あとがき

 この作品は、私の処女作である。後にも先にも、最後まで書き上げたものは、これが最初である。これまでも書いても書いても途中で、投げ出したものばかりだった。それが今回ばかりは一念発起して、ようやく書き上げたものなので、いささかなりともどうにか自分なりに、少しは満足のいく作品になったつもりでもいる。

 私は子供の頃から、SF物が好きだった。ロバート・A・ハインラインの「赤い惑星の少年」や、その頃ラジオで放送していたドラマ、「白鳥座61番星」瀬川昌男原作などは夢中で聴いていたし、これはのちに友だちに借りるかなんかして原作のほうも読んだ。

そんなわけで、若い頃は小松左京や筒井康隆などの、短編長編を問わず読みあさっていた。いろんなジャンルのSFを読んだが、中でもとりわけ時空物と呼ばれている作品が好きだった。時空物、つまりタイムマシンが登場してくる小説だが、私が一番最初に読んだ作品は、H・Gウェルズの「タイムマシン」だった。この小説に出てくるタイムマシンはスクーター型で、後方にはパラボラアンテナのようなものがついているタイプであった。

それから有名なところでは、ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」があるが、SF小説の解説を書くつもりはないので、ここでは省くことにする。

日本の作品にも、タイムマシンやタイムトラベルを扱ったものがたくさんある。筒井康隆の「時をかける少女」豊田有恒の「モンゴルの残光」北村薫の「スキップ」「ターン」東野圭吾「ナミヤ百貨店の奇跡」、テレビドラマにもなった重松清の「流星ワゴン」や宮部みゆきの「蒲生邸事件」など、そして忘れてはならないものに、小松左京の長編「果てしなき流れの果てに」と、四十七歳という若さで急逝した広瀬正の「マイナスゼロ」がある。

特筆すべきは広瀬正の「マイナスゼロ」で、この作品は卓越されたストリー構成と、実際に起こった事件などを細やかに盛り込まれた時代考証で、インターネットもなかった一九六〇年代に、よくぞここまで綿密な資料が集められたものだと感心してしまう。

まさしく、この「マイナスゼロ」というSF小説こそ、タイムトラベルものの金字塔と言っても、決して過言ではないと私は思っている。

さて、この「廻りくる季節のために」は、主人公の佐々木耕平が四月のとある日曜日、街の公園で偶然、腕時計型の『タイムマシン』を拾ったところから始まるわけだが、これはいわゆる〝親殺しのパラドックス〟の逆を狙ってみようという意図から考えたストーリーでもあるのだが、果たして本人が考えようにうまくいったのかというと、いささか疑問が残るところでもあり、その良し悪しの判断はこれを読んだ読者に任せようかと虫のいいことを考えている。

この作品の執筆を初めてから完成するまで、三年という期間を費やしてしまったのは、自分自身の怠慢というほかに言葉が見当たらない。

これを書き始めた時、プロローグ及び第一章とエピローグを先に書いてしまったために、なんとかエピローグに辻褄を合わせようとして、最初に書いた部分をあちらこちら付け足したり削ったりして、どうにか完成まで漕ぎ着けた次第である。

エピローグのほうを、最初に書いてしまったからというわけでもないが、書いている途中から、主人公の耕平が偶然ながら縄文時代に辿りついたのなら、その後日談としての縄文編を書いてみようという気になって、実はいま現在書き進めているところでもある。

しかし、プロの作家でもないので、この作品をシリーズ化するつもりなどさらさらなく、この「縄文編」を以って完結する予定でいる。私にしてみれば、ただ単に自分で楽しみながら書いているのに過ぎないのであるから、これから先どのような展開になって行くのか、一抹の不安が残らないわけでもないが、書き出しさえすれば何とかなるだろうという、半分以上開き直って書き進めているところでもある。

          2019.08.19. by basyow satoh

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廻りくる季節のために 佐藤万象 @furusatoha

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