絡めて、砕いて、喪って〈一〉
ホテルの中は暗かった。本来は窓から日差しが入ってくるはずだが、ラブホテルということで窓が極端に少ない造りなのだろう。エントランスはまだガラス扉が明かりを取り込んでいたが、受付まで進むとそれもほとんどなくなる。
薄ぼんやりとした視界に広がるのは高級感を意識したであろう絨毯、デザイン性の高い柱、作り物の観葉植物など、安っぽいものばかりだ。比較的最近閉鎖された場所なのか、風雨が入り込んだ形跡はなく、中のものはしっかりと形を残している。しかし人の手が入っていないせいでどれも埃を被っていた。その埃の中には無数の足跡もあったが、その上から更に薄く埃が覆っていた。
「ちょっと前までは人が来てたけど、最近は出入りが一切ないって感じっスかね」
「だろうな。こんな臭いのする場所、いくらこの辺の住民でも進んで入りたがりはしねェだろ」
答える溯春の声を聞きながら、東雲が上へと顔を向けた。そこには通気口があり、プラスチックの網目に引っかかった埃の塊が微かに動いている。
「外よりもゴーストのニオイが弱いっスね。このフロアは通気口から来た空気のせいで臭うんだと思います」
「ってことは別の階か。こういうのはフロアごとに外への出口があるはずだが……繋がってる箇所があるのか、それとも大本の臭いが別フロアに漏れ出してるのか……」
「おれの嗅覚が凄い説もありますよ」
「そこは否定しねェよ。使いこなせてるかは別として」
「あ、酷い!」
上を見ていた東雲を置いて溯春が歩き出す。向かった先は非常階段だ。重たい扉を乱暴に開け、上階へと続く階段に足を進める。そんな溯春の後を東雲は慌てて追うと、彼よりも前へと出てニオイを辿り始めた。
窓のない非常階段に明かりは一切ない。代わりに二人はそれぞれホロディスプレイを出した。ホロディスプレイの放つ光は弱いが、暗闇ではそれなりに明るく感じるのだ。
それでも太腿辺りまでしか見えなかったが、階段を上る溯春は足元の異物に気が付いた。
蝋だ。芯は燃え尽きてしまったようで見つからないが、形状から元はろうそくだったと分かる。だが溯春はそれを東雲に伝えることなく、ニオイの追跡に集中する彼の後に続いた。
「――この階っス」
一階上がるごとに非常ドアを開けてニオイを確認していた東雲がそう言ったのは、四階に着いた時だった。
それまでよりも足音を潜め、二人は非常階段から廊下に出た。その先は他と同じく真っ暗だ。しかし溯春はここにもろうそくの跡があることに気が付いた。それはまるで階段からこの廊下までを案内するように並んでいたが、どこが目的地なのかは明かりが少ないせいでここからでは見通せない。
それでもホロディスプレイの明かりによって、辛うじて廊下に沿って客室のドアが並んでいるのが分かった。階段横にある避難経路図によれば、東雲の見ている方、ろうそくの跡が並ぶ方向には五部屋があるらしい。
そこまで観察した溯春は顔を顰めると、「死体が多そうだな」と小さく呟いた。
「溯春さんにも分かりますか」
「こんだけ腐乱臭がしてりゃァな。これが動物の死骸ってんなら、数えるのも億劫なくらいあるんだろうよ」
「その心配はなさそうっスよ。……これは人間の死体のニオイです」
東雲が眉根を寄せる。「二、三体じゃ済まないと思います」険しい顔で言う彼に、溯春は「気ィ引き締めとけよ」と声をかけた。いつもと同じ調子だが、その言葉に東雲が神妙に頷く。「進みます」そう言って歩みを再開した東雲と共に、溯春はニオイの濃い方へと進んでいった。
一部屋を通り過ぎて、二部屋目のドアにもまた東雲は見向きもしなかった。迷うことなく歩いていった彼が止まったのは三部屋目のドアだ。
目配せをしてきた東雲に頷いて、溯春が彼よりも一歩奥へと進む。左開きのドアの蝶番側に立った溯春がノブに手をかけてそっと捻れば、鍵がかかっていないことが分かった。それを見た東雲はドアの左横の壁に背を貼り付けて、溯春に向かって小さく頷いてみせる。その直後だ。
ガッ! ――溯春が勢い良くドアを引き、東雲が客室に足を踏み入れる。しかしその瞬間、二人の視界に何かが飛び込んできた。
「わっ!?」
東雲が咄嗟に後ろへ飛び退く。と同時に溯春が素早くドアを閉めた。だが閉め切る前に室内から出てきていた何かが挟まって完全には閉じられない。
「髪……!?」
ドアの隙間から蠢くものを見て東雲は顔を歪めた。黒く長い髪の毛が暴れているのだ。人間一人分の毛量よりもずっと多いその髪の毛は、意思を持っているかのようにうねうねと動き、かと思えば先の尖った束になってドアを押さえる溯春を狙おうとしている。
「呆けてるな! さっさと体勢整えろ!」
「ッ、はあい!!」
溯春の怒声に東雲が背筋を伸ばす。「こういう系ってホラーっスよね」すっかり平静を取り戻し、「いつでもいけますっ」とドアに向かって軽く身構える。
「お前はこの髪の注意を逸らせ、その間に俺が本体を探す」
ドアを押さえる溯春が指示を出せば、東雲は無言で頷いた。「いくぞ!」溯春がドアから離れる。途端にブワッと大量の髪の毛がドアから溢れ出し、東雲は僅かにあった隙間から部屋の中へと飛び込んだ。
次の更新予定
境界の咎人 新菜いに/丹㑚仁戻(ほぼ読み専) @nina_arata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。境界の咎人の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます