弐
──避難完了。窓と扉も閉まってる。
自分が乗り込んでいっても問題ない状況が整っていることを確認した
「テメェら、そもそも何の権限があって俺らの荷物にケチつけるってんだっ!!」
「だから言ってんだろっ! 姻寧じゃ門を通る前に不審な荷物を積んでねぇか逐一確認してるってっ!」
「今までお前らは姻寧を通ったことがねぇっつうのかよっ!?」
「ちゃんと見せただろうがっ!!」
「イチャモンつけやがって! どうせ俺らの荷をぶん取るつもりなんだろっ!? そうはさせねぇからなっ!!」
喧騒の中心では、二頭の馬に引かれた荷馬車が一台止まっていた。かなり大きな馬車で、荷台には
その周囲を包囲するようにガタイのいい男達が人垣を作り上げていた。蓮の部下にあたる商会の『
──確かにこの大きさの荷馬車に強行突破をかけられたら、止めるのもひと苦労だな。
『むしろよく止めた』と、蓮はひとまず内心で配下達を
「
ひとしきり状況を確認した蓮は、人垣の一番外側にいた男に向かって声を投げた。蓮に呼びかけられた男は、ハッと振り返ると蓮の元へ駆け寄ってくる。
「
「状況は」
「へい。相手は
「なぜ気になった」
「
「ご苦労」
手短に必要な情報だけを伝えてくれた部下を労い、蓮は人垣の中へと踏み込んだ。
「双方、一旦そこまで」
同時に、声を張る。
蓮が腹の底から声を出すと、怒鳴ったわけでもないのにパンッと声が響いた。力みが一切ないにも関わらずどこまでも凜と響く声に、人垣を作り出していた部下達のみならず、荷馬車からがなり声を上げていた運び屋達までもが口をつぐむ。
「
「
その後に広がったのは、熱をはらんだ
「随分と派手にやってるじゃねぇか」
己の前に開かれた道を進んだ蓮は、荷馬車と五歩の間合いを残して足を止めた。そのままゆったりと腕を組んで荷馬車の御者台に立つ二人の運び屋を見上げれば、それだけで運び屋達はウッと息を詰まらせる。
だが運び屋という仕事は、往々にして黒社会との縁が深い。霜天商会を相手にここまで強気に出られた辺りからして、彼らも黒社会に片足を突っ込んでいるのだろう。
そんな蓮の予想を肯定するかのように、運び屋達は再び威勢よく口を開いた。
「おうおう、テメェが世に聞く『霜天の黒狼』かよ」
「テメェが出てきたくらいでこっちが怖気付くと思うなよっ!」
──そういう台詞を口にしてる時点で、十分テメェらは怖気付いちまってんだよ。
運び屋達の言葉に内心だけで答えた蓮は、ヒラリと片手を上げると殺気を醸す部下達を制した。『俺達の
「悪いが、この姻寧じゃ北陰門と
荒くれ男達を片手で制する様に圧倒されたのか。あるいは挑発に乗らず、あくまで淡々と言葉を紡ぐ蓮から格の違いを感じたのか。
運び屋達は蓮の言葉にグッと喉を詰まらせたようだった。ギリギリと奥歯を噛みしめる音が、男達の表情を見ただけで聞こえてくるような気がする。
「後ろめたいことがないなら、素直に従うことを勧める。……あんまり強く拒まれると、こっちも本腰入れて疑わなきゃならねぇからな」
真っ当な商いをしている商人に対し霜天商会が真摯な対応を取ることは、
同時に『霜天商会の流儀に逆らえば命はない』というのも、世では広く知られた言葉だった。特に商会が本拠地を置く姻寧では、商会の流儀が『法』となる。姻寧で楽しく過ごしたいならば、商会が定めた規則に従わなければならない。
「この姻寧を下手な荷物が通過すれば、商会の信用に関わる」
その権威を執行する第一人者として、蓮はひたと運び屋達を見据えたまま静かに言い切った。
「疑わしい荷は全て調べる。これが商会の流儀だ。嫌疑が嫌疑ですめば、荷の安全は保証する」
商会関係者が身分をかさに着て理不尽を振りかざすことを、
商会が姻寧を通過する人々に課している法も、商会の信頼と姻寧の安全を守るための最低限かつ最小限のものだ。不当に金や荷を巻き上げるような所業を、游稔も蓮も配下に許してはいない。
姻寧最大の権力者である霜天商会が真っ当に街と民を守っているからこそ、姻寧と商会はここまで発展してきた。姻寧の民も、商会と取引を持つ商人も、そのことをよくよく知っている。
だからこそ、その最低限の法にあえて噛みつこうとする人間は、大概が
──例えば、姻寧よりも南で流通させるべく『忘れ茉莉花』の密輸を試みる売人とか……な。
「こちらの事情は説明した。今からでも大人しく従うならば、こちらも穏便に対応する心づもりはある」
逆に言えば『これ以上突っぱねるならば、ここから先は言葉ではなく武力での会話になる』という最終通告だ。
──とはいえ、ここまでのことをしでかした人間が、今更大人しく投降してくるなんてことはねぇわな。
蓮としてもここで絶対に説得したいというわけではない。あくまで『事前に説得を試みた』という事実が欲しいだけの勧告だ。武力行使をするために一定の手続きを踏んでいると言ってもいい。少なくとも蓮は最初から武力行使を前提としてこの問答をしている。
──……幌の中にも何人かいるな。……三人、か?
一行は全員で五人。蓮が動けば制圧はたやすいだろう。
そこまでは把握ができた。あとは禅讓が目をつけたという荷物がどれであるのかを知りたい。禅讓が言う通りに彼らの荷物の中から『忘れ茉莉花』が見つかれば、余計な段階をすっ飛ばして運び屋一行をしょっ引くことができる。
「……
『さて、どうやって仕掛けようか』と蓮は視線を
そんな蓮の耳にポツリと小さな声が届いた。傍らに控えた
「分かるのか?」
蓮が運び屋達から視線を逸らさないまま
「……荷馬車の中に入れれば、どの荷物か見つけられるか?」
重ねて問いかけると、
ひたと荷馬車を見つめた
──お手並み拝見と行かせてもらうか。
「殺すな。荷物を見つけたら教えろ」
「了解」
短い指示だけを与えて、合図は出さなかった。
だが
「なっ……」
「何を……っ!?」
蓮の奇襲に御者台にいた二人は反応しきれていなかった。
鋭く踏み込んだ勢いを利用してフワリと蓮が御者台に飛び乗った瞬間、ようやく蓮の動きに気付いた二人が悲鳴を上げる。そんな二人の手首をそれぞれ取った蓮は、突撃の勢いと己の体重、地面と御者台の高低差を利用して二人の体をまとめて下へ投げ飛ばした。
同時に機を窺っていた配下に指示を飛ばす。
「馬を外せっ!!」
「へいっ!!」
蓮の指示を待っていた男達は、素早く
同時に、荷馬車の幌の中からも鈍い音が響いていた。
「ギャッ!!」
「なっ……ななっ……!?」
「グゥッ!?」
鈍い打撃音とともに三人分の悲鳴が響くのを聞いた蓮は、御者台から飛び降りると荷馬車の後ろへ回り込む。
周囲をグルリと『
瞬殺という言葉にふさわしい制圧劇に圧倒されているのか、人垣を作り出している男達までもがポカンと幌の内を見つめていた。
──おいおい、何マヌケ面さらしてやがる。
『敵が叩き出されてきたなら、さっさとふん縛れ』と蓮は思わず顔をしかめる。
だがその不機嫌は、人垣の中から漏れ出てきた声を聞いた瞬間霧散した。
「
「
「え? じゃああの美少女、
──俺と、同じ動き?
蓮も確かに本質は暗殺者だ。記憶は全て失ってしまった蓮だが、体に叩き込まれた技術と知識と呼ばれるものは残された。だから游稔に拾われた時から、蓮は商会の武力を行使する者として働いている。
蓮の動きと知識の偏りから、『暗殺者として仕込まれたのだろう』と判定したのは游稔だ。同時に游稔は『戦闘時の癖は仕込み手の癖を引き継ぎやすい。似たような動きをする人間を見つけられれば、君を仕込んだ人間、引いては君が元々属していた組織が分かるかもしれない』とも言っていた。
──まさか、
蓮が游稔に拾われてすでに十年の時が過ぎた。だが今まで蓮や游稔が『蓮に近い』と思えるような戦い方をしている人間には出会ったことがない。結果、依然として『蓮』の起源は白紙のままになっている。
そんな蓮と
『
──
蓮が忘れ茉莉花漬けにされた時に置かれていた場所も、姻寧よりも北の地域であっただろうと予測されている。それが珊譚であっても矛盾はない。
思わぬ瞬間に行きあった思わぬ一致に、蓮は思わず拳を握りしめる。
「ねぇ」
その瞬間、こんな時でも感情を
「誰か手伝って」
ハッと我に返ったのは、蓮も配下達も同じであったらしい。
そんな中、幌の中からヒョコリと顔を出した
「荷物、見つけた。でも、埋まってて、僕じゃ無理」
蓮が探せと指示した荷物を発見したが、
──まぁ、暗殺者としての技量はあっても、あの細っこい腕じゃ重い荷物を移動させるのは無理か。
「おー、今行く」
『
「どれだった?」
荷台側まで回った蓮は、身軽な動きで
幌の中は薄暗く、それなりに荷物が積まれているが、身動きが取れない程ではない。元々は屈強な男が三人も潜んでいたのだ。筋肉はあっても細身に分類される蓮と少女と見紛うほど小柄な
「左側の一番奥の角隅。箱が四つ積まれてる一番下。黒いやつ」
蓮に道を譲るように体を捌いた
──確かに、臭う。
スンッと鼻を鳴らしてみると、ほのかに甘ったるい不快な臭いがした。これは十中八九、忘れ茉莉花がここにある。
『これは禅讓と
そう思った瞬間だった。
「っ!?」
外の空気がにわかに緊張する。
その瞬間、幌を突き破って蓮の目の前に何かが突き刺さった。その何かに纏わりついていた炎は、あっという間に周囲の荷を舐め始める。
──火矢を撃ち込まれたっ!?
「
「火矢だっ!! 火矢を撃ち込まれたぞっ!!」
さらにその矢羽に括りつけられているのが爆竹であることに気付いた蓮は、反射的に後ろへ飛び退ると同時に
そのまま馬車から飛び出し、
──ただの火矢と爆竹だけじゃ、あんな爆発もこんな炎上も起きない。こうなることを見越して、爆薬なり油なり積んでやがったってことか……っ!!
さらに煙に甘ったるい香りが混ざり始めたのを感じ取った蓮は、外衣の
「全員退避っ!! 煙に気をつけろっ!! 茉莉花燃えてんぞっ!!」
叫ぶだけ叫んだ蓮は、
──皆、無事にやり過ごせればいいんだが……
燃えている荷物の中に忘れ茉莉花が混じっている以上、下手に近寄れば新たな中毒者を生みかねない。完全に鎮火して煙が散るのを待たなければいけない以上、現状での消火活動は不可能だ。
幸い、荷馬車は街道のど真ん中で止まっていて、周囲に延焼しそうな物もない。今日は風も穏やかだ。街道の左右にひしめく建物に飛び火する危険性も低い。現状ならば命を捨てた消火活動に挑むよりも、自然鎮火を待った方が安全だ。
こういった事態を見越して、姻寧では銅鑼が鳴ったら事前に窓や扉を完全に閉め、所定の場所に避難するように徹底されている。扉や窓は外の空気が入り込みにくいように二重構造が取られているし、建物も耐火性が高い材が使われているが、それで全てを凌ぎきれるとは限らない。
新たな被害者が生まれないことを切に祈りながら、蓮は煙が避けられる場所まで撤退すべく、
そんな蓮の背後では、燃え上がる炎によって生み出された
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます