第29話


「まさかこんな結末になるなんてね」


 永人くんが大きく腕を伸ばしながら言った。

 譲渡会場を後にして、二人でバス停までのんびり歩いているところだ。


 あれから小川さんとしばらく話をして、連絡先を交換したり、家の場所を聞いたり、これからのことを話し合ったりした。

 ひとまずお試しでハチを小川さんの家に連れていくとき、わたしも立ち会うことになったんだけど、詳しいことはまた後日。

 小川さんともハチともいったんさよならして、一週間後にまた会うことになっている。


「ほんと、うれしかったなあ」


 わたしはかみしめるように言った。

 ハチの新しい飼い主にごいあさつして、会いに行けるようにお願いするだけのつもりだったのに――また一緒に暮らす未来を与えてもらえるなんて。


「マルちゃんの誠意が伝わったんだよ」


 永人くんはなぜか得意そうにそう言った。


「え?」

「マルちゃんがちゃんとした人だから、小川さんもああ言ってくれたんだと思うよ」

「そうかな。わたしは永人くんのおかげでもあると思うけど。永人くんが引き留めてくれてなかったら、どうなってたか分からないもん」

「いやいや、ふつうにしゃべってただけだし」


 永人くんはそう言って謙遜するけれど、わたしは断固として首を横に振った。


「すごくありがたいことだよ。小川さんのことだけじゃなくて。ほかのことだって」

「ほかのこと?」

「うん。今朝、新名さんとか結愛ちゃんからメッセージが来てたの。永人くんから譲渡会の話聞いたって、みんな心配しててくれて。最後まで引き取ってくれる人、探してくれてたんだよね?」

「ああ、それは……うん。そう。最後のあがき。いろんな人に連絡してたら、人づてに小川さんお孫さんの耳にも入ったらしくて、小川さんが決心してくれたみたいだよ」

「そうなんだ……。でもそれならやっぱり永人くんのおかげだよ。本当にありがとう」


 わたし、永人くんに心からの「ありがとう」を言うの、何回目だろう。

 永人くんが励ましてくれたから、ハチのことをあきらめずにすんだ。

 知らない人に声をかける勇気も出た。クラスメイトとも打ち解けられた。家族にやさしくできた。

 全部永人くんのおかげだ。

 わたし、永人くんには感謝しかない。


「永人くん。ちなみにそのお孫さん、なんていう人? ごあいさつに行かなきゃ」

「――それはダメ。絶対ダメ」


 突然すごい勢いで却下されて、わたしはびっくりして目をまたたかせた。


「どうしてダメなの?」


 聞き返すと、永人くんはなぜかむすっとして、そっぽを向いてしまう。

 まるで昨日のバスケ対決のあとみたい。あからさまに不機嫌だ。


 でもわたしはちゃんとその人にあいさつをしたいから、もう一度「ねえどうして?」と聞いた。

 すると、永人くんは散々渋ったあとで、ちらっとわたしを見下ろした。


「マルちゃん、バスケ部のキャプテンって知ってる?」

「バスケ部のキャプテン? 知らない。小川さんのお孫さんって、その人なの? 永人くんは知ってるの?」

「あー……うん。知ってる……けど……」


 永人くんにしてはめずらしく、歯切れが悪い。


「もしかして怖い先輩なの?」

「う……いや、ヤバい人」

「ヤバいって。どんな感じで? 動物をいじめるような人だと困るんだけど」


 あせるわたしに、永人くんはあわてて「ああ、ちがうちがう!」と手を振った。


「そうじゃなくて! いい意味で、ヤバい人!」

「いい意味で?」

「うん……」


 しぶしぶって感じでうなずいた永人くんは、観念したようにため息をつき、頭をかきながら続けた。


「ほんとヤバいの。バスケうまいし、勉強できるし、性格よくて背高くて、めちゃくちゃモテる超イケメン……」

「へー、そうなんだ」


 そう言えば、昨日結愛ちゃんがバスケ対決のメンバーの中にイケメンの先輩がいるとか言ってたっけ。

 その人がいるからギャラリーが多いとか、なんとか。


「……でも永人くん、その先輩いい人なのに、なんでそんなに嫌そうなの?」

「だってそんなヤバい人にやさしくされたら、マルちゃん絶対好きになるでしょ」


 わたしは目をぱちくりとさせた。

 わたしがバスケ部のイケメン先輩を好きに?


「ならないよ」


 わたしは迷わず言った。

 ほとんど反射みたいなものだったから、少し遅れて混乱してしまった。


「え? なるわけないよね。知らない人だもん。それに――」


 ――わたし永人くんが好きだから。

 うっかりそう口をすべらせそうになって、わたしは金魚みたいに口をぱくぱくさせる。


「それに?」

「あ、あの、その先輩って、昨日のバスケ対決にもいたんでしょう? でもわたしぜんぜん目につかなかったもん! 永人くんが一番かっこよかった!」


 言ってしまってからはっとして、わたしは両手で頬をつつんだ。

 永人くんが口を押えてぐるんと向こうを向く。


「……だからそれテレるって……」

「だ、だって永人くんがすねるから……」

「すねてないよ」

「うそ。口調が怒ってる」

「う――それはごめん」

「あ、べつにいいの。遠慮しないでくれるのはうれしいから……」


 わたしなにやってるんだろう。

 こんな、着古したラグランシャツにウエストがゴムのワイドパンツなんか着ちゃって、髪はボサボサで、足元なんてクロックスなのに、心の中だけキラキラしっぱなし。

 絶対に今、顔が赤い。自信がある。


「マルちゃん」


 むやみに早足になっていたら、永人くんが急に大きな声でわたしを呼んだ。

 立ち止まると、いつの間にか永人くんと距離があいていることに気がつく。

 飛び上がって、急いで戻ろうとしたときだ。


「明日俺とデートして」


 永人くんがいきなりそんなことを言うから、わたしは目をまたたかせた。


「……え。え? デート。って?」

「駅前の大観覧車に乗りたい」


 永人くんは言う。とても真剣に。まっすぐわたしを見て。


「それで、できたらそのとき、大事な話をしたいです」

「は、はい……」


 わたしはうなずいた。

 うなずきながら、体中を駆け抜ける衝撃にうろたえた。

 永人くんの言う大事な話がどんなものか、ぜんぜん分からないのに。

 心臓が強く反応するのだ。


「よし、気合い入れよ」


 つぶやいた永人くんが、長い足を振りだし、歩き出す。

 あっという間に追い越されて、わたしも急いで続いた。

 直後につまずきかけて、永人くんが急停止して顔をのぞきこんでくる。


「大丈夫?」

「うん。大丈夫。ありがとう」

 

 笑いあって、一緒に歩きだす。

 今度はゆっくりと、わたしに合わせてくる永人くんの横顔を見上げる。

 そしてとてもあたたかくて、なぜか泣きたくなるような、とびきりキラキラした心で、わたしは思うのだ。


 わたしもきっと、明日彼に大事な話をするんだろうな――って。

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キミと猫と、恋のお話 きりしま @kir_undersan

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