残り香
安崎依代@1/31『絶華』発売決定!
*
義姉の名前を初めて口にしたのは、兄の七回忌の席でのことだった。
法事が始まる前。まだ仏間には僕と義姉しかいない。
真夏の蒸し暑い座敷。その暑さを物ともせず、真っ黒な着物に身を包んで背筋を伸ばして座った義姉は、美しかった。
初めて出会った時から、ずっと、ずっと。
この
「もう、僕で手を打ちませんか」
そんな義姉に向かって、僕は初めて手を伸ばす。
「なぜ、僕ではダメなのですか?」
頬に添わせるように手を伸ばしても、義姉は身じろぎひとつしなかった。
だが彼女が僕を受け入れたわけでないことは、彼女の瞳を見つめていれば分かる。
しんと凪いだ、吸い込まれてしまいそうな深い漆黒の瞳。
真っ直ぐに僕に据えられた瞳には、何の感情も宿っていない。そうでありながらその視線には、ありありと僕を拒絶する強さが宿っていた。
「
誰もが、僕と亮司を見間違えるのに。区別なんかついていないのに。
見間違えてほしい唯一の人だけが、僕と亮司を見間違えてくれない。
「残り香が違うと美咲さんに言われてから、亮司と同じ煙草を吸い始めました」
双子の兄の嫁。僕の初恋をさらっていった
彼女だけが、出会った時から今まで、一度たりとも僕と亮司を見間違えなかった。
「もうきっと、纏う香りも一緒です」
そしてきっとこれからも間違えることなどないのだろうと、これだけ
「ねぇ。亮司の代わりでいいんです。僕に幻想を重ねてくれていいんです」
ポツ、ポツ、と。畳の上に雫がこぼれていくのが分かった。
それでも義姉は、眉ひとつ、視線のひとつ、動かしてはくれない。
「僕を選んではくれませんか」
そんな義姉が唯一動かしたのは、
ツイッと狭められた目が、揺れることなく、変わることなく僕を射抜く。
「
紡がれる声は、凛と。
初めて声を聞いた時から、変わることなく強く。
「それでもやはり、残り香が違うのです」
式を挙げた翌日に夫を亡くした彼女は、六年の歳月が過ぎても変わることのない想いを口にした。
「亮司さんと同じ顔で。同じ体で。同じ場所に暮らしていて。同じ飯を食って。同じ仕事をして。同じ煙草を吸っていても」
蒸し暑い座敷の暗がりで。たった一人、花に埋もれた仏壇を背にして。
汗のひと粒も浮かべることはなく。まるで時に置き忘れたかのように。
「
六年経っても変わることのない静かな拒絶を、僕に突きつける。
……本当は、分かっていた。彼女のこの言葉が
それでも僕は、憎らしい。
同じ顔で。同じ体で。同じ場所に暮らしていて。同じ飯を食って。同じ仕事をして。同じ煙草を吸っても同じにならない、亡き双子の兄の残り香が。
僕は義姉の頬に片手を添わせたまま、ただ静かに泣いた。
僕を静かに見つめ続ける義姉からは、この六年でその身に染み込んでしまった、線香の香りが
【了】
残り香 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki
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