夫が、最近疲れているようだ。


 ちょっとした愚痴を口に出すことがある。

 会議の時間を間違えていたとか、忘れ物をしてしまったとか。


 そんなある日、夫に荷物が届いた。

 透明のクッション材に包まれていて、中身が丸見えではないかと不満に思いつつも見てしまう。


 本?ノート?

 違う。日記だった。


 少し気になり、包装を解いて中を開いてみた。

 中身は白紙だけど、少し使用感がある。


 ふと、以前見たテレビの番組を思い出した。その番組では、日記に目標や標語、偉人の格言のような言葉が書いてあった。自己啓発セミナーみたいで、ちょっと気持ち悪いなって思った記憶がある。


 でも、今の夫には響くかもしれない。

 私はペンをとって、日記の最初のページに早起きをすると良いと書いてみた。

 ふわっとしているが、実行のハードルも低いし、丁度良いだろう。



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 夫がいつもより早く家を出た。

 帰宅した夫は少し機嫌が良さそうだった。


「何かあった?」

「いや、別に」


 そっけない返事で、スマホを見始める。少しむっとなったが心持ち口角が上がっているので、多分いいことがあったのだろう。

 あの日記に書いた言葉かどうかは分からないが、ともかく悪い影響はなさそうだ。


 実は、今日も別の言葉を書いてみた。

 いつ、私が書いていると気づくのか。悪戯をしている気分になり、少し楽しくなった。




 翌日。

 夫がケーキを買って帰ってきた。

 息子が箱を抱えて喜んでいる。中身が崩れないか少し心配になった。


「どうしたの?」

「いや、ちょっとチームのメンバーと話してね。お菓子を奢ったら、自分たちではなく家族にケーキでも買って帰ったらどうかって。ケーキ屋を教えてもらった」


 なるほど。

 以前、夫がオフィスの菓子販売コーナーが硬貨しか受け付けないって愚痴ってたので、小銭を持っていったらと日記に書いてみた。


 夫の顔を見る。特に不審な様子はない。

 まだ、私が書いていると気づかないのか。


 なら、もう少し続けてみようかな。



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 一週間が経った。

 まだ夫は気づかない。

 けれど、機嫌はいいままだ。


 なら少し、普段夫がしないようなことも書いてみようかな。

 宝くじを買うといい、と書いてみた。


 夫はギャンブルは胴元しか儲からないと考えているので、競馬もパチンコもしない。

 宝くじ位、と思っていたが買っているのを見たことがない。


 それなら、これでどうだろう。




 夫が宝くじを当ててしまった。


「ちょっと、一緒に見てくれないか」


 当選日。夫がパソコンを見て声を上げていた。

 宝くじを買ったかは聞けなかったが、宝くじを購入し、当選番号をサイトで見つけたらしい。


 一緒に確認した。

 確かに、番号があった。

 百万円。

 低い金額ではない。


 夫の目が真剣だ。

 少し、怖くなった。



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 夫が横で寝ている。

 私は、眠れなかった。


 日記に書いてあることが、あまりに当たりすぎていた。

 最初のうちは何とでも解釈できる、テレビの星占いや血液型占いのような内容しか書いていなかった。


 だけど今回の内容は。

 なんであんなこと書いてしまったのだろう。


 外れると思ったのに。何で?

 この人もこの人だ。

 なんで、私の字だって気づかない。

 保育園の資料。全部私が書いた。その後、確認したはずだ。それだけじゃない。私の字なんて、いくらでも見る機会はあったろうに。


 私に、息子に興味がないのか。

 そういえば、まともに顔を見て会話をしたのはいつだろう。

 私が話をしている時、この人はいつもスマホを見ていた気がする。

 返事はしてくれるが、顔を向けていない。


 なら、私たちがいなくなっても関係ないのか。


 私はベッドから抜け出し、夫の部屋へ向かった。

 リモートワークの時の仕事部屋を兼ねていて、デスクもある。

 そのデスクの上に日記が置いてあった。


 そっと日記に触れ、ページをめくる。

 そしてペンを手に取り、書く。


『妻と息子が、交通事故に遭った。トラックに突っ込まれた』


 白紙なのに。文字をなぞるように、ペンが動いた。

 これであの人はどうするのか。

 止めてくれるはず。どんな手を使っても。

 それとも、保育園までついてきてくれるのか。私たちを、守る為に。




 夫は。あの人は何もしてくれなかった。

 止める素振りは見せてくれたけど、それだけだった。


 あの日記を信じているだろうに。

 何故、止めてくれない。一緒に来てくれない。


 冷めた気持ちで、息子と手を繋いで保育園への道を歩いていた。

 スマホが鳴った。バックから出し、耳に当てる。


 夫が。あの人が事故に遭った。

 病院に搬送されたという。


「わかりました。すぐに行きます」


 淡々と答えた。

 冷めた気持ちは戻らなかった。息子の手をひいて、道を引き返した。



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 葬儀が終わった。


 夫は病院に運ばれた時、すでに意識はなかったらしい。

 飲酒運転のトラックに跳ね飛ばされた。

 保険金の手続きや裁判の準備など、やることは多い。


 忙しさで哀しさを忘れる。


 ということはなかった。

 哀しさはない。乾いた心だけが残っていた。




 気づけば、日記はどこにもなかった。




─── 了 ───

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中古日記 青村司 @mytad

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