第31話 ないよ

 小心こごころさんは注文したコーヒーに口をつけてから、


「ボクも状況を伝言で聞いただけだから、間違ってるところがあると思うから……途中でも訂正してね」

「了解」


 あんな単純な事件に訂正する箇所があるだろうか。そう疑問に思いつつも、彼方かなた小心こごころさんの話を聞いていた。


「3年2組の担任教員、ばん茉莉まつり先生。その人がクラスで飼育していた亀の……亀吉かめきちくんをバラバラにして殺した。その後、事件は彼方かなたさんの手によって解決されて、ばん先生は現在警察のお世話になってる」


 あの路地裏で……ばん先生は警察に拘束された。続報には興味がない。逮捕されたのかもしれないし、厳重注意で済まされたのかもしれない。


 彼方かなたが否定の言葉を発さなかったので、小心こごころさんが続けた。


ばん先生は……3重人格だった、ってこと? 教師としての姿と、生徒としてクラスに馴染もうとする姿……それと、凶悪な性格。それらの人格があった、とか……?」


 3重人格、か……


「私はそうじゃないと思う。もちろん私は心理学になんて詳しくないし、明確な解離性同一障害の判断基準なんて知らないけど」

「ふむ……じゃあ、なに?」

「純粋に……立場によって態度と言動……立場と仮面を使い分けていただけだと思う」

「……使い分ける……?」


 彼方かなたは頷いてから、


「人間は仮面をつけて生きてる。家族と接する自分、友達と接する自分、恋人と接する自分、仕事中の自分……状況によって立場と仮面を使い分けるんだよ。あなたにも覚えがあるでしょ?」

「……」

「恋人と話してる小心こごころさん。友達と話してる小心こごころさん。私と話してる小心こごころさん。同じ小心こごころ翼翼よくよくという人間だけれど、使う言葉も考えることも違うでしょ?」

「……そうだね……」


 かつて小心こごころは……自分を押し殺して生きていた。友達と接する自分という仮面をつけて生きていた。結局彼女はその仮面を取り払う道を選んだわけだが……それでも仮面はついて回る。


 年上に敬語を使ったり、子供に赤ちゃん言葉で話しかけたり。家族に対して使う言葉。職場で使う言葉。学校で使う言葉。それらが異なるのは当たり前のことなのだ。


 彼方かなたは言う。


ばん先生は……3つの仮面を使い分けてたんだと思う。教師として生徒を教え導く立場である『ばん先生』と……友達としてクラスメイトと仲良くしたいと願う『茉莉まつりちゃん』……それから、目的のためならどんな道であろう突き進む『私』という3つの仮面を」

「……なんで最後だけ『私』?」

「……たぶんだけど……それがばん茉莉まつりという人間の本質なんだと思う」路地裏で自分の首を絞めたばん先生。その狂気的な目を思い出した。「幼稚で子供っぽくて……自分にとって邪魔なものは暴力的な手法で排除する。その考えが……彼女の本質に近いんだと思う」

 

 彼方かなたが言うと、なぜか小心こごころさんは笑って、


彼方かなたさんが好きなタイプじゃない?」

「嫌いじゃないタイプ。好きってわけじゃない」好きになるには、あまりにも自分と似ている。「とにかく……今回の事件はとても簡単な事件だよ。ばん先生が計画して、ばん先生が実行する。ただそれだけ。もしもこれが小説なら……世界一簡単なミステリーになるでしょうね」


 ばん先生の視点で進行して、ばん先生が犯行をして、ばん先生がそれを追いかける。


 なんて単純なんだ。


 小心こごころさんが言う。


彼方かなたさんなら、今回の事件をどう書くの? 小説家さん」

「……まだ小説家志望だけど……」まだプロになってない。「でも……そうだね。私がやるなら叙述トリックにする」

「ほう……」

「『茉莉まつりちゃん』『ばん先生』『私』……その3つの視点に分けて書く。3人を別人だと思い込ませれば、なんとか謎が生まれるかも」


 生徒視点、教師視点、犯人視点。その3つを行き来してると思わせて、本当は同一視点での進行。そんなミスリードを行うだろう。


 だが実際にやるには技量が足りないかもしれない。読者の多くは3つの視点が同一人物のものだと気づいたかもしれない。あるいは伏線が少なすぎたかもしれない。


 なんにせよ……小説を書くのは非常に難しい。ただ書くだけなら簡単だが、読者を楽しませようとすると途端に難易度が上がる。結局は商業レベルの作品の凄さを思い知るばかりだ。


 ドラマやら映画やらアニメやら……他人の作品に文句ばかり言っている人は、一度自分で物語を書いてみると良い。今は漫画なり小説なり、投稿する場所は無数に存在する。


 閑話休題。


「叙述トリックにするなら……そうだね。『ばん先生』を男性っぽく描写したり、『茉莉まつりちゃん』を高校生っぽく描写したりするかも」

 

 ばん先生は体を鍛えていた。茉莉まつりちゃんは高校生に話を合わせようとしていた。それらの描写を強く書くかもしれない。


 亀吉かめきちくん、も使えるかもれない。ばん先生はクラスで飼っていた亀のこともと形容していた。


 被害者を人間だとミスリードすることも検討しよう。


 そして……


「あとは……、とかね」

「しばらく……?」

小心こごころさんは『しばらく』って言ったら、どれくらいの期間を想定する?」

「……文脈にもよるけど……長くても1ヶ月くらいじゃない……?」

ばん先生にとっては30年もだった」計画の立案と実行にかかったのだ。「そのあたりを使えば……ばん先生の年齢を誤認させることもできるかもしれない」


 60近い女性を女子高生だと認識させることもできるかもしれない。


 この学校に少し前に来た、というのも……転校生だと勘違いさせることもできるかもしれない。


「……ふーん……いろいろ技法があるんだねぇ……」

「素人の戯言だよ」プロの言うことじゃない。「叙述トリックは卑怯だと言われることもあるから……それに、今回のは最大級に卑怯。自覚はしてる」


 でも一度くらいは叙述トリックを書いてみたかった。


 さて小心こごころさんは小説の話に飽きてきたようで、


「事件の話に戻ってもいい?」

「どうぞ」

「今回の事件……証拠ってどこにあるの? 証拠があるから、ばん先生は罪を認めたんでしょ?」


 ああ……そのことか。


 彼方かなたはあっさりと言った。


「ないよ。証拠なんて」

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