第5話

 電車とバスを乗り継ぐ。

 本当ならタクシーを飛ばして向かいたいところであるが、学生の身分でそれは現実的ではない。多分、明日海も同じようにして向かっているはずだった。


 町外れ、のどかな光景が流れるその地域に、健斗はいるらしい。

 しかし、こんな場所で一体何を?


 さっき見えた光景は、最初に見た緊迫したそれとはだいぶ違っている。が、明日海が泣いていたのは間違いない。明日海が涙ぐむ未来など、なくていい。


 現場近くまで到着する。ここからは歩きだ。地図を見ると、この先にある工場のような場所が健斗の指定してきた場所のようなのだが……。

 建物が見えてくる。今は使われていないであろう廃工場。しかし、工場の前には数台の車が停まっている。誰かがいる、ということは間違いなさそうだった。

 入り口をそっと開ける。と、

「マジか! 礼音も来たっ」

 驚きと喜びが入り混じったような顔で、健斗が迎えてくれた。隣には明日海の姿もある。


「……なんだ、これ?」

 廃工場の中は、大掛かりなスタジオだった。何台かのカメラが置かれ、スタッフらしき人間が十数人。グリーンバックと呼ばれる緑色のスクリーンが壁際に置かれていたり、部屋のようなセットが置かれていたり、本格的だ。


「礼音、まず携帯の電源切れ。話はそこからだ」

 礼音は言われるがまま携帯を出し、電源を切る。

「二人とも来ちゃうとはな。出来れば秘密にしておきたかったぜ」

 残念そうに言う健斗に、明日海が肘鉄を喰らわせる。

「なにが秘密よ! みんなとの約束すっぽかしておいてっ」

「いや、悪かったって」

 頭を掻く健斗に、イラっとしながら礼音が訊ねる。

「で、何がどうなってるわけ?」

「ああ、実はさ……」


 健斗の話によると、引っ越しを手伝った相手が、駆け出しの映画監督で、今日の撮影に欠員が出たのを知り健斗に声を掛けてきたとのこと。元々演じるはずだった役者が、もっといい仕事が入ってこっちを蹴った形だ。少しでも目立つ、いい仕事が欲しいという役者は多いだろう。皆、必死なのだ。


「車の中で、電話で口論始まってさ、めちゃくちゃ雰囲気ヤバくなって」

 その後、ここに連れて来られたという話らしい。

「……なんだ、じゃ、あれって映画の」

 礼音は、後ろ手に縛られた健斗の映像や、血で染められた手などの光景がリアルではなかったと知り、安堵した。しかし……

「お前、カナエって子と浮気してないだろうなっ!?」

 思わず詰め寄る。健斗が心底驚いた顔で、口を開けた。

「おま、なんでそれをっ、」

「え? 浮気?」

 明日海が健斗を睨み付ける。


「へぇぇ、候補が二人も来てくれたんだぁ~」

 緊迫した雰囲気をぶち壊すように現れたのは、ひとりの少女。礼音は、その女性を見た途端、時が止まったかのような感覚に陥った。心臓を鷲掴みにされる、とはこのことか。


「オーディション、始めるってさ」

 彼女の名は浦野睦美うらのむつみといい、この映画のヒロイン『カナエ』を演じる、駆け出しの役者だという。礼音は、今までにない衝動に心を動かされていた。簡単に言えば、をしたのだ。

「……健斗には負けねぇ」

「へ?」


 急に現れた上に、オーディションを受ける気満々になっている礼音に、健斗は首を傾げる。演技経験などないし、役者を目指したことなどないのは健斗も礼音も同じだ。それなのに、礼音は急にやる気になった。チラ、と浦野睦美を見る。

(……ああ、そういうことか)

 こんなにも感情むき出しの礼音を見るのは、初めてで、それが、なんだか無性に嬉しかった。いつもどこか遠慮がちな礼音を見てきたからだろう。仲の良い友人同士なのに、どこか一歩引いていた礼音が、初めて、熱を持って向かって来てくれたのだ。


*****


 自分の見てきた「選ばなかった方の未来」は、いつだってを行く。

 礼音は、ずっとそう思っていた。自分の選択は間違っているのではないか、と。


 しかしそうではない。


 どんな未来も、その先には新たな選択が待っている。視えた部分がたまたま現状より良く見える、というだけで、実際には、その先がどうなるかなどわからない。


 選ぶのだ。今、最善だと思える道を。

 二次元の時間に振り回される必要はない。


 時間はいつだって、一次元だ。


*****


 名もなき監督の映画で、ちょい役を演じた。

 後にそれが、人生を大きく変えることとなる──。




 ──壇上に立ち、礼音はフラッシュを浴びる。マイクを渡され、挨拶をする。


「『カナエ』のおかげでここまで来られました!」

 会場から大きな拍手が上がる。


 大きな映画祭で、念願だった主演男優賞を受賞した。

 きっかけは小さな自主製作映画。

 そこから、一歩ずつ努力を重ねここまで来た。


 ふと、見渡せば、笑顔で手を叩いている浦野睦美の熱い視線がある。

 礼音は花束を手に壇上を降りると、睦美と抱き合い、キスを交わした。



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事件は木曜日を選ばない にわ冬莉 @niwa-touri

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