第9話 エピローグという名の始まり
光の柱が消失して一年が経つ――。
世界から異変は去り、人々は落ち着きを取り戻し……いや、異変があろうとなかろうと人々の暮らしにたいして影響はないのかもしれない。その日その日をやり過ごしていくだけだろうから。それは明日世界が終わるとわかっていても同じだったのかもしれない。そう思わせる逞しさがこの世界の住人たちにはあった。
勇者ゼノスはかつての仲間たちを探す旅に出た。自分が表舞台に立つのは、世界が危機に瀕しているときだけ。このまま歴史に埋もれて忘れ去られてしまうことこそ、勇者の本懐だと。彼は仲間と、恋人と再会できたのだろうか? それを語る物語はまだ書かれていない。
救世主ヤーレはジハラ教団を解散すると、みずからの愛を求めていずこかへと姿をくらませた。残された帝国は民主的な手続きに委ねられ共和制へと移行した。しかし、その後も救世主ヤーレに対する信仰が消えうせたわけではなかった。あちこちで白く美しい翼を打って天を舞う救世主の姿が目撃された。その美しく恋焦がれるような救世主の姿は、多くの物語作家にインスピレーションを与え、今も数々の物語が紡がれている。
吹けば飛ぶような小さな村の広場で子供たちが影踏みをして遊んでいた。
禍々しい大剣を背負う若者を見て、遊んでと駆け寄ってくる。
「また今度な」
青年は子供たちの頭を撫でて、酒場へと向かった。
まだ夕方、こぢんまりした店内に客はぽつぽつとしか入っていない。店の片隅で吟遊詩人が竪琴を爪弾き、物語を吟じていた。勇者に敗れた魔王と帝国を追われた皇帝が共に旅に出るという物語だ。もう一人いたはずの登場人物はその物語には語られない。
カウンターの末席で酒を飲んでいるダークエルフの隣に腰かける。
「よう、久しぶり」
「ラグナドか。どうだった?」
「いや、全然ダメだ。誰もラフィのことを覚えちゃいない」
「やはりか……」
ナクティスの溜息が深まった。
「納得いかねえよな。世界がこうしてあるのはあいつのおかげなのに、俺たち以外はあいつのことを覚えていないなんてよ」
「この一年、各地の古代遺跡をめぐってわかったのは、忘れられた古代の神々の一柱としてしかラフィアーレは語られず、その存在は概念と化してしまっているということ」
あの日以来、二人は各地を巡り、ラフィアーレの痕跡を探し求めた。ラフィアーレがかつて語ったところによれば、世界各地の遺跡に彼女の記憶は封印されている。その封印を解けば、ラフィアーレは再びこの世界に顕現するかもしれない。だが、その望みも虚しく、今のところ徒労に終わっている。無論、彼女の故郷とも呼べるトワの地にも赴いたが、そこはもはや太古を偲ばせる遺跡でしかなかった。かつて訪れたときのように時空の狭間に迷い込むこともなかったし、あの奇妙な墓所に至っては影も形も見当たらなかった。世界が安定してしまったがゆえのことなのかもしれない。
「くそっ、遠路はるばるエフタルにまで行ったってのによ? それにしても、ナク。お前、やけに早かったじゃねえか。俺も約束よりはずいぶん早く戻って来たんだけどな?」
「ああ……途中、ヤーレの奴に見つかってな。しつこく付き纏われたので、逃げてきた」
ナクティスは怖気に身を震わせた。
「はっはっは、モテる男はつらいねえ!」
「真実嬉しくない……」
ナクティスは溜息を飲み込むように酒を呷った。
半ばヤケ酒なんだろう。
「どうした? 飲まんのか?」
「ああ。不味い酒をひっかける気分じゃねえんだ」
ちょいとお客さんと店主のツッコミが入る。
「ちょいと外に出ようぜ。風に当たりてえ」
「そうだな。ちょうど不味い酒をやるのにも飽きていたしな」
ちょいとお客さんと店主のツッコミが入るのをよそに、二人は席を立った。
黄金色の夕日が地平の彼方に沈み込もうとしていた。
朱に染まる空が鮮やかだった。ぐるりと筆で勢い任せに描いたような雲が浮かび、さらさらと風がほどけていく。囀りを響き合わせながら森に帰る鳥の群れを眺めながら、二人は丘を登っていく。
「あの日、あいつはあの空から降りて来たんだ」
「そうだったな」
「得体の知れねえ光でよ。俺たちは何だと思って光を追いかけたんだよな。そしたら、この森にあいつが降りて来た。それが俺たちの物語の始まりだった」
ぽっかりと開いた森に、ラフィアーレはいない。
それどころか、この世界の記憶から彼女の存在は失われているのだ。
だけど、二人はあのときのことをはっきり思い出せる。
「わけのわからねえ女だったよな。やけに馴れ馴れしくってよ、出会い頭にいきなり自分は神様だってほざきやがる」
「ああ」
「ほざいてるだけなら、よかったのによ……」
ラグナドは唇を噛み締めた。
「あんなガキが神様なんてやる必要ねえよ。好奇心旺盛でよ、何を見ても楽しそうでよ、ほんとガキのくせに……」
「神の感覚はわからんが……あいつは真実物語を読むように世界を外側から眺めていたんだろうな。ここにいる間、ラフィアーレは物語の中に飛び込んだような感覚だったのかもしれん」
二人は森を抜けた。
夕風がやわらかく纏わりつくように頬を掠めていく。
かつて地平の彼方に立っていた光の柱はもう跡形もない。
そんなものが存在したことさえ、いずれは忘れ去られてしまうかもしれない。
人はその日その日を暮らしてゆくのに精いっぱいだし、それでいいのだ。
日が昇り沈みゆくサイクルはあまりにも慌ただしいから。
「あいつはまた世界の外側に帰っちまったんだよな?」
「おそらくはそういうことだ」
「そしてこの世界を保つために見守っている」
「それが柱として立つということだろう。ラフィアーレの神としての務めでもある」
「おかげで、この世界は今もこうしてここにあるんだろうけどよ」
それはこの世界に存在するすべての人々の物語がラフィアーレによって担保されているということ。この世界に存在するすべては彼女に負うているのだ。
「ありがとう、なんだろうけどよ? 余計なお世話だっつうの……」
無邪気な笑顔で夕焼けを眺めていたラフィアーレを思い出す。
もうとても遠い昔のような気さえする。
だけど、それを思い出にしたくはなかった。
「納得いかねえよな? あのラフィアーレが外から世界を眺めているだけで満足すると思うか?」
「いや、思わんな。そんな欲の浅い女ではなかろう」
「だよな? あんなに世界を目いっぱい楽しんでた奴がよ? 神様として偉そうにふんぞり返っているだけじゃ物足りねえよな?」
「真実わがままな女だからな」
「じゃあ、俺たちのやることは決まってるよな? やっぱあいつをこの世界に引きずりおろすしかねえよなあ?」
ナクティスは同意するように微笑んだ。
自分たちの世界にラフィアーレを取り戻す。
それが二人のその後の物語の始まりだ――。
追憶のラフィアーレ 空良裕司 @leonardo
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