第5話 はぐれ竜と少年


     1


 まったく自分勝手な奴らだ。

 ラグナドは腹を立てながら、峠を越えた先にあるトゥテラ村を目指して山道を歩いていた。

 村で待っていれば、ラフィアーレたちと合流できるだろう。

 ラフィアーレはこの山にしか棲まない九尾の狐を追いかけてはぐれてしまった。ナクティスはラフィアーレを探しに行くという建前のもと、山奥にあるという古代遺跡 を探索しに行ったに違いなかった。

 まったく目的のブレた奴らだ。今日中に村に辿り着き、宿と酒を確保するのが最優先じゃなかったのかよ?

 夕暮れが近いせいもある。木々が厚く生い茂る山道は薄暗かった。巣に帰る鳥たちの羽音とさえずりが森の中に木霊していた。

 一層高い杉の根元に少年が膝を抱え込んで座っていた。道に迷ったのだろうか?

「おい、どうした、坊主? 道に迷ったのか?」

 ラグナドが声をかけると、少年は膝の中に埋めていた顔を上げた。

 十歳くらいのめったに見ないほどの愛らしい少年だった。ほんのり赤みがかった頬、ふっくらとした童顔を栗色の巻き毛が包んでいる。目はくりっと大きく、瞳は何かを訴えかけるように潤んでいた。あどけなく、非常に小柄だった。絵に描いたような可愛らしさ。竜であるラグナドから見てもそうなのだから、人の価値観からすると絶世の美少年ということになるだろう。

 気になるのは、少年の目が生気を欠いていること。まるで地獄を見てきたかのように、生きる希望を感じさせない。

「……逃げてきたんだ」

 少年はぼそっと呟いた。

「逃げてきた? どこから? ふもとの村からか?」

 その問いに答えようとしたとき、少年ははっとして目を見開き、

「危ない!」

 背後の影に気づき、ラグナドは竜牙一閃。

 魔物たちは真っ二つに引き裂かれ、跡形もなく塵となって消えた。

「何でこんなところに魔物が出やがる? ひょっとしてお前、こいつらから逃げてきたのか?」

「……そういうことになるのかもしれないね」

「はっきりしねえな? そういう奴は人の世では苦労するっていうぜ?」

 ラグナドが差し伸べた手を握り返そうとしたとき、少年の顔は険しく引き締まり、手から魔法の光を放った。

 その閃光はラグナドの頬を掠め、頭上から降りて来た魔物の影を滅した。

 ラグナドは軽やかにヒュウと口笛を鳴らし、

「お前、まあまあやるじゃねえか。そんだけの力があるなら、逃げまわる必要もねえんじゃねえか?」

「……意味ないよ。いくら戦っても、最後はひとりぼっちだ」

 少年は悲し気に目を伏せて微笑んだ。

「意味ないってことはねえんじゃねえか? お前、村から来たんだろ?」

「……うん」

「だったら、なおのこと。村には友達がいるだろ?」

「お兄ちゃんには友達はいるの?」

 ラグナドは頭の裏を掻き、

「今はそうだな、友達っつうか、仲間はいるな」

「うらやましいな」

 少年は顔を伏せる。

 村で除け者にでもされているのだろうか?

 なんだかそんな感じだった。

「まあ、なんだ、仲間っつってもよ。なりゆきだぜ。その前は俺だって、ぼっちだったしよ?」

「そうなの?」

「ああ、俺ははぐれ者だからな」

「はぐれ者?」

「まあ、いろいろあるんだよ。長く生きてるとな?」

「お兄ちゃん、そんなに長く生きてるようには見えないけど?」

「見た目に頼るのは、人の悪い癖だぜ?」

「……ほんと、そう思うよ」

 少年は翳のある笑みを浮かべる。

 その笑い方が気にかかったが、夕闇迫る空のほうがよほど気がかりだった。

「ガキがこんなところで夜を明かすわけにいかねえだろ。村に戻ろうぜ」

「……ダメだよ。僕は村には戻れない」

「どうして?」

 少年は固く口を噤んで答えない。

 ラグナドは大きく溜息をついた。

「何があったか知らねえけどよ。戻れねえなんてことはないはずだ。俺は生まれ故郷には絶対に戻れねえが、お前は俺じゃないんだからよ」

 どうしてと問うように少年の愛らしい顔が傾く。

「俺の生まれ故郷には女しかいねえんだ。女しか生まれねえんだな。だけど、たまに俺みたいに異端児として男が生まれることがある。そうした子供は忌み子として外の世界に追い出されるんだな」

 少年は驚いたように目を見開いた。

「女の人しか生まれない村なんてあるんだね」

「ああ。世界は広いからな」

「故郷を追い出されて、お兄ちゃんは悲しかった?」

「さあねえ。もうずっと昔のことだからな。覚えてもいねえな」

「それからずっと一人で生きてきたの? つらくなかった?」

「どうだろうな? そいつが当たり前だったからな」

「……そっか。お兄ちゃんは強いもんな」

「その通り! 俺は強い! とびきりな! だけど大抵の奴はそうじゃない。だから寄り集まって生きてくんだろ?」

「……僕もそうしたいけれど」

「ガキのくせして片意地張ってんじゃねえよ。何しでかしたか知らねえけどよ、大抵のことはあやまれば許してもらえるさ。もし許してもらえないなら、俺からビシッと言ってやるよ」

「本当?」

「ああ、だから村に戻ろうぜ。俺は酒が飲みてえんだ」

「うん、わかった。お兄ちゃんは強いから大丈夫だ」

「お兄ちゃんじゃねえ、ラグナドでいいぜ」

「うん。僕はレドだ」

 少年はにこっと明るい笑顔を見せた。



 トゥテラ村はロアーム地方の入り口にある小さな村だ。聖都サイードへ至る中継地として立ち寄る旅人が多い。

 ラグナドたちが村に着いたときには夕日が沈もうとしていた。

「あれまあ、レドだよ! レドが帰って来たよ!」

 広場はレドの帰りを喜ぶ村人たちでいっぱいになった。

「どうしたんだよ、この子は? 突然いなくなっちまったから心配したよ!」

 みんな、レドを温かく迎えてくれた。レドも嬉しそうだ。

 ラグナドが想像していた展開とはまるで違ったが、丸くおさまるならそれに越したことはない。それにしても、レドの人気は大したものだ。村人みんなに愛されている。

「何だ、お前。大した人気者じゃねえかよ」

 ラグナドはレドの頭をくしゃっと撫でた。

 その様子を見た村長がレドにたずねた。

「こちらの御仁はどなたかね?」

「このお兄ちゃんは僕を助けてくれたんだ。おかげで村に戻ってくることができた」

「おお、そうでしたか! 何もない辺鄙な村ですが、ゆっくりくつろいでくだされ!」

「いやあ、気を使ってくれなくても結構! 酒さえ飲めればね」

 ラグナドの望みは叶えられる。

 酒場で地酒にありついていた。詩にも謳われるロアームの清流から作られる酒は美味い。

 ラグナドは上機嫌だった。

「いやあ、まさかタダ酒にありつけるなんてよ? レド、おまえ、大した人気者だぜ、まったく」

「そんなことないよ」

 レドは果実ジュースを舐めるように飲みながら応じた。

 二人のやりとりを聞いていた酒場の親父が口を挟んだ。

「そいつは謙遜ってもんだぜ、レド。お前がいなかったら、村は今頃どうなっていたか。魔物にやられてなくなっちまってただろうぜ」

「魔物? この辺りには魔物が出るのかい?」

「ああ。少し前までは魔物なんて影さえ見なかったんだがね。あるときを境に、うじゃうじゃと出るようになった。どこから涌いてくるのかもわからねえ。山奥に古代遺跡があるんで、そこからやってくるんじゃねえかって話だがね。ともかく村が魔物に襲われるようになった。そんなとき、こいつがやって来て、魔物たちを追い払ってくれたんだ。何しろ、こいつは見た目こそこんなに可愛いが、すげえ力を持っているんでね。こいつは神様が遣わしてくれたんじゃねえかって、俺たちは信じているんでさ」

「結構、結構! 大した人気だな、レドよ!」

 ラグナドは赤ら顔で上機嫌に笑う。しかしそれとは対照的にレドの表情は浮かない。

「いくら魔物を退治しても無駄なんだ。その根源を断たなくちゃ……」

「うん? まあ、そりゃそうだがよ?」

 そのとき、勢いよく酒場の扉が開き、よろよろと人が転がり込んできた。

 何事かとみんなが色めき立った。また魔物が出たのか……?

 倒れていたのは、ラフィアーレだった。

「おい、どうしたんだ、ラフィ?」

 ラグナドが声をかけると、ラフィアーレはやつれ果てた顔をわずかに上げた。

「……ひもじい。何か食べさせておくれ」


 テーブルに並んだパイやロースト肉をラフィアーレはがふがふと胃に詰め込んでいた。口がリスのように大きく膨らんでいる。

「それで? 九尾の狐はどうなったんだ?」

「九尾の狐はたいそう賢い。化かされて、森で迷子になってしまってこの有様さ」

「狐に化かされる神様ねえ……」

 ラグナドは呆れた顔で酒を呷る。

 たらふく食べて満足したとき、ラフィアーレはようやく気付いた。

「そういやナクは?」

「お前を探すふりして古代遺跡の探索に行っちまった」

「やれやれだね」

「お前が言うな」

「それでそっちの可愛い子は?」

 ラフィアーレが好奇心に満ちた目をレドに向ける。

「ああ、こいつはレド。山道にいたのを拾ってな。お前がタダ飯喰らっていられるのも、レドのおかげだぜ?」

「ラグの奢りじゃなかったの?」

「俺にそんな金あると思うか?」

「思わない」

「なら、そういうことだぜ?」

 なぜラグナドがキメ顔をしているのかもわからなかったが、ラフィアーレはレドをまっすぐ見つめた。

「ほんとにありがとね。ご馳走になっちゃって」

「いいんだ。僕だって別に何もしていないから」

「ご馳走してくれるからには、大富豪のお子さんとかじゃないの?」

「全然そんなんじゃ」

「こいつは歳の割にはすげえ力を持ってるんだ。魔物を一掃できるほどの。その力で村を守ってきたんだと」

 ラグナドが説明する。

「へえ。凄いんだ?」

「凄くなんてないよ。生きていくために必要だったというだけだよ」

 レドは儚げに笑った。

「この村で生まれ育ったわけじゃないの?」

「ううん。いろいろな街や村を転々としていて、しばらく前にここに流れ着いただけ」

「そうなんだ?」

「うん」

「レドは俺と同じなんだよ。自由なる旅人。何物にも捉われない。そうだろ、レド?」

「うん。ラグナドはなんだか僕と似ている気がするな」

 レドは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ラグに似たら、ろくでもない酒飲みになるだけだと思うけど……。それはともかく今夜はどうしよう? ナクとはいつ合流できるだろうか?」

「さあねえ。あいつの探求心がいつ尽きるかって話だからな。数日、この村に留まる覚悟をしなくちゃなるまい。それとも、いっそあいつを置いていくか?」

「もし今夜の宿に困っているなら、僕の家に泊まればいいよ」

「家を持ってるのかよ?」

「空家だったのを村長が自由に使っていいって。僕一人じゃ広すぎるから、よかったら」

「至れり尽くせりだなあ」


 もとは村長の息子夫婦が暮らしていた家だったらしい。息子夫婦が商売のために都会に出たため空いていた家がレドにあてがわれたのだ。

 居間の他に寝室が三部屋もあり、レドが一人で住むにはたしかに広すぎる印象。居間の家具や調度品、座り心地の良い椅子、色鮮やかな絨毯、ロアームの民話を描いた壁掛け。それらすべては息子夫婦の残していったもので、家庭にあった温かさを今も感じることができた。

 寝室には大きなベッドと衣装ダンスがあり、窓から冴えた満月が見えた。

 今夜はゆっくり眠れそうだとラグナドが伸びをやったとき、ドアをノックする音があった。レドだった。

「ラグナド、一緒に寝ても構わないかい?」

「ん? 心細いのか?」

「そういうわけではないけど」

「まあ、別に構わないぜ?」

「ほんと? 嬉しい!」

 レドは無邪気な笑顔を見せると、寝間着に着替え始めた。

 そのとき、「明日のことなんだけど」とラフィアーレが部屋に入って来て――。

「……いたいけな少年を、ラグが毒牙にかけようとしている」

「妙な妄想も大概にしろ、エロ邪神」

 ラグナドがツッコむ。

「気を付けなよ、ラグは怖~い魔王だからね」

 とラフィアーレが半裸のレドに目をやり、その首筋の刻印に目を止めた。

「……その刻印」

 レドは、はっとして刻印を手で隠す。

「何だ?」とラグナドが聞く。

「う~ん、どっかで見た気がするんだよねえ」

「これは……なんだってない。昔の火傷の痕で……」

 レドは焦った様子で言い繕う。

「何かあるのか?」

「ううん、たぶん何もないよ」ラフィアーレはかぶりを振る。

「だったら、火傷痕なんだろ」ラグナドは肩をすくめ、「それで、お前の用は?」

「うん、そのことなんだけどね。明日、ナクを探しに行く?」

「めんどくせえ。そのうち、村に来るだろ」

「サイードに向かうにはそうなるよね」

「酒でも飲んで待ってようぜ」

「こうやって、わたしたちは堕落していくのか」

 ラフィアーレが部屋を出て行ったあと、レドは恐る恐るラグナドを見上げた。

「ありがとう、ラグナド」

「何が?」

 とラグナドは大欠伸をする。

「明日の酒も早いんだ。さっさと寝るぞ」

「うん」

 ラグナドがベッドに入ると、レドもそうした。まだ年端も行かない子供だ、一人でいることに寂しさを感じるだろうし、人と一緒に寝たいと思うこともあるだろう。むしろこの歳でひとり旅を続けてきたのが異常なのだ。

「ねえ、ラグナドは生まれ故郷に帰りたいとは思わない?」

「追い出された身だからな。そんな未練はねえよ。向こうだって、今さら俺を迎え入れやしないだろうしな」

「故郷には友達もいなかったの?」

「いねえよ。いるわけもねえ」

「そっか。やっぱり僕と一緒だ」

「何言ってやがる?」

「これから先もずっと旅を続けていくの?」

「そうなるだろうよ」

「そっか……。ねえ、僕もラグナドと一緒に行ったらダメかな?」

「何でだよ? お前には居場所があるだろ? この村じゃ、お前は人気者じゃねえか」

「だけど、ずっとはいられない」

「どうして?」

「どうしてもだよ……」

 レドは低い調子で応じた後、ラグナドを振り向いた。希望が滲むような熱っぽい目で。

「ラグナドはとっても強いから」

「強いかどうかなんて関係あるのかよ?」

「うん、たぶんね……。それに、僕はラグナドの友達になりたいんだよ。もうひとりぼっちは嫌だから……」

「変わってんな、お前」

 ラグナドは眉を高くしてきょとんとレドを見つめ返したが、すぐにふっと息を抜くように微笑む。

「ひとりぼっちになりたくねえなら、なおのこと、俺と一緒にいちゃいけねえんだよ。俺なんかといたら、それこそ一生はぐれ者だ。お前にはお前を必要としてくれる奴らがわんさかいるじゃねえか。なら、そこで生きていくほうがよっぽどいいんじゃねえか? 何より、お前はまだ子供なんだから」

「そうなのかな……」

 レドは沈んだ面持ちを浮かべたが、ラグナドは大きな手で少年の頭を撫でた。

 そしてにかっと大きく口を広げて笑い、

「だけどよ、そんなふうに言ってくれるのは嬉しかったぜ。ありがとうな、レド」

 救われたようにレドが顔を上げたとき、ラグナドの表情に緊張が走った。

「何か来るな。いけすかない気配がする」

 ラグナドはベッドを飛び起き、竜牙を握った。


     3


 鋭く甲高い怪鳥の鳴き声が月夜に木霊した。太古には存在したとされる四本足の巨鳥、その影が満月を過ぎる。

 いつの間に涌いてきたのか、意思無き魔物たちが村を徘徊していた。人もいれば獣もいた。すべては亡霊と違わぬ影。生ある者たちに対する破壊衝動しか持ち合わせない。「やれやれ、またか」とラグナドは舌打ちした。おちおち眠ってもいられないと苛立ち紛れに目の前の敵を斬りつける。そうしているうちにも、ラフィアーレが駆けつけてきた。

「やれやれ、女は身支度に時間がかかるってか?」

「まあね。ラグよりは気を遣うかな」

 応じている間にも、ラフィアーレの放つ魔法の光は魔物の影を滅していく。

 魔物の数は多い。わらわらと涌いてくる。

 相手をしていてもきりがない。

「まったく毎度のことながら、こいつらはどこから涌いてきやがるんだ?」

「遺跡や巨樹のような象徴性のあるものが光の柱の影響で膿んで、虚の生じたところから魔物が生まれるのが今までのパターンだね」

 目の前の魔物をあらかた片付け終わったとき、「危ない、ラグナド!」とレドの叫び声が飛んだ。

 頭上から怪鳥がその鋭い嘴を開いて襲い掛かってくる。

 ラグナドは間一髪飛びのいて躱したが、反撃は間に合わない。

 巨鳥は再び空高く舞い上がり、醜く鳴いて仲間を呼ぶ。

 闇夜にバサバサと鳥たちが大きな羽根を打つ音が途切れることなく続いた。

「僕も戦うよ」

 そう申し出るレド。

「いいから引っ込んでろ! ガキが無理することはねえ!」

「……僕は戦う。戦わなくちゃいけないんだ……」

 強い決意のほどが窺えた。思い詰めた悲愴感のようなものを感じさせる……。

「来るよ!」

 その注意喚起と同時にラフィアーレは風の魔法で巨鳥を一羽切り裂いていた。

 ズタボロになった仲間がずうんと地に堕ちていくのを見た鳥たちは、ギシャギシャと鳴き始め、怒りを共有するようだった。そして次の瞬間には一斉に降下、襲い掛かってくる。

 ラグナドはよく狙いを定めて竜牙を振るい、自身に向かってくる鳥を真っ二つにした。

 レドの放った凄まじい炎はもう一羽を火だるまにする。

 敵の数は確実に減っている。

 最後の一羽が悲鳴にも似た雄叫びを上げてひときわ高く空へ昇った。

 だがその高みで静かな斬撃によって羽根を断たれる。

 最後の一羽は闇夜に消えた。

「まったく遅いんだよ、てめえは」

 ラグナドが後ろを振り返る。

 月明かりのような光を帯びた長刀を携え、ゆっくりとした歩調で近づいてくるその人影はナクティスだった。

「思いのほか、古代遺跡が面白くてな」

「好きなことに夢中になるのはよいことだけど」とラフィアーレ。

「時と場合に寄るだろうがよ? それで? やっぱこの村を襲う魔物はその遺跡から涌いてやがるのか?」

「いや、遺跡自体に妖しいところはない。さほど大きくもない建物だ。おそらく古代の研究所か何かの施設だったのであろう」

「ああ? じゃあ、魔物とは関係ないってのか?」

「そうとも言えん。遺跡の石碑や壁画には面白い記述があってな。書かれていたのは、そこで研究が成されていた古代兵器の製造法だよ。もっとも大部分が欠けているし、難解な古代文字が用いられているから、すべてを解読できたわけではないがな」

「何について書かれていたの?」

 ラフィアーレが問う。何かを予期しているのか、いつになく表情が険しい。

「ホムンクルスだよ」

「ホムンクルス? なんだよ、そいつは? 関係あんのか?」

 ラグナドが首を傾げる横で、ラフィアーレが悪い予感が的中したとばかりに憂鬱そうに顔を伏せた。

「ホムンクルス……古代に用いられた人型の大量殺人兵器だよ」

 ナクティスはうなずき、

「石と泥を練り合わせて作るとされる人工生命体だな。最悪の兵器と言っていい。ホムンクルスは意思を持たない人形であり、目標となる都市に送り込まれる。ホムンクルスの見た目は極めて愛らしい子供として作られているため、よもやそれが兵器だとは誰も疑わない。ホムンクルスは疑われぬまま、都市の内部から破壊行動を実行する」

「ホムンクルスってのは、そんなに強いのかい? 街をぶっ潰してしまえるほど?」

「ホムンクルスに戦闘能力が備わっているかどうかは問題ではない。厄介なのは、ホムンクルスの人体組成に魔物を生じさせる魔法陣が組み込まれていることだ。つまり奴を一匹送り込むのは無限の魔物を送り込むのに等しい。ホムンクルスによって滅ぼされた都市は数知れずと古代史は語る」

「そいつはまた厄介だな。人が考えつくことは恐ろしいな? だが、それがいったい今回のこととどう関係しているってんだ?」

 そこまで言ったとき、ラグナドははっと気づいてレドを振り向いた。

 レドは暗い表情で俯いていた。

 ラフィアーレは言う。

「思い出したよ。レドの首筋にあった刻印。あれは古代文字による製造番号だね。レドという名も、星霜神話に出てくるホムンクルスの名だ……」

 重たい沈黙が横たわった。

 それを打ち消すように、ラグナドが口を開いた。

「いやいや、ありえねえだろ! レドがホムンクルスだなんてよ? だって、こいつはこの村を守ってたんだぜ? 今だって俺たちと一緒に魔物と戦っていただろうがよ? な、そうだろ、レド?」

 レドはゆっくりと顔を上げた。その顔には笑みが浮かんでいた。

「ラグナドには嘘は付けないな。そうだよ、僕が魔物たちを呼び寄せていた。僕はホムンクルスだから」


     4


 星霜神話が伝える最悪のホムンクルス・レド。

『人形の中に魂が注入されることでホムンクルスは造られる。ホムンクルスのレドは数多の都市に送り込まれ、そのことごとくを滅ぼした。そのうちの一つがトロージャである。トロージャが陥落したことでエスミタにおける長きに渡る戦争が終わった。その後、レドはいずこかへと去った』

 神話におけるレドの記述はこれだけである。

 ホムンクルスは高い費用対効果を発揮する。子供相手には警戒心を緩めるのが人の情。とりわけホムンクルスはとびきり愛らしい子供として造られた。彼らに心はなかった。人は心の在り処を突き止めていないから、ホムンクルスに心を持たせることができなかったのだ。だが、およそ問題はなかった。「お父さん」「お母さん」とだけ言うように造っておけば、人々はその子を戦災孤児だとでも勝手に思い込み、保護してくれた。そうしてまんまと都市に入り込めれば、ホムンクルスとしての役目は半ば終わったようなものだった。

 次々と現れる魔物たちをまさか子供が生み出しているとは誰も思わない。人々は魔物たちに戦慄し、混乱し、絶え間ない戦いに疲弊し、やがて都市は機能不全に陥り、滅んでいく。荒廃した街に一人無傷で取り残された子供を見て、人々はようやく気付いたのだ。その子こそが災いの元凶であったことを。

 ゆえに一つの都市が滅びると、ホムンクルスもまた滅びた。

 滅びないホムンクルスがいた。

 レドだった。

 不確定性の揺らぎが万物の法則に組み込まれている以上、例外はつきものだった。心もまた不確定性から生じるものなのかもしれない。

 レドはある都市に送り込まれた。多くのホムンクルスがそうであるように、レドもまた戦災孤児として保護され、ある老夫妻に引き取られた。

 老夫妻には子がなかった。レドを我が子のように大事にした。

 彼らはレドが戦争によって心を失くしたのだと思っていた。心を呼び覚まそうと様々に手を尽くした。レドが良いことをすると褒め、そうでないことをしたときには厳しく叱った。草花の彩を教え、動物たちの生態と役割を教え、森や谷、川や海がある意味、大地の美しさを教えた。すべてに命があることを教えた。

 魔物は出没するようになっていた。堅固な城壁に囲まれた都市のどこから魔物たちは侵入してくるのか? 人々は頭を悩まし、戦うことに疲弊していった。

 我々とて戦わねばなるまいよ。そうでなければ、この子を守れない。

 ある夜、老夫妻がそんな相談をしているのをレドは聞いた。

 どうして戦うんだろう?

 戦ったって無駄なのに。

 そのときは来た。市民は避難所にバリケードを設けて魔物たちの侵攻を防いでいた。そのバリケードももう長くはもたないだろう。

 残された人々と同じように老夫妻も覚悟を決めて武器を手に取った。

 レドは老婆の袖を掴んだ。育ての母である老婆は嬉しそうに微笑み、その胸の中にレドを抱きしめた。とても強く抱きしめたのだ。

 隠れていなさい。

 そう告げて、レドは長持ちに押し込められた。

 蓋を閉ざす老夫妻はやっぱり微笑んでいた。

 レドは少しまどろんだ。

 目を覚まして、長持ちから這い出し、建物の外に出た。

 とても静かだった。

 何もかもが終わった後だった。

 荒れ果てた街中をあてもなく歩いていた。

 石ころのように死体はあちこちに転がっていた。

 瓦礫に埋もれて老夫妻が倒れていた。

 今はもう動かない。壊れた人形のように。

 それは命がなくなったことを意味するのだと、老夫妻に教わっていた。

「うあああああああああああああああ!」

 涙があふれて止まらなかった。

 きっと僕もまた壊れてしまったのだ。

 

 ひとりぼっちはいけないよ。

 つらいときには誰かを頼りなさい。

 そう老夫妻に教わった。

 ひとりぼっちはいけないから、レドは旅を始めた。

 訪れた村で、街で、友達になってくれる人を探した。

 だけど、魔物は襲ってくる。自分が呼び寄せてしまう。

 ひとりぼっちにならないためには、戦うしかなかった。

 レドは戦った。ひとりぼっちにならないために、果てしなく戦ったのだ。

 だけど、魔物たちはいくらでも涌いてきて、人は簡単に壊れてしまう。

 どんなにがんばって戦っても、最後にはレドはひとりぼっちだった。

 それでもレドはあきらめなかった。老夫妻があきらめてはいけないと教えてくれた。あきらめなければ、助けてくれる人がいると教えてくれた。

 そうしてレドは数多の都市を巡り、そのことごとくを滅ぼしてしまった。


     5


「……ほんとにお前はホムンクルスなのか?」

 ラグナドがたずねた。

 レドは重たくうなずき、

「だけど、きっと僕は壊れてしまったんだ。もう自分がホムンクルスなのかどうかもわからないんだ。いっそ、ホムンクルスであったなら、ただの人形であったなら……こんなに苦しまないですむのに。僕は誰も傷つけたくないんだ。ひとりぼっちになりたくないだけなんだ。ひとりぼっちにならないために戦ってきたのに……最後はいつも一人ぼっちだ……」

 そう呟き、唇を噛み締める。

「それがホムンクルスの宿命だ。貴様が存在し続ける限り、この先も数多の街や村が犠牲になる。貴様は存在しているべきではない」

 そう冷淡に告げるナクティスに、ラグナドがブチ切れた。

「ふざけんなよ、てめえ……! 遅れてのこのこやって来て戯言ほざいてんじゃねえよ」

「ホムンクルスは戦争が生んだ歪んだ忌み子。竜の手を借りようとは思わぬ。人の生み出した災いは人の手で断ち切るべきだ」

 ナクティスが構えた刀がぎらりと月光に輝く。

「待てっつってんだろ! 要するにこいつの中に魔物を呼び寄せる魔法陣があるのが問題なんであって、こいつ自体は無害だ! だったら、魔法陣だけを切り離しちまえばいいんじゃねえのか?」

「それは無理だよ、ラグ」ラフィアーレが悲し気に首を横に振った。「魔法陣はホムンクルスの人体組成の根幹に組み込まれていて、分離させることなんてできない。もしそんなことができたとしても、そのときにはレドは動かなくなる。魔法陣は動力源としても機能しているだろうから……」

「古代人の魔法生命学は現代の技術を凌駕する。どうしようもない。恨むな」

 ナクティスの突き出した刃の切っ先が寸分違わずレドの喉元へと伸びていった。

 肉を貫き、血飛沫が舞った。

「……何の真似だ?」

 ナクティスの刃が貫き通していたのは、ラグナドの左肩だった。

「……やっとわかったんだよ。どうしてレドが夕暮れ時にひとり山道をうろついていたのかがよ。こいつは村から逃げ出そうとしていたんだ。自分がいると村に危害が及ぶのをわかっていたから」

 ラグナドは悔しそうに歯ぎしりした。

「……ちくしょう。あのときの絶望的な顔をお前たちにも見せてやりたいぜ。俺も最初はガキのくせに一丁前に不貞腐れやがってと思ってたさ。想像できるか? 年端も行かないガキが誰かに愛されたいってまっとうな望みのために戦い続けるんだぜ? だが、戦う相手は自分が生み出し続けている。何の地獄だ、こりゃ? そんな地獄にあって気が狂わない奴がいるのか? 教えてくれよ、なあ?」

「ラグ……」

「だったらよ、せめて俺だけでもこいつの友達であってもいい。世界でただ一人、俺だけはお前の友達だぜ、レド?」

 その言葉に、レドは救われたように顔を輝かせた。

「それで、どうしようというのだ、竜よ? よもやそのホムンクルスと一緒に生きていくなどというわけではあるまいな?」

「それだって悪くはないだろうがよ? 魔物がいくら涌いたところで、俺に取っちゃ虫が涌くようなもんだぜ? はぐれ者同士、レドと気ままに旅をするのもいいんじゃねえか?」

「だとしたら、我らの旅はここでお終いになるが?」

「そうなるだろうよ。お前たちは勝手に光の柱へ向かえよ。俺はここでお別れだ」

「本気なの、ラグ?」

 ラフィアーレの声が掠れた。ラグナドの顔を見て、本気なのだと察して顔を伏せた。

 ラグナドを欠いては、光の柱へ辿り着いたとしても……。

「我らの旅もここが終着か。あとは滅びの時を待つしかないのか」

 ナクティスは長刀をおさめ、侘し気に光の柱を見上げた。

 そのときだった。

 レドがラグナドに歩み寄り、笑顔を向けた。

「ありがとう、ラグナド。でもいいんだ。僕のために、ラグナドの旅が終わって欲しくない」

「別に終わりじゃねえよ。お前と行くっつってんだからよ」

 レドはかぶりを振って、

「僕はもう僕のために誰にも犠牲になって欲しくないんだ。僕のためにラグナドの旅が終わるというのなら、僕はそれを望まない」

「じゃあ、どうするんだよ、お前は!」

 ラグナドが声を荒らげた。

 そうしてくれる人がいることがレドには嬉しい。

「僕はひとりぼっちになりたくなかった。だけど、僕がいると、みんないなくなって、最後にはいつもひとりぼっちだ。そうわかったのは、トロージャが滅びたときだった。ひとりぼっちは嫌だけど、僕はひとりぼっちであるしかないんだ。だけど、もうそれには耐えられない。誰も傷つけたくない。僕は死を望んだんだ。だけど、ホムンクルスは自分で死ぬことはできない。そうできないよう造られている。だから僕はカルデイアに赴き、果てのない谷に身を投げた。死ぬことはできないけれど、誰も訪れることのない谷の底でまどろみ続ける。もう誰も傷つけなくていいんだ。そうしてどれほどの時間が流れたのかはわからないけれど……ふと目を覚ましたとき、僕はこの山奥の遺跡にいた。おそらくそこで僕は造られたのだろうけれど……。どうして僕が谷の底からあそこに飛ばされたのかはわからない。僕は山をさ迷い、この村に辿り着いた。村の人たちはみんないい人で、僕を温かく迎えてくれた。だけど、だからこそ、僕はここにいてはならなかった。僕は村を去ることにした。再び、カルデイアの谷底に身を投げるために……」

「何だよ、それ? つらすぎるじゃねえかよ……」

 ラグナドが唇を噛み締めた。

 だけど、レドは明るく微笑む。

「でもラグナドに出会えた。ラグナドは僕を友達だと言ってくれた。僕はもうひとりぼっちじゃないんだ」

 レドはラグナドの手を取って、かたく握りしめた。

「きっと僕がここにいるのは、あの光の柱のせいなんだね? なんとなくわかるんだ。僕の体の中にある魔法陣と、光の柱が漂わせている気配はとてもよく似ているから」

「それは間違いじゃないと思う。魔物を生み出しているのは古代人の魔法。その魔法は今では失われているけれど、光の柱はおそらく同じ原理を用いていると思う」

 ラフィアーレが言うと、レドは納得したようにうなずいた。

「ラグナドたちはあの光の柱へ辿り着き、多くの人を救ってくれるんだろ? だったら、旅を止めちゃいけない。ラグナドはここで立ち止まっちゃいけないんだ」

「……お前はどうするんだよ?」

 ラグナドの問いに、レドは躊躇いがちに顔を伏せた後、決意を固めて再びラグナドを見上げた。

「ラグナドにお願いがあるんだ。僕を壊して欲しい」

「できるわけないだろ!」

「僕はもう誰も傷つけたくないんだ。傷つけないためには、カルデイアの谷底に身を投げるしかない。だけど、あそこはとても怖くてつらいんだ。日差しも届かない闇の中、ずっとひとりぼっちなんだ。それは死ぬよりつらいし……僕はもうひとりぼっちにはたえられない。だから、お願いだ。ラグナドの手で僕を壊して欲しいんだ」

 ラグナドが噛み締める唇から血が滲んでいた。

「……ほんとにこいつから魔法陣を取り除く術はないんだな?」

「そもそも取り除けるように造られていないんだ。そんなことをする意味はないから。残念だけど……」

 ラフィアーレはつらそうに答えた。

 ラグナドは覚悟を決めたようだった。

 朗らかな笑顔を見せて、レドをぐっと抱き寄せた。

「レド、ずっと友達だぜ? 嘘じゃないぜ?」

「ありがとう、ラグナド」

 レドは微笑みを残し、消えていった。

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