【サイド/昴】
ノブから返信がない。
てか、既読がつかない。いつもならわりと秒でリアクションがあるのに。
俺は嫌な予感がして、画面を【ノブナガ】から【スミレ】に切り替えた。
『もう測定終わったろ?
今からそっち行く』
急いでそう入力して送信すると、間を置かずに返信が届く。
『あたしもそっち行こうと思ってた
ノブと連絡が取れないの』
その内容に俺は思わず頭を抱えた。
「あのバカ!」
我慢できず毒づいた俺に、周りにいたクラスメイトたちが一斉にこちらを振り返る。けれど俺は気にもせず、足元に置いてあったリュックを掴むと、硬い観客席から立ち上がった。
「どうした~バル?大丈夫か」
「え、どっか行くの?昼休み、まだだけど」
そう友達に声をかけられ、俺は咄嗟に我に返った。
いけない、ちょっと熱くなってた。
こんなときは冷静にならないと。
「俺ちょっと二年の知り合いのとこ行って、そのまま飯食ってくるわ」
言いながら俺はスマホをジャージのポケットに突っ込んで、踵を返し走り出した。
コンクリートの冷たい階段にはジャージの群れが行き来していて、俺はその間を縫うようにしてスミレの元に急ぐ。
その前にと思い立って、隣のクラスの待機場所を覗いた。
隣はノブのクラスだ。みんなおしゃべりをしていたりスマホを見ていたりと自由に時間を潰している。
そんな中を見渡すが、当然ノブの姿はない。
俺は手前に座っている女子に声をかけようとして、やめた。クラスメイトがノブの行き先を知っているワケがない。
俺はふっと短く息をつき、先を急ごうとしてソレを見つけた。
観客席のいちばん後ろの隅に置き忘れられた、小さなリュック。
あいつ、手ぶらかよ。なにやってんだ!
俺は見慣れたソレを手に取り肩にかけると、弁当箱の重さと立体感を背中に感じながら、今度こそ走り出す。
大丈夫だ。あいつは、ノブは本物だ。
ノブの霊感は本物だ。
今までだって大丈夫だった。
でもあいつは、時たま無茶をするから――
俺は走りながら、今朝目の当たりにした『幽霊公園』のことを思い出していた。
俺が今いる『広郷市民陸上競技場』の道路向かいには、広い敷地面積の『広郷運動公園』が広がっている。この運動公園こそが別名『幽霊公園』で、地元の子供たちの間ではわりと有名な心霊スポットだった。
けれど大学生の姉はそんな名称は聞いたことがないと言った。姉が子供の頃に噂されていたのは、『夏になると交通事故死した男の幽霊が出る』そんな話だったらしい。
俺はそんな話の変遷に興味を惹かれた。
きっと子供同士で口伝えしていくうちにどんどん変化していったとか、どうせそんなところで、男の幽霊話も結局ガセなんだろう。
でもちょっと背景を調べるのは面白そうだと思ったし、それを幼馴染三人でやることに意義がある気がした。
そして三人で噂の心霊スポットとやらに行ってみる。誰でもやってる、ちょっとした夏のイベントだ。
それにもし、万が一にでも『幽霊公園』の噂が真実だったとしても、ノブがいる。
ノブがいれば大丈夫だ――
俺はそんなふうに甘く考えていた。
だから何かあったら、全部俺のせいなんだ。
「スミレ!」
俺は二年生たちが待機している観客席の階段下から、人波をかき分けて前に出て、通路をこちらに向かって駆けて来るお団子頭の眼鏡女子に声をかけた。
するとあちこちから視線が飛んでくる。興味本位の視線。知るか。
それよりもスミレだ。その姿は小さくて周囲の人影にすっぽりと隠れてしまいそうだけれど、独特の空気感ですぐに見つけられた。
「スバル!こういう場では先輩と――」
肩からトートバッグをぶら下げたスミレが、お決まりの小言を口にしながら階段を下りてこようとして、その足を止めた。
目の前に、大きな背中が立ち塞がったからだ。
ひょろりと背が高く青いストライプTシャツを着たその男子生徒は、サッカー部でスミレのクラスの
「そんなに慌ててると階段転げ落ちるぜ?スミレ」
中河の少しかすれた低い声。あいつが女子に人気がある要素のひとつ。
でもあいつは去年、入学早々スミレにフラれて、それなのにまったく意に介した風もなく何事もなかったかのように普通にスミレに接している。
そんな態度が女子の反感を買ってスミレが嫌われるという、女子特有の捻じれを生じさせていた。
「急いでるのよ。ちょっとどいてくれる、タイセイ」
言いながらスミレが中河の横をすり抜ける。それを阻止するでもなくスミレを通した中河は、その姿を追うようにこちらに視線を向け、そこで初めて気がついたかのように俺を見た。
「お、『ブックス
「おー、『中河革靴店』、フラれたくせに元気そうでなによりだな」
俺に向かって軽く手を上げる中河に、俺はワザと嚙みついた。
ぶっちゃけ俺は、こいつが気に喰わない。
「なに毛ぇ逆立ててんのさ。おま、俺一応センパイだべや」
中河と言えば、そんな俺の気も知らずにブハッと吹き出し、聞いててイライラするくらい暢気な口調で笑顔を見せてきやがった。
そして、「気をつけろよ~」とか言って俺たちにフラフラと手を振ってくる。
俺はこいつのこーゆうところが、昔から苦手だった。
「スバル、いくら幼馴染だからって、タイセイも先輩なのよ」
中河に言われるまでもなく足下に気をつけながら階段を下りて来たスミレが、俺に小言をぶつけてくる。
フッた男の肩なんて持ってんじゃねーよ!
「いいから急ぐぞ!ノブが待ってる!」
「分かってる。行き先は――」
スミレがごくりと喉を鳴らした。
そうだ、行き先は『幽霊公園』一択だ。
その一角を視界に捉えたとき、真冬の午後の空模様が脳裏に浮かんだ。
雪が降りだす一歩手前の、昼間なのにどんよりと重く垂れこめた灰色の空。頬が切れるほど極限まで冷えた空気。
流れるバスの車窓。残暑の陽光がチカチカと反射する中で、その公園だけが薄暗く沈んでい見えた。
幸か不幸か、俺に霊感はない。
変なモノを見たことはないし、何かを感じ取ったこともない。
ノブと一緒に過ごすうち、何度か不可思議な現象に遭遇してはいるけれど。
足を踏み入れたくない――それは、生まれて初めての直感だった。
ノブはお祖母ちゃんとの約束を守って、自分から積極的に霊に近づくようなことはしなかった。
けれど時々、「あの道は通っちゃダメ」とか「あそこのお家の窓は見ちゃダメ」とかって、俺たちに教えてくれた。それを信じたのは俺とスミレだけだったけど。
そんな感じでノブは、霊とは適切な距離感を保っていたと思う。
それが小五の時、ノブが教室の窓ガラスを割るという事件が起きた。
ノブへのいじめが激しかった時期だ。
当時、学校中で秘かに流行っていた『分身様』というこっくりさんの一種をやっていた女子を止めようとしてやったと、ノブは証言した。
真相は、「低級霊が窓の外から入り込もうとしていたから止めた」らしい。
あの時ノブは掌にいくつもの切り傷を作って、薄く微笑んでいた。
包帯から滲む赤が痛々しかった。
そんなことがあってから、ノブは少しだけ変わった気がする。
お祖母ちゃんとの約束は守りつつも、霊との距離感が曖昧になっていると感じるときがある。
それはたぶんだけど、いじめの元凶ともいえる自身の霊感で誰かを守れるかもしれないと解って、ノブは無茶をするようになったと思う。
だから今――
俺は、目の前に広がる公園の入り口を食い入るように見つめながらも、中に入ることを躊躇っていた。
何の変哲もない、ちょっと薄暗いだけの公園なのに、信じられないくらい静まり返っている。まるで内部には、生き物なんて虫一匹さえ生息していないかのようだ。
俺には霊感なんてないのに、見上げるほど高いフェンスが、鬱蒼と生い茂りざわざわと葉を揺らしている木々が、意志を持って俺たちの侵入を拒んでいると感じる。
感じてしまう。
なんなんだよ、ここは。
なんでこんなに嫌な気分になるんだ。
額から汗が流れて顎に伝う。
こっち側が暑いからだ。
冷や汗なんかじゃない。
傍らに立つ幼馴染に視線を向けると、スミレも口を噤み息苦しそうにジャージの胸元を握り締めている。
いつも以上に顔色が白い。
俺が、俺がしっかりしないと。
言い出しっぺのこの俺が。
「なあ、ノブと連絡取れなくなったのって、いつからだ?俺、委員の仕事でバタバタしてたから……」
俺はスマホを取り出してメッセージアプリを起動する。
体育委員の俺は、午前中は一年男子の測定補助の仕事を割り振られて、ノブのことを放置してしまっていた。やっと落ち着いた先程、『公園はパスしてどっかで弁当食おうぜ』って送ったメッセージに、未だ既読はつかない。
「分かってる。スバルの働きぶりは上から見てたもの。ノブも、道具を運ぶスバルの画像、何枚か撮れたって喜んでた」
「はぁ?!」
なんだそりゃ、盗撮じゃねーか!
しかも、意外とアクティブにやってるし。
俺が絶句していると、トートバッグから薄紫色のカバーがかかったスマホを取り出し、スミレが画面をタップする。
「ぼっちは基本、暇でしょ。だから出番のない時間、あたしたちふたりで『悪役令嬢縛り』しりとりやってたの」
なんだよそのカオスな遊びは。
スミレはスマホを翳して「見る?」と訊いてきた。
俺は丁重にお断りする。幼馴染の闇を垣間見るのは俺にはまだ時期尚早だ。
「それで、あたしたち二年が午前の最後の測定に入る前に、あたしも公園に行くのはやめようってメッセージしたのよ。でも戻って見てみたら既読がついてなくて。電話もかけたんだけど全然出なくて……」
「ノブのスマホは間違いなくこの中だ」
俺が肩にかけたノブのリュックを示すと、スミレが瓶底眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「あの子、いつからこの中に……?!」
スマホを握り締めながら、スミレが公園の入り口を睨みつける。
黒曜石の瞳が冷たい光を放つが、その対象物の方がもっと冷気を放っている。
「俺が行って中の様子見て来る。スミレはここで待ってろ」
そう言って俺はふたつのリュックを背負い直し、大きく息を吸って吐き出すと同時に一歩足を踏み出した。
すると、ジャージの背中が引っ張られ、
「なんだよ、離せよ」
「あたしも行く」
振り返りながらスミレを見ると、俺のジャージをギュッと掴んだスミレが圧の強い目で俺の向こう側から視線を外さずにきっぱりと言った。
「ダメだ。おまえは居残りだ」
「おまえとか言わないで。なんであたしはダメなのよ」
「あぶねーからだ。てか離せ、伸びる」
俺は身体を捻ってスミレを振り払おうとするが、枝みたいな腕からは想像もつかないくらい強い力でしがみついてくる。
「あぶないのはスバルも同じでしょ。あたしも行く」
「俺はいいんだよ!だから伸びるって!いい加減離せって!」
「だからなんでよ!」
スミレの腕を振り払った俺はその華奢な両肩を掴み、グッと押し返した。
「俺が心霊スポットに行こうなんて言い出さなきゃ、ノブはきっと公園には来なかった。お祖母ちゃんの言いつけ守っていつもどおりスルーしてたはずだ。でも俺が言ったから。三人で遊ぼうなんて言ったから!だから……、だから責任は俺がとる!!」
思わずスミレの肩を掴む指先に力がこもる。けれどスミレは少しも痛そうな顔を見せずに、真っ直ぐに俺を見返してくる。
「なによ、責任って。あたしもノッたわ。しかも、もしも噂が本物でもノブがいるから平気だって言ったのはあたしよ。軽率だった。あたしたち、軽率だったのよ。ノブに謝らなきゃ。そうでしょ」
スバル――ふっくらとした唇が俺の名前の形に動いた、その時。
ゴウッと大気が響き、ものすごい突風が吹きつけてきた。
まるで暴風。それは空の彼方から公園に向かって吹き抜けていく。
「「!!」」
あまりの勢いに、俺たちはお互いの腕を掴み合った。
風に煽られ砂塵が舞う。スミレが短い悲鳴を上げ、俺は飛ばされないようにスミレの身体を抱え込みながら、思わず目を瞑った。
するとすぐに風の勢いが収まって、俺は薄く目を開く。
もうもうと立ち込める砂埃の向こうに見える公園の入り口から、なぜだか冷たい気配が消えていた。
そこにあるのは、ごく普通の公園だ。夏の残りの陽光に照らされた、ありふれた公園。
ノブ。何があった。なにをした――
「スバル。公園が、スバル――」
スミレがかすれた声で俺の名前を呼び、俺は我に返った。
しがみつくスミレの手を取って思いっきり引く。
ノブ、何があってもいい。そこで待ってろ!
俺とスミレは『幽霊公園』だった場所に駆け込んだ。
幼馴染の元に向かって。
完
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