エピローグ
鬼火桜の樹の下で、君と次の春を待つ
初夏の草木の匂いが、今日は一層強い。
連日の豪雨によって湿り切っていた地面はようやく渇きはじめ、陽の光によって温められた土の香りも、心地よく感じた。
結人は梔子や鎌鼬も連れて、珠鶴と共に椎塚家の墓参りへと訪れていた。
最後に墓前に屈んで両手を合わせていた珠鶴が立ち上がり、椎塚家の墓へと静かに声を掛ける。
「……もう、実美さまやお父さんが味わった悲劇をこれから起こさないためにも。わたし、必ず逢魔師となります。そして、現代の逢魔師を変えていくのです」
珠鶴が目尻に浮かんだ涙を指で拭う。その隣に立った結人は、珠鶴へと力強く頷いて見せた。
「それなら僕も、珠鶴が安心して立派な逢魔師となれるよう。今の逢魔師を、何が何でも変えていきましょう……史上初めて、女の身で逢魔師となった者として。必ず」
「ありがとうございます、結人さん……!」
嬉しそうに頷き返した珠鶴がふと、墓のそばに目を向けて見て不思議そうに目を丸くする。
「このお花は? 誰か、椎塚の分家の方がお供えしてくださったのでしょうか」
そちらを結人も振り向くと、そこには白いコデマリの花や、色とりどりのアスターの花々が丁寧に束ねられた花束が、ひっそりと隠されるように供えられていた。
花が好きな誰かのおかげで結人は、近頃はずいぶんと花に詳しくなった。二人で一緒に花屋に通って、たくさんの花言葉を教わるほどに。
確か、コデマリの花言葉は「友情」や「いくじなし」。アスターの花言葉は「同感」、「美しい思い出」、「追悼」といったようなものだ。
よく見ると、花束のそばには見覚えのある灰が落ちている。結人は思わず「ああ」と声を上げて笑みを零した。
「これは葉桜丸がお供えしたんでしょう。彼らしいです」
「! まあ、あの鬼の
嬉しそうに微笑みを浮かべる珠鶴の横に、今まで遠くで結人たちを見守っていた梔子が鎌鼬を肩に乗せて歩いてきた。
「鬼野郎への礼は、結人に任せなさい。結人、あんたも最近あの野郎と会ってないんだから、監視ついでに今から火中の杜に行ってきな。珠鶴はあたしが送っていくから」
梔子の言う通り、結人はここ数日、椎塚家と怨霊跋扈の件に関する逢魔師連への報告書作りで忙しく、葉桜丸となかなか会えずにいた。
結人は梔子の気遣いを有り難く思いながら、眉を下げて頷く。
「そうですね……ありがとう、梔子。そうします。珠鶴のことも、しっかり葉桜丸に伝えてきますね」
「はい! お願いします、結人さん」
「鎌鼬は結人についていくのよ。あの鬼野郎がまた結人に変なことしでかしたら、切りつけてやんなさい」
梔子の言葉に一声鳴いて、鎌鼬が結人の肩へと飛び移ってくる。
こうして結人は、梔子と珠鶴たちと別れ、葉桜丸がいるであろう火中の杜を目指した。
◇◇◇
もうずいぶんと慣れて、
そこにはやはり、丘に突き立った六火の錫杖の前で静かに佇む、葉桜丸の姿があった。
結人はゆっくりと歩いてきて葉桜丸のすぐ隣に立つと、目の前に聳える桜の大樹の青々とした葉桜を仰いで、葉桜丸へと声を掛けた。
「椎塚家のお墓に、花束をお供えしてくれてありがとうございます。葉桜丸。珠鶴がとても嬉しがっていましたし、あなたにお礼を言っていましたよ」
「左様か」
葉桜丸は短く答えて、目を伏せる。
しばらく二人の間には穏やかな沈黙が流れていたが、ふと、葉桜丸がゆるりと目を開けて、桜の大樹を仰ぎながら口を開いた。
「怨霊たちを封じる依代となったお前は、呪いを受けたようなものだ。その呪いは、椎塚家の者たちが代々受け継いできたように、人ならざる魔の者とは違い短命な人間であるお前もいつかは、誰かに呪いを受け渡さねばならぬ。如何にするつもりか?」
「……そうですね。それは、逢魔師を続けながら考えていこうと思っています」
結人は目をゆっくりと瞬かせながら、葉桜丸の問いに答える。
「いつか、この依代という呪いも、僕の代で終わらせるために。色々と試してみます。人と魔を巡り逢わせ、結んでゆく……そういう、元来の逢魔師と成れれば、解決策も見出せると信じていますから」
結人は伏せていた目を上げて葉桜丸を流し目で見ると、楽しそうな声色で話す。
「もちろん、僕の
「……厄介な者と契りを結んでしまったものだ」
笑う結人に、葉桜丸は呆れたように息を吐く。しかし、葉桜丸の呆れたような口ぶりにも、確かに楽しそうな笑いが滲んでいた。
不意に葉桜丸が結人を振り向くと、結人の白く変色してしまった髪を撫でるように触れる。
「髪色が変わってしまったな。余計、人間たちに『灰を被った夜叉のようだ』と戯言を叩かれているのを聞いた」
怨霊の依代となった反動か、結人の亜麻色の髪は、他の逢魔師たちが不気味がるように「灰を被った」ような色へと変わってしまった。梔子や珠鶴にもずいぶんと心配されたのを思い出して、結人は鼻から小さく息を漏らす。
「そうですね。でも、もともと色素の薄い髪色でしたので、僕は特に気にしてませんよ。むしろ、こちらの方が好きかもしれません」
結人はにかりと笑って、葉桜丸を見上げる。
「だって灰は、花を咲かせるものですから」
人々が
何故ならば、きっと。花を咲かせる葉桜丸の灰は──彼の大好きな花々への「愛」に違いないから。
灰とは、愛。
葉桜丸が大地に注ぐ実りの灰は、そこから咲き誇る花々は、彼の「愛」そのもの。
愛を
葉桜丸自身も近いうちに、この紛れもない事実に気づくことだろう。
結人の言葉に、葉桜丸は大きく目を瞠ったが、すぐにふっと笑みを噴き出して、結人に頷き返した。
「私も嫌いではない」
そう言って、葉桜丸が結人の目元を指でやさしく撫でる。
「この髪色だと、瞳の色がより一層映える。お前の瞳の色は——鬼火桜と同じ色だ」
血の色だと、多くの人々が恐れた結人の瞳を、葉桜丸は鬼火桜と同じだと喩える。
鬼火桜は、葉桜丸が一番好きな花——それと同じなのだと言ってもらえて、結人は全身が熱くなるほど嬉しかった。
結人はたまらなくなって、この身から、魂から溢れんばかりに迸る想いが──「愛してる」が口をついて出そうになるが。それだけでは物足りないから。
結人と葉桜丸、二人だけにとっての、その想いの丈を最大限に示せる「あの約束」を、言霊になるように口にした。
「……そうですか。また更に見たくて堪らなくなりましたね。この火中の杜の鬼火桜を」
結人が丘の上から一望できる、今は青々と萌える火中の杜を見渡す。
隣に立つ葉桜丸も火中の杜へと視線を移して、強く頷いて見せた。
「ああ。楽しみにしておれ。次の春、この火中の杜にて。私の灰で咲かせた鬼火桜をお前に見せてやる」
一瞬だけ、葉桜丸から結人に向けられた一瞥は、今までに無いほど柔らかで、温かく、やさしい。
やはり、結人と葉桜丸にとっての「鬼火桜の約束」は、「愛してる」以上の想いが籠るのだ。
きっと、鬼火桜は恐ろしくなるほどに美しい。しかし結人は、そんな鬼火桜の中に在る葉桜丸も——艶やかな黒髪のかかった白い横顔のたおやかさも。鬼火桜の花を映す、灰と青が混じった瞳も。結人の目と魂を奪ってやまない笑い顔も、葉桜丸が擁する何もかもが美しいに違いないと。
どうしようもない、確信があった。
ほんの少し前までは、あんなにも目にするのも恐ろしいと思っていた桜の季節が、今ではこんなにも待ち遠しい。
結人は葉桜丸と迎える次の春をおもって、葉桜丸の隣でまたほろりと笑みを零した。
【完】
花咲か鬼と灰被りの夜叉 根占 桐守(鹿山) @yashino03kayama
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