6 真里野の答え、凛藤の答え
真里野の閃いたアイディアに、凛藤は思わず「あっ」と声を漏らす。
最初にモンティ・ホール問題の話を聞かされた影響で、確率の計算や主催者との駆け引きによって、当たりを選び出す方法ばかり考えていた。けれど、もっとシンプルなやり方でよかったのだ。
「でも、音で見分けさせるつもりなら、別にヤギでもよかったんじゃないか?」
何故モンティ・ホール問題と違って、はずれのドアに熊を用意したのか。そもそも真里野はこの疑問について考えていたはずである。音で判別するためというのは答えになっていないのではないだろうか。
「ヤギは熊に比べて体が小さいですから、仕切りを攻撃する時の音も小さいでしょう。それに、あまり鳴かない動物だと聞いたことがあります」
本来は群れを作る生き物なので、一匹だけにすると寂しさから鳴くこともあるが、その場合の声は小さいらしい。大きな鳴き声を上げるのは、基本的にトラブルが起きて助けを求める時だけなのだそうである。
仮説を実証するため、凛藤と真里野は早速Aのドアに近づく。耳をドアにぴたりとくっつける。
しかし、何の音も聞こえてこなかった。
熊を刺激して、鳴き声を上げたりドアを攻撃したりさせるつもりなのだろう。真里野はドアを叩いて音を立てるが――
「聞こえませんね……」
「Aが当たりか?」
音がしないということは、熊がいないということになるはずである。
そう顔を緩ませる凛藤と違って、逆に真里野の表情は硬くなっていた。
「もしかしたら、そもそもドアが防音になっているのかもしれません」
ハルペリがドアを開けたことによって、部屋とBの通路を隔てるものはアクリル製の仕切りだけになっていた。Bから熊の攻撃音が聞こえたのは、ドアがなくなったのが原因ということは十分考えられる。
それでも、もう一つの方も確かめてみなければ真相は分からない。Cのドアに耳を当ててみる。また、ドアを叩いて熊を刺激してみる。
すると――
「なあ、今のって……」
「ええ、私も聞こえました」
乱暴なノックに驚いたような、高く短い声が確かに響いたのだった。
確認のため、もう一度ドアを叩く。熊は今度は驚きでなく怒りを覚えたらしい。反撃するように、仕切りをひっかく音が聞こえてきたのである。
「間違いないな!」
凛藤は大きな叫声を上げた。
「ゲームクリアですね」
真里野も頬をほころばせていた。
念には念を入れて、二人は改めてAのドアを確認する。けれど、すでにCのドアから熊の出す音を二度も耳にした以上、当然Aから何も聞こえてこなかった。
もちろん、そういう結果になるだろうことは二人も分かっていた。ただ気持ちが高ぶっていたから、落ち着くために時間を置こうとしたのである。
しかし、それでも興奮はなお収まらなかった。
当たりのドアが判明した。これで生きて帰ることができる。それどころか、一千万まで手に入る……
「選ぶのはAのドアです」
モニターに向けて、真里野は今までよりも大きな声で宣言する。
回答が一致している必要があるからだろう。ハルペリはすぐにはドアを開けなかった。
「それは二人の考えってことでいいんだね?」
「ああ」
と答える寸前で、凛藤は口元を押さえていた。
待てよ。あれは一体どうなってるんだ? そういうことなのか? もし同じようなものがあるとしたら――
「何か気になることでもありましたか?」
「……ハルペリと同じってことはないか?」
「?」
「さっきの熊の声は、スピーカーから流してただけなんじゃないか?」
ハルペリの声は、モニターに内蔵されたスピーカーから流れてきているようだった。もしかしたら、熊の鳴き声も同じことなのではないだろうか。
もちろん、それだけだと本物の熊とスピーカーとで、AとCの両方のドアから鳴き声が聞こえることになる。Aのドアからは音が聞こえなかったという事実に反してしまう。
しかし、この話に真里野は「なるほど……」と頷いていた。
「ドアに防音対策をして、本物の熊の鳴き声が漏れないようにしておく。参加者が音で判別する方法に気づいたら、熊がいないドアから大音量で鳴き声の録音を流す。そうやって熊のいるドアを誤認させようとした……ということですね?」
「まぁ、俺の考え過ぎかもしれないけど」
「いえ、凛藤さんの方が正しいと思いますよ。命がかかっている以上、考え過ぎるくらいがちょうどいいでしょう」
やっと見えた希望のはずだが、危険性があると分かった以上、もう未練はないらしい。真里野はあっさりと音で見分けるという案を却下する。
対して、凛藤は彼女の案を捨て切れないでいた。
このネストホールゲームは、明らかにモンティ・ホール問題を下敷きにしている。にもかかわらず、はずれのヤギが何故か熊に置き換えられている。その違いに注目して、真里野は音というクリア方法にたどり着いた。
先程の通り、彼女の考えは結果的には間違いだったかもしれない。けれど、目のつけどころ自体は正しかったように思われる。
これだけの設備を用意できるのだから、モンティ・ホール問題を忠実に再現することも可能だったはずである。だというのに、主催者はわざわざ改変を加えている。
それはおそらく、改変部分が主催者の想定するクリア方法に関わってくるからなのではないだろうか。
「……ルールの違いといえば、もう一つあったな」
「何のことですか?」
「元のモンティ・ホール問題と違って、このゲームははずれを引いても、その時点で負けになるわけじゃない。あくまでゴールまでの道のりに、熊がいるっていうだけなんだ」
〝参加者はA・B・Cの三つのドアから一つを選ぶ。ドアの先にある通路を進んで、ゴールの部屋までたどり着けばゲームクリアとなる。ただし、三つの通路の内、二つには熊が放たれている〟
ルール表の①にも、すべての通路がゴールに繋がっているような書き方がされていた。
それに、開かれたBのドアからは、通路の奥にもう一つドアがあるのが見えていた。おそらく、あの二枚目のドアの向こうがゴールなのだろう。「はずれのドア=ゴールに繋がっていないドア」というわけではないのだ。
「確かにそうですけど、それがどうかしたんですか?」
「はずれのドアを選んでしまう前提で、作戦を立てるべきなんじゃないかってことだ」
あえてはずれのドアもゴールに繋がるように設計したのである。主催者ははずれを引いてもゴールする方法があると考えているのだろう。
「そもそもこのゲームがフェアなものだって保証はどこにもないからな。俺たちには確かめようがないのをいいことに、三つのドア全部に熊を仕込んでるってことだってありえる。そのことを考えても、やっぱりはずれるつもりでいるべきだろう」
はずれを引いてもゴールする方法があるなら、それを参加者が閃くかどうか、主催者としては気になるはずである。その成否を観察するために、すべてのドアをはずれにするというのは十分考えられることではないか。
「理屈は分からないでもないですが……凛藤さんがおっしゃっているのは、要するに通路に熊がいるものとして行動するということですよね?
まさか熊を倒してゴールへ向かうということですか? それはいくらなんでも非現実的だと思いますけど」
「違う」
真里野の言葉に、凛藤は首を振った。
「二人の内どちらかが犠牲になって、熊を足止めするってことだ」
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