参
ヒューイッ、ヒューイッ、と宵闇の中に独特の節をつけた笛の音が響いていた。
この
この笛は荷馬車が完全に燃え落ち、忘れ茉莉花の成分を含んだ煙が完全に薄れたことを確かめに出た
「運び屋達は、何か吐いたか?」
その音を、蓮は
本来ならば、蓮も現場で指揮を執るべきなのだろうが、気を利かせてくれた部下達が蓮を游稔の元に送り出してくれた。配下達からしてみれば、今回のことはそれだけ大事だったということだろう。
──運び屋達は全員捕獲できたが、火矢を撃ち込んできた人間は取り逃がしてる。
游稔と内密に話をしたかったというのも事実だが、腕が立つときちんと実証された
今、この姻寧の闇の中には、『敵』が紛れ込んでいる。警戒は強めておくに越したことはない。
「引っ立てられてきた五人は、
閉め切られていた窓を開け、外にはめられていた戸板を外しながら、游稔は淡々と蓮の問いに答えた。
「途中経過を
「荷については」
「確かに、忘れ
ただ『
荷の蓋を開けなくても各所の検問を通過できるよう、その特注の荷は二重底になった箱の底に隠されていたのだという。だから運び屋達も、その荷の中身を見ることはなかった、と証言しているらしい。
「忘れ茉莉花の存在は知っていたくせに、特注品の中身は知らなかった?」
「まぁ、ガセなのかガセじゃないのかは、じっくり芙蓉が調べてくれるさ」
『
『芙蓉
だが芙蓉の本領は、決してその美貌にはない。
芙蓉が本領を発揮するのは尋問だ。
今まで芙蓉の前に引き出されて口を割らなかった者はいない。口を閉ざしたまま地獄に逃げ切った者もいない。あの程度の小悪党ならば、そこまで時をかけずとも全てを吐くだろう。
「……俺の配下の中に、火矢を撃った人間の姿を目撃していたやつがいた」
もたらされた情報と、自身が持っている情報を照合しながら、蓮はゆっくりと唇を開く。
「詳しい容貌は、衣を頭から
カタリ、カタリと戸板が外されていくごとに、開かれた窓からは月光が差し込み始める。
少しずつ部屋の中が青白い光に満たされていくのを眺めながら、蓮はそっと言葉の続きを口にした。
「女であった、という話だ」
「……へぇ」
どこか面白がる口調で呟いた游稔は、蓮を振り返るとニヤリと笑った。
色が入れられた眼鏡を外し、
「それは何だか、奇遇だねぇ?」
「奇遇?」
「君が
戸板を外し終わった游稔は、卓に腰を預けるように立つとコンコン、と卓を叩いた。明るくなった視界の先を見やれば、卓の上には数枚の書類が散らばっている。
「
廊下へ続く扉に背中を預けるようにして立つ蓮へ、游稔は真っ直ぐに視線を向けた。月光と細い燈明だけが光源になっている中でも、その瞳の奥底が酷く凍て付いているのが、蓮には分かる。
「あのいかにも手が込んでそうな金糸の刺繍ね。あれ、全部唐草紅花紋だったらしいよ」
「唐草紅花紋、って……」
唐草模様の先を紅花に置き換えた図柄が『唐草紅花紋』だ。
「
「そう。『忘れ茉莉花』の製造・販売・流通の総元締めなんじゃないかって目されている、あの
北の繁都である珊譚の裏社会を牛耳る一大
──『
「『
思考を巡らせる蓮に視線を据えたまま、游稔はスッと顔から表情をかき消した。
「どうやら、棺桶の中に設置して使うためのものだったらしい」
「棺桶の中?」
「棺桶は棺桶じゃなくて、移動式の簡易
「……っ!?」
その言葉に、蓮の背筋にゾッと悪寒が走った。
人を閉じ込め、密閉できる空間。忘れ茉莉花を焚き続ける道具。現場に残された大量の忘れ茉莉花。
血塗れの花嫁装束に身を包んでいた、凄腕の暗殺者。忘れ茉莉花の香りを強烈に漂わせていた、少女と見紛う美貌の少年。
常々、疑問だった。
暗殺者は、人目につかない姿で行動した方が仕事の成功率は上がる。だというのに『
──まさか、『
暗殺者の集団、なのではなく。
麻薬漬けにした一人の暗殺者を……殺しの道具として仕込んだたった一人を、仕事現場まで運搬していた、ただの運び屋だったのではないだろうか。決して逃走も反抗もしないように、常に煙で包んで持ち運ぶことこそが、彼らの仕事だったのではないだろうか。
「ねぇ、蓮」
確たる証拠など何もない。ただ、そう考えれば全てが綺麗に収まる。
そんな考えに背筋を凍り付かせる蓮の視線の先で、游稔は感情が褪せた声を上げていた。
「火矢を撃ち込んだ人間ってさ、証拠隠滅が目的だったと思う?」
ハッと意識を游稔に引き戻す。
その瞬間、游稔は酷薄な笑みを顔中に広げた。
「それとも、姻寧の街中で、忘れ茉莉花を焚き上げることが目的だったと思う?」
「……っ」
「どうやら先方は、霜天商会との戦争を御所望らしい」
問いかけていながら、游稔は蓮から答えを求めてはいないようだった。
冷え切った言葉に息を詰める蓮に、游稔は畳み掛けるように言葉を続ける。
「覚悟しといてね、蓮」
その『覚悟』が、いくつもの対象に向けてへの『覚悟』であるということは、一々説明されなくても分かる。それだけの付き合いが、蓮と游稔の間にはある。
だからこそ蓮は、游稔を強く見据え返すと短く答えた。
「今更だな」
その、虚勢とも取れそうな短い返答に。
游稔は一瞬だけ、酷く満足そうな笑みを浮かべた。
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