廻りくる季節のために
佐藤万象
プロローグ
春のいま頃の季節は一年の中で、もっとも清々しい季節だなと耕平は思った。
四月の初旬、うららかに晴れわたった空には雲ひとつなく、ほほを優しくなぜて吹きすぎる風には、真冬の北風の身を切るような過酷な冷たさはなく、どことなく母親のまなざしにも似た暖かさがあった。
日曜日ということもあって、せっかくいい天気なのに家にばかりいる手はないと、散歩がてらに近くの公園に出かけてきた耕平であった。公園には家族連れや近くの子どもたちがスケボーやらチャッチボールをして賑わっていた。昼下がりの太陽は中天高く昇りさんさんと地上に降り注ぎ、その恩恵を受けて桜の花はほぼ満開に近く咲き誇っていた。
耕平はベンチを見つけると腰を下ろし、ゆっくりもたれかかり大きくひとつ屈伸をした。
「やあ、佐々木 …、耕平じゃないか」
と、誰かが声をかけてきた。声のほうを振り向くと、高校時代の同級生で幼なじみでもある山本徹が、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「ああ、山本か。どうしたんだ。いま頃」
「いやあ、あんまり天気がいいんで花見でもしようかと思って出てきたんだ。オレはひと足先に出てきたから、この辺をブラブラしてたんだ。それより、お前は何やってんだ。こんなところで、しかもひとりで…。追っ付け家族もやって来る頃だから、どうだ、お前も一緒に交ざらないか」
と、山本徹に誘われたが、これから、ちょっと行くところがあるからといって断った。
「そうかぁ、行くところがあるんじゃ、しょうがねえか。じゃあ、またこんどにするか。じゃ、またな」
そういうと、山本は踵を返すようにして、家族らが待ち構えている方向へと、そそくさと戻って行った。耕平には別に行くあてなどなかったが、こんな暖かで穏やかな日は、みんなでワイワイ騒ぐよりも、ひとりでのんびりしているほうが性に合っていた。それに、わざわざ人さまの家族が、花見を楽しもうとしているのに、他人である自分がしゃしゃり出て行って、邪魔するのも気が引けたからだ。
春の陽射しは、汗ばむほどの強さで照りつけて、公園に設置してある時計を見上げると、間もなく午後三時になろうとしていた。
「あれ、もうこんな時間か…」
ひとり言のように呟くと、耕平はゆっくりと立ちあがりながら深呼吸をして歩きだした。帰るにはまだ早いから、本屋でも覗いてみるか。そんなことを考えながら、公園の裏口の方へと向かった。右手のほうを見ると古ぼけたブランコが目についた。耕平の子供の頃からあるそのブランコには、昔、友達とよく遊んだ思い出があった。非常になつかしくなり、ちょっと乗ってみる気になった。
ゆっくりと漕ぎ出すと古い鎖はギシ・ギシと軋む音がした。徐々に反動をつけたブランコは、耕平を載せて空高く舞い上がるように前後運動を繰り返した。何回か繰り返し漕いでいるうちに、傍らの草むらの中でキラリと光る物が目に止まった。
何だろう。と、急いでブランコを止めると何かが光ったあたりに近づいて行った。草むらに落ちていたのは、陽光を浴びて鈍く銀色に光る腕時計だった。手にとって見ると、普通の腕時計よりひと回り大きく、重さも普通のものよりずっしりと重く感じられた。
『誰が落としたんだろう…』
耕平は落し物を探しているような、人はいないかと辺りを見回してみたが、それらしい人物は誰も見当たらない。耕平は時計を裏返してみたが、ブランド名はおろか記号や製品番号を示す数字すら刻まれていなかった。表を返してみたが裏と同様に何も記されていなかった。
表面の文字盤には、四桁の数字を表すデジタル式の窓がついている。その下には、やはり二桁の窓が横に二列並んでいた。さらに、その下にも時間を表す窓がついている。一番上の窓には二〇一八と表示されているから、これは年を表している。下の窓には〇四と〇九だから日付けだ。二〇一八年四月九日だから、今日だ!。
しかし、カレンダー時計はわかるが、なぜ年代を表す窓がついているのか不思議だった。
文字盤の右半分には、小さな突起が八個と左側にも三個付いている。たぶん、年代・月日・時刻の調整に使う押しボタンなのだろう。それは、一番上のボタンを押すことにより、末尾の数字がひとつ上がったことで明確になった。
ふたつ目が月の単位で三つ目が日を表しているのなら、四つ目は当然時刻であることが耕平にもわかってきた。一瞬ためらいながら五つ目のボタンを押してみる。末尾の数字がまたひとつ上がった。次のボタンも押してみた。すると、耕平の予測どおり末尾の数字はひとつ戻り、もう一回押すと最初の二〇一八に戻った。しかし、残りのふたつと左側のふたつのボタンには、どんな機能が備わっているのか、まったく見当もつかないまま、耕平はしばらく考え込んでしまった。
「うーん…。よし、後で詳しく調べてみるか」
そうつぶやくと、時計をポケットに押し込んでゆっくり歩き出した。別にネコババするんじゃないんだから、警察に届けるのは明日でもいいだろう。などと、考えながら本屋へ向かおうとして、公園の裏口の垣根を出ようとした時だった。突然、右手のほうから自転車に乗った、小学生くらいの少年が飛び出してきた。耕平は慌てて避けようとしたが、間に合わずに自転車と激突してしまった。少年はもんどり打って倒れたが、すぐに起き上がり自転車を立て直すと、
「す、すみませんでした…」
と、ペコリと頭を下げると一目散に走り去っていった。耕平のほうはと云えば、倒れはしなかったものの太股のあたりに、まともに打撃を受けたものだから太股がビクンビクンと痙攣していた。それから、ハッとして時計がどうなったか気になった。壊れていなければいいが…。と、思いながらズボンのポケットから時計を取り出した。
時計を手に取ると、人間の耳では聞き取れるか聞き取れないくらい小さな音で、フィーン・フィィーンと鳴りだした。その音は数秒続き、次にシューンという音に変わった。瞬間、周りの風景がクラッと揺らいだような感覚に襲われた。耕平はめまいかなと思ったがすぐもとに戻った。
その数分前、山本徹は耕平に用事があったことを思い出し、あちこち探し回っていた。ブランコのあたりまで来た時、公園の裏口付近で立ったまま、何かをしている耕平を見つけ、山本は急いで近づいて行って、声をかけようとした瞬間だった。耕平の姿がまるで陽炎のように揺らいで見えた。すると、次の瞬間、耕平の姿はかき消すように見えなくなっていた。
山本は耕平が立っていたあたりに来ると、周囲をゆっくりと見回してみた。しかし、半径二メートル以内に、人間はおろか猫の子一匹、隠れられるような場所も見当たらなかった。人間がいきなり煙のように消え失せるなどということは、どう考えてもあるはずがなかった。何かの見間違いだったのか。いや、そんなはずはない。耕平が目の前から消えたことは事実なのだから、どう解釈すればいいのかわからなかった。山本の頭の中は、降って湧いたような現象に混乱していた。それは、まるで自分自身が底の知れない迷宮にでも、迷い込んでしまったような状態だった。人通りの少なくなった公園の裏通りで、山本は狐にでも摘ままれたように、呆然と立ちすくんでいた。
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