永遠の愛を誓う

 しっとり温かい物で顔をかれた。涙でれたまぶたが、乾いた涙が張りついた頬が、すうーっと軽くなった。

「うーん、カズ……」

 僕は手を伸ばしてカズの頭を引き寄せた。

「カズじゃなくて悪かったな」

 目を開けると、黒犬のドアップがあった。

「うわっ⁉ ツカ?」

 僕はツカの顔を押しのけた。危なっ! うっわー! もう少しでツカにキスするところだったじゃないかぁ!

 隣でカズが体を起こした。顔に手を当てている。悩ましげな寝起き姿もセクシーだ。

「まったく、おまえらは……。まずは目を開けて、相手を確認しろよな。危うくキスされるところだったじゃねーか」

 ツカが顔をしかめて、頭をブルルと振った。

「人の顔をなめて起こすツカも、どうかと思うぞ。犬らしいけどな」

 カズがため息をつく。

「なっ……⁉ ツカ! おまえ、カズをなめたのか! どういうつもりだ!」

 ツカが寝ているカズの顔をなめ回す光景が頭に浮かび、無性に腹が立った。

焼餅やきもちを焼くなよ。そんなんじゃねーからさ」

「焼いてないよ! どんなんだよ?」

 隣でなぜかカズが嬉しそうにフッと笑った。何がおかしい?

「朝飯を食いにおりてきたら、おまえらが涙でぐしゃぐしゃの顔で寝てたから、ひでー顔だと思って、舌でいてやったんだよ」

 ツカが口をへの字に曲げた。

 どうやら、カズの寝顔がかっこいいという理由ではなく、ただの親切心と世話焼き気分になっただけらしい。なんかホッとした。

「寝起きドッキリか。目は覚めたけどな。もう二度とやるなよ、ツカ」

 カズが僕を抱きよせ、ツカをにらんだ。カズがちょっと怒ってる?

「やらねーよ」

 ツカはベッドを下りてテーブルの方へ行った。

「ユウ、おまえもツカになめられてんじゃねぇよ。ぼーっとしすぎだ。すきがありすぎるんだよ」

 カズがベロリと僕の頬をなめた。僕の心臓がドキッと跳ねる。ベロリと目元もなめられた。ツカになめられた所を、上なめしてる? もしかして、嫉妬しっとしてるのかな? 僕の心臓が踊り出す。カズの舌が僕の唇をなめ取った。僕はカズにしがみつく。カズの色気にクラクラした……。

「おいっ!」

 ツカの声に、僕たちはビクッとしてパッと離れた。ツカの存在を忘れてた。

 おまえそこにいたのかよ? 空気を読んで外に出て行け! 席を外せよ! 僕は思わず心の中で、ツカに怒鳴った。

「盛り上がってるところを悪いんだが、もう少しで結界が消えるぞ。さっさと飯を食ってここを出ないと、崩れるぞ」

「それは」

「まずいね」

 慌てて服を着ると、急いで席に着き朝食をかきこんだ。食べ終わる前に、ヒュルルと白い風が吹き荒れて洞窟が崩れ落ちた。僕たちは間一髪で外に飛び出した。

「危なっ! 危機一髪だったね」

 心臓がバクバクする。

「朝食は半分しか食べれなかったし、昼のおにぎりも作るひまがなかった。今日は昼食なしかぁ。ツカ、次はもっと早く起こせよ」

「ユウ、なぐるぞ」

「なんでだよ!」

「二人とも、じゃれてないで出発するぞ」

「じゃれてねー!」

 僕とツカの声がかぶる。カズが笑った。

 雨はすっかり止んでいた。

 清々すがすがしい朝の森に寂しさがただよい、僕の手をカズの温かい手が包む。僕たちは静かな森の中を黙々と歩き続けた。


「なぁ、ユウ」

 前を歩くツカが、振り向かずに話しかけてきた。

「うん?」

「おまえは白兎に、ハンター五人と犬一匹の中からつがいを選べ、と言われたんだよな?」

「うん」

「逆に言えば、男たちがユウをめぐって争うって事だろ。男たちの中にオレも入ってるって事だろ」

「え、でもツカは案内役だろ? 僕たちを神の木まで連れて行く役だろ? その前に、おまえ犬じゃん」

「案内するって事は、始めから終わりまで行動を共にするって事だ。その途中で、オレはユウにれるはずだった。たぶん、神の木の前で、オレとカズの一騎打ちだ。どちらかが消えるまで戦って、生き残った方が晴れてユウとゴールイン、というシナリオだろうよ」

「おい。ツカ、何を言っている? どういうつもりで言ってるんだ?」

 カズがずいっと前に出た。ツカは振り向かず足も止めずに話しを続ける。

「オレはノンケだが、ここに呼ばれたって事は、そのケがゼロではなかったんだろうな。おまえらみたいに、恋愛対象が男に変わる可能性が大だったんだろう」

「ツカ。何が言いたい? こっちを見ろよ。おまえ、まさが……」

 僕はカズの肩に手を置いた。

「カズ、落ち着いてよ。ツカは過去形で話してるだろ」

 ツカが僕たちに向き直った。

「ジュンは欲情しないように子供の姿だったが、オレは欲情しないから犬の姿のままなんだ。ユウに欲情したらオレは人の姿になるんだろうな」

 カズがにぎっていたこぶしをほどいた。

「この毛色さ、オレは甲斐犬だと思うんだよな。甲斐犬と言ったら、一代一主だろ」

 ツカはドヤ顔で言ったが、あいにく僕もカズもピンとこなかった。反応の薄い僕たちに、ツカはガックリとため息をついた。

「ジュンに会わなければ、たぶんオレはユウをめぐってカズと争っただろうよ。だけどオレはジュンに心を奪われた。ジュンに心を捧げたんだ」

「心だけにしとけよ、ロリコン犬。手は出すなよ」

 僕はツカに釘を刺した。

「シスコン姫は口うるせーな」

 ツカがわざとらしく、後ろ足で耳をカキカキした。こいつ、いちいちムカつく。身を乗り出した僕の肩に、カズが手を置いた。

「それで? ツカ。続きがあるんだろ」

「あぁ。女の子のジュンもバグだったが、男に欲情しないオレもバグなんだよ」

「……は?」

 僕とカズの声が被った。意味がわからない。

「オレはもうジュンしか愛せない。犬だったら、ジュンがオレの唯一のご主人様だ。ジュンにしかつかえない」

「あ、それで一代一主か」

 カズがなるほどとうなずく。

「忠犬ハチ公みたいな?」

「あれは秋田犬らしいけどな。オレは待つ気なんかねーよ。ジュンがどこにいようと探し出してついていく。もう二度と離さない。離れない。病める時も健やかな時も、オレはジュンのそばにいる」

「……はぁ」

 僕とカズの口から間抜けな声が出た。ツカの言ってる事がピンとこなかった。

 日の光が、ツカの黒い虎毛を美しく照らし出す。

「ジュンの事はオレに任せろ。おまえらはこの世界で、楽しく欲情して思う存分イチゃついて、ハッピーライフを送れよ。じゃあな。おまえたちに会えて、楽しかったぜ」

 ツカは後ろ足を首の紐にひっかけて、引きちぎった。

「ツカっ!」

 緑色の玉が、砕け散った。

 ツカは嬉しそうに尻尾を振って、消えていった。

「ツカ……」

 僕はぺたんと地面に座り込み、カズは立ち尽くした……。


 日が沈む頃、カズに腕を取られて僕はよろよろと立ち上がった。

 狛兎の結界を見つけ、洞窟の中へ入る。

 テーブルとベッドがひとつ。椅子は、僕とカズの分しかなかった。ツカの椅子が、なかった……。

 僕の体が震えた。

 僕を抱きしめるカズの息が震えていた。

 僕たちは互いに手を伸ばし、抱きよせかき抱き熱をかけあって、震える心を温めあった……。

 一晩中、抱き合ってなぐさめ合って愛し合って、夜が明けた。

 このまま二人で崩れ落ちる洞窟の下に埋まってもいい、とは思えずに僕たちは、命が惜しくて外に出た。頭がカラッポの時は、体が自動で動くらしい。僕たちは、起きて服を着て朝食を食べて昼用のおにぎりとサンドイッチを作って持って、洞窟から出た。

 二人で手をつないで歩き出す。

 行先はわかる。神の木だ。

 行き方はわからない。地図もない。ジュンちゃんもツカも、もういない。

 行先なんて、どうでもいい。ただ歩く。

 闇雲やみくもに歩いていたら、草むらで何かが光った。けれどすぐに見失う。

 気のせいか、目の錯覚か、光の加減で朝つゆが光って見えただけなのかも、と思ったら、また向こうで何かがキラリと光った。

 光に誘導されるように、細い道に出た。

「え……?」

 細い道に点々と緑の破片が落ちていた。小さなガラスのような破片を指でつまむと、淡い緑の光になって消えた。

「これって……」

 カズも緑の光を目で追って……呟いた。

「……ツカの玉か」

 僕たちは顔を見合わせ、道の向こうへ目をやった。緑の破片は、キラリキラリと道の向こうへ続いている。点々と落ちている。

「ツカ? ツカ!」

「ツカっ! ツカー!」

 この破片をたどっていけば、ツカに会える気がした。この先に、ツカの黒い体が横たわってる気がした。期待と不安に駆られて、僕たちは走り出した。

 走って走って走って、息が続かなくなるまで走って……、とうとう足を止めた。これ以上は走れなかった。ゼー、ゼー、と息をつく僕たちの前方に、緑色の破片がキラリと光っている。キラリ、キラリ、点々と、続いている……。まるで誘導灯みたい……。あぁ、そっか。わかってしまった。

 この先にツカはいない。

 この先にあるのは神の木だ。

 ツカは、神の木まで道しるべを残していったんだ……。

「クソ! ツカの奴、カッコつけやがって。破片だけ残していくなんて、こんなやり方、ありかよ! ツカ!」

 カズが木の幹に拳を叩き込んだ。

 八つ当たりされた木は、枝を震わせハラハラと葉を落とした。

 僕もバラバラになりそうだった。


「……抱いて。今ここで」

 僕はカズにしがみついた。

「抱いて。めちゃくちゃにして。何もわからなくなるぐらい、かき回してぐちゃぐちゃにしてくれよ。カズのことしか考えられなくして。心も体もカズで染めて。すきまなくカズでみっしり埋め尽くしてよ」

「ユウ……」

 僕はカズに、かみつくようなキスをした。カズの手が僕の頭に背中に回される。力強く抱きしめられた。

 僕たちは飢えた獣のように交わった。快楽で脳味噌のうみそが溶けてしまえばいいのに、と思った。つらい悲しい苦しい全ての苦痛が感情が、どろどろに溶けてなくなってほしかった。永遠にカズだけを感じていたかった。

 僕は泣いた。カズに抱かれ快楽に溺れ熱を放ち、感情があふれてとまらなくなり身をよじり震わせイキまくった。わけがわからなくなって、カズの胸で泣きじゃくった……。

 愛し合う僕たちの上に、さんさんと日が降り注ぐ。愛して抱いて抱き合い愛し合い、僕たちは夕暮れの光を浴びて起き上がった。

 緑の破片に誘導されて、狛兎の結界へ洞窟までたどり着く。

 キスをしながらベッドに倒れ込み、互いの服をはぎ取り肌に触れ、抱き合い重なり交わってむさぼるように愛し合った。

「ねぇっ、……カズの、願いはっ?」

 僕はカズの下で息をはずませながら聞いた。カズのこめかみから流れた汗が、形のいいあごのラインを伝って、ポタリと僕の上に落ちてきた。

「俺のか……。俺は、ユウの心から笑った顔を、ながめていたい……。ずっとユウの中に、入っていたい」

 カズの低いかすれ声が、僕の体をゾクゾクさせる。燃え上がる。体の奥からマグマがせり上がり、爆ぜる! 後から後から押し寄せる快感で体が震えだし、僕はわけがわからなくなって、昇りつめていった。気持ちいい気持ちいい気持ちいい気持ちいい愛してる。僕の全身が「カズが欲しい!」と叫んでいる。僕の心がカズをつかんで離さない。カズは僕のつがいだ。永遠のつがいだ。このままずっと快楽に浸っていたい……。

 夜明け前、賢者モードが訪れた。カズの寝息を聞きながら、僕は静かに心を決めた。


「おはよう、カズ」

 キスでカズを起こしたら、ベッドの中に引きずり込まれて、キスの倍返しを受けた。キスだけではおさまらず……。もう少しで、抱き合ったまま洞窟の中に埋まるところだった。崩れだした洞窟から、服と靴を持って裸で外へ飛び出した。

「危なかったぁ」

 ふぅーっと安堵して、顔を見合わせ、見つめ合って、吸い寄せられてくっついた……。合体。

「あーあぁ。僕はもう、スイッチがぶっ壊れたのかも」

「スイッチ?」

 シャツを羽織はおりながらカズが僕を見る。少し気怠けだるげな雰囲気をまとって僕をきつける。視線ひとつで僕を狂わすなんて、どういうことだよ。

「あーっ、もう。いちいち色気を漂わせるなよ。完全にイカれちゃうだろ。興奮を入れたり切ったりするスイッチだよ。切れなくなって、入りっぱなしだ。どうしてくれるんだよ? カズのバカ!」

 地面に転がって睨みつける僕に、カズは笑って服をかぶせた。

「俺はユウのリクエストに応えただけだろ。ユウこそ俺をあおるなよ。そんな目で見るな。俺が興奮するだろ。ほら起きろ。でないとまた抱くぞ。日が暮れるまで」

 その言葉に声に眼差しに、僕の体がうずきだす。でもさすがにやりすぎだ、と自分

いましめ、立ち上がって服を着た。フリフリワンピースにすっかり慣れて、抵抗を感じなくなってしまった……。気を取り直して前を見る。

 緑の破片がキラキラと朝の光に輝きながら、僕たちの行く先を示している……。

「神の木に愛を注いで、その後はどうなるんだろうね?」

「木の下の洞窟で暮らすんだろ? 俺はそう思ってたが……?」

「うん。かもね。それもいいよね。……カズとすっとイチゃついていたいなぁ」

 僕は日の光に目を細めた。いい天気だな。雲ひとつない青空が広がっている。

「僕が初めて自分から好きになって、心の底から体の奥から欲しい、と思ったのがカズだから。今まで、淡泊たんぱくだとか冷めてるとか愛が足りないとかイマイチとか、散々言われてきたし、自覚もあった。カズに会うまで、自分の中にこんな熱いものがあるなんて知らなかったよ」

「ユウはエロエロな男だよ。最高にホットだ。だから、俺だけにしろよ」

 カズが俺のほっぺたを、むにゅっとつまむ。カズはちょっと焼きもち焼きなのかな? ちょいちょいジェラシーっぽいセリフをはさんでくる気がする。

「それで? 俺への愛の告白だけじゃないんだろ? まだ続きがあるんだろ。言いたい事が」

「うん。カズは頭いいな」

「早く話せ」

 カズが僕の頭をポンポンと叩いた。いちいちドキドキさせるなよ! 

 ふうーっ。僕はひと呼吸して、胸の高鳴りを静めた。

「……僕は、今までずっと、誰かに示された道を誰かに押されて歩いてきたよ。学校も会社も、親の満足するランクを基準に選んだ。結婚も、真弓さんからプロポーズされて押し流された。たいしてやりたい事も夢もなかったし、何も考えてこなかった」

 今も目の前に、僕の進む道が敷かれている。緑色の道標みちしるべがキラキラと光っている。

「この道は選ばない。神の木へは行かない」

「そうか」

 カズはあっさりうなずいた。

「それで、どうするんだ?」

 僕はカズを向いて言った。

「ジュンちゃんのところへ戻る。カズも僕についてこい」

 思いっきり命令口調になってしまった。カズの反応が怖くて、体がこわばる。それを気づかれまいと、カズを見る目に力が入る。思いっきりにらみつけてしまった。

 カズは、フフッと笑った。……えっ、なぜに? 笑うところじゃなくないか?

「カズ。冗談で言ってるわけじゃないからな。僕はマジだよ」

「わかってる。ただ、口調と目つきがかわいくて」

「はあぁ?」

 かわいい? 何を言ってるんだ? 何を考えてんだよ。呆れかえって力が抜けた。

「ついて行くに決まってるだろ。言われなくても拒否されても、俺はユウについていく。俺がおまえを離さない」

 僕はカズに抱きしめられた。

 膝から崩れ落ちそうになるくらい、嬉しくて安堵した。そして力が湧いてきた。カズと一緒なら、僕は何だってできる。


「ちょっと待ったぁー!」

 白い風が吹いて、目の前に白い兎が現れた。

「何を言ってるのだ? おまえたちは、それがどういう事か、わかってるのか?」

 白兎は後ろ足で立ち上がり、伸び上がって僕たちを睨みつけた。

 カズは白兎の首根っこをつかんで、目の高さまで持ち上げた。地上から180㎝ぐらいの高さまで持ち上げられた兎の口から「キーッ」と小さな悲鳴がもれた。高いのが苦手なのか、それともカズの顔が怖かったのか、両方か。

「離せっ! この、無礼者! 私は神だ! 神なんだぞ!」

 キーキーわめいて空中で足をバタバタさせる兎。どう見ても怖がっている。「おまえは本当に神なのか?」とツッコミたくなる。

「神に聞きたいんだが。ツカがユウにれて俺と戦うシナリオだった、というのは本当か? 正直に答えろ」

 声を抑えたカズの圧がすごかった。かわいそうに、兎はすっかりおびえている。

「本当だ。だが、あの男は犬のままだった。姫であるユウに、全く欲情しなかった。少しでも欲情すれば、人の姿に戻れたものを。しかたないからツカは、おまえたちが神の木に入った後に、番犬として木のそばに置いておこうと思っていたのに……」

 兎はションボリと視線を落とした。

「ジュンに、ツカを消さないでほしい、とお願いされてしたしな。それなのに、まさかあんな、おろかな……」

 カズが、パッと手を離した。

「キッ」

 兎は足を下にして、ぽてりと地面に落ちた。

「キーッ! 私は神だと言ってるだろ! 神を落とすな! 神を粗末に扱うなー! 骨折したらどうしてくれるんだ!」

 兎が足をダンダンみ鳴らしてわめいた。

 僕とカズの冷ややかな視線を浴びて、兎はちょっとクールダウンした。

「ツカはジュンに会うことはできない。おまえたちもだ。この世界から消えても、元の世界に戻れる保証はない。その前に、おまえたちは、元の世界でもうすでに死んでいる可能性が高い」

 異世界転生、と田所は言っていた。田所には、自分が死んだ心当たりがあったのかもしれない。只野は「死んでない」と否定してたけど、酔いつぶれて眠ってそのまま亡くなった可能性は無くはない。馬場は落馬かな。井上はサバイバルゲーム中に、カズはハイキング中に遭難事故か何かにあったのかも。ツカは部屋で地震にあって、僕とジュンちゃんは車の事故で、全員すでに死んでいる可能性は否定できない。けど、それでも……。

「ツカも僕も必ずジュンちゃんを見つける。死んでたら、またジュンちゃんと双子の姉弟として生まれるし、同じ時代にツカもカズも生まれて、僕たちはめぐう」

 兎は呆れ顔で僕を見た。

阿保あほか、おまえは。そんな執念が実るとでも思っているのか? いいか、よく聞け。この世界から消えるという事は、記憶も消えるという事だ。玉は命だ。紐は糸。糸が切れるという事は、縁が切れるという事だ。巡り合わない。たとえ会ったとしても、互いを認識することなく通りすぎる」

 白兎の赤い目が、僕とカズをヒタと見据える。

「ジュンもツカも、おまえたちの幸せを願って身を引いた。そのおもいを無駄にするな。おまえたちは深く愛し合っている。そのまま神の木に入り、永遠に愛し合うのだ。ユウは身も心もカズに満たされ、ユウもまたカズの全てを満たすのだ。神の木を愛で満たし、この世界もまた愛に満たされ包まれる」

 満たし満たされ愛し合う。想像するだけで、僕の体が歓喜かんきに震え、心がとろける。それでも、それでも僕は……。

 元の世界に戻っても、会社で全くの役立たずだった使えない僕だ。しかも今は無職の身。でも、この世界でなら、姫として必要とされている。幸せが約束されている。けれど、そんなの、ただ流されているだけだ。これ以上流されたら、僕はダメになる。ここであらがわないと、僕は、僕自身を失ってしまう。抗う事を足掻あがく事を、放棄ほうきしたくない。初めて自分で描いた未来図を、抱いた夢を、僕はこの手でつかみたい。

 僕は思わずカズの手を、ギュッとにぎった。カズがにぎり返してくれた。嬉しい。心強い。大丈夫だ。カズがいる。僕は心のままに突き進む。覚悟はできた。揺らがない。

「僕は欲張りなんだ。それだけじゃ足りない。もっと欲しい。この世界じゃ足りないんだ」

 白兎の赤い目が、驚きで丸くなる。

「僕の夢は、カズとジュンちゃんとツカと一緒に歩むこと。四人で一緒に食事してしゃべってはしゃいでケンカして笑って歌って踊り、夜はカズと愛し合って朝を迎える。そんな毎日が、僕の幸せだ。僕の願いは、四人で幸せな日々を送ること」

 僕とカズは互いの紐に手をかけた。

「待て待て待て。おまえたちは今その手で、自分たちの命の玉を砕き、縁を切り、記憶を消そうとしているんだぞ。わかっているのか? そんなことをしたら、おまえたちは、つがいでも何でもなくなる。互いを忘れ、バラバラになり、二度と会えなくなるんだぞ!」

 白い兎が赤い目をり上げて怒鳴った。

「おまえたちが愛を注がなければ、このままでは神の木が枯れてしまう。この世界が消滅してしまう!」

 兎の叫びが悲鳴に聞こえた。

「俺はユウとつないだ手を離さない。ユウはジュンの手をつかみ、ツカはジュンにくっついてくるからな。こんな細い紐じゃなくて、俺たちはがっちりと手をつないでるんだ。四人で一つの輪になってるんだよ。記憶は俺たちの後からついてくる」

 カズは兎を見て、ニヤッと笑った。

「兎は縁結びの神様だろ。俺たちの縁を結んでくれたのは、あんただ。責任を持って、俺たちの守り神になれよ」

「なっ……」

 あんぐりと口を開ける兎。まぬけづらがかわいい兎だ。

「僕たちはやめるから、かわりの姫とハンターを見つけてね。ごめんね。でも、ありがとう神様。カズにあわせてくれて。感謝してる。僕の願いも叶えて下さい。お願いします」

 僕とカズはキスをした。白い兎、神の前で、永遠の愛を誓った。

 そして互いの紐を引きちぎる。

 僕の手の中で赤い玉が、カズの手の中で黄色い玉が、砕け散った……。















 

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ハンターと犬と兎とジュンちゃんと 塩田千代子 @nan5

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