第32話 気になってる

 証拠なんてない。そんなものは見つけられなかった。


 小心こごころさんは首を傾げて、


「……そうなの……?」

「うん。今回の事件はばん先生が犯人……それは多くの人がわかってた。あなたの恋人だってわかってたでしょ?」

「……そうだね……『おそらくばん先生が犯人でしょう。でも証拠がありません』って言ってた」


 まだ恋人に対して敬語で話してるのか。まぁ彼ら彼女らの恋人関係に口を出すつもりはない。


 それから小心こごころさんはイタズラを仕掛けてるみたいな顔をして、


「『彼方かなたさんが困ってるなら、力を貸して差し上げたいです。もちろん本人が望めば、ですが』とも言ってたよ」

「……似てないモノマネ、やめなよ……」しかしたしかに強力な助っ人だ。「どうしても困れば頼るよ。そのときはよろしく」

「了解」

 

 今の小心こごころさんと、その恋人なら頼りになるだろう。


 ともあれ小心こごころさんが、


「それで……証拠がないってのはどういうこと?」

「言葉の通りだよ。私は証拠なんて持ち合わせてない」

「……じゃあ……どうして?」

「簡単な話。証拠を持ってる、ってだけ」


 小心こごころさんが首を傾げて、


「……?」

「校舎裏でね。私はばん先生が犯人だという証拠を持ってる、ってクラスメイトと話したんだよ。ばん先生が盗み聞きしてるのを見計らって、ね」

「……彼方かなたさんが証拠を掴んでると思い込んだばん先生が、勝手に自白したってこと?」

「そういうこと」彼方かなたはコーヒーを飲み終わって、「私は探偵でもなんでもないよ。証拠を突きつけて犯人逮捕、なんて興味ない。だからわざわざ人の少ない路地裏に誘い込んで、手を出すように仕向けたの」


 だから挑発した。ばん先生はその挑発に乗って私に手を出してくれた。だからこそ通報ができたのだ。


「……ばん先生……よくそんなこと信じたね。彼方かなたさんが証拠を握ってるって……本気で信じてたのかな……?」

「そこが私も不安だった。ばん先生が自白しなければ、証拠がない私はお手上げだから」

「じゃあ……どうしたの?」

「……龍太郎りゅうたろうくんが助けてくれた」

「……龍太郎りゅうたろうくん?」

「ああ……クラスの……」少し言い淀んでから、「友達」


 龍太郎りゅうたろうくんの助け舟があったから、今回の作戦はうまくいったのだ。


 彼方かなたは続ける。


ばん先生にデマを信じさせるために……龍太郎りゅうたろうくんは『じゃあ僕がフラれたらいい』って言ったの」

「どういうこと?」

「もしもばん先生に情報を流すだけが目的なら、わざわざ恋の話なんてしない。しかもフラれるところなんてカッコ悪くて見せたくない。だからこそ話に信憑性が出るかもしれない、ってね」


 証拠を持っているとばん先生に聞かせたいだけなら、その話だけをしたら良い。だがそんな会話だけをするのは不自然だ。ばん先生は『この話は盗み聞きされることが目的なのでは?』と思ってしまう可能性がある。

 そうなれば証拠があるという情報は嘘であることがバレるかもしれない。


 しかしそこで恋の話をしたらどうだろう。フラれるところなんて多くの人が見られたくない。その姿を見せたということは、盗み聞きされるのは想定外なのだ。そうばん先生は思うだろう。


 結果としてばん先生は虚偽の情報を信じた。たぶん……龍太郎りゅうたろうくんの作戦がうまくいったのだろう。


 ……彼には感謝しなければ。作戦のことも当然ながら、自らの危険を増やしてまで助けに来てくれたことも。


 ……


 さて……もうコーヒーも飲み終わってしまった。


「これで事件の話はおしまい。これ以上は私も情報を持ち合わせてないよ」

ばん先生がこれからどうなるか、とか?」

「そうだね……あんまり興味ないし」教師として戻ってくることはないだろう。「事件のことは話したし……こっちから相談をしてもいい?」

「どうぞどうぞ」


 そこで彼方かなたは言葉をためた。意識的にではなく、少しばかり言葉が重くなってしまったのだ。


 なんだか恥ずかしい。だけれど相談できる相手は小心こごころさんしかいない。


「……ちょっと……気になってる男子がいる」

「ほほう……恋愛相談?」小心こごころさんのメガネがキラッと光って、「彼方かなたさん……前の恋を引きずってるんじゃなかったっけ? 案外、浮気者?」

「……浮気になるのかな……」そうかもしれないけれど……「考えてみれば先輩に……ああ、前の恋人に『新しい恋を探してほしい』って言われてたんだよ。だから私もそろそろ……前を向く時が来たのかなって……」


 いつまでも過去の恋に囚われて後ろを向き続ける。そんな状態に別れを告げる時が来たのかもしれない。


 無論……先輩のことは忘れない。彼方かなたにとって大切な人であることは変わらない。


 だけれど……他の恋に目を向けるくらいには彼の死を受け入れられてきた。


 彼方かなたは続けた。


「恋愛相談なら……小心こごころさんが詳しいかなって思って」

「文化祭で大勢の観客の前で告白したら?」

「……相談する相手を間違えたかな……」

「冗談冗談」


 そう言って小心こごころさんは子供みたいに笑った。つられて彼方かなたも笑顔になった。


 ……


 こんな日常が続けばいいと思う。くだらない冗談で笑って、ちょっとしたことで傷ついて、面倒くさい事件に巻き込まれて。

 

 ……


 人はいつ枯れるのだろう。ばん茉莉まつりという人間は枯れていたのだろうか? 彼方かなた此方こなたという人間は、まだ枯れていないのだろうか?


 答えなんて出ない。でもいつかは枯れるのだろう。どれほどの有名人でもアスリートでも、時間が経過すれば枯れ果てるのだろう。


 ……


 だからこそ今日という一日を全力で生きるのだ。


 いつか枯れるその日まで……

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その花はまだ枯れていないと思った 嬉野K @orange-peel

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