8 デスゲームの終わり
〝まさか熊を倒してゴールへ向かうということですか?〟
はずれを引く前提で作戦を立てるべきだと凛藤が説明した時、真里野は最初そんな勘違いをしていた。
〝それはいくらなんでも非現実的だと思いますけど〟
また、彼女はそんな反論もしていた。
しかし、もし現実的な方法があったとしたらどうだろうか。
「トイレがあるのは、熊から隠れるためじゃない。熊を殺すためだったんだよ」
用意されていたのは、最低限の便器や洗面台だけである。モップやバケツのように、武器防具になりそうなものはなかった。そのせいで、真里野は珍しく相手の言い分を理解しかねているようだった。
「どういうことですか?」
「この部屋はトイレに繋がってるから、俺たちは自由に水分補給ができる。でも、通路に閉じ込められている熊にはできない。だから、熊を渇き死にさせるんだ」
真里野はまず「えっ」と戸惑いの声を、続いて「あっ」と納得の声を上げる。
そして、すぐに細かい検討に入ったのだった。
「確か人間は水なしでは一週間ももたない一方で、水さえあれば一ヶ月は生きられると聞いたことがあります。熊については分かりませんが、砂漠地帯に生息しているわけではないですから、ラクダのように水分不足に特別強いということはおそらくないでしょう」
博識な真里野は、人体や生物に関する知識を引用して、仮説の正しさを裏付けてきた。
対して、凛藤はそこまで詳しいことを知っていたわけではなかった。だから、代わりにゲームのルールを引き合いに出す。
「それに、ドアを選ぶまでの制限時間について、どこにも書かれてないからな。熊が死ぬまで選ばないっていうのが、主催者の想定しているクリア方法だったんだろう」
ハルペリも「もう適当に選んだら?」「今はドアのことを考えた方がいいんじゃないの?」と急かしてくることはあっても、具体的に「あと◯◯分」と指摘してくることはなかった。制限時間が設定されていないから、カウントダウンしたくてもできなかったのだ。
「でも、待ってください。私たちはドアの向こうの様子を確かめることができません。主催者が密かに水や餌を与えても分からないんです。だから、一ヶ月経っても熊が生きているという可能性もあるんじゃないですか?」
「そんなことを考える必要はないんだ」
凛藤は選ぶ予定でいるドアを指差す。
「だって、熊のいるドアの一つはすでに見えてるんだからな。熊が死んだことを確認してから選べばいいだけなんだよ」
凛藤が指していたのは、最初にハルペリが見せてきたBのドアだった。
「そうか。熊がいると教えられただけで、選ぶのを禁止されたわけではありませんでしたね」
これもルール表を見れば明らかだった。
〝参加者はまず暫定的にドアを一つ選択する。主催者は選ばれなかった二つから、熊のいるドアを一つ明かす。その後、参加者は改めてどのドアにするか最終的な選択をする〟
この通り、〝主催者が見せたドアを選ぶことはできない〟とは一言も書かれていないのだ。
「ごーとげーむ!」
その言葉とともに、天井から白い煙が噴き出してきた。
真っ先に『毒ガス』の三文字が思い浮かぶ。凛藤も真里野もほとんど反射的に服の袖で口を塞ぐ。
「心配しないで。それはただの催眠ガスだから。結果が分かってるのに、最後までやったって退屈だと思っただけだよ」
ハルペリは「
「クリアおめでとう!」
続いて、「約束通り、キミたちをゲームから解放しよう。もちろん賞金もちゃーんと支払うよ」とか、「怪しまれないように、宝くじの当たりくじとして渡すから安心してね」とか、「宝くじって非課税で、換金してもきっちり一千万のままだから、そういう意味でも安心してね」とか、まくし立ててきた。
「それじゃあ、ごーとばい!」
そう別れの挨拶をしたあとも、ハルペリは延々と手を振り続ける。けれど、その内にモニターの電源が切れて、画面には何も映らなくなった。
ただドアが三つ並んでいたり、トイレに繋がっていたりして、部屋が広いせいだろう。催眠ガスはなかなか充満しきらず、凛藤たちの意識は鮮明なままだった。
あるいは、参加者たちが最後の会話をするための時間を残しておいたということなのかもしれない。
「これで生きて帰れるな」
「ええ」
「妹さんの学費を払えるし」
「ええ」
「よかったなぁ」
「ええ」
真里野は短い返事を繰り返す。そう答えるだけでせいいっぱいのようだった。
ジャンケンで囮役を決めることになったのは、どちらかが犠牲になるしかないという話をしたあとだった。だから、自分が死ぬかもしれないということはあらかじめ予想ができた。
一方で、熊を渇き死にさせるという作戦は、囮作戦を決行する直前になって閃いたものだった。予想外に生き残れるという希望が降って湧いてきたのである。そのため、ジャンケンで負けた時よりも、今の方がよほど動揺しているようだった。
何度か深呼吸をして、やっと気持ちが落ち着いてきたらしい。今度は真里野の方から声を掛けてきた。
「凛藤さんは車でしたよね?」
「ああ」
「何を買うんですか? やっぱりスポーツカーとかですか?」
「ウェルビークルだよ」
しばらく間があった。
けれど、真里野はその分類方法を知らなかったわけではないようだ。
「確か福祉車両のシリーズのことですよね?」
「そうそう。後ろから車イスのまま乗れたりとかな」
バックドアにスロープを繋げて、車イスをそのまま車内に運び込むことができる。また、車体が自動で下がり、スロープの傾斜がゆるやかになるため、運ぶ労力を小さくできる。凛藤はそういう車に買い替えるつもりでいたのだ。
「うちのばあちゃん、足が悪くてな。普段は車イス使ってるんだけど、病院に連れて行く時とかは、車の座席に乗せ換えないといけなくて。まぁ、俺は正直平気なんだけど、大変なんじゃないかって、ばあちゃんがいちいち気にするから」
介助者の肉体的な負担が減れば、被介助者の精神的な負担が減る。特別な仕様の車だから金銭的な負担がかかるが、それも一攫千金のゲームで稼げば関係ない。そう考えて、ネストホールゲームに参加することにしたのである。
「……やっぱり私の住所を教えておきますね」
「クリアしたんだからもう関係ないだろ?」
「お時間の都合のつく時でいいので、凛藤さんの車に乗せていただけないかと思って」
「それは別にいいけど…… でも、真里野からすれば普通の車と変わらないと思うぞ」
あくまでも車イス利用者向けの機能がついているだけである。スポーツカーのように、特に見た目や操縦性が優れているわけではないはずだが……
「いえ、カッコいいと思いますよ」
真里野はあくまでそう言い張るのだった。
◇◇◇
聞いていた住所に到着したので、凛藤は家の前で停車する。来客が誰か分かるように、車から降りて顔を見せる。
すると、いきなり文句を浴びせられた。
「遅刻ですよ」
真里野はわざわざスマホの時計まで見せてきた。
「悪い悪い。ちょっと迷っちゃって」
県外の知らない街まで車を運転してきたのである。少しくらい多めに見てくれてもいいだろう。
もちろん、もっと早く家を出なかったことは反省しているし、ナビアプリを使わなかったことについて後悔もしている。だから、法定速度を超えない範囲でスピードを出してきたのだ。
しかし、そんな弁解を真里野はまったく聞いてくれなかった。
「やっぱり凛藤さんってあまり頭がよくないですよね」
「だから、やっぱりってなんだよ」
ネストホールゲームの最中にも似たような会話をしたことがあったが、あの時と違って今は生きるか死ぬかという状況ではなかった。そのため、二人の笑い声はあの時より大きなものになっていた。
「で、どこか行きたいところはあるのか?」「とりあえずカフェでも行きます?」「なんでもいいけどナビだけ頼むぞ」「はいはい」…… そんな話をしながら、凛藤は運転席に、真里野は助手席に座る。
そうして、二人を乗せた車はゆっくりと前進を始めたのだった。
(了)
デス・モンティホール問題 蟹場たらば @kanibataraba
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