ栄善が猫の真似をする必要があったんです?」

使。その命を賭してでも――いいや、死んでもなお、為さなければならない使命がね」

「なんです?」

「剛克組の資金源の確保さ」

 言って、私はコーヒーをがぶりと飲み込む。

「剛克組は、薬物という大きな収入源を失った。その信頼を勝ち取るためのキャットナップだったわけだが――同時に、彼は大規模な人身売買にも手を染めていた。そして、その取引に関わる重大な証拠が、あの部屋に隠してあった。床をくり抜くだなんて大胆なことをする奴だが、そうまでする価値のあるものだったということだ。任侠だとか、義理だとか……あっちの世界における絆、を守る、その価値だ」

「……それが猫の真似をやる動機だったんですか?」

「違うよ。これは遠因だ」言って、パンケーキにフォークを突き刺す。

「考えてもみろ。猫ではない謎の幽霊が部屋のなかを跋扈しているともなれば、普通は部屋を離れるか、あるいはの二択だろう。

 しかし栄善の場合、そのどちらも避けたい事柄だった。

 私の場合は出不精で、けれどほとんど机にばかり向かっているから、証拠の隠し場所に気付かれる心配が少ない。けれど私がどこかに引っ越して、そして誰か別の人間が入ってくれば――そうとも言っていられなくなる。

 除霊については言うまでもない。幽霊については未知なところがまだ多いけれど、それでも――自分がそこから排除され、証拠が奪われてしまうのは避けたい。

 もっとも栄善の場合は、愛猫家から猫を人質に大金を強請ろうとしていたところを見るに、猫ならば除霊はされず、むしろ保護の対象になる、とも考えたのかもしれないな」

「……なるほど」

 内枝くんは低くうなずいて、自分のカフェオレに砂糖をざぶざぶと足す。

「しかし、だとしても、どうしてその栄善さんは、引っ掻くだなんて攻撃を選んだんです? 普通は殴るとか、あるいはものを掴んでそれで攻撃するだとか、あとは……噛みつくとか。そういう手段を選ぶように思うんですが」

「当然、そのほうが良いだろうな。しかし栄善には、そうすることができなかった」

 私はパンケーキにハチミツを足しながら答える。

「なぜです?」

「奴には片腕、歯、そして残った腕の親指、人差し指、小指がなかったんだよ。

 海辺に打ち上げられた遺体には腕がなかった。

 長らくのあいだ身元不明だった理由は、歯が抜かれていたせいで、歯医者からカルテを取り寄せることができなかったからだ。……きっと、捨てた奴が遺体の特定を恐れて抜いたんだろうな。

 指がなかった理由は無論、彼が過去に起こしたミスと、それについての罰によるものだ。

 そして、姿

「なるほど……」内枝くんは数回うなずく。

「つまり、そんな状態の栄善氏が、警察の来訪によって、文字通り猫被る余裕がなくなったことで、警官を襲い始めた、と――そういうことですか」

「そうだね」

「しかし疑問は残りますよ。そこからいったい、あなたはどうやって二人の警官を助けつつ、栄善氏を無力化したって言うんです」

「簡単なことだ」

 私は答える。

「幽霊がこの世への未練から成るものであるとするならば――。攻撃が引っ掻くだけだと分かっているなら、致命傷の可能性がある首元を防御すればいいだけの話だしな。あとは簡単――栄善が守っていた証拠、すなわちUSBメモリを目の前で壊してやればいい」

「重大な証拠を? いいんですか?」

「だから、表面上だよ。実際に壊したのはこっちだ」

 言って、私は内枝くんの持っている原稿用紙を指で弾く。

「……まさか、先生……」

 内枝くんはあり得ないとでも言わんばかりに眉を曲げて。

稿を壊したんですか? 代わりに?」

「カードマジックで言うところの『チェンジ』ってテクニックだ。隠したいほうを袖のなかに滑り込ませ、隠し持っていたほうを相手に提示する。大規模犯罪の証拠になりえるというのなら、データ容量の大きいUSBカードだろうと察しはついたし、暗闇のなかだったからやりやすかったよ。……まあ、大事な原稿データは消え失せたが」

 最後の一口を飲み込んで。

「人命と大規模犯罪の阻止には代えがたい。そうだろ?」

「ハア……」

 と。

 呆れたように内枝くんは項垂れる。



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 打ち合わせを終えて帰宅途中。不意に通り雨に追われた。

 傘も持ち合わせていなかったので、鞄を庇の代わりにしながら、近くに見えた、すでに営業を終えているらしい駄菓子屋の、その手前にある屋根付きのスペースに向かった。

 予報によれば、今日の天気は快晴だったはず――

「……きっと、通り雨だな。向こうに晴れ間が見える」

 雨宿りをしているうちに、私は一通りのメールの返信を済ませてしまうことにした。

 屋根の下には、雨の打つ音と、私のスマートフォンへのタップ音だけが響いている。

 ――と、そこに。

 不意に、別の音色が混じってくるのが、分かった。

「――――」

 目線を上昇させた。

 屋根の下には誰もいなかった、が――、

 私の座っているベンチ。

 その、すぐそばに。

 肉球のある、可愛らしい足跡が――、

 ひとつ、ふたつ、浮かんでいた。

「………………」

 静謐な、それは雨の音。


 二〇二四年、某月某日、某曜日――現在。

 未だ、猫の幽霊の存在は否定されていない。


                          ――(おわる)

















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死せる猫を巡る巡回とその創作 雨籠もり @gingithune

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