【サイド/紫花】

 これは叱られ待ちの表情かおだ。

 あたしは目の前に立つ幼馴染の、そのどこか怯えたような、拭いきれない何かを飲み込んだような顔を注視する。


 公園に入ったあたしとスバルは、意外にもすぐにノブと合流できた。

 ノブは何もない道の真ん中にぽつんと立っていて、突風で乱れた髪もそのままに、スバルが掛けた声にゆっくりと振り向いた。

 大きな黒縁眼鏡が顔の半分を覆っていて、そのレンズが陽射しを反射する。

 おかげでその表情は解らなかったけれど、頭をひと振りして顔を上げたその仕草で、ノブは自分の中で何かを切り替えたんだと感じた。


 それが何なのかあたしには想像もできないけれど、きっとあたしたちには話してくれる。

 だって、目の前に立つノブは、叱られ待ちの表情をしているもの。

 幼い頃から何度か見た顔。

 確かあれは保育園の頃、うちの庭でをやっていたとき、ノブが間違って母が大切に育てていたカンパニュラの鉢植えを壊してしまったことがある。

 

 うちには使っていない鉢がまだあったから、そっちに土ごと入れ替えればバレないかもってあたしは言った。今から思えば子供の浅知恵だった。そんなことをしたって母にはすぐに見抜かれただろう。

 けれどノブは、半分泣きそうな顔をしながら声を震わせ「おばさんにあやまってくる」と言って、店舗に向かってひとりで駆け出した。


 その時間、母は毎日のように店に出ていて、そのことはノブもスバルもみんな知っていた。だからあたしとスバルもノブの後を追うように走り出し、結局、三人一緒に店の自動ドアを飛び越えるように入店することになった。


 両親からは「店は子供の遊び場じゃないから来てはいけない」って常々言われていたあたしたちだったから、いつもはその言いつけはきちんと守っていたし、だからそんなあたしたちの入店にうちの両親は驚いていたけれど、入店早々ノブの「ごめんなさい!!」の大声に本気で驚いて目を点にしていたっけ。


 あの時のノブは、叱られるのが怖くて子犬のように震えていた。けれど自分のしたことが良くないことだって分かっていたから、きちんと叱られたがってもいた。

 そんな複雑な思いが黒い瞳を揺らして、謝る声を震わせていたけれど、顔を俯けることだけは一度もしなかった。


 今もそうだ。

 今ノブは、広くない肩をうんと狭めて、俯きそうになる頸を奥歯を噛みしめながら無理やり支えている。

 八の字に下がった眉の下の瞳は、黒く揺れて、けれどしっかりと前を向いている。

 あたしはそんなノブを、叱ることができるのだろうか。


 スバルもそんなノブの様子に何かを感じ取ったのか、ほんの少し躊躇う素振りを見せたけれど、それでもノブの両方の二の腕辺りを掴み、「ごめんノブ」と落ち着いた声音で謝った。


「俺らのために先にひとりで来たんだろ」


 スバルは何があったのか訊かない。

 ノブから言い出してくれるのを待っているのかもしれない。

 あたしは、どうしたらいいの、ノブ。


「ごめんなさい。あたしたちが調子にのって、心霊スポットに誘っちゃったから。ここ、だったんでしょ?」


 あたしは、今朝到着したときに見たこの『幽霊公園』の様子を思い出し、軽く身震いした。

 あたしにノブみたいな霊感なんてない。

 けれど、周辺の雰囲気とはまるで違う、見ているだけですごく嫌な気持ちにさせてくる、昏く沈んだ陰鬱な佇まい。

 厭だ――本当にそう思った。


 同時にノブならもっとはっきりと何かが視えていて、きっとあたしたちを『幽霊公園』に近づけさせないために「行くのは禁止」って言ってくれるって思ってもいた。

 甘かった。幼馴染だから、ずっと一緒に過ごしてきたからノブのことを理解しているつもりになっていて、その実あたしは何にも分かってなんかいなかったんだ。

 こんな時、ノブがどういう行動に出るかなんて。


 あたしは、最初の印象とは打って変わって明るく穏やかな公園の様子に、安堵しながらもどこか戸惑ってさえいた。

 明らかにのだ。

 ノブがとしか考えられない。


「やめてよふたりとも、謝んないでよ。ぼくの方こそ連絡もしないで勝手な行動してごめんなさい。最後の測定が終わってすぐ、待機場所には戻んないでこっち来ちゃったから」


 硬い表情でそう言うノブに、スバルがリュックを差し出す。

 それを受け取った時だけ、ノブはほんの少しだけ薄く微笑んだ。


「ありがとスバル、ごめん、ありがとう」


 受け取ったリュックを両腕で抱きかかえながら、ノブは話し出した。

 この場所での出逢いと別れ。

 そして最後にノブがしたこと。

 あの風の正体。


「調子にのったのはぼくだよ、スミレちゃん。ぼくは、どう償ったらいい……?」


 その問いかけは自分自身に対するものだって解ってる。

 あたしにもスバルにも、どうすることもできないことだってノブは解ってる。

 誰にも何もできないことだから。

 だからノブは叱られたいんだ。


 あたしは真っ直ぐに向けられるノブのその瞳の中に、幼いノブの姿を探した。

 物心ついた頃から一緒に過ごしてきた、ちっちゃな男の子。

 あたしの後ろをついてよちよち歩いてきた男の子。

 色素が薄くて大きな瞳が何かと人目を惹いたスバルと比べて、ごくごく平均的な見た目で地味な印象のノブ。


 ひとつお姉さんのあたしの方が背だって高くて、色んなことを教えてあげる立場だったのに、いつの間にかふたりの身長はあたしを追い越していて、ひとりで何でもできるようになっていた。


 特にノブは変わった。

 いつも隣にいるスバルと比べられるせいか、ノブは大人しい子と思われがちだけれど、本来ノブは男の子にしてはおしゃべりで、よく笑って、嘘がつけない馬鹿正直な性格だ。

 だから自分に備わっている霊感だって、周囲から奇異の視線を向けられていると理解できる年齢になるまで、隠すこともなく振舞っていた。

 ノブにとってはだったんだ。


 いつの間にかノブは、自分の生まれ持った霊感体質を上手に隠すようになったけれど、隠しきれないことがあった。

 瞳の色の変色だ。

 ノブが心霊現象を語るとき、必ずしも瞳の色が変わるわけじゃない。

 恐らくだけれど、ノブは幽霊とか怪異とか呼ばれるモノと対峙したとき、更にソレに心を動かされたとき、その瞳の色が変わるんだと思う。

 

 あたしが初めて見たのはノブが五歳の誕生日会の席で、それは突然に起こった。

 普段、黒に近い焦げ茶色した虹彩が、淡い光を放つ緑色になっていた。

 それは透明感のある、翡翠のような深い色。

 どこか儚い硝子細工を思わせる瞳は、たまらなく綺麗だった。

 

 きっとあの瞬間、あの場所には、ノブの心を乱れさせるナニカが居たのだろう。

 そう思うと恐ろしい気がしないでもない。

 けれどそれが原因でノブを恐ろしいと思ったことは一度もない。

 だって綺麗だった。あんなに綺麗モノを、あたしは知らない。

 ノブの心そのものを映した深緑の瞳。


 けれどやっぱり、そんな常人に非ざる現象を忌避する人ももちろん居る。

 というか、そちらの方が当たり前なのだ。 

 離れて行った人たちを責めたりはできない。

 できないけれど、それでもあたしは悲しかった。


 以前、ノブに聞いたことがある。

 ノブが孤立していくのが悔しくて。

 その瞳を綺麗だって思える人があたしやスバルしか居ないのが許せなくて。


「瞳の色、はできないの?」


 するとノブはきょとんとした表情で、小鳥みたいに小首を傾げた。

 瞳の色が変わるその瞬間、本人に自覚はないそうだ。

 目が痛むとか、熱いとか、何らかの異常を感じたことはないと言っていた。

 自分で見たことすらないって。

 だから変色を止められないし、隠しようもないのだ。


 人の輪から外れつつあるノブ。

 最近のノブは、人とのかかわりをどこか希薄に感じているところがある。

 嫌いな人には嫌われたっていい、なんて。

 好きな人にだけ好かれたいなんて、そんなの誰だってそうだ。

 あたしだってそうだよ、ノブ。

 でもそれじゃあダメなんだよ、ノブ。


 あたしたちはそれだけじゃ生きていけない。

 ノブだって本当は気づいているはず。

 なのにノブは、生きている人とかかわるよりも、生きてないヒトとかかわることに心を砕いているように感じる。


 今だって、『幽霊公園』の主と思しき交通事故で亡くなった高校生のおにいさんとの話を、少し恥ずかしそうにどこか嬉しそうに聞かせてくれて。

 そして見ず知らずのおじいさんの話を、あんな痛そうに顔を歪めて話してくれたけれど、ねえノブ、そのふたりに、何の違いがあるの?


 成仏したといえば、天国に行った幸せなイメージがある。

 雲の上に花が咲き乱れて、光に溢れていて、死後もそんな安らぎに満ちた世界に行けたらいい。

 けれど天国なんて、本当にあるのか誰にも分らない。それこそイメージの世界でしかない。

 

 ノブはおじいさんの魂を消してしまったと言った。

 消えてしまった先は、じゃあなんなの?

 地獄?それとも虚無?

 これだってイメージで、本当にそんな世界があるのかどうか、ノブにだって解らないでしょ?

 少なくともあたしは解らない。

 

 同じ解らないのなら、だったら消えてしまった魂だって、成仏したんだって思ったっていいでしょ。

 あたしはそう思いたい。

 ねえノブ――


 だからあたしは、ひとつ手を叩いた。


「それじゃあこうしましょ」


 あたしの声に、幼馴染ふたりが一斉にこちらに顔を向ける。

 口を引き結んだまま昏い目をしたノブと、そんなノブをなんとか励まそうとしているけれど、どうしていいか解らないでいるスバル。

 そんなふたりの視線を跳ね返すように、あたしは殊更に声を張った。


「今度の休みにまたここに来ましょう、三人で」

「え、なんでさ。意味わからん」


 するとスバルが怪訝な表情で訊いてくる。

 ノブも似たりよったりの顔をしている。

 あたしは背伸びをするように空を仰いで、眩しい公園内をぐるりと見渡した。


「ここ、すごくいい場所よ。明るいし空気が気持ちいい。ちょっと暑いけどベンチもあるし、見て、噴水もあるよ」


 あたしは少し先の方で、さらさらと水の花を咲かせている噴水を指差した。


「噴水……」


 ノブが今気づいたと言わんばかりに、ぽつりと零す。

 その瞳は微かだけれど、白い水を反射したかのように見えた。


「だからなに?急にピクニック気分か?」

「いいじゃない、ピクニック。本当はお線香持って来たいけど、火は絶対ダメでしょ。だからお花とお水と、あたしたちはお弁当持って来て食べよ」


 突然のあたしの提案にノブが目をぱちくりさせている。

 大きな眼鏡が鼻の頭に引っかかって、不安定で、まるでノブを象徴している。


「お弔いだよ。あたしたちにできることなんて、祈ることだけでしょ」


 あたしにノブを叱ることなんてできない。

 あたしにできることは、そう、一緒に悩んで、迷って、進んで行くことだけ。

 たとえその道が正解じゃなかったとしても。


「すっげスミレ、頭いい!」


 猫目を輝かせながらスバルがノブの肩をばしばし叩いている。

 その衝撃に揺らされて、がくがくしながらもノブが何度も頷いている。

 鼻先に揺れる眼鏡のブリッジを押し上げたノブの口元は、ふにゃっとしていた。


「そうね、お弁当はあたしに任せて。『肉のくろき』特製スペシャル肉にく弁当を無償で提供するわ」

「げ、あのザンギとハンバーグが鬼盛りの?」

「ス、スミレちゃん、できればぼく野菜も欲しいな……」

「しょうがないわね、特別にポテトの肉巻きも追加してあげるわ」


 霊感もないあたしは、本当の意味でのノブの理解者にはなれないのだろう。

 いつかノブのことを本当に理解してくれる人が現れることを、あたしは祈らずにはいられない。

 

 ねえノブ、それまではずっとここにいて。

 ひとりで知らないところに行かないで。

 今よりも遠いところに行ってしまわないで。

 どうか手の届くところにいてほしい――お願いだから。



 


  完

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初秋 成田紘(皐月あやめ) @ayame

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