Side ; B

 そんなことがあった、翌日のことだった。


 その日は土曜日で、私は私服のまま烏丸からすま書店へ立ち寄ることにした。


 友達と出掛けていた帰り道だから、時間は少しだけ遅い。もうそろそろ夕日が完全に落ちきるかというくらいで、周囲からはすでに人気がはけている。


 ──でも、あそこはまだ営業時間のはず……って。


「あれ?」


 私は思わず驚きの声をこぼしていた。


 お目当てだったお店には灯りが灯っておらず、店表のシャッターはすでに降ろされている。


『いつも学校帰りに寄る時は、この時間帯まで店にいても追い出されたことなんかないのに』と目を丸くすれば、シャッターにはペラリと一枚紙が貼られていた。よく見ればその紙にはちょっとヨレた文字で『本日休業』と書かれている。


 ──ここ、定休日とかあったんだ……


 れんさんからそんな話は聞いたことがなかったけれど。


 ……でも、言われてみればいつだって蓮さんが一人で店番をしていた。店主が一人で営業しているなら、ちゃんとどこかでお休みしないといけない。もしかしたら私が知らなかっただけで、前から土日定休だったのかもしれないし。


「あっれぇ〜? なんかカワイイコいんじゃ〜ん?」


 今度きちんと蓮さんに確認してみよう、と思った、その瞬間だった。


 突如聞こえたガラの悪い声にハッと体を強張らせながら振り返れば、『いかにも』といった雰囲気の不良集団がニヤニヤしながらこっちに近付いてくるところだった。


「君さぁ、ここらへんの子ぉ?」

「俺らさ、人を探してんだけどさぁ、見つかんなくてぇ」

「てかぁ、ぶっちゃけ目当ての人はそこの店長サンなんだけどさぁ、今日やってねぇじゃんねぇ? そこの店ぇ」

「なぁなぁ、ヒマしてんなら、一緒に探してくんねぇ?」

「ここの店主のことさぁ、君、知ってるっしょ? わざわざこんな時間にお店に来たんだからさぁ?」


 どうか人違いでありますように、と思っていたけれど、三人組で現れた不良集団の視線はガッチリ私に向けられている。そもそも、今この周囲に私以外の人影はない。人違いであるはずがなかった。


「……っ!」

「そんなに怖がんなくていーんだよぉ?」

「ほらちょーっと店主に連絡してくれるだけでいいからさぁ〜」


 逃げ出したいのに、体が恐怖に凍りついて動かない。


 怖がってる素振りなんて見せたら相手を喜ばせるだけだって頭では分かっていても、言葉は出てこないし、何か対処をすることもできなかった。


 かろうじて足が一歩後ろに下がる。


 だけどそんな私の退路を断つかのように、道の反対側からも足音が聞こえてきた。反射的に振り返れば、反対側からも似たような雰囲気のガラの悪い男達が近付いてくる。


 ──なに……っ!? 何なの、これっ!?


 思わずジワリと目頭が熱くなった。握りしめた手がカタカタと震えている。


「そんなに怖がって〜。一体ナニを想像しちゃってんの?」

「別に俺達、キミになぁんにも……」

「おい」


 ニタニタと向けられる笑みが気持ち悪くて、思わずギュッと目をつむる。


 その瞬間、低いのによく響く声が、薄闇を切り裂いて私の耳に突き刺さった。


「人の店の前で何やってんだ、テメェらはよぉ」


 それがよく知っている声だと気付いて目を開いた、その瞬間。


 ヒュッという鋭い音が響いたと思った瞬間、バキッという鈍い音が目の前から上がった。思わず目を丸くした瞬間には、三人組の真ん中にいた男の頭が後ろから殴られたみたいに揺れている。ドサリと倒れ込んだ男は、意識を失っているみたいだった。


 その足元に転がったのは……ペットボトルみたいに蓋ができるタイプの缶? ラベルからしてコーヒー、かな?


「……え?」


 あまりにも予想外な光景に、私は気の抜けた声とともに顔を上げる。


 だって、さっき聞こえた、あの声って……


「最近のガキは、礼儀ってモンを知らねぇのか?」


 突然の出来事にこの場につどった不良達が視線を飛ばして固まったその先に、声の主は悠然と立っていた。


 ぼんやりと赤く灯る光は、タバコの火だった。薄く残った夕焼けの光の中に、フゥ、と吐き出された紫煙が気だるげに立ち昇って消えていく。


 ほどかれた髪はいつもよりほんの少し長く襟足を覆っていた。いつもの黒縁メガネがない顔はそれだけでヒンヤリと冷たく見えるのに、今はさらに視線に冷気が載せられている。


 肩からわざと滑らせるように羽織った薄手の黒いカーディガン。黒いタンクトップとカーディガンの間にのぞくたくましい二の腕には、カラスがモチーフにされた黒いタトゥーが入れられている。カーゴパンツも、ベルトも、足を通したサンダルまでもが真っ黒で、まるで夜の中からにじみ出してきたかのような雰囲気がそこにはあった。


 まるで、刃物みたいな。


 近付くだけで斬りつけられそうな鋭い雰囲気は、初めて接するものだけど。でも、私がこの人を見間違えるはずがない。


「蓮、さ……」

「そっ、その二の腕のタトゥー!」

「てっ、テメェが『黒羽CROW』の『ブラック・ロータス』だなっ!?」


 だけど私の声は、当人に届く前に周囲の不良集団の叫び声にかき消されてしまった。


 え? え? な、何? クロウのブラック・ロータス?


「やっと見つけたぜ! ブラック・ロータス!」

「オラ、ツラ貸せや!」


 戸惑う私を他所よそに、不良集団が声を上げる。順序立てて喋らずワァワァとわめきたいように喚き散らす声はうるさい上に要領を得ていない。


「コソコソ逃げ隠れしやがってっ!!」

「テメェにグループを潰されたオトシマエ、今こそつけてやるっ!!」

「このままじゃうちのメンツがもたねぇんだよっ!!」

「ついでにテメェを潰せりゃ、抗争は俺ら『バットウルフ』のモンだっ!!」


 えっと? 何? この人達が『探してる』って言ってた人は蓮さんで、『ブラック・ロータス』っていうのは蓮さん呼び名? あだ名?


 抗争がどうとか、グループを潰したとか、メンツとか、オトシマエとか、一体どこの任侠小説なのよっ! 全然蓮さんに似合わない言葉ばっかりなんだけども!


「……ワァワァ喚くんじゃねぇよ、ご近所さん迷惑だろーが」


 私は思わず内心だけで悲鳴を上げる。


 だけど視線のひとつさえ動かさないままタバコを口に運んだ蓮さんは、スウッとまたタバコを一息吸い込むと低い静かな声で言い放った。


 特に力がこもっているようには聞こえない……俗に言う『ダウナー系』な喋り方そのものなのに、蓮さんの声が響いた瞬間、辺りの空気がピシリと緊張する。


「大体テメェら、一体何年前の話をしてんだよ? 俺はとっくの昔に『黒羽CROW』からは手ェ引いたんだ。今は今で残されたメンツが面白おかしくやってんだろうよ」

「手ェ引いてようが! 俺らを潰したのはテメェに変わりは」

「あともうひとつ」


 フゥ、ともう一度煙を吐き出した蓮さんは、ピンッとタバコを宙に弾くとスッと視線を不良達に向けた。


 たったそれだけの仕草で、不良達の体が凍りつく。


「俺、『ブラック・ロータスその名前』で呼ばれんの、今も昔も嫌いなんだよね」


 クルクルクルと宙を舞ったタバコが蓮さんの足元に落ちて、サンダルに通された足が最後まで残っていた火を踏みつけて消す。


 その瞬間、蓮さんからの圧に負けたかのように、不良達は雄叫びを上げながら蓮さんに殴りかかっていた。


「れ……っ!」


 私の口から叫び声がこぼれる。


 だけど私が『蓮さん!』と声を上げるよりも、蓮さんが全てを片付けてしまう方が早かった。


 相手の動きに合わせて体をさばいた蓮さんは、一人につき一発、拳か足で攻撃を加えることで軽々と不良集団を制圧してしまった。


 その場から一歩も動くことなく、相手が向かってくる動きに合わせてスルリと手と腕を動かすだけで、面白いくらい簡単にバッタバッタと人が倒れていく。


「……え?」


 私が間抜けな声を上げた時には、蓮さんは全てを片付けてパンパンッと手を払っていた。何が何だか分からず固まっていた私だけが、ポツンとその場に残されている。


 そんな私に視線を向けた蓮さんは、一瞬だけいつもの『ユルい蓮さん』を垣間見せながら、シーっと唇の前に人差し指を立てた。


 それからスッと、視線をどこかに向ける。


「おい」


 そんな蓮さんの唇を割った声がさっき不良達を相手にしていた時よりもよほど不機嫌で低いことに、私は思わずビクリと肩をね上げた。


 今の蓮さんは、さっき不良集団を相手にしていた時よりも、よっぽど何かに怒っている。


「俺をダシに使っといて、テメェは高みの見物か?」

「高みの見物だなんて」


 反射的に蓮さんの視線の先を追う。


 そこにいつの間にか第三者が現れていたことに気付いた私は、もうこれ以上はないんじゃないかというくらい目を丸くしていた。


「ノロマな俺が動き出すより早く、総長が直々に制裁を加えてくれたって話じゃねぇーっすか」


 そこにいたのは、夜目にも鮮やかな金髪をなびかせた男の人だった。


 多分歳は蓮さんよりちょっと下だろう。まっすぐに蓮さんを見つめたその人は、自分をにらみつける蓮さんにニコニコと嬉しそうに笑いかけていた。


 ──あの人……


 黒いジャケットに細身のパンツを合わせたその人は大きなバイクにまたがっている。そのバイクにも、ジャケットの背中にも、同じ紋章が入っていた。


 蓮さんの腕のタトゥーと同じ、カラスの紋章が。


「サツキ」


 金髪の男の人を見据えたまま、蓮さんは声を上げた。さらに鋭さを増した蓮さんの視線は、相手を見据えただけで射殺してしまいそうな迫力と冷たさを湛えている。


「こいつら焚き付けて、俺を探させたのはテメェだな?」


 そんな蓮さんからの問いに、『サツキ』と呼びかけられた男の人は艶やかに笑みを深めた。


 第三者である私でさえ蓮さんが醸す圧が恐ろしくて恐ろしくて仕方がないというのに、サツキさんは『見つめられて嬉しい』と言わんばかりの表情を蓮さんに向けている。


「最近妙に周囲が騒がしいとは思ってたんだ。わざわざ休みを潰してまで調べに出てみりゃだ」

「『調べに出てみりゃ』って、随分と簡単に言ってくれますね」

「あらぬ噂を流して、やっと平穏を手に入れた世界をかき乱して、テメェは何をしてぇんだ。ア? サツキ」


 サツキさんの軽口には付き合わず、蓮さんは纏う空気の圧を上げた。冷え切った空気がそのままパキパキと音を立てて凍り付いていきそうなくらい、今の蓮さんからは冷気が発されている。


「俺は総長の座を降りた。今の総長の座はお前のモンのはずだ」

「確かにあんたは総長の座を降りた。でも俺がそこに座るつもりはないっす」


 バイクのハンドルに肘をつき、さらにあごを預けたサツキさんは、蓮さんを見つめたままうっとりと目を細めた。


「不良集団総元締『黒羽CROW』。はぐれ者のカラス達のカシラを張れんのは、あんただけっすよ。『漆黒の蓮華ブラック・ロータス烏丸からすま蓮」

「俺はその名前が嫌いだっつってんだろ」


 蓮さんは冷たく言い放つと、ポケットからタバコの箱を取り出した。一度箱を縦に振って中からタバコを取り出した蓮さんは、タバコの箱をポケットに戻すと今度は同じ手でジッポライターを取り出す。


 キンッという金属音と、シュボッという火がつく音が、ほとんど同時に聞こえた。さらにチリチリとタバコが焼けるような音が聞こえた気がしたけれど、きっとそれは私があまりにもその仕草に見惚れていたせいで、聞こえない音まで聞こえた気になっていただけだろう。


 その証拠に、一度スッと目を閉じた蓮さんが深呼吸とともに目を開けた時、その音はかき消えてしまった。


「これ以上絡んでくんなら、テメェもシメんぞ、サツキ」


 そう宣言した蓮さんは。


 確かに雑魚ザコを蹴散らす王者の貫禄をその身にまとっていた。


「……っ、たまんねぇっすよ、その。やっぱあんたはまだまだ現役だ」


 その視線を一身に浴びたサツキさんは、ドロリととろけた表情を垣間見せた。


 だけどそれは一瞬だけで、次の瞬間サツキさんはバイクのエンジンをかけるとハンドルをさばいて車体をひるがす。


「また来ますよ、総長」


 一方的に宣言したサツキさんは、蓮さんの返事を聞かずに闇の中へ走り去った。私の目に焼き付いたカラスの紋章は、あっという間に闇の中へ消えていく。


 後には、私と蓮さんだけが残された。


「……あー、っと」


 気まずそうに口元からタバコを抜き取った蓮さんは、今度はポケットから携帯灰皿を取り出すとくわえていたタバコをチャチャッと片付ける。ついでに先程踏みつけて火を消したタバコの灰殻も拾い上げて始末したようだった。


「その……あの、ね?」


 さらにいそいそとカーディガンを肩まで引っ張り上げた蓮さんは、無意味に視線を宙に泳がせていて私の方を見ようとしない。完全に挙動不審だ。


 でもその挙動不審で、ちょっとユルい蓮さんの方が、私にとっては馴染みの深い蓮さんだから。


 だから私は、最後まで肩に残っていた力を抜くと、蓮さんの方に向き直った。


「お店って、土日定休だったんですか?」

「えっ?」


 そんな私の反応は、蓮さんにとっては完全に予想外のものだったのだろう。蓮さんは目をパチパチとしばたたかせながらようやく私に視線を向けてくれる。


 そのことに、心の底からほっとした。


「土日定休だなんて、知らなかったから」


『ほら、この貼り紙』と示すと、蓮さんの視線がシャッターの貼り紙に向けられた。自分で書いて貼ったはずなのにようやくその存在を思い出したらしい蓮さんは、納得を顔に広げるとフニャリと笑う。


「昔は不定休だったんだけど、今は土日定休なんだ」

「え?」

「だって平日は、ユノちゃんが来てくれるからね」


 その言葉に、またドキリと心臓が跳ねる。


 ずっと今日のこのドキドキは不良集団に絡まれた恐怖からくるドキドキだと思い込もうとしていたはずなのに。


 予期せず接することになった、目の前のこの人の一面にドキドキしてしまっていたのだと、嫌でも思い知らされる。


「ね、これにりずに、また来てくれる?」


 どう反応したらいいのか分からないまま固まっていたら、蓮さんの方がスッと動いた。


 自分から私との距離を詰めた蓮さんは、私と一歩の距離を残して足を止める。


 いつもは古い紙とインクのにおいを思わせるホッとしたにおいに包まれている蓮さんが、今日は違ったにおいをまとっていた。


 苦みと煙たさが混ざったそれは、高校生の私でも分かる、夜の闇と暴力の気配の象徴。


「ユノちゃん、知ってた?」


 最後の距離を、蓮さんの腕が埋める。


 伸ばされた蓮さんの指が、サラリと私の髪を揺らした。


「俺は、案外、君をずっと待ってるんだってこと」


 蓮さんが距離を詰めてきてからなぜか顔を上げられなくなった私は、その感触に思わずビクリと肩をね上げると蓮さんを見上げた。


 その先にあった瞳と視線がかち合った瞬間、私はもう蓮さんから視線を逸らせなくなる。


「それ、は……」


 勝手にこぼれたのは、誰の声だったんだろう。


 思わずそう考えてしまうくらい、私の喉から漏れた声は上ずっていて。


「どういう、意味、で……?」

「さぁて、ねぇ?」


 そんな私の声にまで笑みを深めた蓮さんは、少しだけイジワルな笑い方で笑っていた。


「毎日の放課後の話か。あるいは」


 君がオトナになる日を、待っている、とか。




 そう囁いた蓮さんに、堕ちない人なんて、きっといない。


 私はきっとこれからも、思っていたよりもずっとずっと得体の知れないこの人に、振り回されて生きていく。


 そんな予感が、してしまった。



【END】

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