5 なぜヤギではなく熊なのか?

 モンティ・ホール問題に則って、選ぶドアをCに変更したとしても、当たりの確率は2/3しかない。元のAのドアが当たりの可能性は十分ある。


 かといって、モンティ・ホール問題の裏をかいて、主催者がAのドアを当たりにしているという予想も成り立たない。その予想のさらに裏をかいて、Cのドアを当たりにしているかもしれないからだ。


 どちらの案を取るにしても、当たりのドアを確実に引くことはできなかった。そのため、(Aにしようか)(いや、Cにするか?)(やっぱりAの方が……)と、凛藤の思考は堂々巡りを繰り返すばかりだった。


「そういえば、モンティ・ホールってどういう意味なんだ?」


 気分転換も兼ねて、ふと気になった疑問を口にする。


 真里野も同じような心境だったらしい。真剣にクリア方法を考えるように怒られるかとも思ったが、むしろ逆でホッとしたように雑談に応じてきた。


「司会者の名前ですよ。もともとはアメリカのテレビ番組で行われた企画なので」


「テレビでやったのか?」


「もちろん、このネストホールゲームとルールは違いますよ。単にドアの後ろに景品が置かれていて、どれが当たりかを予想するだけだったそうです」


 また、厳密に言えば、テレビの企画を参考にして、統計学者が作った架空の問題なのだという。


 元は科学雑誌で発表されただけのものだったが、コラムニストが新聞の付録で扱ったのをきっかけに広く知られるようになったらしい。それも一般の読者だけでなく数学者からも反論が寄せられて、大論争に発展したことが原因なのだそうである。


「景品っていうのは?」


「当たりは車、はずれはヤギです」


「ああ、それでハルペリはヤギだったのか」


 大金か死かというゲームなので、ヤギの悪魔バフォメットの悪魔の部分にばかり注目していた。けれど、ヤギの部分にも意味があったようだ。もっとも、「ボクが愛くるしいのは分かるけど、今はドアのことを考えた方がいいんじゃないの?」と、すぐに悪魔らしい挑発が飛んできたが。


「どうせなら、はずれをヤギにしてくれればよかったのにな」


「そうですね」


 ハルペリが見せたBのドアの向こうには、ヤギではなく熊がいた。


 アクリル製の仕切りがあるおかげで襲われることはない。しかし、色が透明なせいで、嫌でもその姿が視界に入ってくる。


 さんざん体当たりやひっかきを繰り返して、仕切りを壊せないことは悟ったようだが、それでも捕食を諦めきれないらしい。熊は仕切りのすぐそばに陣取ると、よだれを垂らしながらこちらを睨みつけてきていた。


 選ぶドアを間違えたら、今度はあれと同じような凶暴な熊が解き放たれることになる。未来の悲惨な光景を想像させられてしまって、凛藤は思わずBのドアから目を背ける。


 しかし、それとは対照的に、真里野はドアを凝視するのだった。


「……どうしてこのゲームのはずれは熊なんでしょうか?」


「だから、はずれを引いた参加者を殺すためだろ」


「ドアの向こうから槍が飛び出してくるとか、毒ガスが噴き出してくるとか、殺し方なら他にいくらでもあるでしょう」


「元がヤギなんだし、動物を出したかったんじゃないか?」


「それなら、ヤギを選んだら首につけられた爆弾が爆発する、というような形でもよかったはずです」


 ハルペリは明らかにこちらの言動に合わせた反応をしていた。おそらく、主催者側はカメラを使って、参加者の様子を観察しているのだろう。


 また、それが単にゲームの進行のためだけだとは思えなかった。参加者がどんな理由でドアを選ぶのか。またその結果どうなるのか。ある種のショーとして、主催者は観察するのを楽しんでいるのではないだろうか。


「じゃあ、熊に殺させた方が面白いと思ったとか」


「捕獲したり世話したりする手間までかけてですか?」


 人を拉致したり、ゲーム用の施設を作ったり、賞金に一千万を用意したりするような連中である。熊の飼育にかかる手間を気にするとは思えない。


 そう凛藤が反論しても、真里野は意見を曲げなかった。


 どうしても熊が気になるらしい。Bのドアへ向かっていく。


「あんまり近寄らない方がいいんじゃないか」


 獲物がそばに来たことに興奮したのだろう。熊はアクリル製の仕切りへの攻撃を再開していた。


 ゲーム形式にするあたり、主催者は単なる人の死を見たがっているわけではないはずである。仕切りは十分強度の高いものを用意したに違いない。だが、万が一の事故が起きる可能性もあるから、熊を刺激するような真似は控えた方がいいだろう。


 そんな凛藤の考えと、まったく逆の行動を真里野は取っていた。


「こっちに来てもらえますか」


「なんだよ一体?」


「いいから来てください」


 妙なくらい頑なになっているから、こちらが折れるしかなさそうだった。熊を警戒しながら、凛藤はしぶしぶBのドアに近づく。


「もっとこっちです」


「だから、何なんだよ」


 真里野に強引に手を引っ張られて、ついには体が仕切りにぶつかってしまう。


 仕切りに密着したことで、熊の攻撃する姿がよく見えるだけでなく、爪がぶつかる音まで聞こえてきた。それどころか、荒い息遣いさえ聞こえてきそうだった。その生々しさに、凛藤はますます熊を恐れるようになる。


 一方、真里野は恐怖とは正反対の感情を抱いているようだった。


「もしかして、音で熊がいるかどうか判別できるんじゃないでしょうか」

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