第2話 魔王と悪逆皇帝と邪神と

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 燃えるように赤い髪をした青年は見知らぬ森で目を覚ました。森は赤金色の日差しをかぶり、鳥たちの夕鳴きが木霊する。風はどこか聞き覚えのない音色で吹いていた。心配そうな顔をしたリスがそばにいたが、青年が微笑みかけると安心したのか巣穴に帰っていった。

 青年はぼんやりとした頭を左右に振り、そばに転がっている武骨で巨大な大剣に目をやった。厚い刃がひび割れている。

 頭痛がひどかった。頭蓋骨が内側からガンガン殴られてでもいる感じ。何より喉が焼けるように熱い。

 幸運にも近くに泉があった。頭を突っ込んで、ごくごくと冷たい水を体内に送り込む。

 喉の渇きを潤すと生き返った気分だった。

「お、おお?」

 透き通った水面にうつった自分の顔を見て、青年は驚きの声を上げた。

「どういうことだ、こりゃ? 若返ってやがる!」

 水面とにらめっこしているのは年の頃十代半ばぐらいにしか見えない少年。あどけなさこそ残っているが、よく引き締まった精悍な顔立ち。

「いい男じゃねえか! そういや一昔前はこんな顔だったなあ!」

 青年はしばらく惚れ惚れと自分に見惚れていたが、はて?と首を傾げた。

 なんで若返ってんだ? 何かあったっけ?

 記憶の糸を辿り始める。

「……ああ、そうか、勇者たちとの戦いで」

 再び剣に目をやる。ひび割れた刃を見て怒りが胸に込み上げた。

「よもや竜ともあろう者が人間風情に後れを取るとは。我ながら情けないことこの上なし」

 奥歯がギリギリと物凄い音を鳴らした。森が恐れ戦いて鎮まるほどの音だった。

「ゼノスめ、今度出会ったときこそ、このラグナド様の手でぶち殺してやる!」

 よほど悔しかったのだろう、ラグナドは地面がへこむほど激しく地団太を踏んだ。

 だが八つ当たりしていても始まらない。

 そもそも俺は殺されたはずではなかったか?

 ここはどこだ?

 なぜ若返った姿で見知らぬ森にいる?

 状況を把握すべく、ラグナドは歩き始めた。

 森を抜けると、小高い丘に出た。

「何だ、あれは……?」

 地平線の彼方に光の柱が立っている。果てしなく高く、どこまで伸びているのかも定かではない。空に突き刺さる槍のようですらある。もちろんあんな奇妙な光の柱など見たことも聞いたこともない。自然の理を超えた何かだ。

 わからないことだらけだ。勇者一行に敗れた自分がなぜ生きているのか。それも若返って。

 あの光の柱と何か関係があるのだろうか?

 丘を下った向こうに小さな村が見えた。おそらくは人間の村だろう。

 気は進まないが、寄ってみるしかないだろう。


 刈り入れの季節が近い。田畑に金色の穂波が波打っているのを眺めながら、村に入った。

 吹けば飛ぶような小さな村だ。広場では子供たちが影踏みをして遊んでいたが、禍々しい大剣を背負う異郷人が訪れたので、親たちが抱きかかえるようにして家に連れ戻した。

 情報を仕入れるには酒場と相場が決まっている。家並が薄闇をかぶろうとする中、ぽつんと橙色の明かりが酒場の窓から漏れている。こぢんまりした店内に客はぽつぽつとしか入っていなかった。店の片隅で吟遊詩人が竪琴を鳴らし、物語を吟じていた。路銀を稼いでいるのだろう。

 疑り深い顔つきの店主がじろじろとカウンター席に腰を下ろしたラグナドを眺めまわす。禍々しい大剣を背負った余所者を警戒するなというほうが無理だろう。だが、ラグナドはそんな事情など気にするわけもない。

「親父、一番良い酒を寄越せ。そうすれば、命だけは取らずにおいてやる」

 居丈高に一声を放つと、さあっと客たちの血の気が引いていく。やはりその手合いの者だったのか、と。

「どうした? 寄越すのか、寄越さねえのか? 俺は虫の居所が悪いんだ。この村ごと消し炭にしてやっても構わねえんだぜ?」

 そう脅すと、吟遊詩人が緊張の音をぴんと鳴らしたのを最後に場が静まり返った。

 ややあって、深い溜息が聞こえた。カウンターの隅に座る男からのものだった。

「蛮人め。静かに酒も飲めんのか」

「ああ?」

 ラグナドは男に詰め寄る。

「酒は騒いで飲むものだろうがよ?」

「ガキめ」

「ああ、誰に向かって言ってやがる?」

「知らんな」

 男は一度もラグナドに目をやることなく、酒をすする。

 めったにいないほど端麗な青年だ。年の頃は二十代半ばといったところか。切れ長の目に筋の通った高い鼻。滑らかな褐色の肌を持ち、長い銀髪が腰まで届く。身なりも良い。こんな田舎の村には場違いなほど質の良い衣服を身に纏っている。だが、ラグナドの目を真っ先に引いたのは、青年の長く尖った耳だ。

「お前、エルフか? いや、それにしちゃあ……」

 エルフの肌は透き通った月明かりの色と相場が決まっている。褐色の肌を持つエルフなど見たことも聞いたこともなかった。

「余の視界から消えろ。邪魔だ」

「何だと、てめえ。このラグナド様にそんな舐めた口きいて長生きできると思うなよ?」

「ラグナド? ふん、名前だけは立派だな」

ダークエルフの青年は鼻で嘲笑った。

「狙ってその名を名乗っているのか? 古代の魔王の名を?」

「古代? よくわからねえが、俺がその魔王ラグナドよ。もっとも魔王なんてのは、人間どもが勝手にそう呼んでいるだけだがな」

「面白い冗談だ。聞き飽きたから、もう下がってよいぞ」

「ふざけんな、てめえ。俺様が名乗ったんだ。お前にも名乗ってもらおうじゃねえか。つまらねえ名だったら、八つ裂きにしてやるから覚悟しやがれ」

「つまらん名だから、名乗る気もない。さっさと下がれ。不味い酒が余計に不味くなる」

 ちょいとお客さんと店主のツッコミが入った。

「へっ、こんな場末のちんけな酒場だ。もちろん美味い酒なんざ期待できねえだろうがよ? そこには目を瞑ってやるのが人情ってもんだぜ?」

 ちょいとお客さんと店主のツッコミが入った。

「早く名乗りやがれ! 名乗らねえなら、今すぐにこの村を灰にするぞ!」

「好きにするとよかろう。この村は余が統治していたわけでもない。どうなったところで知ったことか」

「ああ? 統治? どういうこった?」

 ここでおずおずと吟遊詩人が間に入ってきては畏まって尋ねるのだ。

「そのマントに留めておられる徽章、その堂々たるお姿、よもやと思っておりましたが……あなた様はロムス帝国最初にして最後の皇帝ナクティス・ノクターナル陛下ではありますまいか?」

「よもやこんな辺境の地にまで我が名が及んでいようとはな……」

 ナクティスと呼ばれた青年は忌々しそうに舌打ちした。

「ああ、皇帝だ? ロムス帝国? 知らんなあ?」

「あ、あなた! 皇帝陛下に向かってその口の利き方は!」

 吟遊詩人は泡を喰ってラグナドを制止する。

「構わん。余はもう皇帝でも何でもない。ロムスも滅びた……はずだ。もっともこの男が真実ラグナドであるなら、余を知らぬも無理はない。ラグナドは千年の昔に勇者ゼノスによって討ち滅ぼされた竜だからな」

「ゼノス……嫌な名だ。お前のいうことは一言もわからんが、俺がゼノスの野郎に後れを取ったのは確かだ。お前はゼノスの居場所を知っているのか?」

「言っただろう、ラグナドは千年の昔に討伐されたと? 人間であるゼノスが生きている道理があると思うか?」

「お前の言っていることはさっぱりわからん。俺がゼノスと戦ったのは、つい昨日のことだ。それに俺は負けたわけじゃあない。その証拠にこうしてピンピンしているんだからな!」

「愚か者め」

「何だと、コラ!」

「お待ちください、ラグナド様!」

 吟遊詩人が懸命にラグナドを押しとどめた。

「ノクターナル陛下のおっしゃることは正しい。ラグナド様は今から千年以上も昔の、もはや実在したかどうかも定かではない伝説上の存在」

「お前も俺の言うことを信じていないわけだな、人間?」

 ラグナドが牙を剥く。

「いや、必ずしもそうではございませぬ。私はあなた様が魔王ラグナドであってもおかしくはないと思っております。お気づきでございましょう、世界に異変が起こっていることは? 突如、世界には光の柱が立った。どこに立っておるかもわからぬ不思議な柱でございます。以来、私はあちこちを巡っておりました。気付いたのは、時代と場所がごちゃまぜになっているということ……」

「どういうことだ?」

 ナクティスが反応した。

「わかりませぬが……遥か昔に滅びた町や遺跡が何事もなかったかのように存在しているのです。それこそ千年、二千年の昔に存在したと伝わるような場所がです。そこにはその時代の人々としか思えぬような人が住み……」

「今は皇歴五二四年ではないのか?」

「私もそう思っておりましたが……」

「あの光の柱が、世界の異変に関与しているのか?」

「わかりませぬ……」

 吟遊詩人は顔を伏せる。

 ラグナドは愉快そうに口を裂いて笑い、ナクティスの肩に手を置いた。

「何だ、お前も迷子ってわけか? 皇帝様が聞いて呆れるなあ? だが、俺はそんなことはどうでもいい。お前も皇帝ってんなら、少しは腕に覚えがあるんだろうが? どれほどのものか試してやる。表に出やがれ!」

「鬱陶しい奴め、よかろう。ラグナドの名を騙るのがいかに不遜なことであるか、思い知らせてやろう」

「そうこなくっちゃなあ!」

 ラグナドはにやりとした。

 

 面白い酒の肴が出来たと酒場の客たちはジョッキ片手に見物に出た。やいのやいのと呑気なものである。おろおろと狼狽えているのは吟遊詩人ただ一人。

 ラグナドは空を見上げた。おぼろな月が薄衣のような雲を着ている。

 背負っていた大剣を構えた。

「夜が深まる前に、とっとと終わらせてやるよ」

「そんなひび割れたナマクラでやるつもりか?」

「こいつは竜牙だ。俺の牙だよ。ちょっとやそっとひび割れていたところで、てめえを殺すのに差し障りはないから安心しやがれ。それよか、てめえこそ何の獲物もなく俺とやるつもりか?」

「それこそ要らぬ心配だ」

 月影。そう一言呪文を唱えると、ナクティスの手に主自身の身長ほどもあろう刀が生じた。

 その美しい太刀に月光がきらりと光る。

「なるほど、貴様はエルフ。魔法もお手の物ってわけかい?」

「さっさと終わらせて、不味い酒の続きだ」

 ちょいとお客さんと店主のツッコミが聞こえた。

 ラグナド、ナクティス、両者ともに構えた。

 その瞬間に緊張が張り詰める。

 おたがいに類稀なる達人であることを瞬時に理解した。間合いが動かない。

 一筋の夜風が吹き、落ち葉が両者の間を過ぎった。そのわずかな空気の切れ目が緊張を破った。

 最初に打って出たのはラグナドだった。

 斬り掛かるというよりは、あらん限りの殺意を持って殴りつけるような一撃。

 ずしん……と竜牙が大地を重たく抉った。そこから生じる衝撃波でさえ身を切るような鋭さがある。そしてそれがラグナドの狙いでもあった。最初の一撃で仕留められるとは思っていない。衝撃波で相手の体勢を崩し、次の一撃でとどめを刺す。

 ナクティスは瞬時に相手の意図を察した。身を斜めにして最初の一撃、そして衝撃波さえも縫うようにして躱した挙句、相手の心臓めがけて抉るような突きを放つ。

 ラグナドは後ろに身を逸らして間一髪、ナクティスの必殺の一撃を避けた。

 血が滾る。ぞくぞくして、笑みが零れる。よもやこんなところにこれほどの使い手がいようとは。

 ラグナドとは対照的にナクティスは冷静だった。相手の力量が思った以上であることに驚いてはいたが。

 これほどの力を持つ男……こいつは真実ラグナドであるのか?

「くくく、いいぜ、皇帝様よ? お前は強いぜ、おそらくゼノス以上だ」

「だったら、貴様は勝てん」

「いいや? 話はそう単純じゃねえ。知っているだろう? 何者も竜には勝てない」

「ちっ……」

 ナクティスはもはや目の前の少年が魔王であることを疑っていなかった。

 呪文を唱えると、刀身に古エナンシアの文字が浮かび上がる。

「魔法剣か。いいねえ。そのぐらいはせんと俺には勝てんだろうぜ」

 ナクティスは無言で刀を構えた。その無言に相手の命を確実に摘み取る気迫が窺えた。

 だが、そのとき、ナクティスはふと気づいて、

「待て!」

「何だ? 今さら命乞いというわけでもあるまい?」

「流れ星だ」

「ああ、流れ星だ? こんなときに何を?」

 よもや隙を生み出そうとする姑息な手段というわけではあるまい。ナクティスがそのような小細工を弄する相手ではないとラグナドは見切っていた。

 背後を振り向くと、なるほど、ぼんやりとした奇妙な光の球が夜空にゆらゆらと流れている。流れ星というにも奇妙な光だ。丘を登った向こうの森に墜ちるようだ。

 決闘に夢中になっていた観客たちが無責任に騒ぎ出す。

「うるせえ、お前たちにはあの光が見えんのか?」

「無駄だ。どうやら余とお前にしか見えていないらしい」

「何だと? どういうこった?」

 光は予想通りに森に落ち、その瞬間、森の頭がぱあっと光った。

「決闘は一旦お預けだ」

「何だと!」

 ナクティスは刀を消去し、森へと駆け出した。

 まったく仕方ねえなあと頭の裏を掻き、ラグナドはナクティスの後を追いかけた。

 あの流れ星……かどうかはわからないが、決闘をうやむやにしてしまうほどの不思議な気配があったのは確かだ。おかしなことが続いている事情もある。この世界全体を覆っている違和感の正体に迫れるかもしれない……そんな予感があった。

「おそらくこの辺りのはずだが……」

 丘を登ると、森の中に開けた場所があって、月明かりが差し込んでいた。無数の蛍がやわらかい弧を描いて舞っている。大きな苔むした岩があって、その上に月光の糸で編んだようなローブを着た少女がゆっくりと降りて来た。

 少女はまどろんでいる。

「……死んではいないよな?」

ラグナドが聞く。

「たぶんな」

「人間か?」

「わからん」

 二人は少女に歩み寄った。

 小さく肩が上下し、すうすうと寝息をついているのがわかる。

「どこから飛んできやがった? 魔法か?」

「ありえん。空飛ぶ魔法がまだ存在しているなど……」

 ナクティスは辺りを観察したが、他に妖しい気配があるわけでもない。

「お~い、女、そんなところで寝てると風邪引くぞ~!」

 ラグナドが呼びかけると、少女は目覚め、気怠そうに上半身を起こした。

 ひどく眠たそうに指先で目をこすっていたが、二人に気づいて大きく見開いた目を輝かせた。

「おお! わたしは君たちを待っていたんだ!」

「ああ? 待っていた?」

 どこかで会っただろうか? 二人ともまったく心当たりがなかった。

「そもそも何者なんだ、お前は?」

 問いかけるラグナドに、少女は満面の笑顔でこう答えた。

「わたしはラフィアーレ! 神様だよ!」


     2


「神様だあ?」

 ラグナドは不信感を隠さない目つきでじろじろと少女を眺めまわした。

 少女はたしかに普通ではない。腰まで届く長い髪ははじめ銀髪かとも思えた。しかしそれは月明かりに照らされてのこと、月が雲に隠れると髪色も暗く翳った。おそらく環境に応じて色が変化する髪質なのではないか。そんな髪は人間もエルフもドワーフも持たない。つまり少女は未知の種族ということになるが……。

 竜の価値観で見ても絶世の美少女に見える。いや、種族間の価値観を超越して、少女はあまりにも美しい。その美しさを言葉で言い表すのは不可能なのだ。見る者の価値基準に適応し、その基準を超えてくる……そんな感じだった。

「神様って何の神様よ?」

「はて?」

 少女は首を傾げた。

「偉そうに神様を騙るくせに、自分が何の役に立つのかも知らねえのかよ?」

「忘れてしまったのだ。わたしにはどうやら記憶がないらしい」

「ああ? 記憶がないだと?」

 ますます胡散臭そうに少女を見つめるラグナドだったが、少女はよほど能天気な性格らしい、気にした素振りはなく相変わらずニコニコしている。

「だけど、名前は憶えていたからセーフだ!」

 ラフィアーレは根拠もなくむんとガッツポーズ。

「記憶喪失の神とは頂けんな。そもそも神なんてものは人の生み出した概念に過ぎん」

「まあ、俺だって神みたいなもんだしな?」

 ラグナドが自信満々に言うと、ナクティスはやれやれと肩をすくめる。

 ラフィアーレは星散るようなつぶらな瞳で夜空を見上げ、

「はあ、人生って不思議だなー」

「何を言い出すんだ、この女は? あ、こういうわけだな? お前は魔法か何かでここまで飛んできたはいいが、どっかで頭を打ったんだな? それで自分を神様と思い込むおかしな女になっちまったんだ。そうだろ?」

「そうかもしれないな」

 あははとラフィアーレは無邪気に笑う。その屈託のない笑顔を見ていると、どうにも気が抜ける。

「たとえおかしくなってしまっても、君たちがわたしに必要だってことはわかる。そこさえ押さえておけば、おおよそ大丈夫……なはず!」

「何故そう思う?」

 ナクティスが聞いた。

 ラフィアーレはすっくと岩の上に立ち、夜空の彼方に立ち昇る光の柱を指さした。

「わたしはあの柱へ行きたい。君たちと一緒にだ」

「何のためにだよ?」

 ラグナドが問うと、ラフィアーレは躊躇なくこう言い放った。

「物語を終わらせるために!」

 しばらくの静寂。

 この少女は何を言っているのか?

「あの柱にはいったい何がある?」

ナクティスが問う。

「あそこは物語の果てる場所だ」

「物語の果てる場所だと?」

 ラグナドとナクティスの声が揃った。

「そう。あの柱はこの世界の記憶を吸い上げているんだよ。放っておくと、近いうちにこの世界は失われてしまう。たくさんの人の物語が失われてしまう。それって残念なことじゃない?」

 ラグナドとナクティスはたがいに顔を見合わせた。

 目の前の少女が何を言っているのかまったく理解できない。

「馬鹿げている。そんな話は神話にさえ聞いたこともない。お前の言っていることは滅茶苦茶だ」

 ナクティスが一笑に付す。

「まあ、にわかには信じがたいわな」

 とラグナドも続く。

 ラフィアーレはきょとんとして、

「そうかな? わたし、そんな突飛なこと言ってる?」

「ああ、お前の話は突飛過ぎてな、翼が生えてひらひら~って飛んで行っちまいそうだぜ?」

「そっかー」

 何が可笑しいのか、ラフィアーレはまた笑う。

「だけど、あなたたちはきっとあなたたちの時代とその物語において欠かせない存在だったと思うんだよね。違うかな?」

「認めたくはないが、こいつは真実竜の王ラグナドなのだろう。神話に語られる存在だ。やはりこの世界はおかしいのだろう。様々な時代がごちゃ混ぜになっているというが、事実そうなのだろうよ」

「あの吟遊詩人の話はマジなのかよ?」とラグナド。

「世界の異変にあの光の柱が何かしら関与しているのかもしれん。世界が滅びるというのもあながち嘘ではないのかもしれん。だが、それがどうした? 余は救世主に討たれて死んだはずだ。どうして余は、魔王ラグナドは、生きている? この世界の実在が信じられぬのと同様に、余は自身の実在をも信じることが出来ぬ。世界が滅びに向かっていようと余にはもはや関わりない話だ」

 ナクティスはそれだけ言うとマントを翻し、その場を立ち去った。

「お、おい」

 ラグナドは彼の後ろ姿とラフィアーレを交互に眺めながら、頭の後ろを掻く。

「君もわたしの話が信じられない?」

「あ? まあ、そうだな。ピンとは来ねえな。それに物語を終わらせるだなんだってよ、お前はひょっとしたらとんでもねえ邪神なんじゃねえの?」

「邪神か。そうなのかもね、トホホ……」

 ラフィアーレは悲しそうな顔をした。

「やっぱ邪神と旅をするのはダメかな?」

「う~ん、ダメっつうかな……」

 ラグナドは頭の裏を掻く。

「そっか。じゃあ仕方ない。無理強いはできないもんね」

 ラフィアーレは気を取り直して軽やかに岩から降りると、

「わたしは一人でも行くよ。たくさんの物語を途絶えさせたくないから」

「あん? バカなこと言ってないで家に帰れ。な?」

「ありがと、またね、え~っと……」

「ラグナドだ」

「ラグナド! またね!」

 笑顔で別れを告げて、少女は無邪気に森の奥へ駆け出して行った。

 ラグナドはまったくわけがわからず、どこか煮え切らない思いもあり頭を掻きながら、村へと引き返すべく歩み出した。

 いったい何だったのだろう、あのラフィアーレという少女は?

 世界が滅びかけている?

 そもそもどうして俺は生き返ったんだ?

 わからないことだらけだ。

「くそっ、あいつとの決闘もうやむやになっちまったしよ……」

 そうボヤいたときだった。

 大きな爆発音が轟き、背後の森がかっと赤く燃え立った。続くは、大地が捻じれるような雄叫び。この世の生き物が発したとはとても思えない醜い声だった。

 今度は何だ?

 ラフィアーレのことが気にかかった。一目散に引き返す。

 迷うべくもなかった。得体の知れぬ黒い影が森の頭から突き出していたからだ。

「一体何なんだ、こいつは……」

「今度はどこから涌いてきた?」

 その声に振り向くとナクティスがいた。彼もまた異様な気配に気づいて引き返してきたのだろう。

 目の前に聳え立つ影はあまりにも巨大で醜かった。筋骨隆々とした巨人。一房が縄のようなぼさぼさの髪を振り乱した奥に一つ目が爛々と光る。その凶悪な顔貌に理性は窺えない。生まれたままの姿であり、膨れ上がった筋肉がこぶのようになって不格好な鎧のようにも思えた。いや、鎧といって差し支えないだろう、あの筋肉はおそらくいかなる鋼よりも固い。

 一つ目の巨人を前にしたラフィアーレが豆粒のように小さく見えた。

「……かわいそう」

 ラフィアーレはぽつりと呟いた。

「何を言っている? 下がれ、馬鹿!」

 ラグナドは竜牙を構えた。

 ナクティスもまた刀を。

「彼もまたかつては神と呼ばれていた存在。世界の崩壊に伴い情報が散逸して、本来は目覚めないはずの神の封印が解け、わたしの監視として送られたのね」

「神だと? 次から次に神が出てくるものだな?」

 ナクティスの注意は巨人に向けられていた。

「神の定義は様々だからね。彼はかつてサトゥルヌスと呼ばれていたはず」

 サトゥルヌス。

 その名はラグナドよりなお古い。星霜神話において世の混沌から生まれた最初の神々の内の一柱だ。もし巨人がサトゥルヌスであるとしたら、いかに竜のラグナドとはいえ……。

 ラグナドとナクティスは魔物を前にして戦慄する。

 巨人が天突く声で吠えると、まるで台風でも起こったように森が揺れた。生きとし生ける者たちの生気を奪い去るようなぞっとする唸り……。

 巨人のあまりにも大きく節くれだった手が雑草を抜くようにいともたやすく巨木を引き抜いた。そして大口を開くなり黒ずんだ牙を立てて幹にかぶりつき、がふがふと喰らった。まるで理性が感じられない……。

「魔物は影。記憶は損なわれてしまった。ううん、意図的に奪われてしまっている。彼はもはや操り人形。意思を持たない」

「魔物だ? 要するにこいつはもう神ではないってことか? とはいえ、こいつは厄介だぜ?」

「奴が真実サトゥルヌスであるならば、余とお前の二人でかかっても倒せぬかもしれぬ。奴が間抜け面で木を喰らっているうちに逃げるが賢明だろうな」

 常識的に考えるならば、そうなる。

 しかしラフィアーレは首を横に振った。

「このまま生かしておくほうがかわいそうなんだ。彼は自分の意思ではもう生きられないから……」

「じゃあ、どうするってんだ? 命懸けでこいつを倒す意味があるのか?」

 問いかけるラグナドに、ラフィアーレは落ち着いて答えた。

「大丈夫だよ。わたしが何とかする」

「何とかするったってな……」

 そうボヤく言葉さえも終わらない一瞬のうちの出来事だった。

 ラフィアーレの手に生じた杖から放たれた一撃が巨人の心臓を撃ち抜いていた。

 巨人は断末魔の悲鳴を上げる暇もなく息絶え、ずうんと重たく森の中に崩れていった。

ラフィアーレはサトゥルヌスを魔物と言った。実体ではないのだろう、まるで霞のように巨人の巨躯は消失した。

 ナクティスは唖然とする。

「……何だ、今の魔法は? 見たこともない」

「とても古い魔法だよ。エルフでさえ覚えてはいないほど古い。よかったよ。魔法の使い方は忘れていなかったみたいだ。きっと魔法と近いところにいたんだなー」

「そういう問題ではないだろう! 魔法は古エナンシア語とともに生じた。言葉は進化・派生していくと多様性を持ち融通が利くようになったが、曖昧にもなった。魔法も同じだ。古い言葉ほど意味が一つに定まっているように、魔法も古いほど威力が大きい。しかし古い言葉は失われてしまっている……」

「詳しいねえ。インテリなんだ?」

「茶化すな! いったい何者だ、貴様?」

「言ったじゃない? わたしは物語を終わらせる神だ」

 ラフィアーレの横顔がとても冷たいものに思えた。いや、悲しみを秘めた……といったほうがいいのかもしれない。

 ラグナドが頭の裏を掻きながら間に入った。

「今の一撃を見る限り、ラフィアーレが神ってのはあながち嘘ではないかもしれねえ。さっき目覚めてからこっち、わからねえことだらけだ。一度話を整理してみようぜ。さっきの酒場に戻って美味い飯でも食いながらな? もちろん皇帝様の奢りだぜ?」

「貴様……」

「だって、俺金ねーもん」

「わたしもなーい」

 ナクティスは頭を抱えた。


     3


 三人が囲むテーブルには、たっぷりグレイビーがかかったロースト肉、山菜を煮込んだシチュー、クルミパン、季節の野菜をふんだんに用いたサラダ、葡萄酒が並んだ。

「不味い飯を奢ってやるんだ、話してもらうぞ」

 ちょいとお客さんと店主のツッコミが入る。

 ラグナドは「うめえ、うめえ」とがつがつ喰らい、話を聞いていない。ラフィアーレはリスのように口の中に食べ物を詰め込み、幸せそうだ。やっぱり話は聞いていない。

「安い飯を掻き込んでいる場合か、貧乏人どもめ……」

 ちょいとお客さんと店主のツッコミが入る。

 空腹が満たされて、二人はまことに幸せそうだった。目がとろけている。

「おい、貴様たち……」

「何だい?」

「なーに?」

「魔法の話は! 光の柱は!」

 二人は眠そうだ。

 そのとき、「僭越ながら陛下」と吟遊詩人がナクティスの前に跪いた。

「光の柱について私が調べたことを申し上げます。私自身、あの光の柱を奇妙に思い、どこに立つものなのかと馬を飛ばし追いかけていったことがございます。ところがどれだけ走っても、あの光の柱との距離は一向に縮まらない」

「それは妙だな。星が球体であることは科学で証明されている。球体である関係上、目に見えているのならば、光の柱は一定の距離以内に存在しなくてはならぬ」

「おっしゃる通りでございます。どうにも理屈に合わぬのでございます」

「光の柱はね、存在しているけれど存在していないからね」

 ラフィアーレが目をぱちりと見開き口を挟んだ。

「どういうことだ?」

「光の柱は追いかけていけば必ず辿り着く。だけど、そんなに近くにはない。世界の中心にあるからね。みんなに見えているのは、いわば、幻ってとこかな」

「世界の中心だと? 星が球体である以上、世界の中心など存在しない」

「それはそうなんだけどね、そう表現する以外にはない。とにかく遥か遠くに光の柱は立っているんだよ」

「いいじゃねえか! 光の柱がどこにあったってよう! あの柱がな、星にぶす~っと突き刺さっちまってるのは事実なんだからよう!」

 ラグナドはまた酒を飲み始めた。上機嫌だった。

「……それで? あの光の柱は何なのだ? さっきお前はあの柱が星の記憶を吸い上げているとか言っていたが?」ナクティスが話を戻した。

「そうだよ。柱によって星は今も現在進行形で記憶を失っているんだ。歴史や文化、過去、未来、この世界の物理法則、魔法に至るまで、すべてが徐々に失われている。人だって例外ではないよ。さっきの巨人が良い例ね。サトゥルヌス、かつては偉大な神だった。だけど、彼の記憶は失われ、理性も心も感情もない魔物に化してしまった」

「……魔法さえも失われているというのか?」

「例外はない。気付かぬうちに何もかもが消えてしまい、このままだと世界は最後の一ページを迎える。その後には何もない空白ばかりが続くことになる。わたしはその空白の物語を終わらせるために来たんだよ」

「つまり貴様の目的は世界を滅ぼすわけでなく、その逆というわけか? 今あるこの世界を永らえさせようと?」

「もちろんそうだよ。最初からそう言ってたつもりだけど?」

 ラフィアーレはきょとんとする。

 ラグナドは陽気に笑い、

「伝わらねえよ、お前の言い方じゃ」

「どうして世界はそんなおかしなことになっている?」

 ナクティスが聞いた。

「わからない。わたしにはそのへんの記憶が飛んでしまっているんだよね」

「お前の記憶がないのも、世界の異変のためか?」

「たぶんそう」

「お前は本当に記憶喪失なのか? その割には事情に通じている」

「そうなんだよね。都合のいい記憶喪失なんだよ」

「自分で言うか!」

 ラグナドがガハハと笑った。

 ラフィアーレは立てた肘の上に顎を乗せ、しばらく考えた。

「たぶんね、君たちと出会ったから、少しだけ記憶が戻ったんだと思うよ」

「どういうことだ?」

 ナクティスが問う。

「勘だよ~。記憶喪失の女の子に過剰な期待はおよしなさいな」

「ますます都合の良い……」

「ふふ。だけど、そうだねえ、君たちってたぶん特別でしょ? そうじゃない?」

「特別も何も!」と割って入ったのは吟遊詩人。「ここにあらせられるは、ロムス帝国皇帝ナクティス・ノクターナル陛下! このような小汚い酒場にいてはならぬお方!」

 おいてめえと店主のツッコミが入る。

「どうしてこんな小汚い酒場にいるのさ?」

 そろそろ店主は泣いてしまいそうだ。

「余はもう皇帝ではない。我が帝国も滅びたはずだ。そうではないのか、吟遊詩人?」

「……仰せの通りでございます」

「何で滅んだんだよ? お前の統治がヤバかったんじゃねえの?」

 とラグナド。

「失敬な! ノクターナル陛下は……!」

「構わぬ。滅びたのは事実だ」

「ラグはー? どうしてここにいるのさ?」

 ラフィアーレはテーブルに突っ伏してラグナドを仰いだ。

「ラグ? 俺かい? 俺は偉大なる竜の末裔だ。愚かなる人間どもに裁きの鉄槌を下していたんだがな、いけすかねえ勇者一行に後れを取っちまった。そして気づいたら、この安酒場よ!」

 陽気にガハハと笑い、「勇者をぶっ殺ーす!」とこぶしを振り上げる。だいぶ酔いが回っているらしい。

「あり得ん話だ。余と古の竜ラグナドが同じ時代に同居するなど。しかし、こいつの実力はラグナドでなければ説明がつかぬ」

「ここはそういう世界だってことね。あり得ない時代の二人がめぐり逢い、わたしを目覚めさせた。そんな気がするな」

 ラフィアーレは嬉しそうににこりとする。

 何の理屈にもなっていない説明なのに、その笑顔を見ると何も言えなくなる。

「お前は光の柱へ向かうという。何故だ?」

「さっき言った通りだよ? みんなの物語を途絶えさせたくないし、自分の物語だって途絶えさせたくないものね? 旅は道連れ、せっかく出会ったんだもの、一緒に物語の一ページを紡いでくれると嬉しいな」

「要するに世界を救おうって話かい?」

 ラグナドは大笑いして、

「世界を救うなんざ、青臭くって鼻水も出ねえや。そんなのは勇者に任せておけばいい」

「青臭くてもいいじゃない? 堂々とやってやろうじゃない! 一緒に世界を救ってやろうよ!」

 ラフィアーレは手を差し伸べた。

 そのあまりにも無邪気な率直さに、ラグナドは面食らってしまった。

 そして一瞬考えた後、照れくさそうに頭の裏を掻く。

「まあ、俺はいいぜ? 他にやることもねえんだし」

「やった!」

 ラフィアーレは手を打って喜んだ。

「ナクはー?」

 甘えた声でラフィアーレは問いかける。

 ナクティスは席を立ち、上着のポケットから無造作に掴んだ金をカウンターに置いた。銀貨の他に金貨も何枚か混じっている。ちょいとお客さーん!と店主は歓喜に打ち震えた。

「言っただろう。余には世界を救う義理はない。この世界がどうなろうと知ったことか」

 そう言葉を吐き捨てて、ナクティスは酒場を出て行った。

「なんでえ、暗い奴だなー」

 ラグナドはぶすっとした顔つきでしゃっくりをした。

「無理もございませぬ。陛下は帝国を滅ぼしてしまったことを悔やんでおられるでしょうから……」

「悔やむも何も。国が亡ぶは王の責任よ。あいつがどれほどの国を支配していたかは知らねえがな」

「一つの視点からはそうも言えましょう。帝国の領土が拡大するにつれ、争いごとの種は蒔かれる。芽を摘むために大地が焼かれたこともあったでしょう」

「人は執念深いからなあ。自分たちがされたことは絶対に忘れねえぜ?」

「おっしゃる通り。陛下はいつしか悪逆皇帝と呼ばれるようになりました」

「悪逆皇帝! いいねえ、そういうの好きだぜ!」

 ラグナドは手を打って大笑いする。

「たしかにノクターナル陛下はいつしか道を間違えてしまったのかもしれませぬ。だが、一人で広大な帝国を築いたのは事実。その功績すべてが否定されるものでしょうか? それはあまりにも忍びない。ですから私は陛下の勲を語り継ぐべく、詩に謳い、旅をしておるのです」

「ご苦労なこった」

 やけに神妙な顔つきになって酒を呷るラグナド。

「わたし、ナクと話してみるよ」

 思い立ってラフィアーレは酒場を飛び出していった。


 月影を写し取る川がさやさやと流れる。草葉の陰に聞く夜虫の囀り。秋蛍が思うままに舞っていた。

 気配に気づき、ナクティスは振り返る。

 ラフィアーレはにこにことしながら彼の隣に腰かけた。

「ラフィアーレ。どこかで聞いたような名ではあるな」

「覚えていてくれなくちゃ困る」

 彼女が本当に神であるのなら、神話のどこかにその名が出ているのかもしれない。

「ナクはこれからどうするの?」

「死地を探す」

「そんなの悲しい」

「本来なら救世主に敗れて死んだはずだ。それなのに恥知らずにも生き永らえている」

「生きているだけで丸儲けでしょ」

「寿命の短い人間の価値観だな。エルフの寿命は樹木と同じだ。役目を終えたなら、静かに朽ちてゆくのみ」

「あなたは役目を終えたの?」

「人の業は深い。余は見誤っていたのだよ。五百年に及ぶ統治の間に余は何を成したのか? 自身を倦み疲れさせることだけであった。救世主に感謝すらしている。余を玉座から引きずり下ろしてくれた。余は自由に死へ旅立てる」

「それも一つの物語だね」

「死へ向かうことがか?」

 ナクティスは自嘲した。

「たとえそうであっても。ナクは自由になったんでしょ? 自由を自由のままに放ったらかしにしておくの、もったいないよ!」

「どういう理屈だ?」

ラフィアーレは勢いよく立ち上がり、ナクティスへ手を差し伸べた。

「ナクの物語はこれから始まるってこと! どうせ死ぬなら、その命、わたしにちょうだい! わたしと一緒に物語を紡ぐ旅に出よう!」

 ナクティスは驚いたように目を見開いた後、ふっと肩の荷を下ろすように微笑んだ。

「なるほど、自由か。たしかにいつからか余は自分の人生を生きていなかったのかもしれぬ。死地をあのおかしな光の柱に定めるのも悪くはない。真実あそこが世界の滅ぶ場所であるのなら」

「そうはさせないけどね」

 世界に突き刺さる異様な柱。あれが何であるのか。

 柱が世界から記憶を吸い出しているというのは真実なのか。

 すべては謎に包まれている。

 その謎を探ってみるのも面白い。

「それにナクが一緒に来てくれないと」

 ラフィアーレは胸の前で両手を組み合わせた。

「今夜の宿賃もないんだよ……」

「あ、ああ……」

 深い嘆息が月にまで届くようだった。


     4


 翌朝、空はすっきりと澄み渡っていた。世界が滅びに瀕しているなどとは到底信じられないような清々しい秋晴れの中、ラグナドの大きな欠伸が聞こえた。

「二日酔いに朝日は染みらあ」

「なんで朝まで飲み続けてたんだ、お前は? 酒場の親父が泣いてたぞ」

「竜は人間の差し出した酒を飲み干すってのが礼儀だろ? そうすることで村には平和がもたらされるんだからな。おたがいメリットしかない」

「だから竜は人間に嫌われるんだな」

 ナクティスは合点が行ったらしかった。

「そんで? あの柱がどこから昇っているのか知ってんのか、ラフィ?」

「う~ん、ずっと遠くだよ、わたしの勘だとね」

「適当だな」

とナクティス。計画性に乏しいのが気に食わないらしい。

「大丈夫! 何とかなる! この世界が終わってしまうまでには、物語の果てる場所に辿り着けるはずだ!」

「物語の果てる場所ってのは、あの柱のことなんだよな?」

「うむ、わたしはそう呼ぶことにした」

「まあ、何でもいいけどよ」

 ラグナドは頭の裏を掻き、

「旅立ちは 勢い任せ 三悪党」

「なに?」

 ラフィアーレが首を傾げる。

「一句詠んでみた」

「下手な句を詠むのはよせ。それに悪党はお前だけだ」

「ふざけんな、てめえ! むしろ俺が正義だし! 大正義だし!」

「うんうん、気楽に行こう!」

 ラフィアーレが上機嫌にこぶしを振り上げた。

 にぎやかに村から遠ざかっていく三人を吟遊詩人が見送っていた。

 新たな物語を語り継ぐべく、竪琴を鳴らす。

 弦の音が春の風に乗った。

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