6.岬にいた少女(ジェム)

僕の妻、マリエラは、エールとは仲が良かった。マリエラは、はっきり物を言う、しっかりした女性で、そのため、人から誤解される事が、よくある。


だから、妻には、人から何かと決めつけられる、エールの気持ちが、解ったのだと思う。




僕にとって、初恋だったエールが、マリエラと仲良くするのは、複雑だった。が、色々杞憂するほどは、深い付き合いではなかった。妻には事業の一部を任せていたが、エールの家は地主で、灯台の仕事は、父親とクリスンがしていた。だから、時間はかなり自由になった。


余暇が重なる時や、 祭やイベントの時に、一緒に行動する事は、よくあった。




少女時代のエールは、街の同い年の男子、ほぼ全員の、初恋の対象だった。容姿の良さもあるが、優しく、明るい子だったからだ。


だが、皮肉な事に、当時の遊び友達のうち、夫になったクリスンだけは、違った。彼が好きだったのは、後に兄嫁となる、真面目で勝ち気なポッペアだった。




ある冬の日の昼下がり。ポルトシラルの僕の家に、妻の末の妹のシーアが、婚約者のジオを連れて来た。楽譜専門の出版社に勤めている、真面目そうな青年だった。彼等と一緒に食事をした。終わりがけに、メイドが、


「旦那様に、『シャンドリーン・コッドン』様から、通信が入っています。」


と呼びに来た。


「シャンドリーン…ああ、リーンか。誰かと思ったよ。」


エールの姉リーンは、故郷を出た時は、ソプラノだったが、この頃は、メゾソプラノに転向していた。念願かなって、コーデラでデビューはしたが、コーデラで主流の伝統的なオペラには、メゾのヒロインは、滅多にいない。地道に新作を中心に活躍していた。母親と、姪に当たるエールの娘のルーナと、三人で王都に住んでいた。


ジオが、


「オペラ歌手に『シャンドリーン・カタン』と言う人がいるけど。」


と言ったので、マリエラが、本人だ、と言ったら、驚いていた。その声を背に、通信装置のある書斎へ向かった。


通信でリーンに挨拶をした。久しぶりだった。少し太っていた。


彼女は、(今考えると)努めて平静を保ちながら、


「エールとクリスンが、アレガノスで亡くなったの。山の事故で。二人とも、一緒に。」


と言った。




クリスンは、家出した後、あちこちを転々とし、最終的にアルハンシスの農園で働いていた。この辺りは、アルハンシスの香料畑と、ヴェンロイドの果樹園で交互に働く季節労働者で賑わっていた。クリスンはアルハンシスで通年働き、自宅を借りていた。


そこに、エールと住んでいたのだ。




エールは、島を出て、まずリーンの所にいたが、クリスンが前に一度、高山植物のエーデルワイスを見たい、と言っていたので、山岳地域のアレガノスに探しに行く事にしたらしい。が、どうやら、途中、アルハンシスに立ち寄った時に、偶然、彼を見つけたようだ。




クリスンは、エールの事を、周囲には「故郷からきた恋人」と説明していた。離婚はしていなかったから、まだ夫婦だったのだが、二人は若くして結婚した上、実年齢よりかなり若く見られていた。夫婦、よりは、恋人、のほうが、見た目はしっくりとしただろう。


二人は、アルハンシスを出る時に、雇い主や同僚に


「故郷で結婚する。」


と言っていたそうだ。そしてアレガノスに向かった。それからリーンの所(娘のルーナの所)に行く段取りだったのだろう。


団体客と山に登り、下りの道で遭難した。急に出現したモンスターを避けるために、所定のルートを外れて、皆で山小屋に退避したのだが、今度は、急な山崩れがあり、小屋は埋まった。


クリスンとエールは、一枚の毛布にくるまって、発見された。




旅券の名前が、クリスンは母方の旧姓のベール、エールはコッドン(結婚後も同じ)になっていた。このため、リーンには、エールの身元は直ぐに証明できたが、クリスンのほうは簡単には出来ず、手間取った。とにもかくにも、遺体はニアへボルグに搬送した。


クリスンの身内は、 もう故郷にはいない。だから、リーンは、僕に連絡してきた。エールは、島を出るときに、何かあった時のためにと、遺言書を弁護士のパケル氏に預けていた。そのパケル氏は、僕の紹介だったが、リーンは、直接は知らなかったからだ。




二人の葬儀は、ニアへボルグで行った。エールはラッシル正教会、クリスンはデラコーデラ教で、教会が違う。だから、それぞれの教会のではなく、公営の墓地に埋葬された。参列者は、リーンとルーナ、エールの母、僕とマリエラ、ノワード、リーナだ。旧知と言うことなら、僕の兄のジェスもだが、彼は、アンナと離婚してから、「病気」で、長期入院中だった。クリスンの親戚は両親は死亡、兄のルースンは行方不明だった。ノワードがギリギリまで探してくれたが、連絡がつかなかった。



ノワードは、当時は休暇で岬の自宅(元の灯台の近く)にいたのだが、その家は、ルースンを通じて(不動産をやっていたので)購入した物だ。なので、彼の連絡先は聞いていたが、そこから引っ越したようだった。


ただ、クリスンの死によって、彼が相続する物は無かったので、手続き上は、問題なかった。




葬儀で、エールの母は、泣きすぎて呼吸困難になる所だった。リーンとルーナは、最初は気丈にしていたが、棺の蓋を閉じる所で泣いた。リーナとマリエラは、ずっと泣いていた。


リーンは、エールがクリスンと再構築し、ルーナと一緒に島で暮らすつもりだった、と思っていたようだ。エールは一時、リーンと一緒にエカテリンにいたが、どうも都会は合わなかったらしい。しかし、マリエラは、


「エールは、ルーナをリーンに預けて、クリスンと二人で生きるつもりだったのでは。」


と考えていた。再会して、一緒に住み始めたのに、それを連絡しなかったから、だ。確かに謎だが、わざわざ二人だけという理由も見当たらない。


「何故、そう思うんだ?こう言ってはなんだが、ルーナは、二人の子供で、間違いないよ。」


「だからよ。二人の子供だからこそ、側に居られない、理由があったと思うの。」


僕は、柔らかく、滅多な事を言うものじゃないよ、と軽く言っておいた。しかし、後でわかった事だが、彼女はルーナを心配していただけだった。彼女の故郷の友達に、両親が揃って家出して、祖父母に育てられた女性がいた。両親が出ていったのは、多額の借金を踏み倒すためだったそうだが、彼女は、両親が自分を嫌っていたからだと思って悩んでいたそうだ。


しかし、エールには財産があったし、クリスンは、借金は無かった。彼らの場合は当てはまらない。


クリスンが島を出た理由はわからないが、当時は、昔の恋人で、兄嫁となったポッペアが、強盗に殺された事に、ショックを受けたから、というのが有力だった。他に、エールの浮気説もあった。前者よりは後者が分かりやすいが、それなら、二人で住むはずはない。


だが、島にも戻れず、娘の所にもいけない、何かがあったとしたら?


一瞬、そんなことを考えたが、直ぐに頭から追い出した。


エールの遺産はルーナが継ぎ、彼女は、王都に戻った。仮に何かあったとして、もうどうにもならないことだ。


ただ、借金に関しては、死んだ人の書類を偽造する詐欺も居ることだから、パケル氏に念押ししておいた。実際、葬儀から一月経って、ルースンがいきなりリーンの所に現れて、


「クリスンが自分に残したものはないか。」


と聞いてきたらしい。ただ、彼は兄だから、詐欺師ではないし、リーンが、何もない、と言うと、大人しく引き下がった。リーンは、彼のことは、胡散臭くて嫌いだったが、エールに良くしてくれたのは事実なので、クリスンが街を出る時に、彼が用立てたのと同じ額を渡したそうだ。


それ以降、ルースンの話は聞かなかった。




しかし、さらに一ヶ月後、またリーンから連絡があった。




クリスンは、祖母の片身のオルゴールを、島を出る前に、ルーナに託していた。その中から、手紙が見つかった。音が悪くなったので、分解掃除に出したら、二重の底から出てきた。


手紙は、職人からリーンに渡されて、ルーナは見ていない。宛先は何も書かれていなかったが、読んだリーンは、ルーナ宛だと考えた。しかし、内容が衝撃的だったので、ルーナに見せる決心がつかず、僕に相談してきた。




《親愛なるルーナ。


僕が島を出てしまうことで、お前が将来、『自分が悪くて親に捨てられた』と思わないように、この手紙を書く。これがかえって、お前を傷つけてしまうかもしれないが、今まで、僕は『本当の事』を見ないようにしてきたため、こういう事態になったのだと思う。だから、真実を書くことにした。


ポッペア伯母さんについて、タラとアベルに言われた事は、覚えてるかな。あの時、『子供の頃から、皆で仲が良かったのは本当だよ。』と言ったが、タラ達は正しかった。それをお前に言ってしまうのはどうかと思うが。


お母さんと結婚する前、僕は、ポッペアさんと付き合っていた。あの頃、田舎町では、15近くなって交際する相手は、結婚相手になってしまうことが多い。だけど、あるパーティで、お母さんと意気投合して、お互いお酒が入って、羽目を外してしまった。僕は、ポッペアさんと付き合っていたにも関わらず、お母さんと結婚する事になった。


お母さんには決まった恋人はいなかったが、他に好きな人はいたと思う。だから、相談して、最初から別居し、やがて離婚する事にした。


ポッペアさんには完全に振られていて、彼女はシラルの学校に行った。ルースン伯父さんは、まだポッペアさんとは付き合ってはいなかった。


伯父さんには、色々と相談していて、別居を決めたのも伯父さんの計らいだった。


でも離婚は結局、しないことになり、僕は岬の家に移り、お前が産まれた。お母さんと僕は、最初は愛し合っていなかったが、この頃は、お互い大切に思っていた。何よりもお前がいた。


ただ、お前もうすうす感じていたと思うが、岬のお祖父さんとお祖母さんは、僕の事は、あまり好きではなかった。


そんな仲、ルースン伯父さんが、花嫁として、ポッペアさんを連れて帰ってきた。


これはとても驚いた。騙した、とか、裏切った、とかまでは思わなかったが、かなり長い間、もやもやとした気分を引きずっていた。納得いかなかったんだと思う。


お前も聞いたことがあると思うが、ポッペアさんの家は、父方の伯父さんが、お金持ちで、子供がいないため、跡を彼女に継がせると、早くから決めていた。ルースン伯父さんは、ジェムやジェスみたいな、実業家を目指していたが、僕達の実家の財力だけでは無理だった。ポッペアさんとは、お金のことで、揉める事が度々あったようだ。




僕がポッペアさんに不実な真似をしてしまったので、彼女はシラルで学校の傍ら、心の医者に掛かっていたそうだ。伯父さんは最初は、病院に医薬品を入れる会社にいて、彼女と再会し、励ましているうちに付き合うようになった、と聞いている。伯父さんは事業の事では揉めていたが、彼女が妊娠した時、家を改装したり、メイドを増やしたりで、大切にしていた。


だけど、ポッペアさんは、いつ頃からか、伯父さんが彼女と結婚したのは、お金のためだ、と考えるようになっていた。




そして、あの日、僕は彼女に、急に自宅に呼び出された。ルースンの事で、重大な話があるから、誰にも気付かれずに、例の倉に来てくれ、と通信で言われた。


僕は、子供の頃に皆で開拓した「裏道」を、こっそり歩いて、指定の時刻に、倉に向かった。妊娠八ヶ月だった彼女は、スーツケース1つに軽く荷物を纏めて、


「ルースンの予定が早まった事は知ってるわよね。本当は明後日の予定だったけど、今夜、ラッシルに逃げるから、手を貸して。」


と言った。彼が金目当てだという考えは、この時に聞いた。彼女は、離婚の計画を練っていた。


僕は、そういう協力は出来ない、と言った。たぶん、妊娠のせいで、おかしな考えになっていただけだと思う。お母さんは、妊娠中も普段とあまり変わらない質だったので、その時は、そこまで配慮できなかった。


それでポッペアさんとは揉めて、最後は、彼女を、軽くだが、突き飛ばして倉を出た。


この姿は、メイドに見られていたが、彼女は目が悪く、裁判でも、「人影」としか証言しなかった。


最初のうちは、彼女が死んでしまったとは思わず、裁判でも、彼女が倒れた位置が違うため、「自分ではない」という気持ちが強かった。


たが、裁判が終わった後、ルースンから、真相を聞かされた。


彼は、入れ違いに戻ってきて、彼女が倉で倒れているのを見つけた。目の悪いメイドは、実は僕を見ていたが、ルースンがお金で解決した。彼は、遺体を動かし、僕の仕業とばれないように、色々、偽装した。


だから、僕は、島を出ることにした。メイドは高齢で、原聖女教会信者だ。亡くなる前には、聖職者に全て打ち明けてしまったら、ラッシル正教会やデラコーデラ教と違い、原聖女教会は、違う派閥には厳しい。


必要と判断した場合は公表する。


灯台の家は地主で資産家、僕は島にいれば、重要な役職に就かざるをえない。


僕の罪が明るみに出た時、お母さんとお前が、酷く中傷されるのは避けたかった。悲しいことに、島には素朴な良い人ばかりじゃない。良い家の娘が、転落するのを、ひたすら面白がる人達もいる。


お母さんには何も言わないで出ていく。伯父さんは、ひょっとしたら、お母さんと再婚するかもしれない。伯父さんは、僕のせいで妻と子供を無くしたのに、僕をかばい、島を出さえすればなんとかなる、ルーナは実の娘同様に育てる、と約束してくれた。


この真実が、お前を傷つけてしまうと思う。だけで、真実を知らずに傷付くよりは良いと信じて書いた。


お母さんを大切に。僕のたった一人の娘。お前達の事を、毎日祈る。》




最後に日付と署名。クリスンの、整った癖のない、綺麗な筆跡だ。


エールの二人目の妊娠を知る前に、クリスンは島を出た。続いて彼女が島を出た時、これを知っていたかは、不明だ。再会した時に話したかもしれないが、今となっては分からない。



この件は、結局、リーンと僕の胸の中にしまって置くことにした。




マリエラの台詞より、恐ろしい考えが、僕には付きまとった。


本当に、クリスンが犯人だろうか。


裁判については、兄のジェスと、見解がずれたため、議論になって、展開はよく覚えている。犯人は、助かったかもしれないポッペアを放置したから悪質、傷からして、転んで地下に落ちたのではなく、わざわざ蹴落としたから残酷、と言われていた。


ルースンは、明るい人だったが、何故だか、酷薄なイメージが付きまとう。彼が金目当てで、ポッペアの財産を手に入れる目的で、クリスンを嵌めたのだとしたら?


そういえば、昔、エールから、「クリスンが暴力を振るう」と手紙をもらった事があった。エールの文字にしては、細い丁寧な文字だった。ルースンもクリスンと同じく、母親仕込みの達筆だった。クリスンほど整ってはいないが、男性にしては柔らかな感じの文字だった。


だが、借りに、クリスンとエールを離婚させても、ルースンにはメリットはない。二人に子供がいないまま、リーン、エールの両親、エール、クリスンの順で亡くならない限り。




僕は、この考えは、封印した。岬の思い出と共に。




明るく懐かしく、温かい思い出の時代は、この手紙の波紋と共に終わった。いや、終わらせた。


借りに疑惑が正しく、証明されたとしても、誰も幸せにならないからだ。




この後、自宅を本格的にシラルに移し、島の事業は縮小し、人を雇ってやらせた。マリエラと子供達は、都会暮らしのほうがいいし、両親も、最初は文句を言ったが、年を取れば、都会の便利さを好きになった。




暫くぶりに岬に行ったのは、島の事業を本格的に独立させた時だった。


副社長のメリオと一緒に、銀行家のタロケ氏を、島に案内した時だ。


ポルトシラルの歴史記念館で、砕氷技術の見せ物が始まると、島は賑わった。地酒や特産の魚介類を求めて、ニアヘボルグにも人が集まっていた。


タロケ氏は、シラルの人だが、地質学に興味があり、学生時代に、島を一通り旅していた。


「ここは、街中から、灯台に行く道の風景が、とても美しいですね。岬から眺める海は最高ですよ。


なんと言っても、岬の、あの親切で綺麗な奥さんと、お嬢さん。あの人達、まだ、岬に住んでらっしゃるんですか?」


彼がそう言った時、僕は、突然に、ある夏の日を思い出した。




あの飛び降り事件の一月前。灯台の壁が塗り変わり、真っ白になったので、ちょっとしたイベントがあった。エールとリーンが売り子をして、お菓子やジュースを配る。子供はただだ。僕たちは、学校が終ると一目散に、岬を目指した。


僕は、まだ太っていたので、駆け上がるのは大変だった。ポッペアとクリスン、カラロスは、先にいってしまった。僕が、


「転がったほうが早いかなあ。」


と言うと、ジェスが笑いながら、


「ゆっくり行こうよ。」


と言った。ノワードが、


「やめてくれよ。そういう面白い真似は、リーナが真似したがるから。」


と、笑った。当のリーナは、きょとんとしていた。


岬への道を走り、だんだん賑やかに、いい臭いがしてきた。


「こっち、こっちよ、みんなの分。」


エールが、とびきりの笑顔で、手を降っていた。白い灯台、青い空と海。短い夏の花の中で。




僕が、エールが好きだったのは、昔の事だ。だけど、岬に、あの可愛らしいエールがいて、みんながいて、僕に手を降っていた、あの日。




食事の約束をしていたので、二人と共に、郊外の新しいレストランに向かう途中、馬車で岬を通過した。


黒髪の女性の姿が見え、一瞬、身を乗り出してしまった。


笑顔で手を降ってくれたその人は、ノワードの妻になった女性だった。エールではない。




岬の少女は、もういない。




青と白の、美しい岬の風景が目に痛くて、僕は暫く、目を閉じた。瞼には、島から出ていってしまったもの、もう手の届かないものの残像が、一瞬だけ、熱く滴った。








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