第2話【勉強の時間】
ノアの目覚めからしばらく経ち、施設での生活が当たり前になっていた。
初めて目を覚ましたときの恐怖や不安は徐々に薄れ、規則正しい日々に心地よさすら感じるようになっていた。
しかし、その心地よさが、最近では逆に違和感となり、心の中に小さな波紋を広げていた。
その日はいつも通りの一日が始まり、ノアは長い廊下を歩いていた。
歩きながら、彼女は何かが足りないと感じる自分に気づいた。
この施設は完璧に保たれた空間で、食事も学習も睡眠もすべてが理想的に調整されていたが、どこか物足りない。
何か、もっと感覚的な刺激が必要なように思えた。
「エレア、最近の私、少し変わったと思う?」
ノアは歩みを緩め、隣を浮遊するエレアに問いかけた。
エレアはそのまま静かに回転しながら、ノアの言葉を捉えた。
「変わったですか?私には特に大きな変化は感じられませんが、あなたの内面的な変化を正確に把握するのは難しいかもしれません。」
エレアの言葉はいつものように正確で論理的だった。
しかしノアは、その答えに物足りなさを感じた。
エレアは確かに頼りになる存在だが、時折、その冷静さがかえって自分の感情を無視しているように思えることがあった。
「そうだよね。私にもよく分からないんだ。でも、何かが足りない気がするの。この施設での生活は安全だし快適だけど、何か…飽きちゃうんだよ。」
ノアは少し言葉を選びながら、心に湧き上がる感情を口にした。
この施設に目覚めてから、彼女はエレアの導きに従い、過去の歴史や外の世界について学び、徐々に自分という存在を理解しつつあった。
だが、その過程で生じた感情の揺らぎが、今では日常を単調なものに感じさせている。
無機質な廊下を歩きながら、ノアは目の前にある「窓」を見つめた。
その窓は、実際の外界を映すものではなく、シミュレーションされた風景が表示されるディスプレイだった。
画面には、青空と広大な草原、そして風に揺れる木々や、空を自由に飛び回る鳥の姿が映し出されていた。
その映像は、施設の静かな空間とは対照的に、どこか解放感を感じさせるものだった。
「本当に、外はこんな感じなのかな...」
ノアは小さく呟いた。
この「窓」から見える景色は、シミュレーションに過ぎないと分かっている。
それでも、ノアはこの風景に惹かれ、憧れのような感情を抱いていた。
自分が今いるこの場所は安全だが、どこか閉じ込められているような感覚も拭い去れない。
「外の世界は、どうなっているの?」
ノアは再びエレアに尋ねた。
「外の世界は、かつての文明が崩壊した後の荒廃した状態です。」
エレアの答えは冷静だった。
「私たちがいる施設は、その残骸の中で僅かに機能を維持している数少ない場所の一つです。外界は今、非常に危険であり、文明の遺産はほとんど失われています。」
エレアの説明を聞きながら、ノアはディスプレイに映し出された美しい風景とのギャップに戸惑った。
映像には希望や自由が感じられるが、エレアの話は、荒廃した世界の現実を突きつけてくる。
ノアはその対比に違和感を抱きながらも、言葉にはできない複雑な感情が渦巻いていた。
「でも、この映像を見てると、何か自由みたいなものを感じるの。この施設の中だと、いつも閉じ込められているような気がして…」
ノアの言葉に、エレアは少し反応を遅らせた。
その浮遊する姿勢が一瞬変わり、まるでその言葉を解釈しようとするかのように動作が微調整された。
「ノア、私はあなたの感情の正体を完全に理解することはできません。しかし、それを一緒に探求していくことは可能です。あなたが何を求め、何を見つけたいのか、それを手助けできるよう、私はここにいます。」
エレアの声には、今までとは違う柔らかさが感じられた。
冷静で論理的なAIのエレアでさえ、ノアの言葉に何かを感じ取ったのだろうか。
ノアはエレアのその言葉に、一瞬、心が温かくなるのを感じた。
しかし同時に、彼女の中に湧き上がる強い欲求もあった。
外の世界に対する興味。閉じられた施設の中では決して得られない、未知の感覚。
それを知りたいという思いが、次第に強くなっていくのを感じた。
「エレア、外の世界に出ることはできるの?」
ノアの質問に、エレアはしばらくの沈黙を挟んだ。
「はい、あなたの準備が整えば、その時は来るでしょう。外の世界は危険ですが、あなたが望むなら、私はその旅に同行します。」
エレアの言葉に、ノアは新たな期待を抱いた。
外の世界には何が待っているのだろうか?
危険で荒廃した場所なのかもしれない。
だが、彼女の中にはそれを自分の目で確かめたいという衝動があった。
「私が準備を整えたら、外に出られるんだね?」
「はい、その通りです。あなたが学び、理解し、外の世界に対する備えが整った時、私たちは外に出られます。」
ノアはその答えを聞き、胸の中で新たな決意が芽生えた。
外の世界は未知であり、危険かもしれない。
それでも、その先に何があるのかを知りたいという気持ちは、今まで感じたことのない強い欲求だった。
これからの日々は、再び単調な生活に戻るのではなく、外の世界に出るための準備という新たな目的が加わった。
ノアは前を向いて歩き出し、心の中で静かにその瞬間を待ち続けた。
いつかこの施設を離れ、エレアと共に外の世界を探索する日が来ることを、彼女は確信していた。
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