第二章エイム村の選択

第1話【初めての村】

 ノアとエレアは、崩壊後の世界を旅する途中、朽ちかけた森の中で「エイム村」と書かれた古びた看板を見つけた。

 文明の崩壊によって荒廃した風景が広がる中、この村だけが、まるでその時間の流れを止めたかのように、静かに佇んでいた。


「ここがエイム村?」

 ノアは看板を見上げながら、エレアに問いかけた。


「そうです。この村は自然と共に生きることを選びましたが、同時に自然に従い、朽ち果てる運命を受け入れています。」

 エレアは冷静に答えた。


「朽ちることを受け入れる…」

 ノアはその言葉を反芻しながら、村の中へと足を進めた。


 村に入ると、そこには静かな風景が広がっていた。かつて人々が生活していた痕跡が残るものの、今では草木が石畳を覆い、家々も朽ちかけている。生きることと、朽ち果てることが一体となったようなその空間に、ノアは独特の感覚を覚えた。


「人が住んでいる気配があるね…」


 ノアが周囲を見渡すと、草むらの影から一人の老人がゆっくりと現れた。

 彼は古びた、ぼろぼろの衣服をまとっていたが、その表情には不思議な穏やかさが漂っていた。


「旅の者かのう?」

 彼は柔らかく微笑み、ノアとエレアにゆっくりと近づいてきた。


「はい、私たちは旅の途中でこの村を見つけました」

 ノアが答えると、老人は頷きながらさらに穏やかに応えた。


「そうか、ここはエイム村。我々はこの地で自然と共に生き、そして自然と共に消えてることを選んだ村じゃ」


 老人の声には静かな重みがあり、その言葉には確かな意志が込められていた。


「自然と共に消えることを選んだ…?」

 ノアは不思議そうに、少し考え込んだ後、素直に疑問を口にした。


 老人は少し遠くを見つめながら、ゆっくりと話し始めた。

「かつて、人類は文明の力を拡大し、技術を発展させ、自然を支配しようとした。しかし、その結果、文明は崩壊し、自然は破壊された。我々はその過ちを二度と繰り返さないために、自然に寄り添いながら生きる道を選んだんじゃ」


 彼の言葉には、深い反省と決意が含まれていた。


「でも…朽ちていくことは怖くないんですか?」

 ノアはその考えがまだ完全に理解できない様子で尋ねた。


 老人は微笑みながら、村の中央にそびえ立つ一本の巨大な大木を指差した。

「この木を見てほしい。この木は、私たちの命の象徴だ。村全体の精神そのものと言ってもいい。この木が枯れない限り、私たちは自然と共に生き続けることができると信じている」


 ノアはその大木を見上げた。村の他の場所がどれだけ朽ちかけていても、この木だけは青々と茂り、生命の力を感じさせた。村人たちは、この木に自分たちの存在意義を重ねているのだろう。


「村を守るための象徴みたいなものなんですね…」

 ノアが静かに呟くと、老人はゆっくりと頷いた。


「そうじゃ。私たちはこの木と共にあり、木が生きる限り、私たちもまた自然の一部として生き続ける」


 老人の言葉が響いた瞬間、彼は少し姿勢を正して、自分を紹介した。


「私はこの村の村長じゃ。ここに来てずいぶん長くなる。お前たちは不思議な縁でここにたどり着いたようだな。遠くから来たのか?」


「はい」

 ノアが応じると、村長は頷きながら、続けた。


「この村には、もう住民も少ない。まあ、今はそれを語るべきではないかもしれないのう。もしよかったら今日の所は空き家にでも泊まってくださいな」


 村長は穏やかに微笑みながら、大木を背にして再びノアとエレアを見つめた。その瞳には、何か言い表せない深い過去と覚悟が宿っているようだった。


  その晩、村の中心にある集会所に村人たちが集まり、ノアとエレアを歓迎した質素な食事を分かち合った。

村の食卓には、森から採れた野菜や果実、そして村の周囲で飼育されている家畜の肉が並んでいた。どれも自然の恵みを大切にしたものであり、華美さはないものの、そこには確かに命のぬくもりが感じられた。


 村人たちの間では、多くが語られることはなかった。

 朽ちていくことを受け入れている彼らにとって、言葉よりも自然そのものが多くを物語っていたのかもしれない。

 ノアはその静かな時間の流れに身を任せながらも、心の中で次第に湧き上がる疑問を抑えきれずにいた。


 朝、ノアはエレアと共に村を散策することにした。

 村の中を歩くと、あちらこちらで村人たちが静かに生活を営んでいるのが見えた。ある家では、老夫婦が静かに庭の手入れをしており、別の場所では若い男女が村の外れで畑仕事をしていた。


「彼らは、本当にこれで満足しているのだろうか?」

 ノアはふと立ち止まり、エレアにそう問いかけた。


 エレアは静かに答えた。

「彼らの選択は、私たちの理解の枠を超えたものかもしれません。文明の崩壊を経て、多くの人々が再び自然と調和する道を選びました。それが、彼らにとっての『真実』なのでしょう。」


 ノアはエレアの言葉を噛み締めた。彼女自身、文明の崩壊後に生き残った者として、過去の栄華や繁栄を知ることはなかった。

しかし、今目の前にあるこの村の人々の選択が、あまりにも自分とは異なるものであることに、どうしても納得がいかない部分があった。


「エレア、私たちはどうするべきなんだろう?」

 ノアは呟くように尋ねた。


 エレアは短い沈黙の後、言葉を選ぶようにして答えた。

「それは、ノアが決めることです。私はただ、あなたと共にいるだけです。」


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 散策を続けるうちに、ノアとエレアは村の端にある静かな小屋にたどり着いた。

 その小屋の前には、若い女性が立っていた。

 彼女は目の前に広がる森を見つめており、遠くにいるノアたちに気づくと、優しい微笑みを浮かべて手を振った。


「こんにちは。旅人さんですよね?」

 彼女の名はリナと言った。

 ノアよりわずかに背が高く、柔らかくしなやかな体つきがその姿に女性らしい優美さを添えている。

 長い髪は濃い栗色で、腰まで流れ落ちるように伸びている。

 それを一つにまとめたシンプルな結び目が、彼女の無駄のない性格を物語っているようだ。


 顔立ちはどこか素朴で、鼻筋が通り、頬にはいくつかの小さなそばかすが散りばめられている。

 そのそばかすが、彼女に少し幼さを残した愛嬌を与えていた。

 特に笑った時、頬に浮かび上がるえくぼが一層彼女の魅力を引き立てる。

 柔らかな表情は、見る者に安心感を与えるような、親しみやすさを持っていた。


 彼女の瞳は澄んだ茶色で、自然光に照らされると、その中に温かな輝きを宿していた。

 その視線はしばしば遠くを見つめており、好奇心と探究心が強いことを示しているが、同時にそこには何かしらの儚さも感じさせた。


 リナは笑顔を浮かべると、ふわりとした温かさが周囲に広がり、その存在が場を和ませるような雰囲気を持っていた。


 ノアはリナの問いに軽く頷くと、エレアと一緒にリナの方へ歩み寄った

「なんで村の端で生活しているの?何か村に不満な事でもあるの?」

 ノアがそう尋ねると、リナは少し驚いたような顔をしたが、すぐに穏やかに微笑んだ


「そうね満足していると言えばそうかもしれない。でも、時々、外の世界がどんなふうになっているのか、考えることもあるわ」

 リナの言葉には、どこか抑えられた好奇心が感じられた


「外の世界について話してもらえる?興味があるの」

 リナはノアたちにそう言うと、彼らを自分の小さな家へと招いた。


 家は村の他の建物と同じように、自然と調和するような造りだった。

 外観は木と石が組み合わさったシンプルなもので、長い年月を経たかのような穏やかな風合いを持っていた。しかし、内部に一歩足を踏み入れると、その印象は一変した。


 室内には温かみが漂い、質素でありながらも心地よい空間が広がっていた。

 木の壁は滑らかに磨かれており、リナが丁寧に手入れしていることが感じ取れた。

 天井からは、手作りのランプが柔らかい光を放ち、部屋全体を優しい明かりで包み込んでいる。その光は木の机や棚に反射し、空間に温かみを与えていた。


 部屋の一角には、小さな絵がいくつも飾られている。

 それらは全てリナが自ら描いたもので、彼女の感性が繊細に表現されていた。

 絵の内容は、村の風景や森の中に広がる静かな自然をテーマにしたものが多い。

 一本の大木が静かに風に揺れる姿や、朝日に照らされる村の小道、森の中でひっそりと佇む古い石像などが描かれている。

 そのタッチは素朴だが、見る者の心に強く訴えかける何かがあった。


「これ、私が描いたんです」

 リナはノアたちの視線に気づき、照れくさそうに微笑んだ。

「静かな時間が好きで、特に何もすることがない時はよくこうして絵を描いているんだ。外の世界を見に行けない代わりに、私の中にある世界をこうして形にしているのかもしれない」


 リナが描いた絵は、どれも村やその周りの風景を深く理解し、愛していることが伝わる。特に、一つの絵は際立っていた。

 それは村の中心にある大木を描いたもので、木の下には一人の少女が座り込み、遠くを見つめていた。

 その少女は、おそらくリナ自身を投影しているのだろう。

 彼女が何を見つめ、何を感じていたのかを想像させる静かな情景だった。


「これは、ずっと前に描いたもので。村の外に出られないことが寂しくて、その頃はよくこの木の下に座っていたんだ。あの時の私は、ただ外の世界がどんなものか知りたくて…」


 リナの言葉には、絵を描くことで外の世界への想いを埋めてきた彼女の心情が滲んでいた。


 リナは火を起こし、ケトルから温かい飲み物を注ぎながら、静かにノアたちに問いかけた。

「外の世界って、どんな感じなの?やっぱり、ここでは見られないものがたくさんあるのかな?」


 ノアはリナの期待に満ちた眼差しを感じつつも、慎重に言葉を選んで答えた

「外の世界は、荒廃している場所が多いわ。でも、それでも人々は生きていて、何とか新しい生活を築こうとしている」


「そうなんだ…」

 リナはその言葉を噛み締めながら、さらに問いかけた

「でも、どうして外の世界に出たの?何か特別な理由があったの?」


「私たちは旅をして、崩壊後の世界で何が起こったのか知りたいの。それが私たちにとって大事な使命だから」

 ノアは真剣な表情で答えた


 リナはその言葉を聞いて、一瞬考え込むように視線を落とした

「私も、外の世界を知りたいと思うことがあるの。でも、この村から出れないと思うわ、しきたりもあるしね...」


「しきたり?」

 ノアが少し驚いたように尋ねると、リナは頷いて答えた

「この村では、外に出ることは許されていないの。外の世界を捨てて、自然と共に生きることを選んだ場所だから」


 その言葉を聞いたノアは、リナに対してより強い共感を感じた

 彼女自身も旅を通じて、崩壊後の世界が人々にどんな選択を強いるのかを知っていた

 リナの目には、一抹の寂しさが浮かんでいた


「リナ、外に出るのがそんなに難しいの?」

 ノアがさらに問いかけると、リナは静かに首を振った

「村の掟があるし、何より…怖いの。外の世界がどんなに厳しいか、想像するだけで足がすくんでしまうの」


 その時、エレアが口を開いた

「でも、あなたは外の世界を知りたいと思っている。その気持ちを大事にするべきです。恐怖に縛られているだけでは、何も変わらない」


 リナはエレアの言葉に少し驚いた様子だったが、同時に何かが胸の中で揺さぶられるような表情を見せた

「そうかもしれない…でも、どうしても踏み出せないのよ」


 ノアはその場で何かが動き出したように感じ、リナに向かって優しく微笑んだ

「リナ、私たちはこの村を離れるけど、もしあなたが外の世界に興味があるなら、一緒に来ない?外の世界は確かに厳しいけど、希望もある。私たちがその証人よ」


 リナは再び沈黙し、窓の外に広がる静かな村を見つめた

「でも…この村での生活を捨てることができるのかしら」


 リナの手が、少し震えているのをノアは見逃さなかった

 彼女はこの村でずっと生きてきたのだ

 しかし、ノアは確信していた。リナの中に眠る外の世界への好奇心と希望が、彼女の決断を後押しするだろうと

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