7 唯一解
「二人の内どちらかが犠牲になって、熊を足止めするってことだ」
そう告げた瞬間、真里野は息を呑む。
もともと色白の頬がますます白くなる。
おそらく今の一言だけで、これから取るべき行動を察したのだろう。
それでも齟齬がないか確認するために、また覚悟を決めるために、凛藤はクリア方法の説明を始めるのだった。
「参加者Xが開けるドアを選ぶと、二人の意思かどうかハルペリが確認してくる。そこでYも選択に同意して、この部屋と熊のいる通路を繋げる。
ただし、Yが同意するのは、Xがトイレに隠れてからだ。すると、部屋にいるYだけが熊に襲われることになる。
そのあとで部屋にXが戻ってきても、空腹の熊はYを食べることを優先するだろう。だから、その隙にXはゴールに向かうんだ」
二人の意見が割れて、話し合いが長引いた時のために、トイレが設置されているのだと最初は思った。しかし、本当は熊から身を隠すためのものだったようだ。
「ルール③にも〝ゲームをクリアした参加者それぞれに一千万円が支払われる〟と書いてあるからな。二人揃ってゴールする必要はないってことだろう」
ネストホールゲームは、二つのドアから一つの当たりを選ぶゲームではなかった。
二人の参加者から一人の囮役を選ぶゲームだったのだ。
「どこかに間違いがあるか?」
「……推測自体は正しいと思います」
認めたくないというだけで、心の底ではこれがクリア方法だととっくに認めていたのだろう。凛藤が確認すると、真里野も最後には頷いていた。
ただし、反論がないわけでもないようだった。
「でも、それを私に説明するのは間違ってますね。不意打ちして私を半殺しにして、無理矢理囮役をやらせた方がよかったでしょう」
「俺ってそんなひどいことをしそうなやつだと思われてたのか?」
「いえ、やっぱり頭があまりよくないんだなと思って」
「やっぱりってなんだよ」
凛藤は声を荒げる。確かにモンティ・ホール問題のことは知らなかったし、習ったはずの条件付き確率も忘れていたが、まさかそんな風に思われていたとは。
「そういうお前だって大したことないだろ。不意打ちのことを説明せずに、隙を見てやればよかったんだから」
「私は体格的に勝ち目がなさそうだから諦めただけです」
あなたと違ってきちんと計算した上で行動してるんですよ、とばかりに真里野は冷ややかだった。
しかし、二人のやりとりは、あくまでも貶したふり、怒ったふりだった。
真里野は暗に「凛藤さんはお人よしですね」と言いたかったのだろうし、凛藤もそれを理解して「真里野こそ」と言い返した。だから、口喧嘩のふりをしたあとで、二人は笑い合っていたのだ。
「ジャンケンでいいですか?」
笑いが収まると、真里野はすぐにそう提案してきた。
「ああ、そうだな」
凛藤もすんなり賛成していた。
二人の内の一人が犠牲になるというのは、言い換えれば二人の内の一人は生き残れるということでもある。
相手を助けるために、自分が率先して死のうとは思わない。けれど、自分が死ぬからといって、相手をそれに巻き込もうとも思わない。何もせずに二人とも死ぬよりは、相手だけでも生き残る方が、ずっとベターな選択だった。
特にその相手というのが、不意打ちで囮役を押しつけることを考えないようなお人よしなら尚更である。
それでも躊躇や逡巡がまったくなかったわけではない。むしろ、そういう感情の方が大きいくらいだった。ジャンケンをすることは早々に決まったのに、実際の勝負はなかなか始まらなかったのだ。
だが、その内に、どちらともなく腕を突き出していた。
「最初はグー。ジャン、ケン――」
◇◇◇
ネストホールゲーム終了から一ヶ月ほどが経った頃。
地方にある小都市でのことだった。
休日で賑やかさを増した街の中を、先を急ぐように一台の車が走っていた。
その運転席に座っていたのは――凛藤である。
ゲームのクリア報酬として一千万を手に入れた。それで当初の予定通り、乗り心地のいい高価な車を購入したのだ。
しかし、だというのに、今日は誰も同乗させていなかった。
この日は、海へデートに行ったりだとか、病院へ送り迎えに行ったりだとか、そういう理由で車を運転していたわけではなかった。
ゲーム中に交わした約束を果たすために、真里野の家へ向かうところだったのである。
彼女の言葉が脳裏をよぎる。思わず表情が硬くなる。
後悔を振り払うように、凛藤はいっそうアクセルを踏み込むのだった。
◇◇◇
「ジャン、ケン、ポン!」
一回で勝負は決まった。
凛藤が出したのはグー。
それに対して、真里野が出したのはチョキだった。
「私、ですか……」
自分の出した手を、彼女はじっと見つめる。
三つのドアすべてに熊がいるというのは、あくまでも予想に過ぎない。主催者がルール通りにゲームを運営していることだって考えられる。だから、運よく当たりを引ける可能性もある。まだ死ぬと決まったわけじゃない。
そんな慰めを思いついたが、凛藤は言うべきかどうか迷ってしまった。確証がない以上、ただの気休めにしかならないからだ。
そのせいで、先に真里野が口を開いていた。
「どうして私が囮をやらなきゃいけないんですか?」
彼女はそんな風に自分本位なことを言ったりはしなかった。命が懸かっている以上、相手が囮役を代わってくれるはずがないと考えたのだろう。
「当たりのドアを引けるかもしれませんよね」
そんな風に楽天的なことを言ったりもしなかった。熊まで用意するような主催者が、ゲームをぬるい結末で終わらせるはずがないと考えたのだろう。
かといって、すべてを潔く受け入れたわけでもなかったようだ。
「厚かましい話ですが、囮を引き受ける代わりに条件を出してもよろしいでしょうか?」
「……なんだ?」
「凛藤さんが手に入れる賞金の半分を、妹に渡してほしいんです」
意地汚くごねることも、わずかな希望にすがることも、頭の回る真里野にはできなかった。
だから、彼女はすでに自分が死んだあとのことを考えていたのだ。
真里野がゲームに参加したのは、妹を美大に行かせる費用を稼ぐためだという。具体的にいくら必要なのかは知らないが、五百万あれば相当楽になるのは間違いないだろう。
一方、凛藤の参加理由は車の購入資金を稼ぐためだった。選択肢は減ってしまうが、半分の五百万でも十分足りるだろう。
「……真里野の言う通りにしよう」
自分が身代わりとして犠牲になることはできない。けれど、このままただ真里野を見殺しにすることもできない。そんな葛藤の末、凛藤は彼女に同意していた。
「では、住所をお伝えするので――」
「違う」
真里野の言葉に、凛藤は首を振った。
「熊を倒すんだ」
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