2.酒の災難(クリスン)

14の時だった。僕は、幼馴染から、彼女になったばかりのポッペアと別れて、ある朝目覚めたら隣にいた、エールと婚約する事になった。




エールの姉のリーンが、音楽学校に合格(歌手になるコース)した年に、皆でパーティをした。ちょうどジェム兄弟もノワードも、ニアヘボルグに休暇で戻ってきていた。だから、久しぶりに集まって、リーンの家でお祝いした。この時は、皆、14だから、法律では殆どの酒はダメ(まったくダメじゃないのは、ここが寒冷地だからだ)だし、リーン達の親は、真冬のブランディティーでさえ、子供には飲ませない、厳しい人だ。だから、春先のこの時、酒は一切無しだった。だけど、この頃、親の目を盗んで何かやるのが大好きだったエールが、ベリージュースに見せかけた、甘口ワインを持ち込んだ。


お祝いに参加したのは、僕とポッペア、ジェム兄弟、ノアードとリーナだった。ポッペアは、翌日から、母方の叔母さんの家に行くことになっていて(誰かのお見舞い)、早めに帰宅した。送ろうとしたが、リーナがちょっと具合が悪くなったから(たぶんアルコールのせい)、帰宅するついでにと、ノアードが付き添って行った。


彼が帰ると、エールの機嫌が悪くなった。というより、酔いがまわって不安定になったのか。自分のお祝いなのに、リーンには気の毒なくらい、妙なテンションだった。


僕は途中から覚えてないのだが、ワインをベリージュースだと思って、かなり飲んだから、そのせいだと思う。朝、灯台の機械室にいて、服は着ておらず、同じく裸の、エールが隣にいた。春先でまだ寒く、外なら凍死だったが、機械室は暖かかったので、助かった。




だけど、僕は、いっそ、凍死したかった。




僕達を見つけたのは、灯台の職員だった。リーン達のお父さん、コッドンさんは、灯台守で、資格も持っていたが、実際、灯台を管理して動かしているのは、島から派遣された、役人と技術者だった。魔法動力型と機械式を合わせた二重型で、動かすには技術が必要だ。灯台の土地と建物は、コッドンさんの物なので、ずっと街に貸し出していた。


僕はエールの金切り声で目を覚ましたが、頭がぼうっとして、後から聞いたが、目が泳いでいたそうだ。エールは目覚めた時は酔いが覚めて、集まってきた人達皆に、裸を見られたショックで、叫んでいたそうだ。僕は、裸のまま、担がれて、病院へ運ばれたらしい。


本当に何かがあったかどうか解らないが、パーティの後、姿の見えない僕達を、皆は探し回っていた。機械室は最初に見たらしいが、その時はいなかった、どこにいた、と聞かれたが、覚えていない。


覚えてたら、エールと、そんな事には、死んでもならない。




エールの事は、嫌いでは無かった。彼女は、この島には珍しい黒髪の巻き毛で、目は青だった。島の住民はほぼ金髪か銀髪、目は青とグレーが主だった。エールはラッシル系、島の皆は、いわゆる最北系というやつだ。僕自身も、白金髪で、明るいブルーの目だ。島の北ほど色が薄くなり、髪も真っ直ぐになる。僕たちの街は港町だったので、わりと色々な系統がいたが、それでも、エールは目立った。彼女の母親は、ラッシルの人だったので、これは母親譲りのようだった。ただ、母親のトゥルーダさんは、ごく普通の顔立ちだったが、エールは「美少女」だった。


しかし、僕は、彼女を「美少女」と思ったことはなかった。姉のリーンのほうが、まだ美少女に見えた。リーンはあまりエールと似ておらず、真っ直ぐな銀髪に、グレーの目をしていた。太ってはいないが、やや骨太で、背も高かった。エールは、小柄で、とにかく細かった。ちなみに、ポッペアは、オーソドックスな明るめの金髪で、目はブルーグリーンで、痩せて背はすらっとしていた。


(この頃は自覚が無かったが、自分の好みが、すらっとしたブロンドだったからだ。)


ノワードもジェム兄弟も、エールの事は好きだったようだが、とにかく、僕は違った。




だけど、こうなってしまえば、言い訳とか、好みとかは、無駄だ。特に、男のほうからは。




僕の母は、エールが嫌いで、そんな素行の悪い娘と婚約なんて飛んでもない、と大反対した。ポッペアを気に入っていたからだ。しかし、エール側には言わなかった。父は、僕が不可抗力で酒を飲まされた事は解っていたが、監督官としての立場もあり、きちんとした家の、お嬢さんとああいうことになった以上、責任は取らなくてはいけない、と言ったからだ。


ポッペアは、話に行った僕に、氷入りのバケツをぶちまけた。彼女の両親がたしなめていたが、怒鳴るだけ怒鳴って、泣き出し、喚き、倒れた。病院にお見舞いに行ったが、彼女の伯父さんに阻まれ、会ってもらえなかった。伯父さんは、退院したポッペアを、シレルかどこかの学校にやる、と言った後で、


「姪は、子供の頃から、エールとは仲が悪かった。たぶん、エールが、姪に対する当て付けで仕掛けたんだと思う。


君は小さい頃から知ってるし、巻き添えのような物だが、姪のためにも関わらないでくれ。」


このように言った。


返す言葉が無かった。


その後、ポッペアは、伯父さんの言葉通り、勉強のため、街を出たが、出発の日に、学校で挨拶程度の言葉を交わすまで、一度も会えなかった。


入れ違いに、兄のルースンが、休暇で、学校から帰ってきた。婚約の話は、父から聞いた、と言った。相手はポッペアだと思ったが意外だった、と何気ない一言に、僕は泣き出した。


兄は驚いて、


「単純に、エールのほうが可愛いし、小さな工場より、地主のほうが、楽して食えるから、当たりだと思ってたよ。早すぎるから、何かあったとは思ってたが。…悪かった。」


と言った。兄は、僕から細かい話を聞くと、残念そうな顔をした。


「そりゃ、結婚するしかないね。エールが悪いんだから、お前からみたら、結婚しないという手はあるが、エールからは違う。『そんな情況で、結婚拒否された女』なんて、田舎じゃ、『漁り火女』扱いだ。岬だけに。」


漁り火女、とは、大昔、火のエレメントの神殿や、エレメントを利用した灯台にいた、漁師を相手にする女達の事だ。もう伝説のレベルで、ニアヘボルグの灯台は、カオスト公爵の建てた新しいもので、エール達ももちろん、漁り火女の子孫などではない。


だけど、そんなのは、エールの都合だ。僕には関係の無いことだ。


「お前にしても、『女にそういう扱いをして、結婚しなかった』となったら、将来、まともなお嬢さんとは、無理だろ。少なくとも、父さんの交友録に出てくる、『普通よりいい暮らしの漁師の娘』は、駄目だな。」


兄は、


「それでも、逃げるなら、手を貸す。まあ、エールのせいで、何もかも捨てて逃げるよりは、丸く納めたほうがいいと思うけどな。父さんと母さんの事も考えると。」


と言ってくれたが、僕は、家族も故郷も捨てて、学もないまま一人になんて、なりたくなかった。でも、自分が酒を持ち込んだのをなかなか認めず(父親の酒蔵から持ち出した、上等なワインだったため、直ぐにばれたのに。)、僕を非難するエールと、うまくやっていく自信はない。


僕は、両方の気持ちを、兄に伝えた。兄は、


「難しいが、手がなくもない。」


と言うと、次の日、両親と僕と、兄でエールの家に行き、僕のために、話を纏めてくれた。


「15になったら、結婚はする。だけど、それまでに、お互いに『不品行』があれば、キャビクの法律に乗っ取り、解消を請求できる。解消と見なす『不品行』は、事前に書面で定義。」


「結婚後も、『不品行』に該当する行為があれば、デラコーデラ教の教義に乗っ取り、離婚を請求できる。」


「結婚後、三年間、夫婦生活が無ければ、エカテリン派の教義に乗っ取り、婚姻無効の申し立てが出切る。」


と、このようなことを、文書化してくれた。僕の一家は、コーデラで一般的なデラコーデラ教、エールの所は、同じ聖女コーデリアを信仰するとはいえ、ラッシルで女帝エカテリンの改革を受けた、エカテリン派だ。島には、キャビク聖女会にコーデリア本教会、北岸派といった、細かい宗派があり、大抵は、異なる宗派同士の婚姻には制限があった。しかし、デラコーデラ教やエカテリン派のような大手は、殆ど制限がない。それでも、兄は、両者の細かな違いと、キャビクの法律から、離婚や婚約解消に、有利な面を採用して話をつけた。


エールの側に不利な話に見えるが、彼女は、幼馴染のノワードとジェス、他に何人か、恋人として付き合っていたことが、僕の件から明かになり、呑まざるを得なかった。彼女は、恋人という意識はなく、実際に全員、肉体関係まではなかったらしいので、どうやら「取り巻き」「崇拝者」の感覚だったらしい。




僕は、兄の交渉があっても、結局、結婚しなくちゃならなくなったので、かなり閉口した。


しかし、兄は、


「悪い話じゃない。」


と断言した。


「エール みたいな子は、必ず、またやらかす。好きでもない…お、悪い、とにかく、こういう事態を自分に責任がある、と思わないタイプは、婚約や結婚の責任も解らない。


お前が情に負けなければ、直ぐに離婚なり婚約解消なり、できるよ。」


しかし、婚約期間中、エールは慎ましく過ごした。両親が厳しくなったからだろう。エールが何かやったら、彼らは、多額のお金を払わないといけない。僕がやらかしても同じだったが、僕は、自分でいうのも何だが、島の女性にもてるタイプじゃない。背は普通だったが、顔が地味で、「真面目なだけが取り柄」と言われていた。


「島を出たら、もてると思うぞ。明るい金髪に、薄い碧眼が揃ってる、痩せた男は、それだけで人気だ。」


と、兄が妙な慰めをくれた事がある。




僕とエールは、暗黙の了解で、二年間、夫婦生活のない道への離婚、を目指した。これが、お互いに傷がつかなくて済む。結婚後も、僕は自宅、エールは岬に住んだ。


そこまでするなら、話し合って、ちゃんと婚約解消した方が、と、普通は思う所だ。僕はエールが好きじゃない、エールも僕はどうでもいい、親同士の仲も良くない。それで名誉のために結婚して、うまく行く訳はないが、コーデラやラッシルの人には解らないかもしれないが、そこがキャビク島の「空気」だった。




そして、三年。




18になった僕達の、「離婚祝いのパーティ」(兄の談)が、組合の会議所で行われた。当然、離婚パーティではなく、リーンとノワードのためのお祝いだった。


とは言っても、婚約や結婚ではない。リーンが、ラッシルの音楽院に進むことになり、ノワードは、騎士団養成所を卒業した。ノワードのほうは、魔法の成績が微妙で、騎士になっても、王都に直ぐ行けるほどじゃなかった。しかし、島から騎士なんて、滅多にない。リーンは、もともと声質が個性的で、チューヤの、なんとかいう名歌手に似ている、と、スカウトされて、島の音楽院に行った。そこからラッシルの国立音楽院だ。彼女も、すぐデビューできるわけではないが、これも大変な事だった。


お祝いを言いながら、堂々と酒盛りになった。僕もエールも、15になっても、嫌な思い出のある酒は、一滴も飲まなかった。


だけど、この日は、僕たちにとっても、特別だった。明日、朝早くから、二つの教会から、位の高い聖職者がくる。離婚に必要な手続きのために。


出された酒が、ワインではなく、ビールな事もあり、つい飲んでしまった。島のビールは、ワインより弱く(余所もそうかも知れないが)、宴会用のは得に薄く、味付けがしてある物もある。


兄もいて、いつもは飲まないのに、ジュースみたいだ、とどんどん飲み、僕にも薦めた。




だから、飲み過ぎてしまった。




ワインより正気は保っていた。浮かび上がる。エールのシルエット、僕も、きちんと覚えていた。だが、それが、お互いに、数年間を無駄にするから、という、自制心に繋がらなかった。




集会所の二階、資料室だった。


朝早く、僕達を取り囲んでいたのは、エカテリン派の司祭、デラコーデラ教の牧師、島の役人、僕の両親、兄、エールの母、リーン、ノワード。(後から聞いたが、エールの父は、飲み過ぎて倒れていたそうだ。)


最初に、口を開いたのはリーンで、


「あんたは、私のお祝い事になると、こんな問題を起こすのね。」


と、呆れて言った。エールが言い返すより先に、母親が、


「夫なんだから、そんな言い方、よしなさい。」


と言った。司祭が、


「夫婦円満なのは、いいことですな。」


牧師が、


「これなら、調停は取り消しでいいでしょう。良いことです。」


と言った。明るい言葉だが、絶望的に響いた。


急に、ノワードが、くるりと踵を返して、走り去った。エールは、


「待って!」


と、追いかけようとしたが、裸なのに気付き、慌てて服を探す。この時点で、男達は、みな、外に出た。僕も裸だったのたが、兄が、自分のマントを羽織らせてくれた。


「遺憾である、て、こういうことを言うんだったかなあ。」


意味はわからなかったが、僕は兄が骨を折ってくれた事に対して、すごく済まない気持ちになった。兄は、


「ノワードのほうは、フォローしておくから、お前は、まあ、なんだ、腹をくくれ。」


と、励ましてくれもした。


ノワードは、事件の三日後に、騎士団に戻ったが、直前に、謝りに来てくれた。彼は騎士の学校にいたので、街の様子は、詳しく知らなかった。ジェム兄弟やリーナは手紙を出していたが、さすがにわざわざエールの話は書かない。


彼は、半年前に、エールから手紙をもらった、と言った。


「『今は別居中だけど、こうなるまでが大変だった。毎日殴られていた。クリスンは、酔うと人格が変わる。あの時もそうだった。』と書いてた。お前がまさか、と思ったが、お前のお祖父さんが、そんな感じの人だったろ。それで、何度か文通しているうちに、『約束』が出来た。


よく考えてみれば、おかしな所が多かったが、見ないふりしてたと思う。


でも、パーティの席で、ちょっと変だ、と思った。お前は、ルースンから、『酒は四年ぶりかな?』と言われてたし、弱い酒なのに、酔いも早く回ってた。ちょっと朦朧とした感じで、エールに寄りかかったりしてた。エールも機嫌が良かった。


酒で暴力を受けてたら、ああはならないだろう。


確信したのは、翌朝の様子だ。


お前は、少しぼうっとした感じだった。酔うと暴れるタイプじゃない、と思った。


それに、エールの肌には、お前につけられた、と手紙にあった、火傷や傷、痣がない。


今まで、勝手に誤解して、悪かった。」


と、賢いノワードらしい話しぶりだった。




そして、僕は、再び腹をくくった。




ノワードがコーデラに渡ってさらに三日後、兄が、「最後の手段」を持ってきた。それは、「原聖女教会」への改宗だった。


この教会は、アルコーデラ教から分離した宗派だったが、アルコーデラ教より古い、と主張していた。何故か島ばかりでなく、あちこちの古い因習を取り入れて、もう聖女コーデリアの恩恵とは別の所に教義が出来ていた。このため、デラコーデラ教やエカテリン派からは「異端」とされていた。


その異端の教義に、


「男性の不倫や婚前交渉は良いが、女性はだめ。」


「未婚女性を花嫁にした時、初夜に処女でないとわかったら、即離婚できる。」


という一方的な物があった。実際に、キャビク聖女会から改宗して離婚した男性の話があり、一時話題になっていた。


うまく組み合わせれば、簡単に離婚できる、と兄は言った。僕は、これには乗らなかった。


一月たたないうちに、僕は岬の新しい家(貸家にしようとコッドンさんが建てた一棟)に引っ越し、エールと遅蒔きながら、新婚生活に入った。エールが僕について言っていた事を考えると、最初のうちは、どうにも我慢出来ないものがあった。だけど、一緒に暮らしてみると、エールは、別に酷く悪い妻ではなかった。片付けや掃除は苦手だが、料理は得意だ。お互いある程度諦めがあるため、喧嘩もしなかった。岬の家は快適、僕は灯台の勉強をしながら、岬の跡取りを目指した。長女のリーンが、家を出てしまったから、次女の婿である僕が継ぐ。義理の両親は、僕の両親とは仲が悪かったが、ノワードの件を兄から聞いたので、僕の事は、大事にしてくれた。


二年後、娘のルーナが産まれた。その翌年、実の父が死んだ。母が一人になり、どうするか困っていたが、兄がシレルの職場をやめ、帰ってくることになった。




彼の花嫁、ポッペアを連れて。






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