【エピローグ】

 遠く空の向こうに目を凝らす。

 逝ってしまった夏翔さんの姿を探すように、初秋の空をこの目に映す。

 さらりと乾いた風が吹きぼくの前髪を揺らした。

 風が戻って来た。夏翔さんというが解体され、集まっていた他の霊体の力が一気に弱まっている証拠だ。

 それは、夏翔さんが本当にこの世から消えてしまったことの証拠でもあった。




 始めは、ほんの気まぐれだった。

 長く退屈で色んな意味で割と地獄な記録会を、どうにか楽しくやり過ごそう――幼馴染のスバルの思いつきがきっかけだった。


 記録会はとにかく長い。

 学校に朝早くから集められレンタルバスに乗せられて陸上競技場まで連行される。全学年ひとくくりにされて運ばれる様は、まさに市場に連れて行かれる子牛の群れって感じ。ドナドナの気分だった。


 始まったら始まったで、やることは地味。

 イベントと言っても記録会はあくまでも体育の授業の延長で、自己の記録を淡々と測定するだけ。最後の最後に取ってつけたようなリレーをやるけれど、それだけで盛り上がるわけがない。むしろそんなリレーなんてやらない方が全然マシ。


 更に長すぎる待ち時間をどうやって過ごすかが問題だった。

 通常は学年とクラスごとに分かれて自分の次の測定まで待機することになっているけれど、ずっとその場に留まっている必要はなかった。

 先輩や後輩の応援に行ったりもある程度は認められていて、そういうことが一緒にできる仲間がいれば楽しく過ごせるに違いないけれど、はっきり言わなくてもぼっちには地獄の一日よ――


 スミレちゃんが綺麗な顔を醜く歪めてそう吐き出した。


 初めてのイベントがどんなものか知りたくて、ぼくとスバルが先輩のスミレちゃんに訊ねた解答がこれだった。


「ぼっちにも運痴にも地獄の一日よ」


 スミレちゃんが重ねて言い切った。去年、よっぽど嫌な思いをしたらしい。

 主にぼくに向けての発言は、同じ境遇のぼくを慮ってくれているからだろう。


 スミレちゃんは去年、同じクラスでカースト上位のサッカー部員から告られて速攻断ったことが原因で、クラス中の女子から完全シカトを喰らっている。そこには元々が美少女のスミレちゃんに対しての嫉妬もあるんだと思う。


 当の本人は、何も間違ったことはしていないのだからと毅然とした態度で通学しているし、今のところ物理攻撃の類は受けてはいないらしいからまだ安心しているけれど、なんにしても女子って怖いなぁって思っちゃう。


 ぼくの場合は、勉強も運動もできなくて見た目も冴えない自他共に認めるモブ担当だけれど、としてクラスから浮に浮きまくっている状態だった。


 まぁそんなのは小学生の頃からだったし、だからその延長って感じで受け入れている。

 実際、小五の頃なんか酷い物理攻撃も受けていたし、親も学校に訴えたりしていてまさに激動って感じの時期だったから、それから比べたら今は割と過ごしやすい方だ。

 

 ただ、中学校は一日の拘束時間も長いし、移動教室とかグループ学習とかイベントとかがやたらと多いから、そんな時どう振舞ってどう過ごせばいいのか考えるだけで本当にお腹が痛くなる。

 頼みのスバルも違うクラスだし。


 そんな状況だったから、記録会の間でも学年もクラスも違うぼくたち三人がが何でもいいから欲しかったんだ。

 それをスバルが提供してくれた。スバルなりに長い一日を乗り切るを探してくれていたみたいだ。いつも動くきっかけを作ってくれるのはスバルだった。


「ちょっと『幽霊公園』について調べてみないか?」


 あの昼休み、図書室で分かれた後ぼくたちは放課後にまた三人で集まりスバルの話の続きを聞いた。


「なんで噂の場所が『バス停』から『公園』にしたのか気になるんだよね。ま、大した理由なんかないかもだし、俺らが調べたところで何が分かるってこともないかもだけどさ」


 本屋の息子で小説家を志すスバルは調べものが大好きだ。気になる物事は納得いくまで調べたい体質で、「そういうのはいつか小説のネタになる」が口癖だった。


「調べてどうするのよ」

「行ってみるんだよ。暇つぶしに」


 一年生のぼくたちは記録会の午前の出番が終わると、上級生の測定が終了し、その後昼休みに突入して午後の測定が始まるまで、かなりの時間が空くことになるらしい。だったらその時間を活かして、噂の心霊スポット見物でもしてみないかとのことだった。


「これぞまさに夏のイベントにふさわしくね?」


 スバルが猫目を光らせてニカッと笑った。

 一応、霊感少年の僕としては面白半分で心霊スポットに突入するのは良くないと注意しなければいけない立場だけれど、『仲間たちとお化け屋敷に行ってみた』的青春イベントにかなり惹かれるのも事実なわけで。


「あたしはいいけど」

「お。怖くないのかよ」

「本物の心霊スポットなんて滅多にないわよ。あったとしても別に平気じゃない?」

「確かに、最強のがいるもんな」


 スバルがぼくの肩に腕を回してヤンチャな笑顔を見せる。スミレちゃんもぼくに向かって静かに微笑んでいるけれど、目力が鬼つよ過ぎて蛇に睨まれた蛙の気持ちがよく分かった。

 どうでもいいけど人を魔除けグッズ扱いするのはやめてよね。


「行くのはいいけど、事前に調べられることは調べてからにしよう。何も無いのがいちばんだけど、そもそも、そこがどんな場所なのかぼく全然知らないし。もしも噂が本物だった場合や、ぼくと一緒でもふたりには厳しいなって思ったら、敷地に近寄るのも禁止だから。これ絶対だから」


 スバルとスミレちゃんは、ぼくがって分かってからもずっと幼馴染でいてくれる貴重な存在だ。『目の色が変わる異常な体質』ごと僕を受け入れてくれる本当に大切な人たちだから。ふたりに危害が及ぶような事態だけは絶対に避けなきゃいけない。


「近寄るなって言われてもすぐ隣なんですけど」

「でも行っちゃダメって言わないのな。お前も実は遊びたいんだろ」

「ちゃかすなよっ。僕の言うこと聞かない子は連れて行かないから!」


 こうしてぼくたちは、「調べものなら図書館で古い新聞を漁るのが探偵役のセオリーだぜ」とかいう、小学校まではライトノベル専門だったくせに最近は大人が読むような難しい推理小説にも手を出しているスバルの提案で、街の図書館に赴き記録会までの限られた時間でできるだけのことを調べた。


 結果、『陸上競技場』『運動公園』関連で見つけたものは、大会出場当日に交通事故に遭った高校生の記事とその続報、他はゲートボール大会中に熱中症で倒れた老人の記事だけだった。


 ぼくは正直、どっちもハズレだと思ったんだ、その時は。

 高校生の方は遺族の活動記事も含めて手厚く供養されている感じだったし、老人の方は割と最近の記事で噂の年代とかけ離れている。しかも倒れたとしか記載が無かったからたぶん無事だったんじゃないかなって。


 じゃあどうして心霊スポット呼ばわりされているのか。

 たまたま交通事故があった場所だから?

 単純にそんなところだろうって簡単に考えていたんだ。


 そうして、今朝。

 ぼくたちを乗せたバスが陸上競技場の敷地に入ろうとしたとき、高いフェンスに遮られた『幽霊公園』が見えた。フェンスを越える背の高い木々は鬱蒼とその枝葉を茂らせ、よく晴れた明るい日射しの中だというのに、その一角だけ薄墨を撒いたかのようにもやもやと濁って見えた。


 噂は本物かもしれない、ぼくがそう思った瞬間――


 連なって走行するバスが競技場の裏手に広がる駐車場に向かって進路を変えた僅かの間、ぼくは見た。

 『幽霊公園』と陸上競技場の間を走る車道の上に横たわる信じられないモノ。

 降りそそぐ太陽光に刺し貫かれ、大の字に縛りつけられた白い人影。


 ――地縛霊?!


 速度を落とし走るバスに揺られを見送りながら、ぼくはふたりには悪いけれど、ここには昼休みを待たずにひとりで来よう、そう心に決めていた。

 


 頬を撫でる風が涼しい。

 いくら残暑が厳しいと言っても、吹く風は確かに秋を色濃く孕んでいる。

 太陽に照らされた頭の天辺が熱い。


 夏翔さんが逝ってしまい、行き場を無くした有象無象たちが木陰や建物の影、射す日が強いほどくっきりと濃い闇の色をめがけて逃げて行く。ぼくの周囲の空気が澄み渡り、日射しの明るさがぐんと増す。

 

 もう少しだ。もう少しで『幽霊公園』が正常な状態に戻ろうとしている。


 夏翔さんは意志の強い人だった。

 生前、夏翔さんはきっと生真面目で頑固な一面を持っていたんじゃないかな。

 死後もその性格は色濃く作用していて、死を招いたのはすべて自分のせいだって強く思い続けていた。

 そしてそのせいで、仲間たちとの夢も希望も台無しにしてしまったって、強く強く後悔し自分を責め続けていた。


 それは責任感の強さの表れだろうけれど、ぼくには少し歪に思えたんだ。

 自分を撥ねたバイクの方にちょっとの恨みも抱かないなんて、そんな人間いるだろうか。

 意志の強さで自我を抑え込み、そして永く自身が命を落とした場所に自らを縛りつけてまで。

 地縛霊と呼ばれるモノに成り果ててまで。


 ぼくの前では夏翔さんは普通の気のいいおにいさんだった。

 そして、限界を迎えつつもあった。

 このまま放置していたら歪みに蝕まれて、夏翔さんはに変貌してしまっていたかもしれない。


 夏翔さんとさよならするのは、必然だった。


 ぼくは物心ついたころから霊と呼ばれるモノの姿が視えて、声が聴こえて、その存在に触れることができた。それはやっぱり子供の頃から霊感が強かったばあちゃんからの隔世遺伝だった。

 そんなぼくの十三年ぽっちの人生のなかで出逢った

 その中でも夏翔さんは稀有な存在だった。

 今後、こんなヒトに出逢える奇跡なんてきっとない――

 

 澄んだ空の彼方からまだ声が聴こえてくるような気がした。


眼鏡くん、前を向け


 ぼくに何度もそう言ってくれた夏翔さん。

 ぼくはその言葉を胸に、ゆっくりと視線を正面に向ける。そんなぼくの視線から逃れようと、蠢くモノたちが四方八方、影のある方へ逃げて行く。

 コレのせいで運動公園は、見る人が見れば昼間でも薄暗く近寄りがたいになってしまっていた。


 だからやっぱり『幽霊公園』の主は、夏翔さんってことになっちゃうんだろうな。


 そんなことをぽつぽつ考えながら、ぼくはここに集まった霊たちをどうしようかと悩んでいた。

 ぼくにできることと言ったら、会話ができる霊ならいちばんの望みを聞き出して、想いを込めた絵にして見せること。

 いちばんの望みとはつまり、未練だ。

 この世に留まる原因。

 を描いたぼくの絵は、霊の目からどう見えているのかは解らないけれど、未練を断ち切るに足る力があるらしい。


 けれど意志を持たない有象無象相手じゃ、どうすることもできやしない。

 きっとしばらくすれば勝手に霧散するだろうし、このまま放っておいても大丈夫だろうけれど、それでも巣くっている量が多すぎる。

 『幽霊公園』を正常な場所に戻すために、できるならもう少しだけ綺麗にしておきたい。

 

 いつもなら纏わりついてくるようなヤツらは直接手で振り払えば消してしまえるし、そもそも普段のぼくなら見て見ぬふりでスルーしちゃうのだけれど。

 夏翔さんと出会ってほんの数十分で、ぼくの中の何かが変わったみたいなんだ。

 けれどぼくは霊能者じゃないから、お祓いや除霊の仕方なんて解らない。

 ただ、ひとつだけ試してみたいことがあった。


 ぼくの家はケーキ屋で、家には商売繁盛を祈願した神棚がある。氏神様が祭られていて、ぼくたち家族はじいちゃんを中心に毎朝祈っている。

 拍手かしわでを打って。

 あの、ぱぁんぱぁんと響く小気味いい音。冷たく澄んだ空気の流れが波紋のように広がって、周囲が整う感じが好きなんだ。

 あの瞬間だけは、もしかして神様って実在するのかも……なんて思っちゃう。


 ぼくにじいちゃんみたいな拍手が打てるか分からないけれど、この場を整えるために。

 ばくは深く息を吐きながら胸の前で両の掌を合わせた。

 ゆっくり大きく息を吸う。


 ぱぁん

 ぱぁん


 力むことなく掌を打ち鳴らした途端――ぼくの背後から一陣の風が吹き抜けた。

 その勢いに足が一歩前に出る。髪の毛が吹き飛ばされ、ジャージの襟が立ち上がる。

 夏の嵐のようなその風に雑多な霊たちが吹き飛ばされ、声なき声をあげて消えていく。あちこちに散らばった歪な闇が払拭されていく。

 

 ぼくにも、できた……?


 ぼくは驚き、声も上げられずに固まって徐々に整っていくその景色を視ていた。


――え、たい……


 その時、その声は聴こえてきた。

 闇が晴れていくその中に、そのヒトは居た。

 ぼくは視えたり聴こえたりはするけれど、気配を感じることは苦手だった。

 目が変色するくらいならちゃんと霊の気配を感じ取れたらいいのに――そう、いつも思っている。そんなポンコツなぼくだから、まったく気づかなかったんだ。


 少し先の木々の間に、お爺さんがひとりこちらを向いて立っていた。


えりたい……

帰りた……

か、して……


 薄い頭髪、長袖のポロシャツにその胸にはゼッケンがついているのがはっきりと見て取れる。まだ新しい霊だった。

 お爺さんがぼくに気づいて枯れ枝のような指先を伸ばして――そう認識して、ぼくは唐突に新聞記事を思い出した。ゲートボール大会のあの記事。


 熱中症で倒れた老人は、もしかしてそのまま息を引き取ってしまったんじゃ。

 家に帰ることなく。家族の元に生きて帰ることなく――


 そう思う間にも風が吹き抜ける。

 お爺さんのカタチが風に飛ばされ霧散する。


「うそ、待っ……!」


 思わず上げたぼくの声すら飲み込んで、風がその場を浄化してしまった。

 がその後どうなるのか、ぼくは知らない。

 成仏できなかった魂の行く末なんて、ぼくは知らない。

 ただ、ぼくは――失敗した。

 調子に乗って霊能者の真似事なんてしたばっかりに、ぼくはお爺さんの魂を殺してしまったんだ。

 ぼくは何もできずに、夏の嵐が過ぎ去るのをただ茫然と眺めているだけだった。



 どれくらいそうしていたのか、きっとほんの僅かな時間。

 『幽霊公園』は瓦解して、今やこの場所はごく普通の運動公園に戻っていた。


 ぼくの足元には、夏の終わりの日射しに照らされて俯くぼく自身の影が色濃く落ちていた。

 ぼくが描いた夏翔さんの上に。

 

眼鏡くん、前を向け


 絵を見ていると夏翔さんにそう言われたような気がしてくる。

 そうだ、ぼくはもう俯かない。

 何をしても。

 何をされても。

 ぼくの身に起きたことは、全部ぼくの責任なんだ。


 そしてぼくが、ゆるゆると顔を上げかけたそのとき。


「――いた!ノブッ!!」


 聞き間違えるはずのない幼馴染の声に弾かれて、ぼくは振り返る。

 すると、ああ、やっぱり。

 公園の入り口からスバルとスミレちゃんが顔を覗かせている。

 その、ちょっと怒ったようなふたりの表情を見た途端、ぼくの足は自然と駆け出していた。

 ふたりの元に向かって。


 ねえ、夏翔さん。

 何から話そうか。ふたりに何を話そう。

 ぼく、好きな人たちには嘘や隠し事はしたくない。


 ぼくの話を聞いたとき、きっとふたりはものすごく怒るだろう。

 勝手なことしてって怒って、心配したぞって、ぼくはきっと叱られる。


 それでもぼくは話したい。

 聞いてほしい。


 ぼくが夏翔さんと出会って、名前も知らないお爺さんの魂を殺してしまうまでの話を。


 ほんの少しだけ変われた、ぼくの話を。





  完

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