4 モンティ・ホール問題の問題点
「それはまぁそうかもしれないけど……」
真里野の説明に、凛藤は曖昧な相槌を打っていた。
モンティ・ホール問題の考え方に則れば、選ぶドアをAからCに変更するべきである。けれど、当たりを引く確率が高くなるというだけで、絶対に引けるようになるわけではない。それは真里野の言う通りだろう。
しかし、部屋やトイレを調べてみたものの、どのドアが当たりか示すヒントは見つかっていなかった。確率を頼るしかないのではないだろうか。
「凛藤さんは本当にそれでいいんですか?」
真里野はドアを指差す。
その先には、ハルペリが見せたBのドアがあった。
「2/3の確率に――たった66%に命を賭けられますか?」
Bのドアの向こう側には熊がいた。それも相変わらずアクリル製の仕切りを破壊しようとしていた。二人を捕食しようとしているのだ。
もしはずれを引いたら、あれと同じものが部屋の中に入ってくることになってしまう。
だから、ハルペリが「2/3もあれば十分でしょ」「宝くじなんて数百万分の一だよ?」とうるさいのを無視して、凛藤はどのドアを選ぶべきか再び考え始めるのだった。
先の理由から、もちろんCのドアは選べない。しかし、同じようにAのドアも選べない。「Aにも当たりの可能性がある」というだけで、結局確率に命を賭けなくてはならないことには変わりないからである。
順当に確率に従ってCのドアか? それとも直感を信じてAのドアか?
一方を選んだ瞬間、もう一方が正しいように思えてくる。そのせいで、どれだけ考えても答えは出なかった。
それは真里野も同じだったのだろう。モンティ・ホール問題について解説する時はあれだけ饒舌だったのに、今は一言も発しなくなってしまっていた。
部屋の中で口を利いていたのはハルペリだけだった。相変わらず、「もう適当に選んだら?」「大金が欲しいなら少しはチャレンジしなきゃ」と騒がしい。
ハルペリが言うように、このネストホールゲームは、クリアに失敗すれば死ぬだけのゲームではない。もし成功すれば一千万を受け取れるゲームでもあった。
そのリスクとリターンに関しては、詳しいルール説明を受けた今日より前から理解していた。参加者募集のメールに、はっきりと書かれていたからである。
つまり、死ぬかもしれないと分かった上でなお大金を必要とするような事情が、参加者には存在するのだ。
「そういえば、真里野はどうしてこのゲームに参加したんだ?」
口に出してから、失言だったかもしれないことに気づく。「別に言いたくないならいいんだけど」と慌てて付け加える。
しかし、真里野はむしろ誇らしげに答えてきた。
「大学の進学費用のためです」
他人に自慢できるような一流大学が合格圏内にあるということだろうか。今までの言動を考えれば納得ではあるが。
「頭よさそうだもんなぁ。モンティ・ホール問題も知ってたし」
「私は別にいいんです。勉強が好きというわけではないですから。ただ妹がコンクールで賞を取るくらい絵が上手いので、美大に進ませてあげたいんです」
具体的な額は知らないが、学費が高いという話は聞いたことがあった。講義や課題で作品を作るから、他に教材費、材料費などもかかるはずだろう。
「この絵も妹が描いてくれたんです」
真里野は制服のポケットからハンカチを取り出す。白地の布に、ぐにゃぐにゃと抽象画のようなものが描かれていた。
思わず「へー」と感心の声が漏れたが、絵の良し悪しはまったく分からなかった。凛藤が感心していたのは、真里野の姉妹愛に対してだった。
話によれば、彼女は高校から帰る最中に突然
答えたあとで照れくさくなってしまったらしい。真里野はハンカチを畳んでしまう。
「凛藤さんはどうしてなんですか?」
「もっといい車に買い替えたくて」
しばらく間があった。
その上、真里野は結局、「はぁ、そうですか」としか答えなかった。
もっとも、表情は多弁だった。「まさか車のために命を賭けたんですか?」「本当に死ぬとは思ってなかっただけですよね?」「車なんて動けばなんでもいいでしょう」……
ま、所詮まだ高校生だからな。モンティ・ホール問題は知っていても、高い車は乗り心地が違うとか、
そんな反論を思い浮かべつつも、凛藤が車選びの重要性について説くことはなかった。
ゲームのクリア方法を閃いていたからである。
「モンティ・ホール問題って有名なんだよな?」
「そうですね。知ってる人はわりといると思いますよ。クイズ本とか小説とかでも見たことありますし」
「じゃあ、主催者はその裏をかいてくるんじゃないか」
わざわざ似せた名前をつけるくらいである。ネストホールゲームの主催者も、モンティ・ホール問題については当然知っているに違いなかった。
「ドアを変更した方が当たる確率が上がるんだから、モンティ・ホール問題を知ってる参加者は変更したがるだろ? でも、それが主催者の罠なんだ。
ゲームが始まった時には、まだどの通路にも熊はいなかった。俺たちがAを選んだあとで、主催者はBとCの通路に熊を放ったんだ。で、Bのドアを見せることで、俺たちにCを選ばせようとしたんだよ」
ルール表には、主催者があらかじめ熊を通路に放った状態で、参加者がドアを二回選ぶようなことが書いてあった。予想が正しいなら、主催者はルール違反を犯していることになってしまう。
しかし、法律を無視して、人を拉致したり殺人ゲームを開催したりするような連中である。ゲームのルールだけ律儀に守るとはとても思えなかった。むしろ、モンティ・ホール問題を知っている人間を罠にかけるような、悪趣味な真似をしてきても不思議はないくらいだった。
「……そういえば、ハルペリはすぐにはBのドアを見せてきませんでしたね。あの間に、熊の用意をしていたということでしょうか」
〝Aのドアの後ろは……なるほど。あはは、なるほどねー。そう来たかー〟
真里野の言う通り、こちらが試しにドアを選んだあと、ハルペリはしばらくベラベラと話を引き延ばしていた。あれはただ単にこちらを煽っていたわけではなかったのだ。
「じゃあ、Aのドアを選ぶってことでいいかい?」
「…………」
いざハルペリに確認されると、二人は黙りこくってしまった。
「俺たちに深読みさせるのが狙いで、熊を放ったのがAとBってこともありえるよな?」
「そうですね」
「命を賭けられるほどの予想じゃないよな?」
「ええ」
モンティ・ホール問題の裏をかいて、主催者がCのドアに熊を放つ。その行動を読んで、参加者は裏の裏をかいてAのドアを選ぶ。しかし、それさえ読んで、主催者は裏の裏の裏をかいてAのドアに熊を放つ……と考えていくとキリがない。結局、今度の案も確実なクリア方法とは言えなかったようだ。
だから、AとCどちらのドアを選ぶべきなのか、凛藤たちはまた一から考え直さなくてはいけなかった。
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